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肥薩線
天下の難所による天下の絶景
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九州新幹線や、その前の沖に無数の火が灯っているように見える不知火という現象で知られている八代海沿岸などを通る鹿児島本線が開業する前の、福岡、熊本、鹿児島などを結ぶ九州を縦断する鉄道の初代メインルートは、熊本県南部に位置する八代から最上川、富士川と並んで日本三大急流の一つとして知られている球磨川沿いを登り、足を踏み入れるだけでもお米と急流球磨川の水などから作られた球磨焼酎が飲みたくなる球磨地方を代表する人吉市を通り、九州山地の南部に連なる国見山地を越えて鹿児島県に入って行く、1909年(明治42年)に全線開通した肥薩線であった。
肥薩線の旅は私にとって初めての九州への一人旅で南九州の中では一番印象に残っている。その初めての旅も含めて人吉と鹿児島との間は3回で八代からの全線も2回乗っている程である。
初めての一人旅の時は鹿児島方面から国見山地を越えた列車が人吉駅に到着する直前に球磨川を渡る鉄橋を渡ってから八代までは
「これが日本三大急流でもある天下の球磨川だ!」
と球磨川を中心とした車窓にずっと見入っていた記憶がある。人吉市を中心とした人吉盆地を抜ける手前の渡駅から一勝地駅を通り球泉洞駅までの「くま川下り」でも有名なゾーンの眺めが特に素晴らしいが、この辺りは江戸時代に球磨川の川舟による水運が盛んになる前には約3年かけて巨岩を取り除く大工事が行われたそうだ。
肥薩線を人吉駅から、球磨川を渡り鹿児島方面に向かい、国見山地を越える時は少しでも勾配を緩くするために工夫してつくられた、先述した豊肥本線の立野駅と同様にスイッチバックが併設された駅を2つ通り山を登って行く。
そのうちの一つである最初の大畑駅ではスイッチバックのみならずループ線で円を描いたように山を登って行く。日本で唯一スイッチバックとループ線が連続している箇所である大畑駅周辺を走る肥薩線に乗ることは、阿蘇で活火山の噴煙が上がる火口を見るのと並んで、私の初めての九州一人旅の目的であった。
大畑駅には初めて肥薩線に乗った翌年に九州を縦断したツーリングをした時に、もう一度行きたくなり駅寝して一晩過ごそうと立ち寄った。大畑駅の駅舎の中に名刺を貼れば立身出世するとの言い伝えが最近出来たようであるが、当時はそんなものはなかったのか駅舎の中の壁や外から見た駅舎の窓はとても綺麗で昔ながらの雰囲気を漂わせていた。駅の見映えを悪くするだけの根拠がよくわからない言い伝えを実行するのは、個人的にやめていただきたいと思う。せめて名刺用の賽銭箱や掲示板のようなものを用意してそこに入れていただくなどもう少し工夫をして欲しい。
話を戻すが駅寝した時最初はベンチで寝ようとしたが、駅舎の中にあった今は無人駅で、誰もいない駅員の方の事務室にも入れて、奥にあった宿直室のような座敷があり、しかもそこに毛布があったので一晩借り切ってしまった。あの座敷で毛布をかけて寝た心地よさは今でも忘れられない。
お陰様で翌朝一番列車が来る時によい目覚めが出来た。あらかじめ列車の時間を調べてから朝の散歩に映画「スタンドバイミー」に近い状況でスイッチバックやループ状の線路沿いを歩いた。列車が来ない時はゆうゆうと歩き、列車が来る時は脇の緑の茂みを信号場にして隠れて列車の通過を待った。頭の中で自分が線路を歩く時刻表が出来ていたのでまるで歩いている自分が列車になっているみたいで楽しかった。ループ線からの大畑駅は緑の中にスイッチバックも含めた線路とホームと信号そして年季の入った駅舎が鮮やかに映し出されているように見えた。
