予知系少女

よーほとん

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『F』

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【十七】
「つ、着いた……」

 馬面駅付近は人で賑やかでした。

 店の明かりや街灯が夜を照らし、加えて人工的な騒音が寂しさを感じさせません。

 私は駐輪代が勿体ないという浅ましい理由で、ファストフード店に自転車を止めました。もう完全に必要ないであろうワイヤーロックをかけたのは、一体どういった情でしょうか。

 少し小走りで改札口に向かい、ICカードをタッチします。この際後ろの人に、残り残高が見られるのが恥ずかしいです。

 時刻は六時四十一分。

 四十二分の電車に乗りたいのです。階段を駆け下り、ホームに着いた頃は左方向の強風が私達を襲います。

「馬面、馬面」

 扉が一斉に開き、上品なアナウンスが流れます。

 降りる人が優先ですね。開口の傍に移動しなければ。

 この時間帯なので、帰りのサラリーマンやOLさんで車内は一杯かと思われますが、それは反対方向の二番線のことです。

 夕方の一番線は席もまばらに空いていて、穴場です。

 私はロングシートの一番端に座り、体を傾けます。母との死闘で溜まった疲労を、新宿に着くまで、例え少しでも癒すのです。

 電車が発車し、一度大きく揺れます。立っている人のバランスが明らかに崩れます。しかしその中に一人の玄人がいました。そのスーツを着た三十代くらいの男性は、スマホの音ゲーをプレイしながら、微動だにしません。あまり経験はありませんが、こういうゲームは少しの振動が命取りの筈なのですが。

 変わった人もいるもんですね。少し元気が出てきました。ありがとう、名も知らぬおじさん。

「新宿~新宿~」

 今度は鼻声の親しみのあるアナウンスです。

 それで目を覚ました私は、扉が開いていることに今気が付きました。

「やっば」

 起き上がって目をこすり、ホームに出ようとしますが………眼鏡を座席に忘れるとこらでした。目元が寂しいと思ったら、そういうことでしたか。

 私が足踏みしている間にも、次々と車内に人が増えていきます。

「ちょっ…すいません」

 人の隙間を抜けても新たに乗り込んでくるので、中々ホームに移動できません。私にもう少し背の高さと威厳があれば…………またそうやって逃げるんですか?

「このっ邪魔だって!」

 今の怒号で、道が少し開けます。しかし私のサイズを考えたら十分です。

 ホームへ降り立った私は、一息つきます。

 私が寝過ごしたのが一番の要因ですが、やはり、あのように上手くいかない時は青筋を立てるべきなのかもしれません。

 私はスマホのパスワードを解き、LINEを立ち上げます。

 今生君からの連絡はまだなかったです。具体的な時間指定をしてなかったので、これからLINEでのやり取りは必須です。今生君と待ち合わせ出来た女子は、一体何人いるのでしょうか。

 余計なことを考えますね。私の居眠りが酷い理由がなんとなく判明した気がします。

 JR西口の改札を直進すると、チョコレートスイーツが売りの「GODIVA」が右手に見えます。私には値が張るので敬遠しがちですが、いつかここのショコリキサー食べてみたいです。そこを右寄りに進むと、緑の広告柱が埋め尽くす広場に出ます。その広場から、更に進むと西口交番やみずほ銀行が確認できます。そこの並びを右斜めに曲がると、目的地である「新宿の目」に辿り着けます。

 この目を急ぎ足に通り過ぎる人々の姿があります。

 その中に今生君は紛れていないか、目を凝らします。目の前で。

 LINEからの連絡はまだありません。

 私は基本、LINEの通知をオフに設定しています。その一番の理由は、当時人道情という女が、夜中に何度も通知音で私の睡眠を妨害してきたからです。

 SNSでも、やはり私は彼女とくらいしか文字コミュニケーションを取りません。最初の頃は可愛げがあって、楽しんでいたのですが、ある日の夜、突然悪意を多分に含んだメッセージを送ってきたのです。その内容は「読子、あんたの初潮っていつ?」。いやありえないでしょう、節操が無さ過ぎます。この時点でブロックする選択肢も頭にあったのですが、しかしJK同士の会話というのは強烈なものだと聞きます。こういう悪質な質問にいかに上手く返せるか、そう私は今自身のネットリテラシーを試されているのだと戒めました。そして、「俺、男だからわかんない」こう返事をしたところ、「うるせえよ。早く教えろよ」、口が悪いですね。

 私は冗談でこの場をやり過ごすと、決断を下しました。

「焦るなよ。何ピリついてんだよ。好きな音楽でも聴いてリフレッシュしなよ」「いやだから、そういうのマジいいんだよ。頼むから教えてくれ。五百円でいい?」「そこまでして欲する情報だとは思えない。人の秘密を売るビジネスでも始めたのか?」「よみたんのいじわる」「可愛くないから」「黙れブス」「犯罪者の娘。二度と私に近寄るな」「本当に痛い目に遭いたくないなら大人しくしろよ。今私のスマホを覗いてる五人の幹部が黙ってないぞ」「wwwwwwwwww」「あーあ。それが遺言になっちゃった。あばよ」「wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」「死ね」。

