予知系少女

よーほとん

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珍しく退屈しない学校です

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【十四】
 今日の時間割を説明しますと、一時限目化学、二時限目古典、三時限目体育、四時限目情報、五時限目数1、六時限目英語、こんなところです。苦手な科目が勢揃いで鬱になりそうです。

 寝るなら化学と古典の授業が狙いですが、今日は真面目に取り組むと決めたのでそんな邪念は振りほどきます。さっきまでの疲れが嘘のようです。

 時刻は八時二十三分。駆け足で教室に滑り込むクラスメートの姿が確認できます。

 教室の騒がしさが増したところで、副担任の膝踵先生が教室に入ってきます。この先生はやはり時間ギリギリにやってくるのですが、担任の先生がまだ来ません。いつもなら五分前には朝の準備をしているほど几帳面だというのに。時間にルーズな副担任と時間に真面目な担任。この正反対の関係をこの一年A組の生徒達は密かに楽しんでいます。

「今日担任の先生は風邪でお休みのようだ。英語には代わりの先生がくるので、そのように」

 膝踵先生がそのように告げると、八時二十五分のチャイムが鳴ります。ばらけていた生徒達が、気怠そうに着席します。

「はい、読書」

 うちの高校では、八時四十分まで読書の時間に入ります。この時間が私は最も好きです。十五分しかありませんが、それでも活字の世界に溶け込めるのは幸せです。

 私は『時間の天才』を取り出し、栞の挟まったページを開きます。昨日は遅刻したり、疲れたりで読めなかったので、遅れを取り戻したいです。……………授業でこういう考え方が出来れば、今より少しは優等生に近づけるのでは?

 静まり返った教室で、私は文字を追います。

 アクティブな生徒はこの時間を心底面倒に感じているでしょうが、私のようなインドア派は徐々に集中力が増していきます。

『短針時人[たんしんときと]は時間に精確過ぎる。例えば、自分の乗る電車が何時何分にホームを出発するかを情報として頭に叩き込む。すると彼が家を出てからホームに着いた時には既に、目的の車両の扉が開いている。その他にも、ポットのお湯が沸くほんの少し前に、テレビの視聴を止める。そして台所に着いた瞬間お湯が沸き、近くに用意されてあるバッグ入りのティーカップにすかさず注ぐ。また時には、自分で設定した秒数ジャストで五十mを泳ぐことも好きだったりする。待ち合わせの時間なんかは、秒単位まで指定してくれたら時人はその通りに従う。ちなみに最近の睡眠時間は、午前十二時から午前七時までの七時間だ。

 彼がここまで時間に精確なのは、几帳面だからという理由では足らな過ぎる。

 先述の電車の例でいうのなら、人身事故等のトラブルによる遅延は珍しくもないし、時人がいくら時間に精確といっても、運転手の運転もとても正確でないと、あのように無駄の無い完璧なタイミングで電車に乗ることは難しいだろう。

 他人が関与しない日常的なことなら、ほぼ無意識に時間の無駄なく行えるが、自分以外の他人がいくらいようと時間的に完璧に対応できるのがこの男である。

 時人は生まれてこのかた遅刻をした事がない。人が定義した時間というものに絶対的な服従をする、否初めから彼はそう設定されている。

 生まれつき短針時人には、秒単位まで精確な体内時計を備えていた。それだけならただ便利なだけかもしれないが、ある程度自我が芽生えてくると、時間という概念に囚われざるをえなくなる。しかし幼い時人がそれを苦痛に感じることはなく、むしろ気に入っていた。他の子ども達より時間を理解できる自分に誇らしさや優越感さえ覚えていた。

 親に言われた時間に目を覚まし、学校が指定した時間の丁度十分前には、教室に片足を入れていた。

 細かい時間指定がない場合は、自分で設定していた。

 そんな時間に精確の時人少年の現在は、華やかなものからは程遠かった。彼はその正反対を行く生活を余儀なくされた。

 それは、彼が時に従順過ぎた末に染み付いた呪い―――――。

 もう一度過去に遡ってみようか。今度はもっと具体的に、現在から二年五か月十五日七時間三十二分前――時人がまだ青年だった頃の話だ。青年だからと甘んじることができた頃だ。

 短針時人は、片手だと少し収まらない程度の文庫本を開いていた。彼は座りながら読書をするということがどうも苦手らしい。だからといって、直立不動の姿勢も落ち着かない。部屋の中をぐるぐる回りながら、次のページをめくった。

 本の題名は『幼い少女』。

 表紙は題名の通り、黒いワンピースに身を包んだ少女が背を向けている。それ以外に特徴的な部分は見当たらない。

 本来時人は、本を読むことがあまり好きではない。漫画なら文字と絵があって良い刺激になるが、ただ文字の羅列を目で追うというのは彼にとっては暇過ぎる。そんな彼が何故、嫌々ながらも読書に励んでいるかというと、それは今朝…午前八時二十二分六秒に扉を叩いた依頼人が関係している。

 面倒で苦痛だが不可能ではない。感情まで設定できればどれ程効率がいいか。等と、雑念が現れても、本の内容は何のつっかかりもなく流れてくる。

 概要は、まだ八つの少女、くるこが大切にしていた人形をある日突然無くしてしまい、それを探す冒険に一人で出るといったところだ。

 どうせ、冒険の途中に優しくしてもらったおじさん辺りが、偶然にもその人形に関する情報を握っていたりするんだろう。そして、ご都合主義にご都合主義を上乗せしたような甘ったるい起承転を迎え、最後には、

 「わたしはこの人形より大切なものをみつけたよ。それは人の優しさだよ」

 みたいな綺麗事をこのくることかいう女は言い出して、それが物語の結論になるのだろう、ああ良い話だ。

 本を読みながら内容を先読みする感覚を覚えつつある時人は、活字のダンジョンで冒険している事実に気が付く暇もなかった。』

「はい、しゅーりょー。仕舞なさい」

 時人さんが活字の世界に夢中なようなので、私は現実世界に戻ることにしました。四十分のチャイムに強制的に引き戻された、という表現の方が適切ですけれど。

 膝踵先生は別の教室で授業をするためか、もう一Aを去っていました。それでも、時間一杯に間に合う姿が、予知しなくても想像できます。

 五分休みに入って、また教室が騒がしくなってきました。一か所に集まって雑談する者もいれば、お手洗いに行く者や机に突っ伏す者も多いです。

 私は『時間の天才』の続きを読むのもいいかなと考えましたが、それより、化学の準備を先に済ませておきましょう。

「読子、あんた今日は起こさないわよ」

 ロッカーから教科書を持ってきた私に対し、若干呆れた口調で、近くの情ちゃんは言い放ちます。

「大丈夫。今日の明日は謹厳実直だよ」

「一日坊主」

 こいつ今なんて言った?