大畑駅に名残りを惜しんでバイクにまたがって鹿児島に向けて出発した。その日はどんよりとした曇り空ではあったがら大畑駅のお陰で国道の円を描いて峠を登るループ橋や峠の下をくぐる加久藤トンネルなどを通り宮崎県のえびの市を経由して鹿児島県へ向かった、午前中のツーリングがとても清々しく感じた。
大畑駅付近のループ線を円状に周りながら登った後も時々トンネルをくぐりながら険しい山の中をさらに高度を上げて行く。大畑の次の矢岳(標高536.9m)は肥薩線最高標高の駅である。スイッチバックはないが駅構内には戦後から昭和41年までに肥薩線で活躍していたトンネルが多い区間で、トンネルで運転席や客車に煙が入らないようにする集煙装置と煙の量を減らす重油併燃装置を付けて、肥薩線のような山岳路線に合わせて改良されたデゴイチ(D51)が保管されている。
私が初めて九州を旅してから20年くらいして再び鹿児島への一人旅にて肥薩線に乗りに行った時、矢岳駅で駅舎の外に出た。さらに駅舎の周りを垣根で囲うように植えられていたつつじなどの木々を抜けて、駅前から田んぼの真ん中を真っ直ぐ向こうに見える山里の集落へ伸びる一本の舗装された道に足を踏み入れてみた。
4月で標高が高いからなのかこの辺りではまだ田植えはされていなかったが蛙の大合唱のみが鳴り響き、人間の営みにより何かと騒々しくて慌しい日常とはかけ離れている空間の入り口に立った気分になった。
その時に列車が停車する5分くらいしか下車出来なかったのが本当に勿体ないくらいだった。次回下車する時は蛙の大合唱が始まる時季から秋にかけてのいずれかの日に矢岳駅前の別世界の風情を感じながらのんびりと本を読むのみならず旅の本などを書いて昼寝をするなどして過ごしたい。そして夜は涼しい中で天の川なんて見られたら本当に最高である。蛍の光が舞っているのを容易に想像できるくらい里山の風情があった。
矢岳駅を出発すると鹿児島へ向かう場合列車は熊本県から一旦宮崎県に入り肥薩線最長(全長2,096m)の矢岳第一トンネルをくぐって峠を越える。トンネルの入り口の上には熊本県側では「天険若夷」(てんけんじゃくい)=宮崎県側では「引重致遠」(いんじゅうちえん)という字がそれぞれ書かれている。その2つを繋げると「天下の難所を(トンネルによって)平地であるかのようにしたおかげで、重い貨物を遠くへ運ぶことができる」と意味になるりこのトンネルの完成までがかなりの難工事であったことを表している。人里離れた山奥でしかも急勾配の条件での資材搬入が難しい上に、この辺りの火山性の地質で火山灰が堆積してできて地下水が多く含まれている凝灰岩を掘るがために、工事中は何回も湧水に悩まされたという。八代ー鹿児島間を戦艦による砲撃を受けやすい東シナ海沿岸ではなく、わざわざ日本で三本の指に入る急流沿いを登って、険しい山岳地帯にそこまでして鉄道を通したのは富国強兵政策が進められていた時代背景もあったと言える。
矢岳第一トンネルを抜けると視界が開ける。そこは狩勝峠付近(北海道)と姨捨山付近(長野県)と並んで日本三大車窓の一つであり、宮崎県えびの市を中心とした加久藤盆地の向こうに霧島連山さらに遠くには桜島も望める事がある。
その絶景が見られるだけでも運が良いのにさらに運がよければ雲海の上に浮かぶ霧島連山も望めるという。
私も九州への初めての一人旅の時にその絶景に感動した。しかもトロッコ列車にて夏の午後によく遭うにわか雨に濡れながら。悪天候ではあったが局地的な雨であったのか霧島連山が望める遠くの方は空が明るかった。その肥薩線最大の絶景スポットを過ぎていくつかトンネルを抜けると肥薩線でもう一つのスイッチバックの駅である真幸に到着する。
