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磐越西線
会津からも世の中を見直すべし!
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東日本大震災で起きた福島第一原発の大事故で、放射能汚染による人体への影響が心配されるが為に、周辺の多くの方々の故郷が奪われたような状況になったのにも関わらず、国が原発の廃止や多くの方々が納得できる見直しを行うどころか、そのままもしくはそれに近い状態で再稼働に踏み切るのも、アメリカの影響があると言われている。
その影響もあるのか原発が建てられている周辺の自治体には、やはり補助金や交付金という名目で国からお金を貰っているという。原発や核兵器など原子力を推進するエネルギー省を持つ、アメリカ政府の利益に沿うだけでは、原発の停止や廃止少なくともリスク管理や対策をより厳しくした上での再稼働ができる訳がない。
沖縄の米軍基地問題のみならず、福島の原発事故後の日本政府の対応をとっても、日本は未だにアメリカから独立できておらず、お金に目が眩んでいるせいなのか日本独自の文化や日本人独特の誇りや魂(アイデンティティ)を見失い迷走している現状が読み取れるのではないか。
幕末から明治時代にかけてはイギリスの利益の為、さらに太平洋戦争後は戦勝国であるアメリカ政府の有利なように、進められた占領政策に従うだけでは、日本人一人一人の事を考えた国づくりができる訳がない。
補助金や交付金など国からのお金に依存している原発周辺の自治体関係者や住民に限らずに
「世の中はお金が第一!お金が全て!」
なんて思っているうちはまだまだだと思うが、日本で言えば「日米安全保障条約」にあたるアメリカとの防衛上の条約も破棄することなく、国内の米軍基地撤廃に「決死の覚悟」で踏み切ったフィリピンや、日本と同様に第二次世界大戦の敗戦国であったのにも関わらず
「新しいドイツ人は、断固たるヨーロッパ人であるべきで、そうすることのみでドイツは世界に平和を保障される」
という揺らぎない国家方針で、NATO軍以外の米軍の撤退に成功させるなど、本当の意味での独立回復に成功したドイツをヒントに、日本も江戸幕府のもとで会津藩により会津地方が繁栄した、江戸時代以来再び日本独自のアイデンティティを政治にも活かして、本当の意味での独立をする道を模索してはいかがかと思う。
福島第一原発周辺の多くの方々の故郷が奪われたのみではない。電力会社は原発で働く従業員に対して
「原発は絶対に安全だ」
と洗脳していると聞く。怪しい宗教団体とやっていることはまるで変わらない。原発事故は毎日のように起きているが、政府や電力会社はそれらを「事故」ではなく「事象」としてごまかしているという。
その中でも特に酷かったのが1991年に起きた福井県の美浜原発事故は、多重による安全装置が次々と動かなくなりあと1秒足らずで1986年にチェルノブイリで発生したような、世界史上最悪の原発事故になるところであった。高速道路を時速100キロで走行する車を、フットブレーキやサイドブレーキも効かずに、壁に擦りつけてやっと緊急停止できたようなものだという。
東日本大震災で起きた福島第一原発事故も、現場の従業員の方々の必死の対応がなければ、東京近郊も含めて被害がさらに広がっていたとも言われている。
日本全国のあちこちに建てられている原発は老朽化も進んでいる箇所もあり、作業員の9割以上が経験が浅く素人に近いという。イギリスのセラフィールド原発では1957年に起きた火災事故などによる被爆により、その周辺では白血病の子供が生まれる確率は高いという。日本国内でもそれを知っている原発周辺に住むある女の子同士では
「そんな状態では結婚できない。子供が産めない。」
と嘆き、そのうちの一人の少女は原発による国からの補助金をあてにしている彼女の親も含めた大人達に、原発の近くに住むその嘆きが出る程の精神的な苦痛を訴えたという。
電力会社の関係者や国や自治体や官僚さらに周辺の住民などの中の一部の方々に対しても
「他人に対する思いやりよりもやはり国からのお金が大切なのか?」
「本当にこの国独自の誇りや魂を持っているのか?」
とそのような酷い状況を放置している神経を本当に疑ってしまう。
「天道より天下を預かった」
