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上越線
長岡〜日本一の大花火大会〜
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長岡と言えば毎年8月2日、3日に日本一とも言われている大花火大会が行われ、地元のみならず関東地方も含めて全国各地から毎年100万人くらいの見物客が集まる。
毎年夏を中心に全国各地で多く行われる花火大会は土日を中心に曜日や8月15日前後のお盆に合わせて行われる所も多いが、長岡は曜日に関係なく毎年8月1日から3日間行われる長岡まつりの中で、8月2日、3日と2日連続して行われる。
それは太平洋戦争の中での1945年8月1日夜の長岡空襲で被害から、長岡の復興と永遠の平和への願いが込められている。花火大会のみならず長岡空襲が始まった午後10時半に空襲で犠牲となった1486人への慰霊の白菊の花火3発が打ち上げられる。その白菊とは大きい白一色の花火で、大きな白い菊を手向けたいという花火師達の思いが込められている。
画家で花火好きで日本中を放浪したとしても知られるテレビドラマ「裸の大将」でもおなじみの山下清氏が有名な長岡花火を描いた時
「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな」
と素晴らしい名言を残している。私のような長岡花火の我々見物客のみならず、打ち上げに関わる多くの方々や、長岡空襲など戦争を体験し花火を見ると戦争を思い出すから見たくないという方々も含めて、多くの方々がそのような思いを抱いているに違いない。
長岡花火で有名なナイアガラやミラクルスターマインそして直径650mもの大きさで我々の体のみならず心の芯まで響く程の重みのある音で大きく花開く正三尺玉など数々の素晴らしい花火を生み出した。
花火師達のうちの一人である嘉瀬誠次さんがかつての自分と同じように戦後のシベリア抑留を経験したが、自分とは違って飢えと真冬の日本とは比較にならないような極寒などで、生きて帰れなかった戦友達のために、シベリアの近くの同じロシアの極東のハバロフスクのアムール川畔で、長岡と同じ白菊の花火を打ち上げた。
戦争体験のある花火師がかつて戦っていた敵の国で花火を打ち上げる事は、並大抵の魂では実現出来ないであろう。長岡花火はそのような戦争を知らない我々の想像し難いくらい凄まじい魂にも支えてられている事を考えると日本一の花火と言われる事も頷ける。
一晩あたり40くらいで二晩合計でその倍の花火プログラムに沿って様々な花火が打ち上げられる。各プログラムで花火が打ち上がる直前によく聴く司会の女性の方の小林真弓さんの
「打ち上げ開始でございます!」
のアナウンスはお馴染みである。会場は約1キロもある日本一長い信濃川とその両岸に広がる河川敷と緩やかな土手である。花火師の嘉瀬さんが
「最高の天然の(花火)スタジアム」
と呼ぶくらい花火師の方々にとっても絶好のロケーションであり、嘉瀬さんも、素晴らしい花火を作り打ち上げる大きなモチベーションとなっているという。大会になると両岸の土手やその周辺は2キロくらいにわたり大観衆でほぼいっぱいになり正にスタジアムを思わせる。
天然のスタジアムの左右両岸のうち大花火の迫力を味わうなら打ち上げ場所にもなっている左岸で、大花火を広く全体的に綺麗に見渡すなら打ち上げ場所から川を挟んでいる分ほんの少しだけ離れている右岸がおすすめである。長岡駅から近いのは右岸であり、電車で来て左岸に行く場合は信濃川にかかる大手大橋または長生橋を渡らなければならない。橋の長さの分遠くなってしまうが、ナイアガラ花火の仕掛けを見ながら渡れるし、橋の上から辺りを見渡すと会場の広さと観衆の多さに圧倒される。
私が初めて長岡花火を見たのは2003年だったけれどツーリングの帰りにちょっと寄って、途中から見ただけだったのでその時は正直あまり印象に残っていない。
