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黒部峡谷鉄道と黒部ダム
ついに黒部ダムへ
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大町市に入り、国道148号線を右折して矢印の上に黒部ダムと書かれた道路の行き先案内板のバックに、既に雪に覆われていた北アルプスの山並みを見上げた時は
「いよいよ黒部ダムだ!」
とワクワクして来た。紅葉が綺麗な山裾の林のトンネルを抜けて、扇沢駅に到着した。黒部ダムの紅葉の時期は既に終わっていたからなのか、先程の紅葉が見頃を迎えていた黒部峡谷鉄道の始発駅の宇奈月温泉とは違って、駐車場に車を止める為の渋滞は全くなかった。
車を降りて直ぐに、扇沢駅からトローリーバスに乗り換えた。トローリーバスは電車のように架線から電気を取り入れて走るバスである。2019年からコスト削減へと電池で動く電気自動車(電気バス)に変わる前に乗れて、嬉しくも寂しくもあった。バスは電車のようにモーター音を立てて山を少し登ると、いよいよ黒部ダムに通じる5 . 4kmの関電トンネルに入った。もともとは黒部ダム建設に使う資材を運ぶために作られたのだが、掘削工事の途中に大量の地下水と土砂が噴き出す軟弱な地層「破砕帯」とぶつかり、あらゆる知恵や技術を結集しても80m掘り進むのに7カ月もかかったという。破砕帯の部分は現在その苦労を賞賛するかのように、鮮やかなブルーのライトに照らされている。もちろんトローリーバスからも見ることができる。その破砕帯は当時の苦労を感じさせないくらいあっという間に過ぎてしまったが、工事の苦難の歴史を思うと余計鮮やかに見えて感動してしまう。ツアー応募して当選すると歩いてゆっくり見学できるという。黒部ダムのお土産屋には破砕帯の水から作られたサイダー「ハサイダー」が売られていた。バスの旅は座ってゆっくりするのも良いが、特にトンネルの中だと運転席の近くの通路などバスの前方で立った方が、フロントガラスが大きい分鮮やかなブルーのライトに照らされている破砕帯やトンネルの壁から流れている地下水のなど、トンネルの様子がバスに乗りながらもよく見ることが出来る。バスはトンネル内で富山県に入った。
扇沢駅を出発して15分くらいしてトンネル内にある黒部ダム駅に到着した。駅から直接ダムに行けるルートと階段を200段くらい上り展望台を経由してダムに行けるルートがあるが、私達は展望台を経由するルートを選んだ。
「まだか?まだか?」
と約200段の階段が少し長く感じたが、やっと展望台に出た。前方と後方に聳える北アルプスの山々の間に、黒部ダムがポツンと小さく存在しているように見えた。ここでも悠久な自然と人間の営みの小ささを対比できると思えた。話し声や足音など我々観光客や旅人による音以外は、静寂な空気に包まれている感じがした。毎年6月~10月まで観光放水が行われもの凄い迫力で、放水された水によってできる虹が綺麗と聞くがら放水が行われていない黄昏の静かな黒部ダムも良いものだ。展望台から絶壁に沿った階段を降りながらダムに向かった。ダムに近づくに連れて展望台で小さく見えていたダムが、大きく感じるようになった。
ついにダムに到着した。
「やはり黒部ダムは大きい!」
これだけ大きいダムが険しい北アルプスの谷間(立山連峰と白馬岳から鹿島槍ヶ岳さらに鷲羽岳まで連なる連峰との間)の黒部渓谷につくられた理由は、戦後関西地方では計画停電を行う程の深刻な電力不足に見舞われ復興の妨げになっていた。当時それを解消するには雪解け水などで水量が豊富で、標高差が大きい黒部川の渓谷に水力発電所とダムをつくり、それを補うしかないと考えられた。
当時行く事自体が命がけであった黒部峡谷の建設現場では
「黒部にケガはない」
と言われるくらい、ミスが命に関わる程の過酷な工事現場であった。しかも工事が予定より遅れれば関西の経済は破綻すると言われ、厳しい条件下での工事となった。約1000万人もの方々の手によって7年で完成させた驚異的なプロジェクトであった。
ダムから見下ろした186m下の谷はもの凄く高く感じ恐怖さえ覚える。写真や映像では観光放水と虹と山の緑など綺麗な部分がよく撮られているが、実際に足を運んでコンクリートと山肌との繋ぎ目を見るだけでも、大工事をした跡の生々しさを感じた。
ダム工事でも使われた関電トンネルの開通を待っているだけでは工事は間に合わず、多くの歩荷(麓から山小屋などに重い荷物を背負う方々)に立山連峰を越えて荷物を運んで貰ったり、真冬の時はブルドーザーの雪上自走で輸送したりもした。またヘリコプターにより工事での負傷者、緊急要員や緊急物資、郵便、新聞、生鮮食品の輸送も行われた。この経験がドクターヘリなど今日のヘリコプターの活躍に繋がっているという。