 最低二日は保たせてみせますよ。そのダサい眼鏡の度数を上げて刮目するがいい。

 教室の時計は、そろそろ四十五分を指し示そうとしていました。その間に化学担当の徳川先生が、大量の荷物を危なげに抱えて入り口をくぐります。この先生は異様に背が高いので、くぐるという表現が妥当なのです。加えてかなり細いので、頼りなさが一層増します。

「はあ、はあ……はい号令」

 一時限目開始のチャイムが鳴った頃には、徳川先生の体力は底を尽きていました。教師用の机にどっさりと置いてある、あの書類の山が原因でしょうが。

「きりーつ、きおつけー、礼」

 よろしくお願いします。

 一限目だからでしょう、その挨拶からは全く活気を感じませんでした。それに徳川先生が死にかけてる姿を見て、更に意気消沈した生徒も少なくないでしょう。

 皆さんだらしないですね。私はこんなにも覇気に満ちているというのに。少し分けてあげたいくらいです。

「じゃあ、一週間分の小テストを返します。明日さん手伝ってくれる?」

 寝たきり老人のようなか細い声で、この先生はなんてことを仰るのでしょう。

「いいですよ」

 いやです。なんか目を付けられたんですけど…。それにこの量はかなりきついです。

 断るに断れなかった私は、滅入りそうな気持を抑えて小テストを配ります。するとここへ一人の女子生徒が。情ちゃんではありません。

「手伝うよ、明日さん」

「どどどうも」

 そう言って手を貸してくたのは、このクラスで一番小柄な手乗[てのり]さん。彼女とはこれがファーストコンタクトです。

 そらからというもの、手乗さんを筆頭に、男女大小問わず多様なクラスメートが助力に来てくれました。もちろんあの二人も。

「うんそうだね。皆でやった方が効率的だ。僕がトイレに行ってる間に終わらせといて」

 徳川先生は口を押えて、前屈みになりながら教室を出ていきました。

 その虚弱な後ろ姿は、警戒が手薄過ぎて、あらゆる嫌がらせを仕掛けたくなります。

 一週間分ものテストが溜まっていたのも、このヒョロガリ先生の体調不良に起因しているかもしれません。というかそれ以外に考えられません。

 教室が賑やかさを取り戻しつつあります。

 テストの点数に一喜一憂したり、配り間違いが発生したり、雑談したり、スマホゲームに熱中していたりと………自由より無法地帯と表現したほうがいいでしょうか。私もテスト配りが終わったら、この休み時間に便乗して『時間の天才』を耽読したいです。

「授業どころじゃないわね、これ」

 情ちゃんが呟きます。

「でもテンション上がってきたかも」

 そう、このお祭り状態は観てるだけで気分が高揚してきます。自信が腹の底から湧いてきて、気分上々に不可能を可能に変えられそうです。

 例えば、今生君を予知するとか。では、眼鏡をブレザーのポッケットに仕舞って、

「おっ誰にするんだ」

 その対象の顔が目の前に飛び込んできました。

「うわっ」

 驚いて、一歩下がります。今の反射的な行動でテストが何枚か散らばってしまいました。

「悪い」

 今生君も拾う素振りを見せましたが、私はそれを拒否します。

「いいよ一人でやるから」

 少し冷たい口調になってしまったのは、彼の近くにいるとやはり周囲の興味を引くのです。彼はお構いなしでしょうが、私はまだ慣れてないのです。気を遣ってくれるのは嬉しいですが、これ以上この状況が続くとストレスによる発汗は避けられないでしょう。

 ――――――ひとまず配り終わりました。

 大勢の協力があったので、時間は十分も経っていませんでした。嬉しいような寂しいような、いいえ、圧倒的に悲しいですね。

 クラスの状況は授業中のそれとは程遠いものでした。煩い、騒がしい、喧しい。これじゃあ、静かに読書も出来ません。

「あんた今日は真面目に勉強するんじゃないの?」

「しょうがないじゃん。肝心の先生が不在なんだから」

 言い訳ではなく事実ですから仕方ないですね。あー勉強したいなー。

 扉が雑に開けられて細長い人影が現れます。それに焦った生徒達は急いで自身の席に戻ります。

 徳川先生の顔色は、さっきより改善されてはいましたが、頼りなさそうな困り顔は相変わらずです。

「こらー‼遊んでいいとは言ってないぞ‼」

 日常的に声を張る機会が少ないであろう徳川先生は、怒り方が下手です。そこが可愛いと女子から評判でもありますが。

「自習って言われてなかったし」

「そもそもテスト溜め過ぎ」

「体調管理は小学生でもできますよ」

「トイレで何してたの?」

「いいから早く始めて下さい」

「ノッポ」

 最後関係ないでしょ。

 今のように気弱で隙がある先生なので、生徒からあっさりと追い詰められてしまいます。竜桜先生の授業で溜め込んだ鬱憤を徳川先生で発散する、みたいな例も少なくないです。

 まあ、そんな哀れながらも親しまれている(舐められている)徳川先生は、いじけながらも教鞭をとります。

「はいはい、僕が全部悪いですよ。水が蒸発するのも僕のせいですよ」

 それは熱のせいです。

 黒板に文字を綴る徳川先生の後ろ姿が可哀想で正直見ていられません。見れないので視ることにしました。

 予知[ミーチ]―――――。

 徳川先生の五分後の未来が、鮮明に映し出されます。昨日より映像が高画質な気がします。例えるなら、SD画質からHD画質に切り替わったような感じです。

 ちなみに五分後の未来は……私にとって不都合極まりないことでした。

『明日さん。これ解いてくれるかな』

 どうやら私が指されたようです。徳川先生は、普段生徒に問題を解かせる派ではないのですが、今回限りは違ったようです。ならせめて、黒板に書かれた問題を先読みしようと試みたのですが…途切れてしまいました。

 現実世界と強制的に向き合わせられます。

どうしましょう。このままでは私が二日に渡って醜態を晒すことになります。いいえ、もう少し前向きに考えましょう。まだ私が問題を間違えると決まった訳ではありません。明日読子が回答をするところまでは視えていないのですから、まだ希望はあるはず。

「では、問2を五分以内に。先生もそれまでは持ち堪えるから……」

 徳川先生の具合の悪さはまだ続いていたようです。生徒の言葉責めで再発したのでしょう。

『問2 アスコルビン酸(Ⅽ6H8O6)0.3mol中に炭素原子と水素原子と酸素原子はそれぞれ何個含まれているか』

 ちょ、ちょっと待って。いける?読子いける?