2008年に妻を連れて2回目の長岡花火を見に行った時は初めから最後まで見た。その時の打ち上げプログラムの最後の方にあったのが、2004年に起きた中越地震をきっかけに打ち上げが始まった、中越地震も含めて世界各地で起きてしまっている災害からの復興を願う「フェニックス」である。その「フェニックス」という名前の由来は「震災で何度被害に遭っても、不死鳥のように甦る」という正に復興を祈願する意味が込められている。私にとって初めて見る機会が訪れた「フェニックス 」時に、打ち上がる前の司会の小林さんの
「中国四川省の大地震…被害に遭われた多くの方々に、心より哀悼の意を表します。…」
という意味から始まる、魂が伝わって来るナレーションを聞いた時には、暑さが残る真夏の夜にも関わらず、感動のあまり既にもう鳥肌が立っていた。
その魂のこもった小林さんの声を聞いた後に、中越地震の後に被災者の方々が元気の出る曲として、地元のラジオ局に多くの方々がリクエストをされていた平原綾香さんの曲「Jupiter」がBGMで流れると、同時に2キロくらいにも及ぶ信濃川河川敷の会場に、ほぼ等間隔に並べられた10箇所くらいの打ち上げ場所から、同時に打ち上がる超ワイドスターマインは物凄い迫力である。特に明るいゴールドの大きい柳のような花火が連発するフィナーレには圧倒され、泣けてくるくらいに感動する気持ちを抑えきれずに大きな声で
「たまやー!」
って心から叫んでしまった。そこまで感動した花火は生まれて初めてだった。あの初めてフェニックスを見た感動は一生忘れる事はないだろう。
あのフェニックスを初めて見た感動を味わって以来ほぼ毎年の夏に長岡の大花火大会に、平日は仕事を休んで殆ど一人で、土日に開催される時は家族も連れて通っているが、ここ数年はフェニックス以外の打ち上げプログラムの花火を見る楽しみも増した。
山下清氏が先述した名言を残した平和への願いと思いが込められた花火が、数々の名作映画の素晴らしいBGMを残している久石譲氏の作曲したBGMに合わせて打ち上げられるのが「この空の花」というプログラムである。
2009年に放送された地元出身の戦国時代の名将直江兼続公を主人公に描いた、NHK大河ドラマ「天地人」をイメージした花火もある。
栃尾市や中越地震で大きな被害を受けたとよく報じられていた山古志村など周辺の10市町村が長岡市と大合併してから10周年を記念して以来毎年、「故郷はひとつ」というプログラム打ち上げられて、打ち上げ前の
「子供達が誇れる故郷を未来に残す願いを込めて」
と小林さんの声を聞いた時は胸が熱くなり、本当に長岡の花火を見に行っているのが嬉しくなった。長岡のイメージソング
「ふるーさとはひとつさあー♪人とー花と木々とー」
と地球上の多くの方々の想いが詰まっているように思える歌い出しからBGMに合わせて打ち上げが開始される。
メイン会場を両端から囲うように架かる大手大橋と長生橋から、それぞれ滝のように流れるナイアガラ花火もある。先述した花火師嘉瀬さんのガキ大将の頃からのいたずら根性から発案されたという。
実現までは発案当時には前代未聞であった、公共の橋に仕掛け花火を取り付ける事に反対していた橋を管理するお役所に嘉瀬さんが頭を何度も下げた経緯がある。
大会のオープニングでは大手大橋から、大会後半の「正三尺玉」の打ち上げ時には長生橋からナイアガラが流れる。それらの2回のナイアガラを見て思い浮かべて、嘉瀬さんの花火に対する並々ならぬ情熱に感謝して、花火とは違うジャンルでもその情熱を少しでも見習いたい。
ここ最近のフィナーレは沢田亜矢子さんの中越地震後の長岡の復興を応援した歌「空を見上げてごらん」のBGMに合わせて打ち上げられて「米百俵花火」の「フェニックス」に準ずるようなワイドスクリーンもかなりの迫力がある。
「フェニックス」に加えてこれらのプログラムで打ち上げられる、様々な花火を見るだけでも
「また来年も行く!」