 人生初のネット上での煽り合いでした。この時は私の勝利で幕を閉じたのですが、次の日の深夜に、「読子」「お前」「後ろに」「……」という意味深な、というか私を怖がらせたいだけだと思いますが、そんな四つの単語を十五分置きに朝の六時まで送り続けたのです。当時LINEをインストールしたばかりだった私は通知設定の有無を理解できてなかったので、あの甲高いシンプルベルに四苦八苦していました。

 と、過去を遡っていると、現実に呼び戻すベルが鳴りました。

「あ、今生君からだ」

 今生君から初めてメッセージが届きました。学校中の注目を集める男の子からだと、より付加価値がつきます。

 至って普通のメッセージでした。「もう着いた?俺はまだかかりそうだけど」。

 私は返信します。これもまた平凡なものです。「着いたよ。場所とか分からなかったら、言ってね」。

 うん。これが、これこそが清く正しいネットコミュニケーションです。

 不思議な満足感があります。小さなことで満たされる感覚を身につけることは、成長に繋がります。

『分かった。待たせて悪いな』。

 こういう気遣いができますか?あの女に。

 今、情ちゃんのアイコンが急に憎たらしくなってきました。今の相手が彼女だったら、嫌味に落としたことでしょう。

 情ちゃんのアイコンは、お店のマネキンに自分の眼鏡をかけさせた、拡散のしようによっては炎上しそうなものです。まだ外の世界に流出してないからいいもの、こうこういう細かい部分で常識のなさが見られます。

 ちなみに私のアイコンは、初期の真っ白な人型です。

「……………」

 背後に張り付けられた、ガラス張りの巨大な「目」に意識がとらわれます。瞳は澄み切った孔雀青で、白目は両端を残して黄金色が彩り、壮麗さが演出されています。また、それぞれを縁取る黒い曲線が印象を強調しています。

 この絶佳の「目」をアイコンにすれば、私のLINEライフ改善に貢献するのでは。

 誠に勝手ながら、私とこの「目」は奇縁で結ばれている気がするのです。私の目は代り映えのしない黒目ですが、未来を視ている時は輝いていると自負しています。

 一時性ですが、人の足音が止みました。スマホの無音カメラを起動し、横画面で構えます。もう少し距離を取らないと、美しい全体図が見切れてしまいます。

「いえーい」

 鳴らないシャッターを押した瞬間、邪魔が入りました。

「目」は左半分しか映っていなく、画面の右半分は麗らかな少年の笑顔に支配されていました。

「もう、使えないでしょ」

「ははは。悪い悪い」

 ちっとも悪びれずに、今生勇人君は腕を頭の後ろに組みます。

 今生君の服装は思いのほか派手でした。トップスはフード付きのパーカーで、チャックは半開きです。その間から、「TODAY」とプリントされた白いTシャツが自己主張してきます。下半身は膝下まであるハーフパンツと、黄緑色の光沢があるシューズです。右手首には金属バンドで巻かれた重量感のある腕時計。扇形のペンダントにゴールドのチェーンで構成された首飾りも目立ちます。止めは、後ろ被りのベースボールキャップでしょうか。

 下手なラップかましそう。てか、ガムは噛んでないのね。………一緒に歩きたくない。

「で、何処に行くつもりなんだ」

 自分の格好を顧みず、彼は今日待望していたことを問います。耳目の欲に飢えた少年は、今すぐにでも走り出しそうです。

 そんなに期待されても、異世界に行くわけじゃないのですから、少し落ち着いて。

「株式会社K―RⅠって所に用があるんだけど、知ってる?」

「知らん、何の会社だ。いや待て答えるな。……KRIは殺し合いの略か。戦場でのピクニックも悪くない」

「清掃員とかを派遣してる会社なんだって。私の知り合いがそこのスタッフを雇用してた時期があったの。その中に少し気になる人がいてね」

「成程、明日はそいつが予知能力者と睨んだわけだ」

 彼のとぼけた言い回しを馬耳東風の姿勢で迎え撃ったのが最良でした。今生君との接し方に慣れを感じています。

「うん。名前は保坂南。私が予知能力を授かってからの最大の目標。最初は実在するかも怪しかったんだけどね」

 保坂は、私との接触を避けるつもりはありません。小胆とは言え、あちらにも意図があってちょっかいを出しているのは明白です。

 鳳凰おじさんに交通事故未遂を引き起こさせ、鳳凰家に例のちらしを隠し、明日家のポストに一万円札と漢字を間違えたメモ書きを残し、そして遂には、鳳凰家でその存在を確認できたのです。

 私にやる気があれば、直接の顔合わせも構わない。Fの一連の

「その保坂に会って何をするんだ?」

 彼は不思議に思ったことを、遠慮なく躊躇なく訊きます。

「強いて言うなら、雑談だよ」

 お喋りをして、どんな人柄なのかこの目に焼き付けたいです。そして、Fが何を目的に私に手出しをしてきたのか、その答えは、案外近くにいるかもしれません。

 夜の高層ビル街における、派手な装飾男子と地味な女子高生のコンビはシュールな絵面です。

この二人あまりにも両極端で、肩を並べて歩いても、その目的が共通なのか疑ってしまいます。片方は街の大きな書店で自分の時間に浸り、一方もう片方は路地裏で賭け事でもしてそうな……とんだ自己評価ですね。