 まず、1molが6.0×10^23個だから………………………………………………………………。

「はい。それでは」

 徳川先生は重い腰を上げ黒板に向かいます。そして予知した通りに私に訊いてきます。

 私は様々な負の感情を飲み込んで、答えます。

「アスコルビン酸 6.0×10^23×0.3=1.8×10^23個 

炭素原子 1.8×10^23×6=1.08×10^24個

水素原子 1.8×10^23×8=1.44×10^24個

酸素原子 1.8×10^23×6=1.08×10^24個」

「はい、大丈夫ですね」

 なんだろうこの味わったことのない安堵感は。

 悟りに似た気分を味わっていると、後ろから不愉快なちょっかいを出されます。

「今日は雷が降りそうね」

 お前の頭に落ちるといいな。

 私にとっては有意義な一限目もそろそろ終わりそうです。

「えー、化学は明日もあるので宿題は出しません。その分予習は頑張ってね」

「先生は授業態度を直して下さい。明日も授業があるので」

「授業の遅れを生み出す教師に初めて出会いました」

 「一番宿題が多いのは徳川先生だよね」

「みんなやめなよ。こんなのでも一応先生なんだよ?」

 その一つ一つの言葉が、一撃必殺の槍です。

 徳川先生は涙目になりながら頬を膨らませ、俯いています。カウントダウンが開始されました。4、3、2、1、ゼ――――――。

 まさに一触即発。しかし、寸での場面で救いの鐘が鳴り響きます。膨れ上がった爆弾がすんでのところで爆発を免れ、風船たちは空気がすっかり抜けて萎んでいました。

 

 そして、二時限目の古典では日本語の難しさを痛感し、三時限目の体育ではバレーの試合で足を引っ張り、四時限目の情報ではローマ字入力も危うい中なんとか切り抜けました。

「あはははははははははは。次は大好きな数学だあああああああああああ」

 お昼休みに突入すると、頭のネジがぶっ飛び過ぎて、私は正気ではありませんでした。まともに授業を受けることで私がまともではなくなってしまうのは、何かの因果関係でしょうか。

「あんたが今までサボっていたツケが回ってきただけでしょ。因果応報自業自得よ」

 情ちゃんに単なる事実を指摘され、私は黙り込みます。これならいつもみたいなブラックジョークでからかってくれた方が、まだ爽快です。

「情ちゃん嫌い」

「読子は子供ねー。でもそんなとこに愛嬌があるんだけど」

 パソコン室から一Aの教室に戻り、そこから食堂へと向かっている最中の会話です。普段通り私が弄られています。対抗しようにも、今の私に有効打はありません。 

「私、彼氏できたよ」

「文字に恋する乙女か、ロマンチックね。お相手は探偵さん?」

「〇jk¥ふぉd▲sj@xmc✕k?s⁉」

 頭に血が上り、支離滅裂を通り越した謎の言語を発してしまいました。人間こうはなりたくないものですね。

 とりあえず、私は冷静を装います。

「読子は何食べるの?」

 食堂に着いた私たちは、壁に貼り付けられたメニューをしげしげと眺めます。

「焼肉定食。私は大人だから君の分もご馳走してあげよう。どうせ今日は寂しいかけうどんなんだろう?」

「ケッ、よく判ったわね。じゃあ私はサバの味噌煮定食」

 実はさっき食堂の入り口前で、人道情さんの未来をばれないように予知していたのでした。彼女のことは初めて予知しましたが、まさかこのような現実になるとは。悔しがる情ちゃんを見れて悦に入ります。

「おーい。明日は何食べるんだ?」

 JK二人組に、堂々と何の迷いもなく接近してくる野球少年がいます。

「焼肉定食だけど……。今生君はお友達と食べないの?」

「意地の悪いな奴だなあ、お前は」

 そんな私に呆れ気味に返す今生君の言葉は、的を射てはいたものの心には刺さりませんでした。

「私は失礼するわね」

 情けちゃんは食券販売機の方へと一足早く歩いて行きました。

 こんな時に限って空気を読むなんて、読子、侘しいです。

「席取っといてくれなー」

 結構大きめの声で言うもんですから、私のような小心者は怯えてしまいます。

 食券をおばさんに渡して、しばらく待機ている時でさえ今生君の話のネタは尽きる気配がありません。

「昨日の究極ロボ・グレイガー観たか?」

 めっちゃ子供向けでしょ、それ。

「グレイガーは十二歳以下の少女の魂を糧に駆動していたんだなあ……」

「重っ!絶対見ないわ」

「そして、グレイガーのエネルギーが切れた八月二十五日に、十二歳のラランは選択を迫られる。ラランの誕生日は八月二十六日、そう明日だ」

 面白そうって思っちゃった自分を否定できない…。何曜日の何チャンで時間帯が気になりますね。

 今日の最速変心時間が記録されました。九秒〇二。

「はい、焼肉定食ね」

 おばさんから盆を受け取り、情ちゃんの姿を探します。彼女は私ほどではないですが、背が低いです。私の小ささも相まって、この食堂は優しい迷宮くらいの難易度に跳ね上がります。

「こっちよ」

「あーはいはい」

 情ちゃん自ら居場所を示してくれます。

 体の小ささを利用して人ごみの隙間を通ります。到着した時には、情ちゃんのサバの味噌煮定食は半分もありませんでした。綺麗に三角食べがされています。意外と食べるのが早いですね。

「いただきまーす」

 日本人ならごく自然の挨拶を済ませ、私は箸より先に焼肉のたれを手に取ります。この出来立て熱々の焼肉のうま味を更に引き出すのです。

「かけ過ぎよ」

「お母さんみたいなことを言わないの。これがベストオブテイスト」

 たれで覆われた焼肉二枚目を咀嚼していると、今生君が私の隣に腰を落ち着けます。

「お前ら女子なのにガッツリいくんだな」

 訴えるぞ。

 もう少しデリカシーを持っていただきたいものです。きっと情ちゃんも同じような悪態をついた筈です。

 今生君の盆には特盛の牛丼とお味噌汁が入った汁椀が載せられていました。栄養のバランス全く気にしない、スタミナだけを重視したような昼食です。食べ盛りらしいとも言えます。