黒部ダムの最初の建設計画では、先述した厳しい条件の中で工事に使用する資材をなるべく少なくし時間と費用をなるべくかけないように建設のするために、ダム貯水池からの水圧を両端に逃がす事で決壊などを防ぐ円弧状のアーチ式のみであったが、建設中に起きた1959年に大惨事となったマルパッセダム(フランス)の決壊事故により、真ん中はアーチ式のままだが、両端は強度を増す為にダムそのものを重くする直線状の重力式を追加で取り入れた。黒部ダムが両端は真っ直ぐで真ん中は弧状の曲線で構成されているのはその為である。またアーチ部を下流側に傾斜させることにより、水圧を両岸に逃がすだけではなく下向きの力へと変化させ、下部の硬い岩盤に支えさせる構造とした。
自然環境の保護や雪害を防ぐために、黒部ダムの発電所(黒部川第四発電所)は全てダムの下流側の地下に建設されている。またダムからの放水する時に水を霧状にしているのは、谷の川底が削れてしまうのを防いでいるという。
そこからも国立公園に指定されている大自然の中でもダムを作る事になった先述したような当時の事情が伺える。黒部の場合、ダム建設は自然や景観を壊すという悪いイメージが簡単に覆される。官僚達の天下り先確保や、建設業者や地元の方々の金回りをよくする事など、関係される方々の利益を得るのが第一目的で建設されて、周りの自然が何だか死んでしまったように寒く映る殺風景なダムとは違い、大阪や神戸、京都を中心とした関西地方そのものを支えるのに必要不可欠として、ダム建設本来の目的で造られた正に本物のダムはちょっと見るだけでも本当にエネルギッシュな印象を受ける。
約1000万もの「地上の星」達の血と汗と涙の結晶だ。最近あちこちのダムのある観光地の食堂でライスをダムのコンクリート部分でカレールーをダムに溜まった水に見立てたダムカレーを見かける。きちんと本来の目的で造られているのか怪しいあるダムの近くでは、メニューにダムカレーと書かれているのを見るのも嫌で全く注文する気が起きなかったが、黒部ダムのはとても美味しくご馳走になれた。
大町方面から来たダムの関電トンネル側からその反対側まで黒部ダムの上を端から端までを歩いた。一緒に連れて行った当時5歳であった息子が、ダムの上を元気に走っていた様子が今でも鮮明に頭に浮かぶ。ダムの中央部から息子と私が
「ヤッホー!」
と叫ぶとやまびこの意味が簡単に説明できるくらい山々からよく声が響いた。
「いよいよ黒部ダムだ!」
とワクワクして来た。紅葉が綺麗な山裾の林のトンネルを抜けて、扇沢駅に到着した。黒部ダムの紅葉の時期は既に終わっていたからなのか、先程の紅葉が見頃を迎えていた黒部峡谷鉄道の始発駅の宇奈月温泉とは違って、駐車場に車を止める為の渋滞は全くなかった。
車を降りて直ぐに、扇沢駅からトローリーバスに乗り換えた。トローリーバスは電車のように架線から電気を取り入れて走るバスである。2019年からコスト削減へと電池で動く電気自動車(電気バス)に変わる前に乗れて、嬉しくも寂しくもあった。バスは電車のようにモーター音を立てて山を少し登ると、いよいよ黒部ダムに通じる5 . 4kmの関電トンネルに入った。もともとは黒部ダム建設に使う資材を運ぶために作られたのだが、掘削工事の途中に大量の地下水と土砂が噴き出す軟弱な地層「破砕帯」とぶつかり、あらゆる知恵や技術を結集しても80m掘り進むのに7カ月もかかったという。破砕帯の部分は現在その苦労を賞賛するかのように、鮮やかなブルーのライトに照らされている。もちろんトローリーバスからも見ることができる。その破砕帯は当時の苦労を感じさせないくらいあっという間に過ぎてしまったが、工事の苦難の歴史を思うと余計鮮やかに見えて感動してしまう。ツアー応募して当選すると歩いてゆっくり見学できるという。黒部ダムのお土産屋には破砕帯の水から作られたサイダー「ハサイダー」が売られていた。バスの旅は座ってゆっくりするのも良いが、特にトンネルの中だと運転席の近くの通路などバスの前方で立った方が、フロントガラスが大きい分鮮やかなブルーのライトに照らされている破砕帯やトンネルの壁から流れている地下水のなど、トンネルの様子がバスに乗りながらもよく見ることが出来る。バスはトンネル内で富山県に入った。
扇沢駅を出発して15分くらいしてトンネル内にある黒部ダム駅に到着した。駅から直接ダムに行けるルートと階段を200段くらい上り展望台を経由してダムに行けるルートがあるが、私達は展望台を経由するルートを選んだ。
「まだか?まだか?」