という意識が高く、他の国からの干渉や影響も必要以上に受けずに独立した状態で領民のためにも政治を行ってきた江戸幕府や会津藩なら、これだけ多くの方々の健康や暮らしを脅かす原発なんてとっくに停止や廃止に踏み切っているのだろう。それが言い過ぎで、いきなり廃止や停止が難しくて、再稼働するにしても、少なくともリスク管理や対策がされないままの状況で運転を続けるような事は絶対にしないと思える。
もちろん私も欧米の方々が石炭を燃やして動かす蒸気機関を発明して工業の生産性を飛躍的に向上させた事から始まった産業革命も含めて、汗水時には血を流して代々築いて来た誇りや文化を全て否定するつもりは無い。むしろ良いところはどんどん取り入れるべきだと思う。また太平洋戦争末期に広島、長崎の原爆も含めて、日本中のあちこちの都市で米軍機による空襲で、あちこちが焼け野原になり戦地でも多くの方々が犠牲になったのにも関わらず、戦争そのものを反省し憎しみを超えた日本の復興そのものを否定するつもりも全く無い。
明治維新以後、西洋のモノが多く日本にも流入し、さらに昭和の戦後、鉄鋼、自動車、電化製品など良いモノをどんどん生産して売るなどしてモノやお金が多く溢れるようになり、日本も欧米諸国と並んで先進国の仲間入りをした。
しかし、会社の利益やお金を増やす事それに繋がる労働者の成果ばかりに囚われて、それに付随している筈である、欧米諸国の方々が「清教徒革命」や「フランス革命」なども含めた歴史のなかで勝ち取ってきた、仕事している方々が働きながら趣味や家族との家庭生活などを楽しむ労働者の権利や、職場も含めて周りの方々を思いやる心が抜けているなど、モノを生産する技術など表面的に西洋のマネをするのは上手くても、それらの中身にある筈である「人間は神の前ではみな平等」のキリスト教の教えや「隣人愛(他人への親切・思いやり)」などの「魂」や「精神」が置き去りにされている。
仕事好きや「1円でも多く稼ごう!」という拝金主義の方々が優遇されているような現状の日本社会では、仕事よりも仕事以外の時間を大切にしたい人達には非常に生き辛くなっている。いい歳した大人で職を持たないニートが増加したり、平気で人を殺してしまうような凶悪な犯罪がよく起きるのはそういう現状も背景にあるのではないか。
近年ニュースや世間話でもよく話題になった「ブラック企業」「過労死」「パワハラ」などの問題もいい例である。
西洋のみならずというよりもそれ以前に、江戸時代に幕府を中心に会津地方でも培われて来た「仁」「義」「礼」「智」「信」の五常を活かした大切な日本人の魂が忘れられていると思える。
自然環境の破壊や公害もその良い例である。お金を得られる利益や便利さに囚われ過ぎるあまり急激に進められた工業化により、都市部を中心に工場や自動車や火力発電所などの排気ガスによる大気汚染と、工場や多くの商業施設や家庭などの排水により川や池や沼や湖などの水が汚染された公害、戦後の復興での木材の需要の急増を見込んだ植林政策に留まらず都市化やリゾート開発などによる森林の伐採、更に必要以上に行われたダム、河口堰、道路建設などの公共事業による環境破壊などにより、我々日本人の先祖代々自然の力を上手く暮らしに活かして来た、里山の雑木林も含めたかけがえのない自然環境や財産があちこちで失われて行った。
自然や自然を活かした知恵を守って暮らして来た我々日本人やその祖先の方々への「仁」、そして未来に向けて我々の子孫へ受け継がれて行くべき「義」を忘れてしまったのか。
自然環境の破壊の中で、補助金のような国からのお金や一部の官僚が多額の退職金を得るための天下りを目当てに建設されたダムや河口堰や水門や護岸工事などにより、魚が多く住む自然の川や海など日本独特の豊かな繊細さを感じる自然が壊されて行く話を聞くと、自然環境の破壊に限らず、原発や沖縄を中心とした米軍基地の問題の本質にある補助金など国からのお金をあてにする「依存症」とも言える体質も頭の中に浮かび
「いい加減何とかならないか?」
と本当に一人の日本人として情けなくなるし、白けてしまう。それだから他の国や民族からもなめられて(軽く見られて)誇りや精神を主張しなかったり、満足に活かしきれない日本人に対して
「あいつら(日本人)はお金さえ出してくれればそれでいい。」
もしくは
「ある程度お金さえ渡しておけばそれでいい。」
というような交流になってしまう。
本当に我々日本人はいつから
「世の中お金が全て」
そこまで行かないとしても
「お金が第一」
とその程度になってしまったのか?