「明日ってどんな漫画が好きなの」

「満月天使ソフィア」

 最近漫画は読まなくなった私は、小学生の時一世を風靡したタイトルを挙げます。一応全巻持ってます。今はBOOKOFFで売る機会を探っています。

「ああ、最終話で月ぶっ壊したやつね。覚えてる覚えてる」

 今生君は小石を蹴りながら話に合わせます。

「今日は雲がかかってるから、あんましムーンチャージできないね」

「そんな夜はソウルチャージで補ってたんだっけ」

 主人公のソフィアはムーンチャージ、すなわち月の光エネルギーを吸収出来ない時は、人の魂で代用していました。自身の怒りが先行すると我を失うソフィアは、町中の人々の魂を干からびさせてでも、敵を木っ端微塵にします。

 その破天荒さが世に賛否両論を巻き起こしました。

 ラストでは親友の鈴木たかみの魂を吸い上げて、物語の黒幕を撃破しました。

「ソフィアは天使として常に苦渋の選択を強いられてきた。だからこそ、あんなに思い切ったことができたのかな」

「俺は嫌いだなあ、ソフィア。肝心なところで破滅的なんだぜ。あいつがもう少し冷静だったら、ヌメルンが死ぬこともなかった」

「んん、君はソフィアを何にも分かってないね。絶滅危機種の天使の中で一番人間に尽くしてきたのはソフィアなんだよ。ソフィアの失敗ばかり棚に上げて、その功績を無視するのは良くないでしょ。確かに、ヌメルンが死んじゃったのは辛いけどさ…」

