予知系少女

よーほとん

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まさか、貴方は!?

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【十二】 
 到着。漫画喫茶……ではなく感心してしまうほど見事な豪邸にお住まいの、鳳凰家に何故か到着。

 経緯を説明すると、漫画喫茶に向かう道中、鳳凰おじさんの妻を名乗る人物に声をかけられたのです。泊まる所に困っているなら我が家へどうぞ、と仰って下さったのですが、さすがに他人の家にお世話になるわけにもいかないので、その場は断りました。しかしそこからが問題だったのです。一度ならず二度目も言い寄られたのです。確かに、私の気持ちとしては鳳凰家の寝床につけるのは嬉しい限りなんですけれど、こういう時に限って余計な理性が働いてしまうんですよね。しかしここでも私の理性が勝り、再び拒みました。しかし、漫画喫茶目前の所での三度目のお誘いはさすがに我慢できませんでした。そこまで来て何故と思われるでしょうが、鳳凰家の魅力は漫画喫茶の七千倍はあるのですから仕方ありません。私の二度あることは三度ある、が、鳳凰夫人の三度目の正直に敗北した瞬間でした。

「さあ入って入って。お腹空いたでしょう」

 鳳凰夫人に連れられて、豪邸にお邪魔します。鳳凰おじさんから『何時でも訪問許可』を貰ったその翌日に赴くことになるとは、さすがに想像できませんでした。

 綺麗な玄関とは対照的な、私のみすぼらしい格好が目立ちます。勿論、圧倒されるのはこの先なんですけれど。床も相変わらず透き通るかのように鮮明で、清潔感があります。私の内と外の汚れを浄化してくれるかのように、照明の光が降り注ぎます。その光を、純粋さを感じさせる白い壁が程よく反射していて、朗らかな雰囲気で室内が満たされています。きらびやかな光に包まれた私は、まるで天にも昇るような晴れた気分です。──嘘です。なんか腹の奥からどす黒い劣等感が湧き上がってきます。

 他にもシャンデリアとか洒落た小物とか色々あるんですけど、これ以上説明すると劣等感という嘔吐物が口から出そうなので、一旦控えておきます。

「こっちだよー。読子ちゃん」

 鳳凰夫人に言われるがまま着いていきます。一度来たことはあるとはいえ、やっぱり緊張しますね。鳳凰家には娘さんもいらっしゃるようですから、この時間帯だと顔を合わせてしまうかも。

 鳳凰夫人は私をリビングに案内してくれました。リビングも昨日と変わらず、整っていて落ち着きと余裕さを兼ね備えています。自分の格好がますます嫌になってきます。私と夫人以外の人影が見当たらないのが、せめてもの救いでしょうか。

「うちの食事はもう済んでるから。はい、これ読子ちゃんの分ね」

 夫人は、ダイニングテーブルの上に並んでる食事を指して言いました。見た感じ和食のようでした。おかずはあじの南蛮漬けにかつおの刺身。主食の米の右隣には定番の味噌汁。失礼ですけど、食事は割りと庶民的なんですね。とても親しみがある晩御飯です。もし豪勢なディナーでも出されたら、萎縮して喉を通らない可能性もあるにはあったでしょう。

「ありがとうございます」

 鳳凰夫人に礼を言って、食卓に座ります。

「いただきます」

 まずは味噌汁から啜ります。今日はいっぱい泣いたので、外に出た分の塩分を摂らなくては。味の濃いものが好きな私にとって、味噌汁の塩っけは最高です。次は白米を勢いよく口に運び、かつおの刺身はポン酢に浸して食べます。タレのかかったあじと玉ねぎを一摘まみし、一度白米の上に乗せてから口に入れます。薄い衣の食感とあじの肉感に、玉ねぎの甘味が食欲を更にそそります。そして、南蛮漬けのタレが染みた白米をあっという間に平らげます。味噌汁も気がついたら、空っぽでした。かつおの刺身は残り二枚で、あじの南蛮漬けはせいぜい一口分。

 た、足りない……。今日一日の精神的、肉体的疲労を考えたら当然かもしれませんが、まさか私がここまで飢えているとは。授業はサボりまくりでしたが、未来予知にはかなりのエネルギーを注いでいました。やはり、超能力は心身ともに負担が大きいのでしょうか。故に、失ったエネルギーを食事にて回復する。こういう設定は漫画にもよくありますね。なんだか嬉しいです。

「おかわり、いる?」

 そんな私を察した鳳凰夫人は私に気を利かせてくれました。その気遣いに少し照れてる自分がいます。

「あっ、じゃあお願いします……」

 私が恐縮してお願いすると、

「OK!食べ盛りだもんね。ちょっと待ってて」

 夫人は快く引き受けて下さいました。まだ出会ったばかりの他人にここまでしてくれるなんて、鳳凰おじさんも良い奥さんと結ばれましたね。きっとこういう心の持ち主が世界を平和に導くのでしょう。薄い哲学だなおい。

 二つのお椀が到着です。

 一方のおわんには、弧を描いた雪山が、そしてもう一方のお椀には地表スレスレの茶色い沼が……滅茶苦茶サービスしてくれました。

「食べれなかったら残していいからね」

 いえいえ、全部食べますとも。

 時刻は午後七時五十二分。

 心身ともに満足できる晩御飯を完食した結果、私のお腹はすっかり膨れていました。幸せ太りしそう。ついでに言うと、あのおかわりを全て平らげた後、苺のシャーベットまでご馳走になりました。ここまで贅沢な思いをしていいのかと疑問が湧かないわけでもないですが、今は食事の余韻に浸りたいです。

 鳳凰夫人からは、隣のソファーでくつろいで良いという最上級のお許しを頂きました。このソファーは柔らかいだけでなく身体の形に沿ってくれるので座り心地、寝心地ともに抜群です。そして、私が昨日Fという第三者の存在を推測するに至った、あの例のチラシを発見した場所でもあります。けれど今はそんなことはどうでもいいのです。私は消化活動に忙しいのですから。