と毎年繰り返し思える。これから先はどんなプログラムやそれらを構成する花火が登場するのか本当に楽しみである。
現状では私の単独行動のような早歩きではないと花火を最後まで見た上で、東京行きの最終の新幹線に間に合わせるのがきつい。これはJRも関わるが、東京など首都圏に向かう最終の新幹線の発車時刻を臨時列車増発により繰り下げていただくなど、最後まで一人でも多くの方々が見られるような工夫や環境づくりが今後も必要であろう。
「フェニックス」は先述したように中越地震からの復興を祈願して打ち上げられたので、当初は10年目(2015年)まで限定で打ち上げプログラムに組み込まれる予定だった。打ち上げるのに数千万円程の費用がかかる。それくらい毎年継続して打ち上げるのがハードであり、これからも末永く打ち上げられるのかがとても気がかりだ。フェニックス 打ち上げの為の募金活動が毎年、大会の前に行われているくらいである。
スポンサーが多い「この空の花」「天地人」「故郷は一つ」などの人気の打ち上げプログラムでは、それらの企業名をそれぞれのプログラムに入った直後の打ち上げ直前ではなく、大会そのものが始まる直前に予め企業名を読み上げるようになっていた。それにより各プログラム間の打ち上げ開始までの間延びを感じることが随分減ったように思えた。
これからも「長岡の空に打ち上げる花火」と「長岡で行われる大会」との両輪で、日本一の花火大会らしくゆったりとした進化を私も陰ながら願う。
私もいつかは行ってみたい、全国トップレベルの花火師達が腕を競い合う秋田県大曲の花火大会も日本一とよく聞くが、大曲とは違い花火師達が競わない中で、花火師達や私達のように花火を楽しみにしている観衆はもちろん大会の準備に関わる地元やスポンサーに関係される方々などの多くの想いによって打ち上げられる花火の大会で、日本一なのはやはり長岡であろうと私は思う。
また長岡の隣の市で同じ上越線沿線の小千谷にて、先述もしたが世界最大とも言われる四尺玉が打ち上げられる事でも知られ、毎年9月9日、10日に行われる片貝花火にも、長岡とは違い新幹線でその日のうちに帰るには交通の便は決して良いとは言えずなかなか機会に恵まれないが、近々見に行きたいと思う。
毎年夏を中心に全国各地で多く行われる花火大会は土日を中心に曜日や8月15日前後のお盆に合わせて行われる所も多いが、長岡は曜日に関係なく毎年8月1日から3日間行われる長岡まつりの中で、8月2日、3日と2日連続して行われる。
それは太平洋戦争の中での1945年8月1日夜の長岡空襲で被害から、長岡の復興と永遠の平和への願いが込められている。花火大会のみならず長岡空襲が始まった午後10時半に空襲で犠牲となった1486人への慰霊の白菊の花火3発が打ち上げられる。その白菊とは大きい白一色の花火で、大きな白い菊を手向けたいという花火師達の思いが込められている。
画家で花火好きで日本中を放浪したとしても知られるテレビドラマ「裸の大将」でもおなじみの山下清氏が有名な長岡花火を描いた時
「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな」
と素晴らしい名言を残している。私のような長岡花火の我々見物客のみならず、打ち上げに関わる多くの方々や、長岡空襲など戦争を体験し花火を見ると戦争を思い出すから見たくないという方々も含めて、多くの方々がそのような思いを抱いているに違いない。
長岡花火で有名なナイアガラやミラクルスターマインそして直径650mもの大きさで我々の体のみならず心の芯まで響く程の重みのある音で大きく花開く正三尺玉など数々の素晴らしい花火を生み出した。
花火師達のうちの一人である嘉瀬誠次さんがかつての自分と同じように戦後のシベリア抑留を経験したが、自分とは違って飢えと真冬の日本とは比較にならないような極寒などで、生きて帰れなかった戦友達のために、シベリアの近くの同じロシアの極東のハバロフスクのアムール川畔で、長岡と同じ白菊の花火を打ち上げた。