 ヌメルンというのは、ソフィアの相棒のこの作品のマスコット的存在です。子供から人気が高かったヌメルンの死は、多くの読者のトラウマとなりました。

「ソフィアの作者って、今グレイガ―描いてるらしい」

「そうなんだ!」

 知りませんでした。そういえば、グレイがーも少女に多くを背負わせる作風でしたね。

「ここか」

 私達は目的のビルに見下されます。雑談の凄さったらないですね。まるで歩いた気がしません。

 このビルの七階に、株式会社K―RⅠがあるとホームページで記されていました。

 早速中に入り、小汚いエレベーターに乗ります。中は狭く、鏡が配置されていました。

「明日ってホントに小さいんだな」

「君が大きいだけでしょ。錯覚だよ」

 鏡は私達のサイズ差を無慈悲にも映し出します。正直者は嫌いです。

 七階に着いたと同時に軽快な音が鳴ります。

 エレベーターを出たすぐ右手に、株式会社K―RⅠの表札を発見しました。分かっていても初めて来る場所なので、手に汗握ります。門前払いとかないでしょうか。

「で、こっからどうすんだ」

「ま、まあ見ててよ」

 私はノックをし、会社内に入ります。中はとても明るくて細かい間隔で激しい物音がします。それは社員があくせく働いているなによりの証拠。

「どうかしましたか?」

 不自然で怪しすぎる二人組に声をかけてくれる、親切な人がいらっしゃるようで。相手にはしてくれるようです。

「ええっと、その、この前うちに来た御社の清掃員が忘れ物をしまして」

「ああなるほど、それで。ちなみにそれは…」

「今はうちに保管してあるんですけど、キャッシュカードで。大事なものだから今すぐにでも返してあげたいなあって」

「あっ分かりました。お名前を教えて貰ってもよろしいですか。身分を証明できるものなどあれば」

「鳳凰兎楼実です。保険証でいいですか?」

「大丈夫ですよ」

 私は今日の下校途中、鳳凰家に寄り道をしたのです。

 もう少し遡って、今朝の登校時。私は兎楼実さんにとあるお願いをしたのです。

「兎楼実ちゃんって部活とか入ってるの?」

 私は保坂のこと以外にも、兎楼実さんの事情も訊き出していたのです。向こうからしてみればとんだ質問お化けですね。

「入ってるよー。ロボット研究部って部活なんだけど」

「今日はあったりする?」

「お休みだよ。週三日だからね」

「じゃ、じゃあさその……保険証貸してくれない?今日体調が優れなくて病院に行きたいんだけど、私失くしちゃって」

「大丈夫?昨日冷えちゃった?」

 兎楼実さんは心配してくれました。彼女の純真さに、私は一体どれだけ甘えられるのでしょうか。そう遠くない未来に不幸が起こりませんように。

「少し前から診察には行きたかったんだけど、お母さんが厳しくてね。保険証がないと高くついちゃうし、困ったよ」

「分かった!学校終わったらすぐ帰るから、取りに来てね」

「ありがとう。助かっちゃうな」

 回想終了。

 今日は他に竜桜先生と北光さんからもお誘いをいただきましたが、元々私の放課後に付け入る隙などなかったのです。

 鳳凰家に予定通り向かい、数分の閑談をしてから保険証を借りたのです。やはり持つべきものは友達ですね。

 顔写真がない保険証で個人を証明できるなら、嘘を付く側からしてみれば好都合です。大事なことじゃない限り、詳しく追及されたりといったこともないでしょう。

 兎楼実さんの保険証を裏表確認し終えたその社員さんは、私に返却します。

「はい、了解しました。鳳凰さんですね。その忘れ物をしたという、弊社のスタッフというのは」

「保坂南さんです。その時は他の方もいましたけど、名前が刻まれていたので」

「分かりました。少々お待ちください」

 社員さんは業務室に戻っていきました。配慮のある行動に感謝です。

 保坂南を一スタッフとして認識しているかは判断できかねますが、私よりここの社員さんの方が立場は近い筈です。興味で比べたら私の右に出るものはいないでしょうが。

「保坂は何が目的なんだろうな」

 今生君は鈍感なのでしょうか。まあいずれ、嫌でも理解できると推測しますが。その未来はかなり近いです。

「お待たせしました」

 さっきと同じ社員さんが塩っぱい顔をして出てきました。何か厄介な匂いがしますね。

「えー保坂のことなんですが、忘れ物をしたことは確認が取れました」

 乗ってきましたか。F、やはりあなたは私を潰さない程度に試していたのですね。そして次にこの人が発する台詞が、私に与えられた少し早めの試験問題。

「なので待ち合わせ場所を決めようと持ち掛けたのですが、遺憾にも訳の分からないことを口走りまして……。そのですね、そっぽを向いてるカップルがいます。そのカップルが飼っている犬が刺されたところを君は目撃しました。さて何回見た?なんですけど」

「ありがとうございます。さようなら!」

「お、おい明日!」

 私は急ピッチでエレベーターへ走り、下向き矢印のボタンを連打します。まだ間に合うでしょうか。私の走力は憂慮すべき問題です。

「何処に行くつもりだ。教えろって」

 今生君は焦っていて楽しんでいました。これ見よがしに訊いてくる彼にも忙しくなってもらいましょうか。

 到着したエレベータに乗り込み一階のボタンを押し、閉めるボタンに必死になります。

「今のなぞなぞは明日読子専用のものなの。そしてこれを解けば自ずと保坂の居場所と時間帯が予測できる。まず、そっぽを向いたカップルというのは、磁石のSとNの事を言ってるんだ。本来引かれ合うはずのそれらがそっぽを向いているということは、棒磁石を表現していると。その棒磁石は……」

 一階に着き扉が開いた瞬間、私達は駆け出します。今生君は軽く走っているにも関わらず、私の前を余裕でリードしています。私の足は母との戦闘の影響が大きく、もうガタがきています。

「その棒磁石はとあるビルの直喩なの」

「それは…つーかお前大丈夫か」

 私の脚の震えを見た彼は心配を投げかけます。

「新宿NSビルだよ。NSビルにある世界最大の振り子時計は和時計形式で、時間を十二支氏で示してるの。犬が刺されるというのはつまり、午後八時のことを言っていて、その時計を君が目撃した、という部分は、予知した、に変換する」

「歩くのも難しいのか。続けてくれ」

 今生君に促され、私は早口で説明します。

「私の未来予知は現段階だと五分先が限界。それを言っているのであれば、今から八時五分まで猶予があるということ」

 私は聞き役に回る彼に、少し抵抗のある頼みごとをします。しかし彼なら断らないだろうと、信頼しています。

「唐突なんだけどおんぶしてくれない?私が案内するから」

「急ぎの用だろ。こっちの方が早く走れる」

 今生君の判断はとても合理的ですが、少し周りの目を気にかけてもいいかと思います。

 私の肩と膝裏に腕を伸ばし、地面と平行に持ち上げます。

「あーもういいや……。で、私が八時五分くらいに予知した未来のことも訊かれていて、それと何回見たっていう最後の文章を繋げると…。あっ、このビルを左手に直進して」

 私は左手で顔を覆いながら、解き明かした答えを述べます。

「それでそれで―――――GO!」

 今生君の疾走はそれはもう、ベルトやバーの無い遊園地のアトラクションのようでした。

今生君の胴体に力を込めて掴まります。筋肉をフル稼働させ硬くなってる感触があります。

「速い速い速いいいいいいいっ‼」

 真横の視界でこの速度は、違和感でさえ恐怖となります。

「だから最後のは刻限で思い出すと、鳳凰家の浴室で予知した内容!」

「そうかい。んじゃあ最高の結論をよろしく!」

 左右の景色がみるみる流れて行きます。正面の人溜まりも軽い身のこなしで躱し、その疾風迅雷さはただただ爽快。

 少年の期待は舞い上がり、側にいるだけで心躍ります。

「私が視たもの…兎楼実ちゃんの豊満な女体…巨乳…肉!つまりNSビルの二十九階‼」

「駄洒落かよ!くだらねえ‼」

 雰囲気を台無しにしてすみません。でも、おそらく正解です。新宿NSビルの二十九階で保坂南は、Fは私達を待っている。

 それも永遠ではありません。さっきも述べた通り、タイムリミットは八時五分です。

 私のナビに正確に従う今生君は加速します。

 頼みますよ。君が遅れたら今までの苦労が全て水の泡です。かといってその責任は全て私にあるわけですが。こちらが始めたことですしね。

 一心不乱の彼を妨げぬよう、私は最低限の指示に抑えます。

 彼の汗が私の頬に滴り落ちます。それが私の口元に接近し、ついつい舌を出したくなりそうです。彼の上体も端から端まで濡れています。「TODAY」Tシャツが透け肌色の凶器に着目してしまいます。パーカーがもう少し開けば桃色の突起物に出会えそうな……。