「読子ちゃーん。お風呂入りたかったら何時でも言ってねー。すぐ沸かすから」

 やや遠くから鳳凰夫人の声が聴こえますが、よく響きます。

「ありがとうございまーす。お風呂はもう少ししたら入らせてます」

 こちらも夫人と同程度の声量で返事をします。お風呂で気が付いたのですが、着替えとかどうしましょう。私は今着てるジャージと鞄に制服一式があだけです。下着は――今日くらいは仕方ないでしょう。一日や二日取り替えなくても病気にはなりませんしね。

「下着は浴室の前に置いておくからねー」

 えっ、下着あるの。用意できるの?ちょっと見に行きましょうか。

 若干道に迷った私は、なんとか浴室及び洗面所に辿り着くことが出来ました。鳳凰家の広大さを改めて認識させられました。

 そして、その洗面所の、正確には扉の前にありました。上品に畳まれた、可愛らしい白の下着が上下揃えてありました。

 これを私が身に付けると……。ちょっと想像できないですね。自分の下着について語るのはとても恥ずかしいので、具体的には言えませんが、ここまで女の子らしいものは私は一着たりと所持していません。

 しかもこれ、さすがに鳳凰夫人のではないですよね。では、客人用の下着をそもそも用意しているとか。その可能性を一番信じたいですが……私は何故か、この時は、予知しなくても答えが分かったのです。最悪な答えです。

 光の行き届いていない廊下から、私に歩み寄る人影があります。背は私より二十cmは高いでしょうか。顔は見えません。私に更に接近してきます。自分より大きい人に無言で近づかれるのは正直、怖いです。

 そして、私にも顔が見える距離まで来たところで、

「明日さんですか?」

 大きい見た目に反して、柔らかくて少し抜けた声で私に確認をとりました。パジャマ姿の女の子です。娘さんで間違いないでしょう。鳳凰夫人を少し幼くした感じがします。

「そ、そうです。明日読子です。突然お邪魔になってすいません」

「いえいえ、ゆっくりしていって下さいね。ちなみにそれわたしの下着ですけど、嫌だったら取り替えますよ?」

 やっぱりそうでしたか。それはありがたいのですが、なんか断るのも申し訳ないです。 親子揃って気遣ってくれるのは中々ない経験です。

「私は大丈夫ですよ。えっと……」

「鳳凰兎楼実[ほうおうとろみ]です。変な名前ですよね、アハハ」

 私が呼び方に困ってるのを見て、自ら乗ってました。少し照れているようにも伺えます。そんな兎楼実さんを前に、不思議と私の緊張がほぐれてきました。

「私の周りにも変な名前の人、いっぱいいるから。気にしないよ」

「へー、例えば?」

 そう私に聞く兎楼実さんの目は、純粋に輝いていました。好奇心旺盛な中学生らしさが見られて、和みます。身体にまだ精神が追い付いていないギャップが、とても魅力的な兎楼実さんです。

「マルムレット・トトントンとか人道情とか。膝踵ってのもいるよ」

「アハハハハ!生きてて恥ずかしくないのかなぁ」

 そこまで言わなくても……。

 悪意のない彼女の言葉に少し引いてしまいましたが、笑顔はとても素敵でした。お三方、名前を勝手に使ってすみませんでした。会話を途切れさせないためには、やむを得なかったのです。

 何故かと言うと、私は彼女と、鳳凰兎楼実さんと親しくなりたいのです。彼女のような年下の友人がいれば、嫌なことがあっても癒されそうです。それに、人当たりの良さそうな彼女をきっかけに友達が増えるかもしれません。私もそろそろ、紙ではなく人間の友達を作らなくては。

 ついでに、鳳凰家に遊びにいくきっかけにもなりますし。

「ねぇねぇ、読子さん。もしよかったら、わたしとお風呂に入ろうよっ!」

「いきなり裸の付き合いですか⁉」

「うん。わたしも少し湯冷めしちゃったし」

 人懐っこいところなど、鳳凰夫人にそっくりですが―――ど、どうしましょう。一緒に湯船に浸かれば絆はより深まりそうですけれど、私の貧相な体と、兎楼実さんのパジャマ越しからでも分かる立体的な体の比較に、果たして堪えられるでしょうか。

 しかし、無垢な表情で私を見つめてくる兎楼実さんを裏切るには、相当の勇気がいります。いやいや、元はと言えば私は客人なんですから、これくらいのお誘い、断ったっていいじゃないですか。確かに彼女とは友達になりたいですけど、これくらいのことで仲が悪くなるとは思えません。まだ、私達の友情は始まってもいませんしね。一回、たった一回なら。

「ごめん。一人で入っていいかな?」

「一緒にはいろっ!ねっ、いいでしょ。一回だけだから!」

「うんいいよ」

 やっぱり無理でした。こういう時、どうして押されちゃうのかなぁ……。

 五時間くらい前に、巨乳と偽った罰が当たってしまいました。ええそうですよ。せめて胸くらいは盛らないと、プライドが保てないと考えてましたよ。何か悪いですか?悪いですねごめんなさい。

 浴室も、やはり清潔でした。というより庶民のそれとは違いました。

 床一面真っ白で、踏むと少し柔らかいです。左壁には、扉から浴槽まで続く長い鏡があります。それは、バスタオルで体を必死に隠す私を映し出します。そんな私とは正反対に、局部も胸元も堂々と開放している兎楼実さんの姿があります。

 兎楼実さんの抜群のプロポーションと優雅な浴室が私の劣等感を増幅させます。ほとんど兎楼実さんの恵体が原因ですけど。本当に中学生ですか……この人。

「さきに体洗う?もう入っちゃう?」

「まずは、洗おうかな。ハハハ……」

 もうさっさっと済ませて、早めに上がりましょう。せっかく、気持ちのいい体験が出来るのにと思いましたが、こんな気分じゃあ台無しです。

「ごめん、楽しくない?」

「ううん。気にしないで、ちょっと驚いてるだけだから!」

 半分事実を述べ、その場を流します。駄目だ、また気を遣わせてる。私の方が二つも年上なんだから、もっとしっかりしないと。彼女と仲良くしたいんでしょう?