戦争体験のある花火師がかつて戦っていた敵の国で花火を打ち上げる事は、並大抵の魂では実現出来ないであろう。長岡花火はそのような戦争を知らない我々の想像し難いくらい凄まじい魂にも支えてられている事を考えると日本一の花火と言われる事も頷ける。
一晩あたり40くらいで二晩合計でその倍の花火プログラムに沿って様々な花火が打ち上げられる。各プログラムで花火が打ち上がる直前によく聴く司会の女性の方の小林真弓さんの
「打ち上げ開始でございます!」
のアナウンスはお馴染みである。会場は約1キロもある日本一長い信濃川とその両岸に広がる河川敷と緩やかな土手である。花火師の嘉瀬さんが
「最高の天然の(花火)スタジアム」
と呼ぶくらい花火師の方々にとっても絶好のロケーションであり、嘉瀬さんも、素晴らしい花火を作り打ち上げる大きなモチベーションとなっているという。大会になると両岸の土手やその周辺は2キロくらいにわたり大観衆でほぼいっぱいになり正にスタジアムを思わせる。
天然のスタジアムの左右両岸のうち大花火の迫力を味わうなら打ち上げ場所にもなっている左岸で、大花火を広く全体的に綺麗に見渡すなら打ち上げ場所から川を挟んでいる分ほんの少しだけ離れている右岸がおすすめである。長岡駅から近いのは右岸であり、電車で来て左岸に行く場合は信濃川にかかる大手大橋または長生橋を渡らなければならない。橋の長さの分遠くなってしまうが、ナイアガラ花火の仕掛けを見ながら渡れるし、橋の上から辺りを見渡すと会場の広さと観衆の多さに圧倒される。
私が初めて長岡花火を見たのは2003年だったけれどツーリングの帰りにちょっと寄って、途中から見ただけだったのでその時は正直あまり印象に残っていない。
2008年に妻を連れて2回目の長岡花火を見に行った時は初めから最後まで見た。その時の打ち上げプログラムの最後の方にあったのが、2004年に起きた中越地震をきっかけに打ち上げが始まった、中越地震も含めて世界各地で起きてしまっている災害からの復興を願う「フェニックス」である。その「フェニックス」という名前の由来は「震災で何度被害に遭っても、不死鳥のように甦る」という正に復興を祈願する意味が込められている。私にとって初めて見る機会が訪れた「フェニックス 」時に、打ち上がる前の司会の小林さんの
「中国四川省の大地震…被害に遭われた多くの方々に、心より哀悼の意を表します。…」
という意味から始まる、魂が伝わって来るナレーションを聞いた時には、暑さが残る真夏の夜にも関わらず、感動のあまり既にもう鳥肌が立っていた。
その魂のこもった小林さんの声を聞いた後に、中越地震の後に被災者の方々が元気の出る曲として、地元のラジオ局に多くの方々がリクエストをされていた平原綾香さんの曲「Jupiter」がBGMで流れると、同時に2キロくらいにも及ぶ信濃川河川敷の会場に、ほぼ等間隔に並べられた10箇所くらいの打ち上げ場所から、同時に打ち上がる超ワイドスターマインは物凄い迫力である。特に明るいゴールドの大きい柳のような花火が連発するフィナーレには圧倒され、泣けてくるくらいに感動する気持ちを抑えきれずに大きな声で
「たまやー!」
って心から叫んでしまった。そこまで感動した花火は生まれて初めてだった。あの初めてフェニックスを見た感動は一生忘れる事はないだろう。
あのフェニックスを初めて見た感動を味わって以来ほぼ毎年の夏に長岡の大花火大会に、平日は仕事を休んで殆ど一人で、土日に開催される時は家族も連れて通っているが、ここ数年はフェニックス以外の打ち上げプログラムの花火を見る楽しみも増した。
山下清氏が先述した名言を残した平和への願いと思いが込められた花火が、数々の名作映画の素晴らしいBGMを残している久石譲氏の作曲したBGMに合わせて打ち上げられるのが「この空の花」というプログラムである。
2009年に放送された地元出身の戦国時代の名将直江兼続公を主人公に描いた、NHK大河ドラマ「天地人」をイメージした花火もある。