「おい、着いたぞ」

 私が鼻の下を伸ばしていると、今生君は状況を報告しました。

「あ、はい」

 私は降ろされ、表情を引き締めます。

 灰色の高壁に細かく枠取られた窓の光明が、都会の夜景を美しく彩色します。中身はどのようなのでしょうか。歩き心地、空間の解放感、内装の面白さ、つい考えてしまいます。 このビルの最上部で物語の山場が開催されます。

 今生君は肩で息をしながらも、まだ微々たるゆとりを感じます。汗だくのDKは性的な対象になりかねないので気を付けてくださいね。

「さて、楽しみましょうか」

 私達は一大イベントが行われるNSビルへと案内されました。 

 一番上とその正反対に、黄金の円盤が取り付けられています。中心付近は歪な曲線で、規模が違いすぎる剛体振り子。

 名の通り斜めにゆったりと揺れるそれを眺めている時間はありません。

 大時計の奇妙な形の時針は、犬を指していました。

 施設の光を反射する、黒と白のタイルの上を駆けます。スーツをきた大人達を通り過ぎる度に、自身の幼稚さを覚えます。

 私達はシースルーエレベーターに乗り、二十九階のボタンを押します。すると青白く光るので、少し得した気分です。

 夜の街を徐々に追い越していきます。車が飛べない蛍の様です。高層ビル群の人工的な輝きに、目が奪われます。私の住む不自然区では決して味わえないこの景色です。

「悪くないな」

 ぽつりと、傍にいるチャラ男が言うと無意識に私も頷きます。

 もう少し上空から夜景を楽しめる建物は、都会だったらあるでしょう。しかしFはここを待ち合わせ場所に決めた。他人を能力で見下す、自身に対する皮肉かもしれません。

 扉が機能通りに動きます。

 この一歩を踏み出し、いざ行かん。

 この階はレストラン街のようです。居酒屋やすし屋にイタリア料理等もあるようで。

 現在地から少し直進すると、空中ブリッジを渡れます。このビルは最上階まで筒抜けになっていて、高所恐怖症の方には辛いかと思われます。

 右側通路の奥に、人影があります。ニット帽を深く被っていて、分厚いコートを着ていても、最大の特徴である身長は隠せません。こんなことをしているから体調が優れないんですよ。

「予知[ミーチ]―――――」

 その影の五分後を視ます。今までで一番綺麗な画質です。

 向かいのブリッジに二人の男性がいます。一方はたった今予知した人物で、重要なのはその片割れ。その二人がすれ違い、背丈の低い方が不敵な笑みを浮かべた場面で映像は終了です。