「昨日もこの家に来たんだけど、凄いお家だね。羨ましいよ」

 鏡の前に座り、シャンプーの液体を掌の上に乗せ、広げます。それを頭全体に当てながら泡立てます。前髪を短くしたので、シャンプーの泡が目に付くこともないです。

 兎楼実さんも私の隣に座り、どうやら頭から洗うようです。

「そうだね。広いのはいいけど、それで敬遠しちゃう子も多くて。だから読子さんみたいな、年の近い女子が来てくれるのは嬉しいんだ」

 豪邸に住むが故の悩みですね。現在、この家にお世話になっている私でも遠慮しちゃう気持ちは理解できます。本当です。

「今、中学二年生だっけ?高校とかどこ行くか決めた?」

 シャンプーを洗い流すために、シャワーを出します。丁度いい出力に調整してから、頭に当てます。温かいです。

「まだ決めてないかな。読子さんとおんなじ所にしようかな」

 あらカワイイ。頬擦りしたいな。

「不可思議高校ってところに通ってるから。勉強が苦手じゃなければ、そんなに難しくないと思うよ」

「あっ、知ってる!うちに近いとこだよね?そっかー、あそこに通ってるんだぁ」

 普通の会話ってこういうのを言うんでしょうね。浴室というのが少し変わってますが。

 シャンプーが流し終わったところで、次は体を洗います。体を洗うということは、鏡に映るということでもあるのですが、シャワーの湯気で鏡が曇っている今がチャンスです。タオルを巻いた状態で洗うこともできなくはないですが、効率的ではありません。それに、ボディーソープを素早く泡立てれば大事な部分は隠せます。

 バスタオルを外し、ボディーソープを手に取ります。それを素早く尚且つ丁寧に体中に塗りたくります。

「えいっ」

 無邪気な声が響きます。

 兎楼実さんは鏡の曇りを取り払う為に、シャワーをぶっかけたのです。勿論、私の方も見えやすいように綺麗にしてくれました。またまたお気遣いありがとうございます。何してくれんねん。

「きゃっ!」

 今のは私の声です。自分の体が鮮明に映し出されて、思わず極度の恥ずかしさが込み上げてきました。泡が足りずに、隠しきれませんでした。それ以上に、兎楼実さんの体との比較を強制的に見せられたことに、悔しさを覚えます。それはまるで、成熟した甘そうな果実と、口を窄めそうな木の実。

「どうしたの?」

「シャワーがかかって、ちょっと驚いただけだから!それだけだから!」

「アハハ、ごめんごめん」

 私は前屈みになりながら、必死に誤魔化しました。もう、この子は自由なんだから。

 兎楼実さんもボディーソープを手に取りました。彼女が正面を向いている内に泡立ててしまいましょう。勿論それだけだと丸見えなので、左に四十五度体を傾けます。

そう言えば、鏡に映る他人は予知できるのでしょうか。昨日の時点で、自分は予知できないことは明白ですが、試してみるのもいいかもいれません。兎楼実さんには悪いですが、予知の対象となって貰います。別に、さっきの腹いせとかではないですからね。

 ボディーソープで覆われた、立体的で羨ましい体つきの少女を鏡越しから、  

 予知―――――。

 兎楼実さんのものと思われる未来の映像が流れ込んできます。成功のようです。内容は至って普通で、兎楼実さんが気持ち良さそうに湯船に浸かっていました。私の腕も見えたので、私自身も湯船の中にいたのでしょう。いえ、これから入浴するのでしょう。

五秒が過ぎ、映像が途切れます。

 鏡に映る人物は予知できると……。

 しかしここで新たな疑問が生まれます。鏡に映る人物は予知できて、昨日の生放送中のタレントは予知できなかったこととの違いはなんでしょうか。私が昨日より成長したとも考えられますが、やはり一番信憑性がありそうなのは――――距離。そう、距離です。

 予知した映像に私が確認できる場合は、私の意思で簡単に未来を変えることが可能です。予知能力者が干渉しない限り、一度予知した未来は難なく実現します。今回の未来に関しては、私にとってそこまで不都合でもないので、大人しくしておきます。予知した映像の中で、私と兎楼実さんの距離が離れていたのは一応察しがつきますが。

 体も洗い終わった私は、バスタオルを巻き直し、浴槽に向かいます。これまた広いですが、もう驚きません。タイマーには、『40℃』と表示されていました。私もこのくらいが好きです。

 肩まで浸かり、自然と吐息がもれます。眠るのだけは避けなければなりません。

 兎楼実さんも入浴してきました。少し水位が上がりました。彼女は私に近づくこともなく、脚を伸ばし、その場でバスタイムを堪能しています。

 なんかバスタオルが邪魔に感じてきました。私も彼女と同じように、素肌でお湯を楽しみたいです。むしろそれが本来のお風呂というものじゃないですか。

「そろそろ上がろうかな」

 兎楼実さんはもう十分のようです。

 既に全裸な私は、まだ物足りないのでしばらく浸かり続けます。兎楼実さんが、立ち上がった瞬間に、あることが閃きました。未来予知についてです。こんなにリラックスしていても、未来予知だけは頭から離れないのは、なんかの呪いでしょうか。

 私が思うに、鏡越しでの予知ができるなら、水面に映る人も予知できるのではないでしょうか。鏡のようにはっきりと見える訳ではないですが、肉眼で人を見ているということに変わりはありません。

 兎楼実さんが風呂から上がる前に、水面を捉えて、

 予知―――――。

 兎楼実さんはどうやら洗面所の鏡の前で、何かに困っている様子でした。全裸でしたが体は粗方乾いていました。彼女は、胸当りを押さえながらこう言いました。

『うーん……もうこれ以上いらないなぁ』

 なら少し分けなさいよ!