本当に自分達の魂や誇りを大切にしながら楽しい人生を送りたいと思わないのか?
また学生時代
「良い高校・大学に入り良い企業に就職する、または国や地方の官僚になるために、受験に受かるための勉強するのが良い。」
という雰囲気に何となく流されて来た私も、一流とは言い難いが高校や大学にも行き、適当にかつ好きなことをして遊んだ後に、無事にどこかの企業に就職する人生を送って来た。確かに出来るだけ良い高校や大学に入り良い企業に入るのも良い事ではあるが、あまりそれに囚われ過ぎるか、かつての私のようによく考えずにただ何となくその事を感じるだけでは
「とにかく合格!とにかく内定!」
という周りの雰囲気に流されてしまいがちだ。教育のフィールドにて「お受験」「合格」の為の勉強という、学校、予備校、塾の利益が第一ではないかと疑いたくなるようなくだらない内容や雰囲気に固執するかただ何となく流されると、学問に励む「智」の本質から外れてしまう分、長い目で見て国や地球上の利益にも通じる賢い人間を育てて育つチャンスを逸してしまうのではないか。
「高校や大学に入ってどういう勉強をしたいのか。企業や役所に入ってどういう仕事をしたいのか。たとえ企業や役所に入らなくても学生時代にした勉強を活かして、どういう人生を送りたいのか」
という最も大切なことが、二の次もしくは置き去りにされてしまう。私は中学3年生の秋に親の言いなりになり受験勉強の為の塾を優先にして、転校する陰ながら尊敬していた同級生の送別会にあたるライブに行かなかった事により、貴重な思い出を作るチャンスを失った事を今でも後悔している。その事も
「とにかく合格!とにかく内定!」
というくだらない雰囲気に流されることにより、大切なものを見失ったり、失ったりするいい例だと思う。
更に性質(たち)が悪いのが卒業後の進学、就職を最優先に考えていると満足に勉強しなくても卒業出来てしまうケースが多い。例えばアメリカのレベルの高い大学みたいに、入学はわりと簡単で卒業するのが大変な仕組みや雰囲気つくってはどうか。少なくとも私立大学や高校などの学校、予備校や塾もあまり目先の利益に囚われずにそういう仕組みや雰囲気でも利益が出る工夫をされてはどうか。それだけでも学問に励む「智」の本質に大分近づくと思う。
私も高校や大学に受験に受かるための準備も含めて勉強する時間も最もよく取れる10~20代にかけて「仁」「義」「礼」「智」「信」五常の精神でももっと理解して大切に出来ていれば、学生時代も「よく学びよく遊べ」でもっと楽しい人生が送れたかも知れない。学生時代に限らず社会人になった後も含めて、もっと賢い人生が送れているのかも知れない。私も今までそれが満足に出来なかった分、せめて残りの人生でその反省を活かすしかない。
今の世の中誘惑や色々な情報が多い中でも、お金を得る事「利益」「成果」を追求し過ぎずに、または楽をする事ばかりを考えず、周りに流され過ぎずに、楽しく賢い人生を送るヒントになる儒教の五常のような精神を、かつて会津の子供達が朗唱してきた「什の誓い」を例に、人間は子供の頃からしっかり教育されるべきだし、大人はもっと子供に教育する機会を与えるべきだ。
「ならぬことはならぬ」
その一言だけでも充分心が締まるように戒めになる。
幕末から明治にかけてのイギリスや太平洋戦争の前後から今日にかけてのアメリカに加えて、それらの国に対抗しようとしているお隣の国ロシアや中国などの大国にも、我が国日本も含めた小さい国々が翻弄され続けているように思える地球上にて、我々がこれからどのように生きて行くのが良いのか?その答えを見つける事は容易ではない。
しかしそのヒントが江戸時代に幕府と共に会津藩により築かれた儒教の五常を基にした、独自の魂や誇りが今日でも受け継がれている会津地方にもあちこちに存在しているのではないか。会津藩を中心に会津地方に築かれ代々受け継がれて来た魂や誇りも含めて、今こそ
「お金よりも大切な物」
を改めて見直すべきではないか。
