旅鉄からの手紙

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中央東線

甲斐武田家~戦国物語より~

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今や「山ガール」という言葉をよく聞くくらいの登山ブームなのか、私が日本百名山を登り始めた学生の頃に比べると、途中の登山道で若い女性ともよく途中ですれ違うようになった。高尾山やその周辺の山々もそのブームの影響なのか、多くの登山者が訪れる。

その高尾山の最寄りの中央本線高尾駅を出発して少しすると長いトンネルに気づく。東京都から相模湖方面へ抜ける全長2500m余りで、並走する中央自動車道では特に上り線でよく渋滞が発生する小仏トンネルである。その手前の短い湯の花トンネルには、潜っているのに気づかないことが多いくらい、あっという間に通過してしまう。その湯の花(いのはな)トンネルでは太平洋戦争末期(昭和20年8月5日)の昼過ぎに列車が米軍機に襲撃されて50名以上の尊い命が奪われた。湯の花トンネルから、戦国時代に猛威を振るった信玄公などでおなじみの武田氏の拠点のある甲府盆地を通過するまでは、列車の中でも、ふと戦国時代や太平洋戦争など戦(いくさ)のむごさを想像し、平和で列車の旅が出来る有り難みを噛みしめる時もよくある。

相模湖や大月などの谷を通り、甲府盆地へ抜ける全長4670mの笹子トンネルを出て直ぐの甲斐大和駅で、「武田家終えんの郷」と大きく書かれた大きな看板を目にした。さらにその付近の山あいを抜けてぶどうや桃などの果樹園がよく見られる甲府盆地の車窓を眺めると、甲府盆地のある甲州からは500キロ以上離れている奥州平泉で、芭蕉が詠んだ「夏草や 兵者どもの 夢の跡」の有名な句を思い出す。

戦国大名の武田家は甲府を拠点にして、信玄公の時代からは甲斐の国とは違いお米などがよく採れる信濃などに勢力を広げるなど、戦や領国経営を続けて、最後は信玄公も含めた当時の戦国大名達の夢であった、京の都で将軍様ともとで政治を行うために、京の都を目指して上洛しようとするが、その途中で病が悪化して生涯を閉じてしまう。

その信玄公の跡を継いだ勝頼公率いる武田家は信玄公の意志を継ごうとするが、本格的に鉄砲隊を編成した信長公率いる織田・徳川の連合軍を前に長篠の戦いに敗れ、最後は甲斐大和(天目山)に追い詰められて勝頼公が自害して果て武田家が滅亡してしまうという。武田家の夢物語である。

私が小学生の時にNHK大河ドラマで「武田信玄」が放送されていて、その主役の信玄公や信玄公のライバルとも言われた上杉謙信公含めて、戦国武将がヒーローに見えた私も夢中になって見ていた。しかも信玄公が上洛の途中に生涯を閉じずに天下を獲っていれば、歴史は変わりもっと良い世の中になっていたかもとさえ思っていた。

しかし当時の私の想像というか思い込みというか、そういうものとは大きく異なり、戦国時代は大将を中心とした「天下統一」や、人々が出世を命懸けで目指す夢物語だけの世界ではなかったとよく言われている。大河ドラマも含めた時代劇などでよく見られるような戦に「天下統一」や「領国拡大」を目指す大将に忠誠を尽すためや、自分の身のために手柄を立てて報酬をいただくためや、出世するために参加した武士などはほんの一部であった。

軍勢はほとんど百姓などからなる雑兵で構成され、雑兵を構成していた彼らは戦に勝つことやそれによって出世するなどの成果を上げる以前に、生きる為に侵攻した周辺の村を襲い、物と人を掠奪するのが目的で戦に参加した。生きる為に掠奪した物は勿論、人までも自分達のものにしたり売ったりした。人身売買も当たり前のように行われていた。自分達の住んでいる家やその近所が刀槍や鉄砲などの武器や放火などで荒らされて、汗水流して手に入れた食糧のみならず、財産に値する物や家族や知り合いまでもが、一瞬のうちに奪われることで失われた。今の我々の生きている環境では到底考えられない事が、あちこちで当たり前のように起きていた。