栃尾市や中越地震で大きな被害を受けたとよく報じられていた山古志村など周辺の10市町村が長岡市と大合併してから10周年を記念して以来毎年、「故郷はひとつ」というプログラム打ち上げられて、打ち上げ前の
「子供達が誇れる故郷を未来に残す願いを込めて」
と小林さんの声を聞いた時は胸が熱くなり、本当に長岡の花火を見に行っているのが嬉しくなった。長岡のイメージソング
「ふるーさとはひとつさあー♪人とー花と木々とー」
と地球上の多くの方々の想いが詰まっているように思える歌い出しからBGMに合わせて打ち上げが開始される。
メイン会場を両端から囲うように架かる大手大橋と長生橋から、それぞれ滝のように流れるナイアガラ花火もある。先述した花火師嘉瀬さんのガキ大将の頃からのいたずら根性から発案されたという。
実現までは発案当時には前代未聞であった、公共の橋に仕掛け花火を取り付ける事に反対していた橋を管理するお役所に嘉瀬さんが頭を何度も下げた経緯がある。
大会のオープニングでは大手大橋から、大会後半の「正三尺玉」の打ち上げ時には長生橋からナイアガラが流れる。それらの2回のナイアガラを見て思い浮かべて、嘉瀬さんの花火に対する並々ならぬ情熱に感謝して、花火とは違うジャンルでもその情熱を少しでも見習いたい。
ここ最近のフィナーレは沢田亜矢子さんの中越地震後の長岡の復興を応援した歌「空を見上げてごらん」のBGMに合わせて打ち上げられて「米百俵花火」の「フェニックス」に準ずるようなワイドスクリーンもかなりの迫力がある。
「フェニックス」に加えてこれらのプログラムで打ち上げられる、様々な花火を見るだけでも
「また来年も行く!」
と毎年繰り返し思える。これから先はどんなプログラムやそれらを構成する花火が登場するのか本当に楽しみである。
現状では私の単独行動のような早歩きではないと花火を最後まで見た上で、東京行きの最終の新幹線に間に合わせるのがきつい。これはJRも関わるが、東京など首都圏に向かう最終の新幹線の発車時刻を臨時列車増発により繰り下げていただくなど、最後まで一人でも多くの方々が見られるような工夫や環境づくりが今後も必要であろう。
「フェニックス」は先述したように中越地震からの復興を祈願して打ち上げられたので、当初は10年目(2015年)まで限定で打ち上げプログラムに組み込まれる予定だった。打ち上げるのに数千万円程の費用がかかる。それくらい毎年継続して打ち上げるのがハードであり、これからも末永く打ち上げられるのかがとても気がかりだ。フェニックス 打ち上げの為の募金活動が毎年、大会の前に行われているくらいである。
スポンサーが多い「この空の花」「天地人」「故郷は一つ」などの人気の打ち上げプログラムでは、それらの企業名をそれぞれのプログラムに入った直後の打ち上げ直前ではなく、大会そのものが始まる直前に予め企業名を読み上げるようになっていた。それにより各プログラム間の打ち上げ開始までの間延びを感じることが随分減ったように思えた。
これからも「長岡の空に打ち上げる花火」と「長岡で行われる大会」との両輪で、日本一の花火大会らしくゆったりとした進化を私も陰ながら願う。
私もいつかは行ってみたい、全国トップレベルの花火師達が腕を競い合う秋田県大曲の花火大会も日本一とよく聞くが、大曲とは違い花火師達が競わない中で、花火師達や私達のように花火を楽しみにしている観衆はもちろん大会の準備に関わる地元やスポンサーに関係される方々などの多くの想いによって打ち上げられる花火の大会で、日本一なのはやはり長岡であろうと私は思う。
また長岡の隣の市で同じ上越線沿線の小千谷にて、先述もしたが世界最大とも言われる四尺玉が打ち上げられる事でも知られ、毎年9月9日、10日に行われる片貝花火にも、長岡とは違い新幹線でその日のうちに帰るには交通の便は決して良いとは言えずなかなか機会に恵まれないが、近々見に行きたいと思う。
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