その影響もあるのか原発が建てられている周辺の自治体には、やはり補助金や交付金という名目で国からお金を貰っているという。原発や核兵器など原子力を推進するエネルギー省を持つ、アメリカ政府の利益に沿うだけでは、原発の停止や廃止少なくともリスク管理や対策をより厳しくした上での再稼働ができる訳がない。
沖縄の米軍基地問題のみならず、福島の原発事故後の日本政府の対応をとっても、日本は未だにアメリカから独立できておらず、お金に目が眩んでいるせいなのか日本独自の文化や日本人独特の誇りや魂(アイデンティティ)を見失い迷走している現状が読み取れるのではないか。
幕末から明治時代にかけてはイギリスの利益の為、さらに太平洋戦争後は戦勝国であるアメリカ政府の有利なように、進められた占領政策に従うだけでは、日本人一人一人の事を考えた国づくりができる訳がない。
補助金や交付金など国からのお金に依存している原発周辺の自治体関係者や住民に限らずに
「世の中はお金が第一!お金が全て!」
なんて思っているうちはまだまだだと思うが、日本で言えば「日米安全保障条約」にあたるアメリカとの防衛上の条約も破棄することなく、国内の米軍基地撤廃に「決死の覚悟」で踏み切ったフィリピンや、日本と同様に第二次世界大戦の敗戦国であったのにも関わらず
「新しいドイツ人は、断固たるヨーロッパ人であるべきで、そうすることのみでドイツは世界に平和を保障される」
という揺らぎない国家方針で、NATO軍以外の米軍の撤退に成功させるなど、本当の意味での独立回復に成功したドイツをヒントに、日本も江戸幕府のもとで会津藩により会津地方が繁栄した、江戸時代以来再び日本独自のアイデンティティを政治にも活かして、本当の意味での独立をする道を模索してはいかがかと思う。
福島第一原発周辺の多くの方々の故郷が奪われたのみではない。電力会社は原発で働く従業員に対して
「原発は絶対に安全だ」
と洗脳していると聞く。怪しい宗教団体とやっていることはまるで変わらない。原発事故は毎日のように起きているが、政府や電力会社はそれらを「事故」ではなく「事象」としてごまかしているという。
その中でも特に酷かったのが1991年に起きた福井県の美浜原発事故は、多重による安全装置が次々と動かなくなりあと1秒足らずで1986年にチェルノブイリで発生したような、世界史上最悪の原発事故になるところであった。高速道路を時速100キロで走行する車を、フットブレーキやサイドブレーキも効かずに、壁に擦りつけてやっと緊急停止できたようなものだという。
東日本大震災で起きた福島第一原発事故も、現場の従業員の方々の必死の対応がなければ、東京近郊も含めて被害がさらに広がっていたとも言われている。
日本全国のあちこちに建てられている原発は老朽化も進んでいる箇所もあり、作業員の9割以上が経験が浅く素人に近いという。イギリスのセラフィールド原発では1957年に起きた火災事故などによる被爆により、その周辺では白血病の子供が生まれる確率は高いという。日本国内でもそれを知っている原発周辺に住むある女の子同士では
「そんな状態では結婚できない。子供が産めない。」
と嘆き、そのうちの一人の少女は原発による国からの補助金をあてにしている彼女の親も含めた大人達に、原発の近くに住むその嘆きが出る程の精神的な苦痛を訴えたという。
電力会社の関係者や国や自治体や官僚さらに周辺の住民などの中の一部の方々に対しても
「他人に対する思いやりよりもやはり国からのお金が大切なのか?」
「本当にこの国独自の誇りや魂を持っているのか?」
とそのような酷い状況を放置している神経を本当に疑ってしまう。
「天道より天下を預かった」
という意識が高く、他の国からの干渉や影響も必要以上に受けずに独立した状態で領民のためにも政治を行ってきた江戸幕府や会津藩なら、これだけ多くの方々の健康や暮らしを脅かす原発なんてとっくに停止や廃止に踏み切っているのだろう。それが言い過ぎで、いきなり廃止や停止が難しくて、再稼働するにしても、少なくともリスク管理や対策がされないままの状況で運転を続けるような事は絶対にしないと思える。