と約200段の階段が少し長く感じたが、やっと展望台に出た。前方と後方に聳える北アルプスの山々の間に、黒部ダムがポツンと小さく存在しているように見えた。ここでも悠久な自然と人間の営みの小ささを対比できると思えた。話し声や足音など我々観光客や旅人による音以外は、静寂な空気に包まれている感じがした。毎年6月~10月まで観光放水が行われもの凄い迫力で、放水された水によってできる虹が綺麗と聞くがら放水が行われていない黄昏の静かな黒部ダムも良いものだ。展望台から絶壁に沿った階段を降りながらダムに向かった。ダムに近づくに連れて展望台で小さく見えていたダムが、大きく感じるようになった。
ついにダムに到着した。
「やはり黒部ダムは大きい!」
これだけ大きいダムが険しい北アルプスの谷間(立山連峰と白馬岳から鹿島槍ヶ岳さらに鷲羽岳まで連なる連峰との間)の黒部渓谷につくられた理由は、戦後関西地方では計画停電を行う程の深刻な電力不足に見舞われ復興の妨げになっていた。当時それを解消するには雪解け水などで水量が豊富で、標高差が大きい黒部川の渓谷に水力発電所とダムをつくり、それを補うしかないと考えられた。
当時行く事自体が命がけであった黒部峡谷の建設現場では
「黒部にケガはない」
と言われるくらい、ミスが命に関わる程の過酷な工事現場であった。しかも工事が予定より遅れれば関西の経済は破綻すると言われ、厳しい条件下での工事となった。約1000万人もの方々の手によって7年で完成させた驚異的なプロジェクトであった。
ダムから見下ろした186m下の谷はもの凄く高く感じ恐怖さえ覚える。写真や映像では観光放水と虹と山の緑など綺麗な部分がよく撮られているが、実際に足を運んでコンクリートと山肌との繋ぎ目を見るだけでも、大工事をした跡の生々しさを感じた。
ダム工事でも使われた関電トンネルの開通を待っているだけでは工事は間に合わず、多くの歩荷(麓から山小屋などに重い荷物を背負う方々)に立山連峰を越えて荷物を運んで貰ったり、真冬の時はブルドーザーの雪上自走で輸送したりもした。またヘリコプターにより工事での負傷者、緊急要員や緊急物資、郵便、新聞、生鮮食品の輸送も行われた。この経験がドクターヘリなど今日のヘリコプターの活躍に繋がっているという。
黒部ダムの最初の建設計画では、先述した厳しい条件の中で工事に使用する資材をなるべく少なくし時間と費用をなるべくかけないように建設のするために、ダム貯水池からの水圧を両端に逃がす事で決壊などを防ぐ円弧状のアーチ式のみであったが、建設中に起きた1959年に大惨事となったマルパッセダム(フランス)の決壊事故により、真ん中はアーチ式のままだが、両端は強度を増す為にダムそのものを重くする直線状の重力式を追加で取り入れた。黒部ダムが両端は真っ直ぐで真ん中は弧状の曲線で構成されているのはその為である。またアーチ部を下流側に傾斜させることにより、水圧を両岸に逃がすだけではなく下向きの力へと変化させ、下部の硬い岩盤に支えさせる構造とした。
自然環境の保護や雪害を防ぐために、黒部ダムの発電所(黒部川第四発電所)は全てダムの下流側の地下に建設されている。またダムからの放水する時に水を霧状にしているのは、谷の川底が削れてしまうのを防いでいるという。
そこからも国立公園に指定されている大自然の中でもダムを作る事になった先述したような当時の事情が伺える。黒部の場合、ダム建設は自然や景観を壊すという悪いイメージが簡単に覆される。官僚達の天下り先確保や、建設業者や地元の方々の金回りをよくする事など、関係される方々の利益を得るのが第一目的で建設されて、周りの自然が何だか死んでしまったように寒く映る殺風景なダムとは違い、大阪や神戸、京都を中心とした関西地方そのものを支えるのに必要不可欠として、ダム建設本来の目的で造られた正に本物のダムはちょっと見るだけでも本当にエネルギッシュな印象を受ける。
約1000万もの「地上の星」達の血と汗と涙の結晶だ。最近あちこちのダムのある観光地の食堂でライスをダムのコンクリート部分でカレールーをダムに溜まった水に見立てたダムカレーを見かける。きちんと本来の目的で造られているのか怪しいあるダムの近くでは、メニューにダムカレーと書かれているのを見るのも嫌で全く注文する気が起きなかったが、黒部ダムのはとても美味しくご馳走になれた。
大町方面から来たダムの関電トンネル側からその反対側まで黒部ダムの上を端から端までを歩いた。一緒に連れて行った当時5歳であった息子が、ダムの上を元気に走っていた様子が今でも鮮明に頭に浮かぶ。ダムの中央部から息子と私が
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