 終了。

 今の未来に、私の姿は確認できませんでした。まあ私が同伴していたら、あんなことは言わないと思いますが。

 兎楼実さんはもうこの浴室から抜けています。時間的には予知してから四分くらい経っています。今頃、バスタオルであの魅惑ボディーを拭いている最中でしょうね。

 私も浴槽から上がり、浴室の扉の前まで早足で行きます。お風呂場で早足になる経験もそうないでしょう。

 そして扉を勢いよく開けます。横開きなのがまたいいですね。

「うーん、もうこれ以上……うわっ!」

 案の定裸で、胸を押さえ、鏡の前でうろたえてる兎楼実さんに出会しました。この場合かなり意図的ですけど。

 その兎楼実さんは私に気が付き、私に驚いていました。こういう反応を彼女から見れた のは嬉しいです。

「もう……上がったの?」

 彼女は怯えながら私に問いかけます。まだ胸は押さえたままです。隠しているというより、驚きのあまり動きが固まっているようでした。

「うん、そうだよ。これ以上ってなんのこと?」

 今日一番の笑顔で私は聞きます。さながら兎楼実さんのように。

「その……何でもない!」

 彼女はさっきの私のように雑に誤魔化しました。とりあえず、私の意地悪は成功したようで。

 人それぞれ、色んな悩みがありますよね。大小しかり。

 風呂から上がった私の体はすっかり芯から温まっていました。今日は良い眠りにつけそうです。兎楼実さんも同様です。

 時刻は九時十分。私達は誰もいないリビングにいます。

「ふう……牛乳飲む?読子さん」

「あっ、じゃあいただきます」

 冷蔵庫の前にいる兎楼実さんは、さっきのことがあったにも関わらず、私に気軽に接してきます。切り替えがはやいのでしょうか。いつまでも引きずる私とは大違いです。

 私も冷蔵庫前まで行き、用意されたコップに牛乳を注ぎます。これが、兎楼実さんの体を作っているのでしょうか。いや、過度な牛乳信仰は良くないです。牛乳さえ飲めば体の成長が促進されるなんて一昔前のことを、いつまで人類は引きずっているのでしょうか。

「牛乳はよく飲むの?」

「うん。学校の給食も含めたら、一日一リットルくらいかな」

「おかわりくれる?」

「はやっ⁉もう飲んだの?」

 私のコップの中身はすっかり空でした。カルシウムは体を作る基本ですからね。

 兎楼実さんは牛乳パックを手に取り、私のコップに注いでくれました。

「大きくなってね!」

 そりゃどうも。

 他人の家で二回も飲食のおかわりを要求したのは、これが初めてです。なんか鳳凰家に来て、初めての体験が多いですね。

 私は二杯目、兎楼実さんは一杯目の牛乳を口に運びます。すんなり喉を通る当り、かなり喉が渇いていたのでしょう。お互いに一気飲みです。

「ぷはーっ」

「ぷはーっ」

 飲み干した後の、定番の効果音も忘れずに。

 飲み終わりの余韻を二人で味わっていると、リビングの扉が開く音が聞こえました。私の向きからだと、誰が入ってきたかは見えません。

「兎楼実。ちょっと」

 兎楼実さんを呼ぶその声の主は、鳳凰夫人のものではありませんでした。

「はいはい」

 兎楼実さんはその声の主のもとに向かいます。どうやら何かを伝えているようです。私のところまでは、具体的な内容は聞こえません。

 伝え終わったのか、兎楼実さんが私の方に駆け寄ってきました。

「お父さんが、読子さんに話したいことがあるって」

 そう告げた彼女は、鳳凰おじさんの方を指差しました。何でしょう、気になりますね。

 扉の後ろから、こっそりと私を手招きします。それじゃあ、ただの危ないおじさんですよ、全く。自分の家なんだから遠慮しなくてもいいんですよ?私は堂々としてますけれど。

 リビングから一旦出て、鳳凰おじさんに近づきます。

「何ですか?」

「あの……その……娘と遊んでくれてありがとう。本当に」

「いいですよ、それくらい。それに遊んだというより、一緒にお風呂に入っただけですから。こちらこそ、お世話になってます」

「いやいいんだ。居たいだけ居てくれ。それと……」

 歯切れが悪いですね。まだ何か言いたそうです。やはり、私くらいの女子と会話するのは慣れてないんでしょうか。

「妻と娘には黙ってて欲しいんだけど…あの時、君を轢きかけたのは偶然じゃないんだ」

「えっ?」

 偶然じゃない。今そう仰いましたよね。一昨日の午後四時半頃、私は鳳凰おじさんの運転する車に轢かれかけました。そして、その瞬間に未来予知が覚醒し、危機を免れた。そして、あの交通事故未遂から私は未来予知の行使が可能になった。

「今はもういないんだけど、清掃員を何人か雇ったことがあってね。その中に、保坂南[ほさかみなみ]君って子がいてね。あの時も……その……彼に言われてやったんだ」

第三者はやはり存在したんですね。保坂南、これがFの本名でしょうか。

「保坂君には色々、世話になったよ。家のこともそうだけど、会社のことまで」

「つまり、その保坂という人物から受けた恩を返すためにやったことだと?」

「恩返しでも、さすがにそれは断った。でも、あることで脅されてしょうがなく」 

「えっと……それは、娘さんを誘拐されたとか、そんな感じの理由ですか?」

「誘拐まではされてないけど、キャッシュカードを彼に奪われちゃってね。暗証番号だって教えてないのに、何故か彼は知っていたんだ」

 暗証番号なら、鳳凰おじさんの未来を予知すれば視えなくもなさそうですが。なるほど、それで脅されて、やったことなら分からなくもないです。預金は今後の生活のために大事ですからね。