もちろん私も欧米の方々が石炭を燃やして動かす蒸気機関を発明して工業の生産性を飛躍的に向上させた事から始まった産業革命も含めて、汗水時には血を流して代々築いて来た誇りや文化を全て否定するつもりは無い。むしろ良いところはどんどん取り入れるべきだと思う。また太平洋戦争末期に広島、長崎の原爆も含めて、日本中のあちこちの都市で米軍機による空襲で、あちこちが焼け野原になり戦地でも多くの方々が犠牲になったのにも関わらず、戦争そのものを反省し憎しみを超えた日本の復興そのものを否定するつもりも全く無い。
明治維新以後、西洋のモノが多く日本にも流入し、さらに昭和の戦後、鉄鋼、自動車、電化製品など良いモノをどんどん生産して売るなどしてモノやお金が多く溢れるようになり、日本も欧米諸国と並んで先進国の仲間入りをした。
しかし、会社の利益やお金を増やす事それに繋がる労働者の成果ばかりに囚われて、それに付随している筈である、欧米諸国の方々が「清教徒革命」や「フランス革命」なども含めた歴史のなかで勝ち取ってきた、仕事している方々が働きながら趣味や家族との家庭生活などを楽しむ労働者の権利や、職場も含めて周りの方々を思いやる心が抜けているなど、モノを生産する技術など表面的に西洋のマネをするのは上手くても、それらの中身にある筈である「人間は神の前ではみな平等」のキリスト教の教えや「隣人愛(他人への親切・思いやり)」などの「魂」や「精神」が置き去りにされている。
仕事好きや「1円でも多く稼ごう!」という拝金主義の方々が優遇されているような現状の日本社会では、仕事よりも仕事以外の時間を大切にしたい人達には非常に生き辛くなっている。いい歳した大人で職を持たないニートが増加したり、平気で人を殺してしまうような凶悪な犯罪がよく起きるのはそういう現状も背景にあるのではないか。
近年ニュースや世間話でもよく話題になった「ブラック企業」「過労死」「パワハラ」などの問題もいい例である。
西洋のみならずというよりもそれ以前に、江戸時代に幕府を中心に会津地方でも培われて来た「仁」「義」「礼」「智」「信」の五常を活かした大切な日本人の魂が忘れられていると思える。
自然環境の破壊や公害もその良い例である。お金を得られる利益や便利さに囚われ過ぎるあまり急激に進められた工業化により、都市部を中心に工場や自動車や火力発電所などの排気ガスによる大気汚染と、工場や多くの商業施設や家庭などの排水により川や池や沼や湖などの水が汚染された公害、戦後の復興での木材の需要の急増を見込んだ植林政策に留まらず都市化やリゾート開発などによる森林の伐採、更に必要以上に行われたダム、河口堰、道路建設などの公共事業による環境破壊などにより、我々日本人の先祖代々自然の力を上手く暮らしに活かして来た、里山の雑木林も含めたかけがえのない自然環境や財産があちこちで失われて行った。
自然や自然を活かした知恵を守って暮らして来た我々日本人やその祖先の方々への「仁」、そして未来に向けて我々の子孫へ受け継がれて行くべき「義」を忘れてしまったのか。
自然環境の破壊の中で、補助金のような国からのお金や一部の官僚が多額の退職金を得るための天下りを目当てに建設されたダムや河口堰や水門や護岸工事などにより、魚が多く住む自然の川や海など日本独特の豊かな繊細さを感じる自然が壊されて行く話を聞くと、自然環境の破壊に限らず、原発や沖縄を中心とした米軍基地の問題の本質にある補助金など国からのお金をあてにする「依存症」とも言える体質も頭の中に浮かび
「いい加減何とかならないか?」
と本当に一人の日本人として情けなくなるし、白けてしまう。それだから他の国や民族からもなめられて(軽く見られて)誇りや精神を主張しなかったり、満足に活かしきれない日本人に対して
「あいつら(日本人)はお金さえ出してくれればそれでいい。」
もしくは
「ある程度お金さえ渡しておけばそれでいい。」
というような交流になってしまう。
本当に我々日本人はいつから
「世の中お金が全て」
そこまで行かないとしても
「お金が第一」
とその程度になってしまったのか?
