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磐越西線
会津からも歴史を見直すべし!
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2018年は明治時代に入ってから150年になった。薩摩や長州など関係する全国各地でそれに伴う記念イベントが行われたらしいが、会津でも戊辰戦争から150年のイベントが行われたと聞く。そのような数々のイベントなどを機に、憎しみを超えて学校教育で習った内容のみならず歴史を省みながらこれからどのような世の中にして行きたいのかを一人でも多くの方々が考えて行動する良い機会になったのだろうか?
私が受けてきた小学校や中学校での社会科の歴史の授業では、江戸幕府が敷いてきた士農工商からなる身分制度や、参勤交代、鎖国、キリスト教禁止などの数々の政策を、江戸時代を自由が少なく身分により差がある厳しい社会とイメージしてしまうような感じで習い、先述した五常など儒教の精神が、どのように幕府の政策に活かされたのかについては殆ど触れていた記憶がない。
それは江戸幕府に反抗した明治政府の教育方針の影響が100年以上経っても続いているからなのか?考えてみれば自由が少ない厳しいだけの政権が250年以上も続くのだろうか?
先述したように副将軍の立場にもなった初代会津藩主正之公も含めて江戸幕府を中心に儒教の五常「仁」「義」「礼」「智」「信」が活かされた政治が、多くの方々の心を掴んだからこそ続いたのではないか?
例えば厳しい身分制度と習った士農工商は戦により領民も含めた多くの方々が命やモノの奪い合いに常に脅かされていた戦国時代の反省を活かして、領民達が自分達の仕事に集中し安定した生活が出来るようにした、欧米を中心に民主主義による政治が行われるようになる一つ前の時代にて領民を守る為の制度であった。
参勤交代も士農工商と同様に、戦国時代の反省を活かした全国各地の大名が幕府への忠誠を示し、戦を防ぐための制度であった。
さらに鎖国やキリスト教禁止もアジア大陸に近い九州地方を中心に、戦国時代の混乱に乗じて中心に行われていたフランシスコザビエル氏などの宣教師達も含めたポルトガル人による日本人の海外への人身売買や日本への植民地化の企てに対抗し、領民達の安全を守る為の政策であった。
など、本来なら江戸幕府によりそれらの政策や制度のように戦国時代の反省を活かして「仁」「義」など儒教の五常を基に領民を第一とした政治が行われたと教育されるべきであった。
しかも幕末と言われている江戸時代末期に江戸幕府も先述したように天皇家と徳川家を中心とした武家とで政治を行う政治体制「公武合体」を目指していたがその体制は明治時代以降に徳川家から幕府に反対した長州と薩摩を中心とした藩士達の勢力に変わった形で実現された。江戸幕府とそれに反対する勢力は同じような方向を向いていた筈なのに何故会津地方も悲劇に陥れてしまった戊辰戦争のような争いは起きてしまったのか?
一説によると当時お隣の中国も含めて、世界のあちこちを侵略していたイギリスの仕業ではないかとも言われている。お隣の国の中国をアヘン戦争などで侵略した後で、疲弊していたイギリスは海にお堀の如く囲まれている日本に対しては直接侵略をせずに、日本からも植民地化した他の国々と同様に、市場拡大も含めてより多く利益を得ようと企てた。戦国時代に例えれば謀略で、四方をお堀のような海に囲まれた日本という支城を手に入れるようなものである。
戊辰戦争でも使われた当時では、高性能の武器を当時の日本政府にあたる江戸幕府に反対する長州や薩摩の藩士達を中心とした勢力に多く売った。武器を多くて売って利益を得るだけではなく、自分達が多く武器を売った勢力に現政府を倒す戦争を起こして貰う為である。その戦争が戊辰戦争である。
そして戊辰戦争に勝った江戸幕府に反対する勢力に自分達が利益を得やすい新しい政府を日本に創って貰う。その新しい政府が明治政府にあたる。
その明治政府を中心に「欧米に追いつけ追い越せ!」と西洋文化が積極的に取り入れられる動きが日本にも広がっていく。その現象が文明開化であり、それにより西洋文化の本場である自分達の国から日本も多くのモノを買って貰える。
明治政府立ち上げの最後の引き鉄となった戊辰戦争や、その文明開化も日本からも多くの利益を得ようとしたイギリスを中心とした企みであると考えると辻褄が合う。皮肉にも本書の基ともなっている鉄道も元々はイギリスから買ったものである。
明治政府がアヘンの売買・喫煙を禁止するなど表向きは隣国の清(中国)とは違ってアヘンは日本には大量に流入しなかったように思える。
しかし実際には明治政府が懸命に取り入れた西洋医学(特に外科手術)には麻酔薬モルヒネが大量に必要でそのモルヒネの原料となるアヘンが大量に流入したと言われている。しかも明治政府による富国強兵政策の一環として形成された日本の陸海軍は戦争の度に大量のモルヒネすなわちアヘンを消費したであろう。