「警察には相談しなかったのですか?」

 私はそれなりの常識を持ち出してみますが、

「これくらいのことで通報なんかできないさ。確かに彼の行動には驚かされたけど、実際問題なんの被害無かったんだし」

 私を轢きかけた事を忘れたわけじゃないでしょうね。

 おじさんの弱みや人の良さを利用しての犯行ですよ、これは。

「でも、人に危害は加わらない保証はあったんですよね。その保坂って人に言われて」

「それは、そうだけど。どうして彼が僕にあんなことをさせたのかは今でも不思議でね。読子ちゃん、何か分かる?」

「いや、分からないです」

  私が死なない、または怪我をしないという確信がなくても、Fは、保坂はそう言ったでしょうね。でなければ、鳳凰おじさんを動かすにはあと一手足りません。

「でも、いいんですか。そんなこと言っちゃって。口止めされていたんじゃないですか?」

「君のお母さんにこっぴどく叱られてね。経緯を全て話すように言われたんだ。それに」

 あらら、母にそう命令されたなら、母も一昨日の真実は知ってるやもしれません。これは私も怒られそうですね。

「それに、読子ちゃんといる娘が楽しそうだったから。そんな君に嘘をつき続けてるのが申し訳なくて」

 やはり兎楼実さんに行き着く訳ですね。とてもお父さんらしいです。

「じゃあ、僕はこれで。今日と言わず、困ったらいつ来てもいいからね」

 昨日と似たような言葉を後に、鳳凰おじさんはこの場を後に…されると困るので、

「ちょっと待って下さい!雇った清掃員が在籍している会社名を」

「ああごめんごめん、株式会社K―RⅠってところ」

 捻りのないシンプルで良い会社名です。

 リビングに戻った時は、九時半を回っていました。ソファーでくつろぐ兎楼実さんは、そのまま寝てしまいそうです。やはり、早寝なんでしょうか。私の成長の悪さの一番の原因は、夜更かしにありそうです。

 鳳凰夫人は、私と同じタイミングでリビングに入りました。夫人は、第一に兎楼実さんの所へ向かいます。

「こら、兎楼実!ここで寝ちゃ駄目よ。ちゃんと自分の部屋に行きなさい」

「ふあい」

 典型的な母と子のやり取りに、少しほっこりします。私も馴染み深いです。

「読子ちゃんはどうする?まだ起きてる?」

「んじゃあ、私も寝ます。今日は疲れたので

 これは本音です。今日一日の出来事を振り返るだけで、疲れが溜まります。と言っても、主に今生君とのやり取りですけれど。

「じゃあ、わたしの部屋で寝ようよ!」

「兎楼実と寝たら疲れがとれないでしょうに。一人がいいよね?」  

「いえいえ、お構い無く。一人だと寂しいですしね」

「YES」

 変わった喜びの声を聞き、私達は寝室に向かいました。

 兎楼実さんの部屋に到着。部屋は、ぬいぐるみが散乱していました。くまにうさぎにねこにカメといった、定番の動物ものからマイナーなキャラクターものまで。あれは、ガルーラかな。憎いですね。

「今、片付けるね」

 兎楼実さんはそう言って、散らかったぬいぐるみをタンスに雑に放り込みます。

部屋は、ぬいぐるみを除けば割りと整っていて、明るい色のカーテンやカーペットが部屋の雰囲気を暖かいものにしています。

「寝ようよ、読子さん。わたしのベッド大きいから二人くらいなら余裕だよ

 クイーンサイズはあるベッドなら、確かに余裕ですね。女子二人なら尚更。

眼鏡を外してベッドに横になり、季節相応の羽布団の中に入ります。兎楼実さんがリモコンで照明を落とします。いよいよ眠りにつきます。睡眠は今日一日の出来事を整理してくれる、大事な自然欲求です。瞼を閉じ、意識が徐々に遠くなっていきます。羽布団の柔らかさに、まんまと嵌まってしまいました。…………何かを忘れている気がします。えーっと、何ですかね…………………………………………あっ、歯磨くの忘れた。

 その事に気付いた時はすでに遅く、私の意識はシャットダウン。お休みなさい。 


【十三】
 雀の鳴き声に心地よさを覚えたのは久し振りです。射し込んでくる日差しは大人しく、あまりストレスには感じません。

 異様に頭はスッキリしていました。質の良い眠りに入れたのでしょう。昨日の出来事を回想しても、ただの情報として受け入れられます。

 上体を起こし、大きく伸びをします。寝起きなので、少し体が冷えていますが、それもじき治まるでしょう。

 兎楼実さんは、私の隣で寝息を立てながら、スヤスヤ眠っています。体は大人でも、その寝顔は無邪気な子供のそれでした。

 私が、早起きしたのでしょうか。疑問に思い、部屋のクロックを見ます。短針はⅦに寄っていて、長針はⅩを指していました。眼鏡をかけなくても、これくらいなら肉眼で余裕で確認できます。そもそも、私は肉眼でも生活に支障はありません。子供の時、母から貰った眼鏡を今でも何となくかけ続けているだけです。度数もそこまで強くありません。

 私は兎楼実さんを起こすこともなく、とりあえず、リビングに向かいます。鳳凰夫人がいるかもしれません。おっと、その前に顔を洗って寝癖を直さなければ。

「おはよー。早いね、制服はそこにあるからね」

 そういえば、制服は鞄の中に雑に入れてあったんでした。それを綺麗に伸ばしてくれたのでしょう。ハンガーにブレザー、スカートがかけられていました。そのすぐ下あたりに、畳まれたYシャツとネクタイが。昨日の下着はYシャツの間に隠されていました。洗濯して、すぐに乾かしてくれたのでしょう。