真幸駅には元々は鉄道員の方々が「鉄道の安全」を祈願して鳴らし続けていた鐘がある。
今ではこの辺りを走る観光列車の乗客らにより、駅名の文字通り鳴らすと幸せになるという「幸せの鐘」として多く鳴っているが、自分達が生かされていることへの感謝の気持ちを忘れずに鳴り響かせたい。
真幸駅を出発すると列車は鹿児島県に入り宮崎県えびの市の隣にある鹿児島県吉松町の中心である吉松駅に到着する。
肥薩線の旅は私にとって初めての九州への一人旅で南九州の中では一番印象に残っている。その初めての旅も含めて人吉と鹿児島との間は3回で八代からの全線も2回乗っている程である。
初めての一人旅の時は鹿児島方面から国見山地を越えた列車が人吉駅に到着する直前に球磨川を渡る鉄橋を渡ってから八代までは
「これが日本三大急流でもある天下の球磨川だ!」
と球磨川を中心とした車窓にずっと見入っていた記憶がある。人吉市を中心とした人吉盆地を抜ける手前の渡駅から一勝地駅を通り球泉洞駅までの「くま川下り」でも有名なゾーンの眺めが特に素晴らしいが、この辺りは江戸時代に球磨川の川舟による水運が盛んになる前には約3年かけて巨岩を取り除く大工事が行われたそうだ。
肥薩線を人吉駅から、球磨川を渡り鹿児島方面に向かい、国見山地を越える時は少しでも勾配を緩くするために工夫してつくられた、先述した豊肥本線の立野駅と同様にスイッチバックが併設された駅を2つ通り山を登って行く。
そのうちの一つである最初の大畑駅ではスイッチバックのみならずループ線で円を描いたように山を登って行く。日本で唯一スイッチバックとループ線が連続している箇所である大畑駅周辺を走る肥薩線に乗ることは、阿蘇で活火山の噴煙が上がる火口を見るのと並んで、私の初めての九州一人旅の目的であった。
大畑駅には初めて肥薩線に乗った翌年に九州を縦断したツーリングをした時に、もう一度行きたくなり駅寝して一晩過ごそうと立ち寄った。大畑駅の駅舎の中に名刺を貼れば立身出世するとの言い伝えが最近出来たようであるが、当時はそんなものはなかったのか駅舎の中の壁や外から見た駅舎の窓はとても綺麗で昔ながらの雰囲気を漂わせていた。駅の見映えを悪くするだけの根拠がよくわからない言い伝えを実行するのは、個人的にやめていただきたいと思う。せめて名刺用の賽銭箱や掲示板のようなものを用意してそこに入れていただくなどもう少し工夫をして欲しい。
話を戻すが駅寝した時最初はベンチで寝ようとしたが、駅舎の中にあった今は無人駅で、誰もいない駅員の方の事務室にも入れて、奥にあった宿直室のような座敷があり、しかもそこに毛布があったので一晩借り切ってしまった。あの座敷で毛布をかけて寝た心地よさは今でも忘れられない。
お陰様で翌朝一番列車が来る時によい目覚めが出来た。あらかじめ列車の時間を調べてから朝の散歩に映画「スタンドバイミー」に近い状況でスイッチバックやループ状の線路沿いを歩いた。列車が来ない時はゆうゆうと歩き、列車が来る時は脇の緑の茂みを信号場にして隠れて列車の通過を待った。頭の中で自分が線路を歩く時刻表が出来ていたのでまるで歩いている自分が列車になっているみたいで楽しかった。ループ線からの大畑駅は緑の中にスイッチバックも含めた線路とホームと信号そして年季の入った駅舎が鮮やかに映し出されているように見えた。
大畑駅に名残りを惜しんでバイクにまたがって鹿児島に向けて出発した。その日はどんよりとした曇り空ではあったがら大畑駅のお陰で国道の円を描いて峠を登るループ橋や峠の下をくぐる加久藤トンネルなどを通り宮崎県のえびの市を経由して鹿児島県へ向かった、午前中のツーリングがとても清々しく感じた。