「ごちそうさま。後はお二人でごゆっくり」

 お椀とお皿がさっぱりした情ちゃんが席を立とうとします。またそうやって気を遣う…。

「ちょっと、離しなさいよ」

 気が付いたら私は彼女の裾を引っ張っていました。昨日今生君にも似たようなことをした記憶があります。

「いかないで」

 甘えた口調で私は言います。私に愛嬌を感じるなら、もう少しお喋りの相手になってくれてもいいじゃない。

 人が多い食堂で今生君と二人きりは、余計目立ちそうです。この私が大衆の視線に耐えられるとでも?うーん、考え過ぎかな。

「妹属性かおのれは。私はあんたを自立させたいのよ」

「昨日まではあんなに付きまっとってたのに!まるでストーカーの如く‼」

「私がストーカーならおのれは寄生虫じゃ!」

「これ以上私から離れるというのならお前の家の前でずっと体育座りしてやる。うへへ」

「おのれはキャラと情緒を安定させんか!」

 お互い我に返ることなく、胸倉を掴み合っていました。取っ組み合いという表現では収まらない段階に達しそうな場面にも関わらず、誰も仲裁に来てくれません。この不可思議高校の生徒たちは、おとなしい人が多かったりします。まあこんなしょーもない喧嘩ごどきに関わりたくないのが一番だと思いますけれど。

「いい加減にせんか、この能無し寝坊助眼鏡!」

「黙れ!最近寄せて上げるブラを身に着けて、私、成長したんだ、とか恥ずかしげもなくLINEで報告してきた眼鏡‼」

「だはははははははははははははははははは」

 今生君は女子の醜い争いに大爆笑のようです。彼の腹筋は更に逞しくなりそうですね。

 即興のプロレスにしては出来がいいのか、私達の周囲は、先程まで白い目で観ていた生徒も含む会場と化していました。 

「ふんっ!」

「べー」

 小学生でもやらないような拗ね方をした後、私と情ちゃんはそれぞれの目的の為に行動します。情けちゃんは多分教室に戻り、私は食事の続きです。といっても、あんなことがあった直後なので、落ち着いて箸を進められるわけもなく……。

「仲良くしなよー二人とも」

 宥めてくれる先輩もいれば

「怪我とか無い?大丈夫?」

 心配してくれる同級生に

「喧嘩するほど仲がいいって言うじゃん」

 ありきたりの言葉で励ましてくれたりと、私史上最も多くの人に構ってくれました。

「あはははははははは‼…はあ…はあ」

 中には笑いすぎて疲れた者もいらっしゃるようで。彼なら同情してくれるかと思ったのですが、むしろこういう状況を誰よりも楽しんでいたのは今生君でした。

 空になった盆を調理場まで持って行って、私は教室に戻ろうとしたのですが、お呼びがかかりました。

「明日、なんか面白い事あったか?」

 今生君は周囲に気を配って、小声で問いかけてきます。

 面白い事でFのことを思い出しました。私の知りうるF――保坂南の個人的な情報は、まず性格は多趣味であるということ。目の大きな美男で、男性としてはあまり高身長ではないといった身体的特徴を併せ持ち、そして『株式会社K―RⅠ』という会社で勤務している、もしくは既に退社した可能性もありますが。

 私は放課後、都内にある本社に赴く予定です。スマホで調べたので場所はすぐ判明しましたが、昨日から充電をしていないので、電池残量の表示が赤くなっていました。残りは10%。

「放課後空いてる?」

 私は今生君を誘うことにしました。元々その目的で、彼に全てを打ち明けたのですから。彼と一緒なら保坂により近づけるかもしれません。

「部活があるからなあ…二日連続は流石に先輩に目を付けられる。終わったらLINEで伝えるわ」

「まあ無理に今日ってわけでもないんだけど。分かった、じゃあ新宿駅の目で待ち合わせね。目的地は――」

「おっと、それは後の楽しみだ」

 彼は私の言葉を遮り、目尻を下げます。未知の出来事に心を躍らせている様は、少年に相応しいものでした。

 教室に入り戻った時刻は、十二時二十五分でした。丁度チャイムが鳴り、昼休みが終了します。後五分の休みを経て五時限目が始まるので、クラスメートたちは授業の用意を着々と行います。科目が数Ⅰなのが、彼らの生真面目さを少しだけ助長していると思われます。

 お陰でロッカー付近は混雑していますが、私はこのような乱れた人の集まりが好きです。こういう状況だったら人の目もあまり気になりません。なので目的も行動もバラバラな都心の街は、散歩するだけで気持ちが高まります。一人でポツンと佇んでいる時のほうが、不快な刺激が多いのです。

「読子、あんた予習した?」

 これが疑問ではなくお節介だということはよく分かっています。彼女にとって、さっきのは喧嘩ではなく本当にプロレスだったようです。

「してるわけないでしょ。私を誰だと思ってるの」

 私とて怒りが持続しているわけではないので、普通に返事をします。

 今日も数Ⅰは小テストがあるのですが、もう半分どころか全て諦めています。私のHPはもうレッドゾーンなのです。

 一A全生徒が着席し、不可思議高校最恐可憐の教師の到着を待ちます。

 十二時三十分。チャイムの初めの響きである「キーン」の部分が鳴ったと同時に、美麗な人影は入室しました。この方も膝踵先生のように、授業開始時間とほぼ同時に教室にやってくるのですが、膝踵先生には無い圧倒的な余裕があるのです。

 その方は、まだ何も言いません。中列の一番後ろにいる体つきの良い男子に、そっと目をやります。人によっては睨み付けてると受け取ってもおかしくないその視線を、彼は難なく理解します。

「起立。気を付け。礼」

 よろしくお願いします。

 この空間の誰もが礼儀正しく、その挨拶を述べます。無論私も。

「着席」

 本来ここまでの掛け声は必要とされていないのですが、数Ⅰの時は事情が違うのです。竜桜先生は四月初めの授業に、とある資料を一年生に配ったのです。その資料の題名が「竜桜式」というものでして、中身はかなり濃いものでした。水が三滴しか入っていないカルピス並みです。