 直接視た時は弾かれましたが、間接的ならはっきり視えました。これが今生君との差なのでしょう。

「今何時?」

「七時五十九分五十五秒、もう過ぎた」

 今生君は腕時計を確認し、秒単位で教えてくれます。格好があれなので様になっていないですね。

「意外と余裕あるんだね。それにしても本当に精確だね」

「ここに保坂って奴はいるんだろう。探さないのか?」 

「どうやら、お相手さんは運命の出会いに拘りがあるみたいだよ」

 私を意識した時間指定。貴方は根っからの道化師なのですね。

 下手に動くと未来が変わってしまう可能性があります。それをFは物凄く嫌う。予知した未来を実現させたいなら大人しく我慢しろ、ということでしょう。

 予知した対象が近くにいる場合は特に慎重にならなくてはいけないのです。Fが私から今まで遠ざかっていた理由がこれで分かったでしょう。鳳凰家の時は除外しますが。

「八時四分五十五秒に、ここを真っ直ぐ歩いて回れ右。君はここで大人しくしててね」

「メンドクせえなあ」

 その気持ちは普通でしょうね。未来予知が出来る様になってから異常に時間を気にするのは、やむを得ない副作用です。

 時間が過ぎ去っていきます。流れる時間に身を委ねただその時を待つのです。恐れも緊張も、疲れさえ忘れています。

 自信を持って、己の考えと気持ちをFに伝えましょう。

 彼の事ですから、私が話す内容までは予知しないでしょう。それくらいの期待はされてると思います。

 まあメインディッシュにありつく前の前菜程度でしょうが。

「八時四分五十、五十一、五十二、五十三、五十四」

「行ってきます」

 私は一秒早く足を進めました。私の歩幅を考えたら、丁度良いタイミングです。

 靴と床の擦れる音が妙に心地いいです。

 空中ブリッジの両端に二つの人影が揃います。距離はありますが、互いを良く把握しています。

 紺碧のコートに身を包んだ彼は、私の顔を見るなり接近して来ます。確かに、美少年ですね。まだ幼さが抜けていなくて、親しみやすそうです。

 私、明日読子も近づきます。

 どの程度で立ち止まるべきか、それは両者共弁えていたようです。私とFの間は巨人一人分くらいで落ち着きました。

「初めまして、お嬢さん」

「初めまして、お兄さん」

 どこか不自然な挨拶を交わし、二人の予知能力者が激突しました。

 
【十八】
「保坂南さん……でよろしいですか?」

「それれは君の呼び方じゃないだろう。明日読子」

 早速ばっさり斬られました。あの名は口にしてこなかったのですが、彼の予知能力の前ではあれしきの防御策も無に等しいと。

「ノートの落書きを視ただけだよ」

 そう言えば昨日今日の授業は、ノートに「F」と書いていたような。暇になったら所構わず綴っていましたね。指摘されなかったら永久に意識しなっかたのでは。

「迂闊でした。まあそれは置いておいて――――貴方は私に余程興味があるんですね。まともに会話したこともない少女の未来を盗み視て、万札を投資するなど、寧ろ好意を感じますよ」

「ごめんね。好きになった人には執着してしまう性分なんだ」

「それは今生勇人も同義ですか?」

 Fの台詞に別の登場人物の名で返して、様子を伺います。

 口を開くのではなく、口の端を吊り上げてFは答えます。その不気味な笑みに色っぽさがあるのは、美形故でしょう。

 畜生、可愛いぜ。

「あ、貴方は私の未来を予知した時に、同時に今生勇人の特異性を視たんです。その新奇さに興味を抱いた貴方は、明日読子も彼の特異性に気付き、同じような心情に至ると理解します。やがて自分の所までやってくる事も含めてね。貴方はその未来から逆算し、私に予知能力を与えたんです。鳳凰おじさんを脅して」 

「1063だよ」

「それ言っちゃいけない四桁ですよ!」

 しかも兎楼実の語呂合わせ……。父親らしいとは思いますけど、この場に居ないあのおじさんに哀愁を禁じ得ません。

「貴方は人としてどうかと。確かに落ち着いていてモテそうな見た目ではありますが、少々支配的過ぎるのでは?」

「そんなことはないさ。少しからかっただけだよ。それに僕の性格を語るには、些か情報が足りない」

 Fは余裕の笑みを保ち続けます。

 小学生…いいえ幼稚園児を相手にしているような感覚なのでしょう。攻撃的ではなく、圧倒的な穏やかさによる支配、制圧。

 この人は遥かに人間離れしている。

「そうでしょうか。貴方は今生君と出会う過程で、様々な形で私に干渉してきました。先程も述べた意図的な交通事故未遂、これは予知能力を授ける為。鳳凰家のソファーに隠した例のちらしは、私の妄想を膨らませる為。恥ずかしいメモ書きと万札は私の家庭環境を考えてのこと。そして、鳳凰家へ赴き夫人の記憶奪取、これは私に姿を見せることで好奇心を途切れさえない意味合いもあったでしょう。おそらくですが、貴方は鳳凰おじさんの自分に関する記憶も奪っている。兎楼実さんの記憶に手を出さなかったのは、私が同年代の女の子と喋る機会を、例え情報収集が目的だとしても、増やしてあげたかった、貴方の摩訶不思議なお気遣いです。このように、貴方は人で遊ぶ癖がある。能力の優秀さを利用して、掌で踊る私達を眺めて、さぞ愉悦だったでしょう」

 私はつらつらと言葉を並べます。Fは耳を澄ませるでもなく、聞き流しています。これもまた、彼なりの配慮なのでしょうか。

「話は鳳凰夫人に戻ります。記憶を奪う、これって未来予知とはかけ離れている気がしますが、見方を変えると意外と合点がいくんです。例えば、これから予知する未来を自由に設定出来る、とか。こんな予知が可能なら…そうですね、予知した五秒後に対象は保坂南の記憶を失う、なんてどうでしょうか。予知した未来が実現するなら、後は大人しくしてればいいですよね。いや、にしても強大どころじゃないですよ。なので、回数制限とか、時間的縛りや対象を直接視認しなければならない等、条件があると助かるのですが」

 あの時、鳳凰夫人の前で不自然な沈黙があった事を忘れてはいません。あの未来予知を完了させるには、必ず条件がある。

「もしそんな未来予知が出来たなら、今、君はとても危険なんじゃないか?」

 Fは少し逸らして問いで返します。そしてこれは上手な合いの手なのです。

「そう危険、危機、危惧。これらの感情、本能が私の未来予知を拓く鍵だったのです。貴方はどうしてかそれを知っていた。もしくは推測に基づいてあの交通事故未遂を計画したのです」