「読子ちゃんの下着もそこにあるからね。今、着けてるのは……気に入ったら返さなくていいよ」

「返します‼」

 さすがに貰えません。私には少し可愛すぎます。それに、兎楼実さんのものなんでしょう。

 鳳凰夫人は私の返事に頷き、次の話に移ります。

「朝ごはん食べる?」

「何から何まですみません。いただきます」

 夫人のおもてなしを当たり前のように受けることにした私は、ソファーに座り、朝ごはんを待ちます。その向かいのテレビでは、朝の情報番組がやっていました。アナウンサーが交通事故のニュースを伝えています。ここから結構近いじゃないですか。物騒ですね。死人も出ているようですし。

 フライパンで何かを炒める音が聞こえます。その音を聞くたびに、食欲が湧いてきます。昨日の夜、あれだけご馳走になったにも関わらずです。

「出来たよー」

 鳳凰夫人に呼ばれます。食卓は、いつもと違って色とりどりでした。昨日の私が作った料理とは、天と地ほどの差があります。

「いただきます」

 食卓に座った私はそう言って、朝ごはんにありつきます。

 食事の済んだ私は、洗面所で歯を磨きます。昨日の分も兼ねてより念入りに磨きます。客人用の歯ブラシが用意されているのも、この家なら不思議ではありません。

 洗面所に近づく足音があります。きっと兎楼実さんでしょう。

「おはよー」

「おはよー、眠そうだね」

 兎楼実さんは重たそうな瞼を擦りながら、洗面台の前に向かいます。冷たい水で、顔を激しく洗っています。私の歯磨きもそろそろ終わりそうです。

 兎楼実さんがタオルで顔を拭いている隙に、口の中のものを出します。口を軽くゆすぎ、歯ブラシを元の場所に戻して、完了です。

「あれ、朝食べた?」

「食べたよ。ごちそうさまでした」

 兎楼実さんはこれから朝食のようです。あんな朝食を毎日食べれるなんて、羨ましい限りです。

 下着も含めて制服に着替えた私は、鞄の中身を探ります。確か、昨日母から貰った一万円札があるはずです。

「あったあった。これで昼も困らない」

 私の月の小遣いは、ムラはありますが、大体七千円です。高いか安いかは置いておいて、 私にとって、この一万円はとても贅沢なものです。中古のゲームソフトが三本、いや四本、クソゲーに限定すれば十本は余裕で買える金額です。

 今日の昼ごはんは、食堂の焼き肉定食にしましょうか。六百五十円のあれを食べれば、さらにスタミナがつきそうです。なんか、昨日から食事の楽しみが大きくなったような気がします。これも未来予知の影響でしょうか。

 時刻は七時四十二分。

 ここからでも不可思議高校は近いので、出発は八時くらいがいいと思われます。もう少ししたら、違った登校気分を味わうことになるのでしょう。

 私は時間まで、テレビを見続けます。ニュースも政治的なことばかりで、正直退屈していた頃に、あの人がやってきました。

「おはよう。読子ちゃん」

 何で最初の挨拶が私なんですか。近くに、娘と妻がいるでしょうに。やはり、思春期の娘を持つ家庭は、父親にとってやりづらさがあるんでしょうか。そう考えると、途端に同情してしまいます。

「おはようございます」

 私は小さな声で呟きました。

「何か食べる?いらないならいいけど」

 食器を洗っている鳳凰夫人が冷たく言い放ちます。夫を前にした妻はこんなにも態度が変わるんですね。私の時とは別人です。

「今日は大丈夫だ。もう出るから」

 夫人はその言葉を聞き、再び皿を洗います。夫婦の会話はこれで最後のようです。私が想像したのとは、随分違いました。

 鳳凰おじさんは、言葉通りさっさと出ていきました。リビングは謎の緊張感から開放されます。

「ごちそうさま」

 朝食を済ませた兎楼実さんは、これから着替えるようです。 

「読子ちゃんは何時に行くの?」

 鳳凰夫人が優しく私に問いかけます。とても朗らかです。私の知っている、いつもの鳳凰夫人でした。

「八時には出ようかなと」

「だってさ、兎楼実」

 兎楼実さんが慌てて、準備しているのが分かります。私と一緒に登校するつもりなのでしょう。時刻は八時五十分。急がないと間に合いませんよ。

 兎楼実さんの健気な行動に、愛らしさを感じている内に時間は五分前になりました。今日この家にいれるのも後五分。少し寂しい気もします。もう二度と来れないという訳でもないのに。

 せっかくなので、朝の予知でもしましょうか。ウォーミングアップ的なノリで未来予知をするのもどうかと思いますが、まあバレなきゃ大丈夫です。

 昨日、今朝含め最もお世話になった鳳凰夫人を拝見し、

 予知―――――。

『あらー、保坂君じゃない。久し振りね、どうしたの?』

 夫人ににとっては至って普通の挨拶が、私の場合驚愕の出来事なのです。昨日、鳳凰おじさんの口から聞いた保坂南なる人物。保坂はこの家で清掃の仕事をやっていたようですから、鳳凰夫人と面識があるのも不自然ではありません。

 鳳凰夫人は家の玄関で、保坂と何やら話しているようです。夫人の後ろ姿は視えるのですが、肝心の保坂の姿が確認できません。……五秒しか予知できないのが、悔やまれます。

 ここで、現実に引き戻されます。

 今から五分後の八時頃に、保坂南……Fが、来る。

 心臓の鼓動が妙に早くなります。朝から二度も緊張感に襲われるとは。二度目のは、少し期待も混じっていますが。

 七時五十八分。まだ来ません。当たり前です。私が鳳凰夫人の未来を予知したのは五十五分なのですから。…………やばい、かなり緊張してる。手足の汗が溢れて、靴下なんかはもう濡れています。