 そしてその「竜桜式」の第一項の一条目に「授業の挨拶は起立、気を付け、礼。着席。まで行うものとする。尚、担当教師の呼びかけは初回以降不要とする。」と書かれていたのです。そして、その規則を破った場合は第二項の一条目に「第一項の一条を破った場合は、連帯責任と見なし、授業始めの小テストを三枚まで増やす。」と、いかれた事が綴られてあるのです。その罰が嫌なのは当然なので、皆嫌な顔を浮かべても文句を垂れても従うのです。

「シャーペンと消しゴムだけ机に置き、あとは全て仕舞え」

 言われた通りにし、一Aの机は一切質素なものへと様変わりしていました。

 徳川先生と比べ物にならないくらいの手際で竜桜先生がテストを配ります。

 当然ですが誰も一言も発しません。教室内の静けさが増すほど、鼓動は喧しくなります。

「始め」

 制限時間は五分ですが、きっちり予習していればそこまで難しくはありません。逆に予習しないと微塵も理解できません。どうやら明日読子という劣等生は、名前までしか書けないようです。

 机とシャーペンが小刻みにぶつかる音が、不可思議高校一Aの空間を余すことなく支配しています。その音に緊張を感じながら、私もとりあえず問題に手を伸ばします。

 問題は全部で四問。最初の三問は基礎問題で、最後の四問目が応用問題というような形式です。このテストを理解できた前提で、授業はスピィーディに進行します。できない生徒は身から出た錆と判定され、置いていくのが竜桜式です。

 私は未来予知をするのに必要最低限の視界を確保します。

 内藤さんの丸まった背を見据え、

 予知―――――。

「……………終了。裏返せ」

 五分が経過し、今度は紙のめくれる音で一杯になります。一つの山場を乗り越えた気分です。本当に気分だけですが。

 内藤さんの優秀さに期待します。

 私も未来予知を享受してから、随分と度胸が身に付きましたね。

「はい」

 後ろの情ちゃんから、裏返しで二枚重ねのテストが渡されます。私はそれを受け取り、前に座る内藤さんに、腕を結構伸ばして届けます。私と内藤さんの席間が、訳もなく微妙に空いているのは学校あるあるだと思います。

 そもそも、この程度の簡素なテストなら、その場で答え合わせをしてから授業に移るものだというのに、竜桜先生の場合は週末の授業にまとめて返却するのです。よって、生徒の予習度を見定める為だとは推察できますが、この方なら手早くやってのけているのでしょう。

 竜桜先生は、出荷前の家畜を眺めるような高圧的で冷淡な目をしています。

 あの目を欺くことは、まず不可能です。隠れて読書をしようが、スマホをいじろうが、教科書に落書きしようが、あの千里眼の効果は絶対的です。訂正、九割九分五厘完璧だと表現します。どんなに人間離れしようと、竜桜先生も人間ですから、余った五厘分程度の隙ならあるのです。しかし大抵の生徒はそれを、好機には感じていないでしょう。私も三日前まではそうでした。

 竜桜先生がテストを全て受け取ります。まだ細かい位置ずれがあるそれらを、教師机に軽く当てて綺麗に纏めようとする、この一瞬です。

 予知―――――。

 眼鏡を外すという大きな動作は不審に思われるので、先ほどと同じように下にずらして視界を広げます。

 むふふ。五分後の竜桜先生を先見できるのは私だけだと思うと、背徳感が倍増されます。五秒と言わず、五十分ずっと視ていたいです。

 もう少し先の未来を予知できたなら、真っ先に竜桜先生をおかずにしたことでしょう。夜七から十二時の間なら、竜桜先生のプライベート姿が無料で視たい放題です。当然、明日読子限定ですけどね。ただ今、三秒。

「むっ―――!」

 竜桜先生は、本能的に何かを察知した声をあげ、こちらを激しく睨みます。それが未来予知のものではなく、現実のものだと気付いたのは、私もまた本能的な機能が作動したからでしょうか。

「………………………」

 私の未来予知はそこで終了していました。時間的な余裕はあった筈ですが、今私のいる所が現実世界だというのは考えるまでもないです。未来の―五分後の世界と、現実世界には感覚的に分かりやすい違いがあります。五分後の世界は、聴こえる音が限定されているのに対し、現実世界は些細な物音や自然音まで聴こえるのは大半の人に共通しているでしょう。音以外にも嗅覚や触覚に味覚、情報量の点で圧倒的に差があるのです。

 予知してから三秒目を通過しかけたタイミングで、私は現実世界に戻された。これは、もう何度目かの初めての体験です。今までは、五秒間予知しなければならなかった。その不変と思われた決まりが、竜桜先生の手によって…目によって崩されたのです。

 ここまで大袈裟になることでもないかもしれませんが、五秒間現実世界から意識が隔絶されるのは、悪い人からしてみれば格好の的です。

 未来予知からいち早く離脱する。この応用技術は私の身の危険を必ず救ってくれるでしょう。

車に撥ねられかけたいつぞやのように。

「………授業に戻る」

 竜桜先生は、警戒を解いたようでまだガチガチです。

 とりあえずあの方の視線が黒板に向けられ、胸を撫で下ろす私ですが、流石に竜桜先生はそこいらの一般人とは、感知能力、反射神経が段違いですね。それらは長年の教師生活の上、強化されたスキルであるならば、私の得体の知れない不気味な視線もまた、竜桜先生の経験値になってしまうのでしょう。

「問一から順に、手乗、箱中、今生、松崎、青山」

 竜桜先生は、授業中における最悪な派閥に数多く属している人です。ついさっきの行動を見てもわかる通り、この方は教科書の問題を生徒に黒板で解かせる派なのです。このスタイルの教師は少なくないと思いますが…不可思議高校最甘の、母羅々堵先生の蜜を一度でも啜った生徒たちは、それを囚人刑のような厳しさに捉えてしまうのです。 

 黒板にそれぞれ違った字と色で書かれた答えを、軽く確認し先生は呟きます。

「正解。次に移る」

 その後も、刑務官のような監視を怠ることなく、授業は竜桜先生のペースで進行しました。

 一Aの教室は解けない氷そのものでした。いつひびが入ってもおかしくない状態の中、誰一人として緊張を緩めません。否、最強の冷却器が私達の眼前を占めてる中、融解など許される筈もないのです。