江戸時代を中心に200年以上も続いた平和な時代とは打って変わり、明治維新後僅か100年足らずで日本がいくつもの戦乱に巻き込まれる、嵐のような時代となってしまったのも、アヘンの影響がかなり大きかったのではないか。
明治維新のお陰で日本は欧米諸国に植民地化されなかったという声をあちこちでよく聞く。
しかし欧米諸国の侵略により植民地化された世界あちこちの国々と同じように、日本も戊辰戦争での会津の方々も含めた多くの犠牲の上でイギリスを中心とした欧米諸国にとって大きな市場となって行く。それにより西洋文化に関係するモノが多く流入したのではないか。
先述したように幕末から明治時代にかけても「太陽の沈まない国」とも言われた程、世界あちこちの国々を植民地化していたイギリスを中心に行われた企みいわゆる文明開化など近代化(欧米化)により、江戸時代までに代々築かれた日本独自の文化や日本人独特の誇りや魂も失われつつある状態に次第に陥って行ったのではないか。
明治政府が天皇を現人神としその天皇を中心とした国家を作ろうとした神道国教化が目的である神仏分離政策でも、その政策の本来の内容である神社とお寺との分離にとどまらずあちこちのお寺や仏像、経典の破壊や僧侶の特権や仏教的な習慣の剥奪などの「廃仏毀釈」により、千年以上も日本で続いた仏教文化を否定した動きが全国的に見られたのも、それらの大きな事例の一つではないか。
一部の欧米の方々からでさえ
「これだけ独自の文化を否定する民族も珍しい」
と言われてしまう様だ。
海に囲まれた日本というお城は、太平洋戦争時にアメリカの潜水艦やB29などの爆撃機によって攻略されてしまう。日本はアメリカに敗れた太平洋戦争後、アメリカ本土よりも日本から近い共産主義国家であったソ連(今のロシア)や中国に睨みをきかせる為なのか、沖縄など日本全国のあちこちに米軍基地を置かせて日本での米軍などの活動を自由にさせるのを見返りに、アメリカの保護のもとで日本経済を発展させるというアメリカの占領政策に従った。
その影響で戦後間もない頃の極貧の状態から物理的、経済的な豊かさを追い求め続けた。その一方で幕末の混乱や文明開化により欧米化が始まった、幕末から明治時代さらに太平洋戦争までの歴史を省みる事も含めて、敗戦に至ってしまった原因や経緯などを満足に反省することをしなかった。反省するどころか太平洋戦争後のアメリカによる占領政策が明治時代から続いていた「欧米に追いつけ!追い越せ!」による日本人独特の誇りや魂も失われつつある状態に拍車をかけてしまい、それが今日も続いているように思えてならない。
私が受けてきた小学校や中学校での社会科の歴史の授業では、江戸幕府が敷いてきた士農工商からなる身分制度や、参勤交代、鎖国、キリスト教禁止などの数々の政策を、江戸時代を自由が少なく身分により差がある厳しい社会とイメージしてしまうような感じで習い、先述した五常など儒教の精神が、どのように幕府の政策に活かされたのかについては殆ど触れていた記憶がない。
それは江戸幕府に反抗した明治政府の教育方針の影響が100年以上経っても続いているからなのか?考えてみれば自由が少ない厳しいだけの政権が250年以上も続くのだろうか?
先述したように副将軍の立場にもなった初代会津藩主正之公も含めて江戸幕府を中心に儒教の五常「仁」「義」「礼」「智」「信」が活かされた政治が、多くの方々の心を掴んだからこそ続いたのではないか?
例えば厳しい身分制度と習った士農工商は戦により領民も含めた多くの方々が命やモノの奪い合いに常に脅かされていた戦国時代の反省を活かして、領民達が自分達の仕事に集中し安定した生活が出来るようにした、欧米を中心に民主主義による政治が行われるようになる一つ前の時代にて領民を守る為の制度であった。
参勤交代も士農工商と同様に、戦国時代の反省を活かした全国各地の大名が幕府への忠誠を示し、戦を防ぐための制度であった。
さらに鎖国やキリスト教禁止もアジア大陸に近い九州地方を中心に、戦国時代の混乱に乗じて中心に行われていたフランシスコザビエル氏などの宣教師達も含めたポルトガル人による日本人の海外への人身売買や日本への植民地化の企てに対抗し、領民達の安全を守る為の政策であった。
など、本来なら江戸幕府によりそれらの政策や制度のように戦国時代の反省を活かして「仁」「義」など儒教の五常を基に領民を第一とした政治が行われたと教育されるべきであった。
しかも幕末と言われている江戸時代末期に江戸幕府も先述したように天皇家と徳川家を中心とした武家とで政治を行う政治体制「公武合体」を目指していたがその体制は明治時代以降に徳川家から幕府に反対した長州と薩摩を中心とした藩士達の勢力に変わった形で実現された。江戸幕府とそれに反対する勢力は同じような方向を向いていた筈なのに何故会津地方も悲劇に陥れてしまった戊辰戦争のような争いは起きてしまったのか?