2009年の大河ドラマでも「義」を貫いて戦国の世を乗り越えていたように描かれていた直江兼続公が属する上杉家でも、人身売買が行われていたというくらいである。多くの方々がそこまでやり合わないと生きて行けない程、当時は今とは比べものにならないくらい、生きるだけでも過酷な環境であったのだろう。小海線も通る佐久平も含めた隣国の信濃などと比べても、お米が多く採れなかった甲斐の国では、生きるための過酷さが周辺の国々と比べても特に際立っていたのかも知れない。それによる並大抵ではないハングリー精神も、信玄公率いる武田軍があれだけ周りの国々から恐れられていた背景ではないか。

全国の他の平地や盆地の中でも水田が少ない、甲府盆地の車窓を眺めるだけでもそれを察する事ができる。先程記した、小海線沿線の土地が肥えている佐久地方も、戦国時代に信玄公率いる武田軍の侵攻とそれに対する国人・郷士・豪族をはじめとした地元佐久地方の方々の抵抗による戦で、太平洋戦争末期に湯の花トンネル付近で米軍機に襲われた列車内の如く地獄化とした。小海線の車窓から見える喉かな田園や集落などからなる、佐久盆地の風景からはとても想像できないくらい過酷で非人道的であったと聞く。

近年の戦国時代を取り上げた大河ドラマで、直江兼続公や真田幸村公などの主役が徳川家康公と敵対する時は、家康公がヒーローの敵である悪者のような存在になるシーンがよく見受けられるが、先程から記しているように戦も多く物や人の掠奪により、我々の身の回りがいつ荒廃したり、命が奪われたりしてもおかしくない、正に生き地獄とも言える過酷な戦国時代の世の中から、250年以上も続いた江戸時代ならでは平和な世の中の礎を築いた、多くの方々特に秀吉公や家康公には私も大いに感謝をしたい。銃の乱射事件が多発しているにも関わらず拳銃の所持が許されているアメリカと同様に、日本でもかつては自分の身は自分で守るべしと、百姓も含めて多くの方々が刀槍を持っていた。それも戦国時代の過酷な環境を作っていた要因でもあった。

その状態から農村を中心に平和でより生産性の高い世の中を作ろうと秀吉公は検地や刀狩などを行った。江戸幕府を開いた家康公は儒学的な思想も多く取り入れて、武力に頼らない文治的な政治を目指した。小中学校の歴史の授業で習った士農工商などの身分制度は、領民の自由を奪うために制定されたのではない。先述したように戦国時代を中心にあちこちで起きていた、村や町の襲撃による物や人の奪い合いによる多くの悲劇を教訓に、世の中を治める武士以外は刀など武器を持たずに、農商工(農民、商人、職人)と専らそれぞれの職業に従事出来る平和な世の中を作る事が第一の目的に制定されたのだ。また

「我も天道への忠信の者なるゆえに、今天下の執権を天道よりあづけたまへり。政道若邪路にへんずる時は、天より執柄たちまち取りあげ給ふぞ」
(自分は神様から天下を預かった。もし天下を預かっている我々が道を誤り悪政を行えば、天はたちまちそれを取り上げる)

などの遺訓を残すなど、幕臣を中心に武士達には武器を持つ代わりに天下を天道(神様)から預かっているという意識を植え付けた。それは武士によって領民のために政治を行うようにするという、最も大切な事が目的があった。

甲斐大和駅から徒歩約40分くらいのところにある、家康公が勝頼公らの弔いに建立した景徳院など、武田家終焉にゆかりのある地の散策できる。

信玄公が本拠地としていた躑躅ヶ崎の館跡、武田神社には甲府駅北口からバスで約10分、徒歩約25分で行ける。私も一度こうして信玄公など武田家による夢物語の跡を追った。躑躅ヶ崎の館跡の入り口付近から、甲府盆地を取り囲む山々の向こうに優雅に突き出ている富士山を望むと、NHK大河ドラマ「武田信玄」の中で信玄公が駿河の今川義元公に

「甲斐からは富士の尻が見える」

とおっしゃていたのを思い出した。

甲府盆地では富士山のみならず、北岳や間ノ岳など南アルプス北部の山々と、標高が日本で1位、2位、3位の頂が全て望める。早朝や秋口など晴れて空気が澄んでいる時に、北岳と間ノ岳との間の尾根道を歩くと富士山などの絶景を満喫できる。

甲府駅を出ると信玄公の時代に築かれた堤防信玄堤にも近い竜王駅も通る。現存する信玄堤は時代を超えて甲府盆地の治水にも貢献し続けている。
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