 窓際に近い私でさえ、日光を浴びることができないほど、空は灰色でした。数Ⅰの授業は、天気が良くない日が多すぎると思うのです。


【十五】
 天にまします われらの父よ …………………………………… アーメン

 私の祈りが届いたのか、神は人類救済の鐘を鳴らされました。その直後に我々は、穏やかな光に包まれ、涅槃への道が拓かれるのです。

 これは、やってしまった後に気が付くまぜるな危険ですね。

 竜桜先生はチャイムと同時に、教室から立ち去りました。室内が平穏に包まれ、一Aのクラスメートは活気を取り戻します。

「今日は穏やかだったわね。竜桜先生」

 振り向くと、情ちゃんは上半身を机に押し付けるような姿勢で、だらけていました。そんなことでは、更にぺちゃんこになっちゃいますよ。

「穏やかではないでしょう。いつも通り冷徹で独裁的で綺麗だったでしょ」

「あんたには優しいと思うけどなあ。問題も簡単だし。というより読子だけよ」

 私には優しい?第三者からはそう見えるのでしょうか。竜桜先生は老若男女平等を徹底している気がしますが……勿論、体型や顔で誰かを優遇したりということもないです。竜桜大翔さんは、自身の信念を貫くのに人は選びません。

 私が竜桜先生を知ってから、まだ一か月程度しか経っていません。まだ一か月なので断言はできませんが、そう信じられます。あの方の凄さは容姿の美しさだけでなく、頑固で強靭な「竜桜大翔らしさ」によりあるのです。

 優しかったかどうかは判別がつきませんが、身に覚えはあります。三日前の数Ⅰで私が指された時、自力で解けなかったので情ちゃんから答えを教わりました。しかし、それを当たり前のように指摘されましたが、厳しいお咎めはありませんでした。

 ちなみに「竜桜式」にはこう書かれています。「第一項 第五条 自力で問に答えられない場合は、分からない旨を担当教師に直接伝える。」。私はこれに反する行いをしたのです。

 完璧独裁主義の竜桜先生に限って、忘れたということはありえないでしょう。ならば、情ちゃんの言う通り、明日読子にはほんの少しだけ親身になってくれている、という認識で間違いないんでしょうか。何で?可愛いから?

「それはないだろうけど、竜桜先生が読子に何らかの恩義を感じているじゃないかしら」

 情ちゃんは上体を起こして言います。

「それこそないでしょ。私があの人の役に立つ事ができていたとは考えられない。もう色々考えるのが面倒になってきた」

 そうです。竜桜先生が私に対して穏やかな理由を考えたって、時間の無駄です。情ちゃんから見てそう感じるだけなのですから、放っておいても私の人生には特に問題ないでしょう。

「お花を摘みに行ってきます」

「ばーい」

 私は放課後まで何もすることがありません。後五十分の授業を終えれば、私の溜まりに溜まった好奇心が、穴という穴から吹き出すでしょう。

 しかし、ここで予想外の事態が発生します。私がトイレに向かう途中でした。

「おい、明日読子」

 私を学校でよく呼ぶ人はかなり限定されています。ここ最近だと粘着気味に言う女学生、気さくに話しかける野球少年、そして、上から目線で尚且つ威厳のある声で呼ぶ数学教師。

 今のは、間違いなく三番目のやつです。

「は、はい」

 私は超恐る恐る振り返り、確認するまでもないその姿を視認します。

 私の現在位置は、女子トイレの一歩手前です。これからトイレで用を足そうと、誰が見ても一目瞭然ですが、この方の場合、そんな相手の都合は無に等しいです。

 最も、私はその声に畏怖を覚え、動けなくなっているわけですが。出したいものも引っ込んでいるわけですが。

「放課後、時間が空いていたら……職員室に来い。話したいことがある」

 お説教かと思いきや、こんな風に大事な伏線が張られてそうなお誘いをいただきました。

 相手の時間的な都合を意識する気遣いはできても、結局命令形に落ち着くのはこの人らっしくて微笑ましいですね。私が言うのもなんですが、竜桜先生って絶対友達作るの下手ですよね。

「それだけだ」

 竜桜先生は踵を返し、行ってしまいました。廊下を歩くと、周囲が道を空け、モーゼのようになります。モデルのファッションショーにも見えます。

 あの方もまた、今生君とは違いますが魅力的な背中の持ち主です。いつまでも眺めていたい、そういった誘惑に襲われるのです。

 その欲望の渦中にいながらも、私は頭を働かせます。

 あの竜桜先生が私に一体何の用でしょうか。さっきの視線が明日読子のものだと確信し、それを問い詰める為でしょうか。それとも、未来を予知したことがばれて、それに関した徹底追及でしょうか。どちらにせよ、まともな話し合いが出来る未来が予測できません。

 先程、あの方の未来を予知した時は、なんて大したことは視えませんでした。三秒だけでしたが、いつも通り数Ⅰの授業風景でした。

 なので視られたくないものを視られたとか、そういう理由ではないと推測します。

 竜桜先生のファッションショーがそろそろ終わりそうなところで、私は眼鏡をずらします。

 この距離なら、ばれずに予知でき……………………………目が合ったので止めておきます。勘が鋭すぎるでしょ、いくらなんでも。

 トイレ前で立ち止まったままだと、いくら小さくても邪魔なので、私も男子禁制の花園に入園しました。 

 六時限目の英語は一Aの担任教師が務めているのですが、今日はお休みなので、代わりの英語教師、米北[こめきた]先生にお越しいただいております。この先生の授業は初体験なので、学生らしい普通の興味が湧いてきます。

「はい、はじめまーす。プリント配りますねー」

 米北先生の軽い挨拶で授業はスタートしました。クラス委員の今生君は何も言っていません。

 あまり形式に囚われない方なのでしょうか。

 その後も様々な推測や憶測で、私の趣味の一環である教師観察が捗りました。授業を適当に流しながら、別のことをあれこれ考えるのは、不思議な特別感があります。

 そしてあっという間に五十分が終了。

 授業後半は、頬杖をつきながら男の筋肉と世界の終わりについて深々と思索していました。いっつそーいんたれすてぃんぐでした。

『大丈夫。今日の明日は謹厳実直だよ』。こんな事を抜かしたのは誰か、問い詰めたくなります。

 時刻は午後三時十六分。

 今日も六つ全ての試練を乗り越えた私は、また一歩英雄に近付きました。世界史の教科書に載るのも時間の問題でしょう。

「そのまま死んで英霊になればいいのよ、あなたは」

「情ちゃん、私の語り覗き過ぎでしょう。そろそろ特殊能力染みてきてるから」

 私達は同時に大きなため息をついて、ただ茫然としています。空は段々晴れてきて、雲の隙間から光が差し込んできます。それはまるで、戦場を生き延びた者を祝福する、勝利の輝き。