「そうだ。それこそが君の天性だ」

 Fは笑みを捨て、神妙な面持ちです。我慢を止め、今度は自分の番だと全身が語っています。

 ならば傾聴させていただきます。私はこれを望んでいたのですから。

「人には得手不得手が必ず存在する。では何を以てそれらが確立するのか」

 Fは次の台詞で私の顔を初めて見ます。

「僕は執着だと思う。その強欲に従えば、無理なく己が道を進める。君だってそうだ。君は拒否反応を示す事には忠実に逆らってきた。言い訳を備えてね。そんな明日読子だから未来予知が正しいとすぐに理解できたんだ。そしてここまで来れた。君の天性は恐怖や危機といった類だけど、才能はその我儘さだ」

 天性で目覚め、才能で突き進むですか。ご高説どうもです。

 母から逃げ切れたのも、私の「危機」が刺激されたから。そして私の身を守るためだけの未来予知が発動したと。

「心外です。好奇心と訂正してください」

「いや、責めてる訳じゃないよ。簡単な話、好きなゲームをやってる時は周りが見えていないだろう?赤甲羅をぶつけられたら、緑甲羅に注意が向かないみたいな」

「分かりにくいですし、私はきちんと回避しますよ」 

「ああ、君の場合は本か。活字に入り浸ったら、例え地震があっても次のページを捲る筈だ」 

「改善されましたね」

 それは義務や責任から逃げて、自分の興味のあることしかやらない幼さも言い表しています。社会的に否定されそうなその事実をこの人は今肯定したのです。

 私とFは気質の部分で通じているのでしょうか。只今絶賛、憧れた人間と無理して共通点を見出すという自慰行為の真っ最中です。

「でもね考えるんだ。もし僕の生まれた場所が紛争地域だったらって。きっと未来予知に悠長な時間を割いてる暇は無かったと思うんだ。この国は人の自由をとても認めてくれるだろう?だからさ、僕の前世はとても真面目で苦労を重ねたんだ。これは妄想なんだけど」

 そう語るFは少年そのものでした。生きるということに自由を感じられるのは、絶対的な長所です。

「意外でした。てっきり人生に飽きているのかと」

「君たちがいるじゃないか。それは当分なさそうだ。あと、さっきの問いに答えてもらってないね」

 そろそろ彼の登場を望んでいるようです。Fは無垢なまま、脅しをかけます。あの中年も同様の状況を経験したのでしょう。そりゃこんなの、初見だったら絶対勘違いします。

 私は違いますが。

「君の未来を、好きにいじっていいかい」

「カモン‼」

 物凄い勢いで飛んできた今生君は、素早く私の盾になります。私の小柄な身体は彼に完璧に隠されます。ボディーガードのお仕事とか向いてるんじゃないですか。

「そう、君だよ。コンセイ、ユウト君」

 呼びなれない名を口にします。私の目標がこの人なら、Fの標的は他ならぬ今生勇人なのです。

 その目は大きく見開いていて、あまり純粋とは言えません。

 頭頂部からつま先まで、舐め回すように眺めています。視漢です。変態です。

「明日が会いたかった奴ってこいつかよ…。可愛い女の子かと期待したのに」

 Fの気持ち悪い視線をものともせず、彼は愚痴ります。

 実に思春期らしい理由で私に着いてきたんですね……。可愛い男性ですみません。私は目の保養になりましたけれど。

「コンセイ君、君は特別だ。僕ら以上に稀なんだ。単刀直入に訊こう、僕と一緒に旅をしないか?上質な衣食住を毎日無償で提供しよう。行先も君が行きたい所で構わない。どうかな。実力行使は嫌いだからさ、要求があるなら遠慮なく言ってよ」

「野球があるんで大丈夫です」

 空気が白けます。彼の一刀両断はこの空気を真空にしてしまうほど、切れ味が良過ぎました。

 旅がしたい。それが彼の願望。いつ抱き、どのくらい待ち望んでいたのか。けれどあっさり断られた。ふふふ、ざまぁ。きっと普段から分かり過ぎている彼は、こういった経験に免疫がないのではないでしょうか。

「そうかそれは視えなかったな。でもいきなりこんな誘い方をすれば、誰だって断るよね。君に会えて大分高揚してたみたいだ。ありがとう」

 ちょっと唇が震えてますね。よっぽど悔しかったんでしょう。強がりFたん写真に収めたいぜ。

 Fは私達に背を向け、もう一人の仲間に呼び掛けます。

「君も何か言ってやったらどうだ?大事な生徒だろう」

 その今にも折れそうなその人は、手と顔を大袈裟に振って拒否します。あの人らしくて安心しました。気が弱い私でも、あの先生なら弄れるのでこの先が楽しみです。

「あいつ、誰だ」

「徳川先生だよ。この人に協力してるみたいだね。というか弱みを握られて、させられてる気がするけど」

「何やってんだ…あの人…」

 今生君は理解が追い付いていない状況です。

 実は一時限目、徳川先生がトイレに向かう前に予知をしていたんですね。彼がトイレの個室に閉じ籠ってスマートフォンを操作している、そんな未来でした。

 私の未来予知は、視える角度や距離は基本ランダムですが、この時は絶妙な位置でした。SNSで誰かとやり取りをしている最中で、彼はこのようなメッセージを送っていたのです。「あの娘は元気だよ」。誰を指しているかは、直感で察しました。今日もそうですけど、最近やけに指されてたんですよね。