一説によると当時お隣の中国も含めて、世界のあちこちを侵略していたイギリスの仕業ではないかとも言われている。お隣の国の中国をアヘン戦争などで侵略した後で、疲弊していたイギリスは海にお堀の如く囲まれている日本に対しては直接侵略をせずに、日本からも植民地化した他の国々と同様に、市場拡大も含めてより多く利益を得ようと企てた。戦国時代に例えれば謀略で、四方をお堀のような海に囲まれた日本という支城を手に入れるようなものである。
戊辰戦争でも使われた当時では、高性能の武器を当時の日本政府にあたる江戸幕府に反対する長州や薩摩の藩士達を中心とした勢力に多く売った。武器を多くて売って利益を得るだけではなく、自分達が多く武器を売った勢力に現政府を倒す戦争を起こして貰う為である。その戦争が戊辰戦争である。
そして戊辰戦争に勝った江戸幕府に反対する勢力に自分達が利益を得やすい新しい政府を日本に創って貰う。その新しい政府が明治政府にあたる。
その明治政府を中心に「欧米に追いつけ追い越せ!」と西洋文化が積極的に取り入れられる動きが日本にも広がっていく。その現象が文明開化であり、それにより西洋文化の本場である自分達の国から日本も多くのモノを買って貰える。
明治政府立ち上げの最後の引き鉄となった戊辰戦争や、その文明開化も日本からも多くの利益を得ようとしたイギリスを中心とした企みであると考えると辻褄が合う。皮肉にも本書の基ともなっている鉄道も元々はイギリスから買ったものである。
明治政府がアヘンの売買・喫煙を禁止するなど表向きは隣国の清(中国)とは違ってアヘンは日本には大量に流入しなかったように思える。
しかし実際には明治政府が懸命に取り入れた西洋医学(特に外科手術)には麻酔薬モルヒネが大量に必要でそのモルヒネの原料となるアヘンが大量に流入したと言われている。しかも明治政府による富国強兵政策の一環として形成された日本の陸海軍は戦争の度に大量のモルヒネすなわちアヘンを消費したであろう。
江戸時代を中心に200年以上も続いた平和な時代とは打って変わり、明治維新後僅か100年足らずで日本がいくつもの戦乱に巻き込まれる、嵐のような時代となってしまったのも、アヘンの影響がかなり大きかったのではないか。
明治維新のお陰で日本は欧米諸国に植民地化されなかったという声をあちこちでよく聞く。
しかし欧米諸国の侵略により植民地化された世界あちこちの国々と同じように、日本も戊辰戦争での会津の方々も含めた多くの犠牲の上でイギリスを中心とした欧米諸国にとって大きな市場となって行く。それにより西洋文化に関係するモノが多く流入したのではないか。
先述したように幕末から明治時代にかけても「太陽の沈まない国」とも言われた程、世界あちこちの国々を植民地化していたイギリスを中心に行われた企みいわゆる文明開化など近代化(欧米化)により、江戸時代までに代々築かれた日本独自の文化や日本人独特の誇りや魂も失われつつある状態に次第に陥って行ったのではないか。
明治政府が天皇を現人神としその天皇を中心とした国家を作ろうとした神道国教化が目的である神仏分離政策でも、その政策の本来の内容である神社とお寺との分離にとどまらずあちこちのお寺や仏像、経典の破壊や僧侶の特権や仏教的な習慣の剥奪などの「廃仏毀釈」により、千年以上も日本で続いた仏教文化を否定した動きが全国的に見られたのも、それらの大きな事例の一つではないか。
一部の欧米の方々からでさえ
「これだけ独自の文化を否定する民族も珍しい」
と言われてしまう様だ。
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その影響で戦後間もない頃の極貧の状態から物理的、経済的な豊かさを追い求め続けた。その一方で幕末の混乱や文明開化により欧米化が始まった、幕末から明治時代さらに太平洋戦争までの歴史を省みる事も含めて、敗戦に至ってしまった原因や経緯などを満足に反省することをしなかった。反省するどころか太平洋戦争後のアメリカによる占領政策が明治時代から続いていた「欧米に追いつけ!追い越せ!」による日本人独特の誇りや魂も失われつつある状態に拍車をかけてしまい、それが今日も続いているように思えてならない。
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