 最初は鳳凰おじさんとのやりとりで、謎の第三者の推測を立てました。そしてその人物をFと仮称し、私はFを探す為にまず自身の未来予知を把握しました。それが一昨日のこと。

 昨日は偶然にも未来の予知できない少年を見つけました。今生勇人君。彼は私の予知能力…いいえ、私自身を信用し協力関係になってくれました。

 そして遂に、私の追い求めていたFを拝めるかもしれません。会って、話せるかもしれません。本当は、自分の力で居場所を突き止めたかったですが、まあこういうのも運命でしょう。

 そちらから来てくれるなんて、どういう風の吹き回しですか。私をからかいたいだけですか、それともただ、鳳凰夫人に用があるだけですか。

 千思万孝していても分からないことは分かりません。

 時刻は七時五十九分。スマートフォンの画面から目が離せません。

 ………………………………………………………………………………………………………。

 スマホには『8:00』と表示されました。そこから数秒経過した後に――――インターホンの音が、家中に鳴り響きます。

 来たっ!

「はいはーい」

 食器洗いを終えた鳳凰夫人が、小走りで玄関に向かいます。鞄を手に、私も後をつけます。

 鳳凰家は広いですが、玄関からリビングの距離はそこまでありません。一足先に、玄関に到着した夫人は、何の疑いもなく扉を開けます。覗き穴から確認したりしないんですね。

「あらー、保坂君じゃない。久し振りね、どうしたの?」

 鳳凰夫人は上機嫌に声を上げます。

 ここからだと、保坂の顔が見えそうで見えません。背丈は鳳凰夫人より少し高いくらいで、ツナギのようなものを着ていて、帽子を深く被っているのは分かるのですが。もう少し接近しなければ駄目ですね。

 私は自然に家を出る感覚で 鳳凰夫人、もとい保坂に一歩づつ近づきます。

「保坂君、どうしたの?」

 無言のままの保坂に、夫人が疑問を感じます。夫人に用があるわけではない?

 私が玄関の靴に手を伸ばした、その瞬間に異変は起こりました。

「あれ?あなたは……」

 鳳凰夫人が、ひとつ前のニュアンスとは明らかに異なる疑問を口にします。

「どうしたんですか?」

 不信に感じた私は、鳳凰夫人に声をかけるついでに、保坂の顔を確認しようとしますが…………逃げられました。私に顔を見られるのを避けるためか、既に保坂は門に向かって走っていました。

「予知[ミーチ]―――――!」

 扉の外に出て、眼鏡を取るというよりは投げ捨てます。そして、鳳凰家の敷地から出ていく寸前の保坂の背中を捉え、予知能力を行使します。しかし、

「視えないっ!」

 保坂はもう私の視界からは消えてしまいました。追いかけても、私の足じゃあ追跡は難しいでしょう。

 いや、これは視えないというより、

「弾かれた…………」

 弾かれた、この表現の方が正しいでしょうか。今生君の視えない、予知できないとは明らかに違っていました。今生君の場合は、未来が予知出来なくとも一応真っ暗な闇みたいなものは見えるのです。しかし、保坂はそれすらなかった。何故?やはり、保坂が予知能力者として私より優れているから?

 この予想が当たっているのなら、明日読子が保坂南に対抗する術が無いということになります。

 そう、明日読子だけでは。

「よ、読子ちゃん。どうしたの急に」

 困り気味に聞いてくる鳳凰夫人に、私はそれ相応の言い訳をします。

「泥棒かなーって思って……追いかけようとしたんですけど。それに、鳳凰さんはさっきの人を知らないんですよね?」

「うん…やっぱり泥棒だったのかなぁ」

 最悪です。この反応を見る限りだと、夫人は保坂のことを覚えていない。ええそうです、ついさっき、記憶を奪われたのでしょう。保坂の手によって。

「警察とかに連絡しますか?」

「いいよいいよ。私が勝手に開けたのが悪かったから。でもどうして……知り合いだったのかなぁ」

「この前雇った清掃員とか?」

 私は確信に迫ることを訊ねますが、

「ううん。あんな人はいなかったと思う。って何で読子ちゃんがそのこと知ってるの?」

 夫人の言葉をスルーして私は思索します。

 仮に、記憶を奪われたのが間違いだとしたら――私が玄関に近づく間に、夫人が何かを保坂に吹き込まれ、明日読子に自分のことを話さないように仕向けられた。だとしたら、今現在夫人は私を騙していることになる。

 しかし、鳳凰夫人が保坂と顔を合わせた時も保坂は無言のままでした。いくら鳳凰家が広いといっても、私が夫人と保坂を見かけた時の距離はそこまで離れていませんでした。あの距離で二人の話し声が僅かでも聞こえないのは、ありえないと思います。視力も聴力も、私は平均的です。

 なら、二人にしか分からないジェスチャーでしょうか。実は二人は愛人関係で、鳳凰おじさんと兎楼実さんが家にいない時に密会していたり……。いけません、また疑心暗鬼になっています。

「読子さーん。学校いこー」

 私が逡巡してる時に、制服姿の兎楼実さんがやってきました。

 八時にこの家を出発することをすっかり忘れていました。あと眼鏡も拾い直さなければ。

「あっ、そうだ。二人とも学校じゃない!」

 鳳凰夫人も思い出したかのように言います。

 ここでふと思ったのですが、兎楼実さんは保坂と面識があるのでしょうか。もし保坂のことを知っていて、なおかつ保坂もしくは他の誰かからなんの干渉も受けていないのなら、保坂にまつわる情報を得られるやもしれません。

「兎楼実ちゃんは保坂っていう人知ってる?」

「知ってるよ!この前までうちで働いてた人でしょ?かっこよかったなー南さん」

「イケメンなのぉ⁉」

 そこじゃないだろ、と自分で突っ込みたくなりますが……安心しました。今の発言から兎楼実さんは、保坂もしくは他の人物からなんの制限もかけられていないことが分かります。