「明日さん。ちょっといいかな」

 今度は全く知らない声でした。魂のほぼ抜けかけた私とは対照的に、その女子生徒は活き活きとしていました。活き活きしすぎて、少し怒っているようにも捉えられます。

 体は私より二回り大きくて、ショートカットで、もう革靴に履き替えていて帰る気満々の格好です。

 顔を見ても誰だか理解できません。目つきの鋭さは生まれつきでしょうか。

「放課後、学校近くのサカズキに来てくれない?」

 サカズキというのはこの不可思議高校から徒歩十分程度の所にある、喫茶店のことです。大人の雰囲気が先行して、学生にとっては入りづらかったりします。

「えっと、はい。行けたら行きます…」

 行く気がさらさらない返事をして、私はその場を誤魔化そうとしますが。

「行けたら行くじゃなくて、来るか来ないかで答えて。そういうあやふやな返事は社会に出た後に損するわよ」

 まだ社会を知らないであろう学生にそんなお叱りを受けるとは想像もしませんでした。

「じゃ、じゃあお断りします。他に予定があるので」

 それは事実なので、はっきりと言います。

 それに、私こういうタイプとても苦手です。強い自己主張に任せて人の予定を訊かず、自分本位の事柄に他人を巻き込もうとする、その厚顔さが。

「そっくりじゃない」

 だから読むなって。

「予定?何の予定?それはうちの用件より重要なものだと断言できる?本当はコンビニで立ち読みとかその程度の事なんじゃないの?」

 口が回りますね。私が立ち読みしてるかどうかは本筋とは無関係ですし、圧倒的に今生君との約束の方が大切です。それに失礼だもん。こいつ。

「嘘はついてないよ。本当だよ」

 私なりに念を押してみますが、それもこの人の無頓着さのせいで意味を成しません。

「そう。まあどんな状況だとしても、あなたはうちとまともにお喋りしてくれないんでしょうね。だってあなた――――――病的なまでに嘘つきだもの」

「…………………」

 私は固まりました。この無礼正論女はそんな私に容赦なく、追撃を下します。

「知ってるわよ。ええ知ってますとも。あなたは『言葉を』口にした回数がかなり少ない。いつも言い訳ばかりで自分の正当化に必死なの。そんなあなたが何かを成し遂げられるなんて、勘違いもいいところ。けどねえ、人間の本質なんてそう簡単に変わるものじゃないから、実際致し方ない部分もある。だからこそ、明日読子は猫かぶりを極めなさい」

「えっと、そこまで言われる覚えがありません」

 この時は特に、反論しないと納得がいきませんでした。自分のプライドも大事でしたが、それ以上に、不自然だったからです。

 怒りや悲しみは物事を理解して初めて感じるのが基本です。ですから、今の私は酷い口撃を受けたんだと、その情報だけが頭にあって、彼女の行動の本質が全く見抜けません。

 お前は卑怯でどうしようもないから、せめて上っ面だけは何とかしろということでしょうが、まだ会ったばかりのこの女学生に叱られる理由が不明です。それとも、この女にとっては極普遍的なのでしょうか。

 それに、言葉遣いが、こうなんか……………。

「じゃあ、うちは帰るから。一応サカズキで待ってるわね」

 名も知らぬその女は、威風堂々と早足で消えました。

 一応周囲を確認しましたが、他の生徒達は小さなグループをそれぞれ作って対談やら雑談やら猥談やらで大忙しの様です。

「大変だったわね」

「うん。私がいじめられて、情ちゃんも辛かったね。おーよしよし」

「だるいだるい。膝踵先生がお見えよ」

 膝踵先生がホームルームに取り掛かります。授業が終わってすぐのホームルームは、先生によってかなりの時間差があります。ここでちんたらされると、影響はかなり大きいですよね。帰る時間や部活動に参加できる時間が遅くなったり、デートや遊びの時間が減ったりと。しかし、この膝踵先生のせっかちさは他の教師とは一線を画します。

「近くで交通事故あったのでみんな注意するように。明日の宿題も忘れずに。挨拶」

「きりーつ」

 一A全生徒が、音を立てながら、立ち上がります。

「きおつけれい」

 ありがとうございました。

 この挨拶を最後までするということは、それすなわちタイムロスです。私は、雑多なありがとうございますの中を、二秒で抜けます。一人くらいなら簡単に忍べるのです。

 今週は掃除もないので、机と椅子はそのままでも問題ありません。

 今日の鞄は少し重いです。昨日の地味で見てると鬱気味になるジャージが入っているからです。教科書はすべて置き勉で、体操着は……汗かいてないから持ち帰らなくても大丈夫です。おそらく、多分、大方。

 人通りが皆無の階段を軽やかなステップで下ります。一年の教室は最上階にあるので、上り下りともに大変でしたが、帰りの下りに関して語らせてもらえば、ただただ愉快です。脚の短い私でも、ついつい二段三段飛ばしをしてしまいます。

 私は振り向きません。誰も私に制止をかけることなんてできません。私を呼び止めてくれる人は少ないながらもいますが、このスター状態は続きます。竜桜先生ですら振り切れます。

 竜桜先生と言えば、今日の放課後に呼び出しをくらいましたが、今回はスルーします。母が家で待機している可能性と門限を考えたら、早く帰宅しなければなりません。それに、他にやりたいことがあるのです。あの方には明日謝罪をすればいいでしょう。

 私は無我夢中に下駄箱へと走りました。ささっと靴を履き替え、出口の光に導かれます。

 ああ、この校舎の向こう側には一体どんな景色が広がっているのでしょうか。

「んんー。気持ちいい」

 私は両腕を大きく伸ばし、外の無限の解放感に誘われます。退屈と緊張の城は私に興味などないのでしょう。それよりか、貴様の様な不届き者は早急に巣に帰るが良い、このような忿怒の宣告を頂いた気がします。