大畑駅付近のループ線を円状に周りながら登った後も時々トンネルをくぐりながら険しい山の中をさらに高度を上げて行く。大畑の次の矢岳(標高536.9m)は肥薩線最高標高の駅である。スイッチバックはないが駅構内には戦後から昭和41年までに肥薩線で活躍していたトンネルが多い区間で、トンネルで運転席や客車に煙が入らないようにする集煙装置と煙の量を減らす重油併燃装置を付けて、肥薩線のような山岳路線に合わせて改良されたデゴイチ(D51)が保管されている。
私が初めて九州を旅してから20年くらいして再び鹿児島への一人旅にて肥薩線に乗りに行った時、矢岳駅で駅舎の外に出た。さらに駅舎の周りを垣根で囲うように植えられていたつつじなどの木々を抜けて、駅前から田んぼの真ん中を真っ直ぐ向こうに見える山里の集落へ伸びる一本の舗装された道に足を踏み入れてみた。
4月で標高が高いからなのかこの辺りではまだ田植えはされていなかったが蛙の大合唱のみが鳴り響き、人間の営みにより何かと騒々しくて慌しい日常とはかけ離れている空間の入り口に立った気分になった。
その時に列車が停車する5分くらいしか下車出来なかったのが本当に勿体ないくらいだった。次回下車する時は蛙の大合唱が始まる時季から秋にかけてのいずれかの日に矢岳駅前の別世界の風情を感じながらのんびりと本を読むのみならず旅の本などを書いて昼寝をするなどして過ごしたい。そして夜は涼しい中で天の川なんて見られたら本当に最高である。蛍の光が舞っているのを容易に想像できるくらい里山の風情があった。
矢岳駅を出発すると鹿児島へ向かう場合列車は熊本県から一旦宮崎県に入り肥薩線最長(全長2,096m)の矢岳第一トンネルをくぐって峠を越える。トンネルの入り口の上には熊本県側では「天険若夷」(てんけんじゃくい)=宮崎県側では「引重致遠」(いんじゅうちえん)という字がそれぞれ書かれている。その2つを繋げると「天下の難所を(トンネルによって)平地であるかのようにしたおかげで、重い貨物を遠くへ運ぶことができる」と意味になるりこのトンネルの完成までがかなりの難工事であったことを表している。人里離れた山奥でしかも急勾配の条件での資材搬入が難しい上に、この辺りの火山性の地質で火山灰が堆積してできて地下水が多く含まれている凝灰岩を掘るがために、工事中は何回も湧水に悩まされたという。八代ー鹿児島間を戦艦による砲撃を受けやすい東シナ海沿岸ではなく、わざわざ日本で三本の指に入る急流沿いを登って、険しい山岳地帯にそこまでして鉄道を通したのは富国強兵政策が進められていた時代背景もあったと言える。
矢岳第一トンネルを抜けると視界が開ける。そこは狩勝峠付近(北海道)と姨捨山付近(長野県)と並んで日本三大車窓の一つであり、宮崎県えびの市を中心とした加久藤盆地の向こうに霧島連山さらに遠くには桜島も望める事がある。
その絶景が見られるだけでも運が良いのにさらに運がよければ雲海の上に浮かぶ霧島連山も望めるという。
私も九州への初めての一人旅の時にその絶景に感動した。しかもトロッコ列車にて夏の午後によく遭うにわか雨に濡れながら。悪天候ではあったが局地的な雨であったのか霧島連山が望める遠くの方は空が明るかった。その肥薩線最大の絶景スポットを過ぎていくつかトンネルを抜けると肥薩線でもう一つのスイッチバックの駅である真幸に到着する。
真幸駅には元々は鉄道員の方々が「鉄道の安全」を祈願して鳴らし続けていた鐘がある。
今ではこの辺りを走る観光列車の乗客らにより、駅名の文字通り鳴らすと幸せになるという「幸せの鐘」として多く鳴っているが、自分達が生かされていることへの感謝の気持ちを忘れずに鳴り響かせたい。
真幸駅を出発すると列車は鹿児島県に入り宮崎県えびの市の隣にある鹿児島県吉松町の中心である吉松駅に到着する。
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