 私の写真をFに横流ししたのも、メモを鞄から抜き取ったのも、彼の仕業でしょう。Fにとっては、重要参考人である私を監視する人物が必要だった。一年の教室に良く顔を出し、あの御しやすい徳川先生は適任だったのでしょう。

「彼を予知すれば、間接的に貴方のことも視えるかも。現にさっきはそれで上手くいったので」

「何が言いたい」

 興味深そうに訪ねてきます。答えが分かる時はその過程に意識が向くものです。

「私の写真もしかして持ってます?あるなら返してください。ついでにあのメモも」

「メモは駄目だ」

 そうですか。よっぽど認めたくないんですね。人間、間違いを開き直るだけで随分解消されますよ。

 写真だけで予知が出来るのは流石に有利だと配慮した訳ですか。読子陣営は未熟な予知能力者と予知不可能な剛健少年。対してF陣営はもやし教師と圧巻の予知能力者。これで一応の均衡は取れたのでしょうか。

 この男は生きることをゲームか何かだとでも本気で考えていそうです。

「徳川、君が直接渡せ」

 口調が不機嫌さを表してます。Fはこうして徳川先生をサンドバックにしているんですね。先生の頭皮が心配です。

 細長い人影がこちらに迫って来ます。頼りない、でもどこか愛想を感じる化学教師です。

「ど、どうぞ」

「どうも。次からは生徒の事を第一に考えてくださいね」

「…………………」

 口籠り、目に涙を浮かべています。

 あー、これは可哀想です。私でも同情します。職場、プライベートでも休む暇が無いのですね。お人良しが辛い目に遭う社会の理不尽さを、目の前で実感しています。いけない、私の一言が導火線に火を着けてしまったんでした。

「先生の授業楽しいぜ。元気出せよ」

「う…うぐっ、うっ」

 今生君は困惑しながらも、励まします。泣き虫の扱い方をきちんと心得ています。

 彼の一言が徳川先生の涙腺を優しく緩めてあげました。大粒の滴が頬を伝って流れ落ち、上擦る声を堪えています。

「ご、ごめんなさい。言いすぎました…」

「帰るぞ、徳川。それと」

 私の謝罪ではなくFの声に反応します。徳川先生は無言でFの斜め後ろに着きます。他力本願ですが、いつかあの寂しい背中を抱きしめてくれる穏やかな人に恵まれますように。

「コンセイ君。これからしばらくの間、君に付き纏う人がいるかもしれない。中には僕のように穏やかではなく、個人の私利私欲の為に他人を脅かす連中もいる。その際は、持ち前の勇敢さで追い払うといい。絶対、他の輩の所有物になってはいけない」

「俺達も帰るか」

「うん、そうだね」

 一応聞こえない距離ではないのですが、彼は完全無視です。私もつられて素っ気ない返事をしてしまいます。徳川先生のストレスがまた増えそうです。

 Fを気にも留めない今生勇人君は、欠伸をしながら歩きます。この人、犯行予告をされたというのに、図太過ぎます。これは彼の天性のような気がします。

 結局、読子陣営とF陣営の衝突は徳川先生の涙で幕を閉じました。上手く締まらないところがより現実的です。

 私達はシースルーエレベーターへ戻る道を一歩ずつ辿ります。しかし、大声が響き強制的に静止させられます。叫びではなく理性的なものです。

「明日読子!日常を忘れないように。じゃないと好奇心の有効活用は難しいからね。

 それと今の君ならもっと積極的に人間関係を広げられると思う。今回は、直接的な登場人物が些か少なかった。だから、知識不足を直感や妄想で埋め合わせたんだ。それも魅力的だけど、僕はやっぱり群像劇みたいのが好きでさ、同じ面子で回し合うのは、ちょっと失望。――――――――――――――あっ、忘れてた」

 表情や身振り手振りをコロコロ変えて語る彼。既に視えているのでしょうか。言葉の一つ一つに、安定感を感じさせます。

 一旦間を置いて、Fは続けます。

「心配するな、君の推理は的を射ている」

 今回の接触で足りなかったもの、それは達成感です。淡々としたFの反応に私は納得していなかった。満足できていなかった。

「ダメな奴ですね、私は」

 また踊らされています。けれど、心身ともに震え上がる感覚です。そうです。解ってるじゃないですか。明日読子は、Fに答え合わせを渇望していたのです。

「明日、おい――」

「先行ってて」

 今生君には申し訳ないですが、今は人と並びたくないのです。このだらしない顔はここで抑えないと、完全に変人です。

 誰かの足音が聞えます。今度は何をされるんでしょうか。

 耳元に生暖かい息がかかります。異性として意識していなくとも、生理的にこそばゆいのは変わらないようです。

「いつもご愛読ありがとうございます」

 とんだお土産を置いて、私達は本当にお別れしたのでした。

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