 まだ不可思議高校の敷地を出たわけではありませんが、ここから一直線に数十メートル歩くだけで、自由です。

「相変わらず……速いわね。エネルギー余りまくりじゃない」

 情ちゃんがまた私の速さに着いてきたようです。しかし、汗をかき息切れも激しいご様子でした。

「それがお前の限界か。見損なったぞ」

「こっちは見失わないだけでも精一杯だっつーの。この馬鹿」

 私のおふざけにも彼女は普段通りの人道情で応えます。

 そんな情ちゃんが憎いけれど、それと同じくらい好いているのも事実。

 彼女に特別用件はないのですが、折角頑張って私の背中を追い続けたのですから、少し話し相手になってあげましょう。

「私さあ、人道情さんのことあまり知らないんですよね」

「何よ、他人行儀ね。嫌われちゃったかしら」

 情ちゃんは思ってもないことを言います。彼女らしい皮肉です。

「嫌いじゃないですよ。たまには、真面目に話しましょうよ」

 真面目な話。これが竜桜先生の呼び出しをすっぽかしてでもやりたかったことです。これなら、自分のペースで進行できます。

「あっそ。食堂でのことが尾を引いているのかと」

 あれれ。珍しくナイーブになってますね。情ちゃんにも普通の女の子らしいところがあるではないですか。

「あの喧嘩まがいは、意外にも楽しかったですね。アドレナリンが体中から溢れるほど熱かったです。今回の件をきっかけにスポーツを楽しんでみたいです」

「じゃあ週末ボウリングにでも行く?あんたの奢りで」

「その冗談少し本気にしますね」

 昨日の放課後のも含めて。

 私達の間を温暖な風が一吹き。風の柔らかさがくすぐったくて、すこしにやけてしまいます。

 この微妙に張り詰めた緊張感を和らげてくれます。それでも私は、今の「明日読子」を貫きます。

「人道情さん。あなた、今金欠ですね」

「何ぞや」

 情ちゃんは満面の笑みで返事をします。気持ち悪っ。

「さっきのあの女学生の台詞、あれあなたが言い放っても何ら不思議ではないですよね。というか、一か月私と友達でいた不満を、あの子にお金を払って代弁させたのではないですか?」

「それで」

 こんどはさぞ面倒くさそうな表情を浮かべます。

「いくら払ったのかは推測に難しいですが、決められた台詞を嫌味全開で口にするだけで…そうですね、一万円は貰えるんだったら私なら、即引き受けますね」

「七万です」

 あっそうですか。あの女が羨ましい。

「七万円。一般的なJKからしてみれば結構な大金です。ではあの女学生は」

「北光[きたびかり]さんです」

 分かったから続けざまにその無表情で言うの止めろや。

「その北光さんは果たしてお金が貰えるからという理由だけで、あなたに従ったのでしょうか。おそらくもう一つ、女の子らしい、誰もが一度は経験済みな程ありきたりな…………嫉妬です」

「嫉妬ですって。おほほほほほほ。あなたに、嫉妬する要素なんてあると思って?」

 今度は上機嫌なお嬢様ですか。この女、舐め腐ってますね。

「ありますよ。情嬢。ついでに言うと、それは私自身のスペックではありません。偶然の産物なのです。だからこそ、北光さんは妬ましかった」

 情ちゃんのボキャブラリーが尽きるか、私が最後まで冷静に結論まで繋げられるか。その最底辺の二項対立が繰り広げられている最中です。

 私は続けます。

「そう、私は偶然にも今生勇人君と友好関係を築きました。そして、その光景を最低でも今日三回は、大勢の不可思議高校の生徒に見られました。まあ、私と今生君が今日一番長く一緒だったのは食堂でしたので、北光さんはそこで私達の関係を勘違いしたか、不愉快に受け取ったと考えられます。食堂では与太話もしましたし、食事の席に至っては隣でしたので、色々な誤解が生まれるのも仕方ないでしょう」

「へーほーふーん」

 今度は鼻をほじりながらという、乙女にあるまじき下品な態度で、私を迎え討ちます。この人道情七変化、アプリでも出したら三秒でクソゲー認定されそうですね。

「つまり、人道情さんが七万円ものお金を北光さんに渡したのも、私への不満を代弁させる以上に、ある事を諦めさせるため」

 情ちゃんは完全に上の空です。もうこいつ殴っていいだろ。

「北光さん好きだったんですねえ。あの野球少年が。で、彼女が喫茶店サカズキ訊ねたかったことは、私と今生君の詳細な関係。そして私と今生君に気を遣ったあなたは、それを金で丸め込んだ。そこまで人道に徹する必要はありません。彼が同伴だとしてもいつも通り接してください」

「あいよ」

 その返事を境に、私も素に戻ります。

 辺りを見渡せば、沢山の不可思議生が十人十色の行動を。少し長居しちゃいましたね。

 私も門に向かって歩き出します。言いたいことを一切吐き切った今の私に迷いはありません。

「明日さん。待ちなさいよ」

 あと一歩で校内を抜けられるといった所で、力強く肩を握られました。長居したことを、本気で後悔します。

「な、何かな……」

 私は、右の肩に痛みを感じながら、顔だけで振り返ります。ついさっきまで私達の主題だった大形の女体に訊きます。

「うち、悔しいけど応援してるから。お幸せに」

 そうびっくり仰天のことを言い残し、彼女は、肩で風を切りながら、校舎に戻ってしまいました。

「おい、お前北光に何を吹き込んだ」

「あらあら、さっきの節度を弁えた丁寧な読子さんは何処に行ってしまったのかしら?」

 今度は高級住宅街に住まうマダムの様です…ってそうじゃなくて!

「いや誤魔化すなよ。お前が私と今生君の関係を勘違いするはずがない。面白半分でデマを教えやがって…終身刑だぞ‼」

 この女は人間に対する観察眼は無駄に優れています。幼い頃から人道とは何たるかを考えさせられてきた彼女は、千差万別の人間を観てきました。闇も光も生も死も秩序も混沌も。それらは全て、人道情自身の口から語られたことです。

「私の性格を理解しているなら、言うまでもないでしょ。嘘に騙された少女が、どのような意思を抱きどのように振る舞うのか、そして周辺の人間にどのような影響を与えるのか、ただの人道実験よ。その経費としての七万円は安いわ」

「それはいつ終わるのですか。情博士」

「勿論、私が死ぬまでさ。そして私の人道学を後世に幅広く伝承していくのだ!」

 もうこの人は色々と手遅れですね。では追い討ちをかけるために、私も死ぬまでには情ちゃんの弱みを握り、それをネット上に大々的に公開して、辱めを与えてやりましょう。また一つ、人生の目的が生まれました。

「でもあの子は人の秘め事をべらべらと喋るタイプじゃあないわよ。その口の堅さは信用していいと思うわ」

「だから秘め事でもなんでもないんだって。勘違いされたままが困るの」

「じゃあ、自分で解決すれば」

 これ以上不満を漏らしても無意味ですね。さっさとこの眼鏡と別れましょう。
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