本当に自分達の魂や誇りを大切にしながら楽しい人生を送りたいと思わないのか?
また学生時代
「良い高校・大学に入り良い企業に就職する、または国や地方の官僚になるために、受験に受かるための勉強するのが良い。」
という雰囲気に何となく流されて来た私も、一流とは言い難いが高校や大学にも行き、適当にかつ好きなことをして遊んだ後に、無事にどこかの企業に就職する人生を送って来た。確かに出来るだけ良い高校や大学に入り良い企業に入るのも良い事ではあるが、あまりそれに囚われ過ぎるか、かつての私のようによく考えずにただ何となくその事を感じるだけでは
「とにかく合格!とにかく内定!」
という周りの雰囲気に流されてしまいがちだ。教育のフィールドにて「お受験」「合格」の為の勉強という、学校、予備校、塾の利益が第一ではないかと疑いたくなるようなくだらない内容や雰囲気に固執するかただ何となく流されると、学問に励む「智」の本質から外れてしまう分、長い目で見て国や地球上の利益にも通じる賢い人間を育てて育つチャンスを逸してしまうのではないか。
「高校や大学に入ってどういう勉強をしたいのか。企業や役所に入ってどういう仕事をしたいのか。たとえ企業や役所に入らなくても学生時代にした勉強を活かして、どういう人生を送りたいのか」
という最も大切なことが、二の次もしくは置き去りにされてしまう。私は中学3年生の秋に親の言いなりになり受験勉強の為の塾を優先にして、転校する陰ながら尊敬していた同級生の送別会にあたるライブに行かなかった事により、貴重な思い出を作るチャンスを失った事を今でも後悔している。その事も
「とにかく合格!とにかく内定!」
というくだらない雰囲気に流されることにより、大切なものを見失ったり、失ったりするいい例だと思う。
更に性質(たち)が悪いのが卒業後の進学、就職を最優先に考えていると満足に勉強しなくても卒業出来てしまうケースが多い。例えばアメリカのレベルの高い大学みたいに、入学はわりと簡単で卒業するのが大変な仕組みや雰囲気つくってはどうか。少なくとも私立大学や高校などの学校、予備校や塾もあまり目先の利益に囚われずにそういう仕組みや雰囲気でも利益が出る工夫をされてはどうか。それだけでも学問に励む「智」の本質に大分近づくと思う。
私も高校や大学に受験に受かるための準備も含めて勉強する時間も最もよく取れる10~20代にかけて「仁」「義」「礼」「智」「信」五常の精神でももっと理解して大切に出来ていれば、学生時代も「よく学びよく遊べ」でもっと楽しい人生が送れたかも知れない。学生時代に限らず社会人になった後も含めて、もっと賢い人生が送れているのかも知れない。私も今までそれが満足に出来なかった分、せめて残りの人生でその反省を活かすしかない。
今の世の中誘惑や色々な情報が多い中でも、お金を得る事「利益」「成果」を追求し過ぎずに、または楽をする事ばかりを考えず、周りに流され過ぎずに、楽しく賢い人生を送るヒントになる儒教の五常のような精神を、かつて会津の子供達が朗唱してきた「什の誓い」を例に、人間は子供の頃からしっかり教育されるべきだし、大人はもっと子供に教育する機会を与えるべきだ。
「ならぬことはならぬ」
その一言だけでも充分心が締まるように戒めになる。
幕末から明治にかけてのイギリスや太平洋戦争の前後から今日にかけてのアメリカに加えて、それらの国に対抗しようとしているお隣の国ロシアや中国などの大国にも、我が国日本も含めた小さい国々が翻弄され続けているように思える地球上にて、我々がこれからどのように生きて行くのが良いのか?その答えを見つける事は容易ではない。
しかしそのヒントが江戸時代に幕府と共に会津藩により築かれた儒教の五常を基にした、独自の魂や誇りが今日でも受け継がれている会津地方にもあちこちに存在しているのではないか。会津藩を中心に会津地方に築かれ代々受け継がれて来た魂や誇りも含めて、今こそ
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