「あれー、保坂さんなんてうちにいたかなぁ?イケメンなら私も忘れる筈ないんだけど」

 あんたもかい。

 これで鳳凰夫人は本当に保坂のことを忘れている……ということにしておきましょうか。

「他には何か知らない?その保坂さんについて」

 私は続け様に興味を示します。というより、私は初めからそういう人間です。兎楼実さんの返事に大きく期待をします。

「うーんとねぇ……休憩中によくカードゲームで遊んでたよ」

「そういうことじゃなくて!もっと個人的な情報だよ。どこに住んでるとか、年齢とか、友人関係とか――」

「はいはい、そういうお話は学校に行きながらにしなさい。遅れちゃうわよ」

 かなり食い気味に訊き出す私を制して、鳳凰夫人は忠告をします。

 もう八時はとっくに過ぎています。保坂のことが気になり過ぎて、時間を忘れてしまっていました。

「いこー読子さん!」

 兎楼実さんの呼びかけに応じて、私は足を進めます。この時間帯だと少し早歩きじゃないと厳しいですね。 

「ばいばーい。また今度ねっ!」

「うん…また今度」

 元気な兎楼実さんを見送る私はかなり疲弊していました。朝からこの調子だと、いつも通り授業中に寝てしまうでしょう。

 兎楼実さんの後ろ姿を見ていても意味がないので、私も再び学校に向かいます。

 私は、先程の兎楼実さんとの会話を思い出します。疲れている原因は主にそのことです。

 それは十代の女子が、ましてや登校中にするにはあまりにも不自然でした。

「南さんの詳しいことは知らないなあ。あまり自分のことを話さない人だったから。でも親しみやすかったよ」

「じゃあどんな話題に興味があったとか、接してて印象的に感じたところとかはある?」

「時事ネタとか娯楽とか政治経済とか科学とか、歩くヤフーニュースって感じだったよ。好奇心旺盛なんだろうね」

 好奇心旺盛。もしかしたら、最も掴みづらい性格かもしれないですね。

「身体的な特徴とか教えてくれる?」

「イケメンだった!」

 それはさっき聞いたよ。

「髪型も体型も普通だったよ。普通のイケメンだった」

「左腕に包帯とか、右目に眼帯とか、背中に大きな傷とか……」

「あはははははははははは‼」

 どうやらないようです。まあそんな特徴があって気づかない方が難しいですよね。背中の傷は確認しようがないですけれど。

 顔についてもう少し細かく訊いてみます。

「どんな顔だった?目の大きさとか色とか、鼻の形、唇の厚さ、輪郭とか……」

「目は黒で大きくて、鼻筋は綺麗で唇は薄かった。輪郭は卵型。童顔だったよ」

 美男の特徴を全て押さえていますね。おそらく年齢も若い。漫画に登場したら、逆に目立たないですね。

「声はどんな感じだった?」

「結構低かったよ。若いのか老けてるのか、たまに判んなかった」

 ベビーフェイスで低ボイスで物知りですか……アイドルでもやれば黄色い声援には困らなさそうですね。さらに筋肉質なら、活字が親友の私でも好きになりそうです。

 変な下心を取り払うため、私は次の質問に移ります。

「じゃあ、保坂さん以外の清掃員について教えてくれる?」

「うーん。あんまし覚えてないけど、おでこの広い髪洗[かみあらい]っていうおじさんと、そこそこ美人の床拭[ゆかふき]さんや、力持ちの物運[ものはこび]さんに、押したら倒れそうな――」

「物干[ものほし]さん」

「よく分かったね!」

 分かるよ。流れでなんとなく。

「その人達と保坂さんの関係は?ただ仕事仲間って感じだった?」

「だと思うけど……読子さんそんなに南さんのことが気になるの?」

 ここまで細かく聞けば、そう返されるのもある意味当然なわけで。こういう時、適当な言い訳を咄嗟に閃くのは私の才能です。

「車に引かれそうなところを助けてくれたんだ。直接会ってお礼が言いたくて」

「ふーん、でも顔は知らないのに名前は知ってたんだ」

 兎楼実さんは、嫌味も悪意もない率直な疑問を投げかけます。

「と、兎楼実ちゃんのお父さんに聞いたんだよ。突然のことで顔は分からなかったんだけど、その人が鳳凰邸に向かうのは見えて……」

台詞が説明的になってしまう時は、十中八九嘘だと理解できます。私のことです。もう少し上手な嘘をつけなければ才能とは言えませんね。

「確かに昨日お父さんと話してたね。南さんのことだったんだ」

 彼女は間違いなく良いお嫁さんになるでしょう。ぜひ明日家に嫁いでもらいたいものです。

「じゃあ、わたしこっちだから」

 質疑応答に夢中にになり過ぎて、現在地を把握できていませんでした。それでも体は無意識に学校の方へと向かっているのですから、驚きです。

 ここらで兎楼実さんとお別れのようです。

 保坂に関して大方聞き終わった私は、最後に無謀な質問をします。

「保坂さんの連絡先とか知ってるー?」

「しらなーい」

 兎楼実さんの気の抜けた返事を聞いて、彼女が疲れていることにようやく気が付きました。そりゃ、一個人に関してあれだけ執拗に問いただせば、誰だって面倒になりますよね。

 ここまで真面目に相手をしてくれた事に感謝をしなくては。

「ばいばーい。また今度ねっ!」

 私がぐずぐずしている間に、兎楼実さんは元気よく愛想よく行ってしまいました。

「うん…また今度」

 お礼を言い損ねた私は、情けない返答で終止してしまいました。

 兎楼実さんは最後まで嫌な顔一つしませんでした。きっと彼女のことですから、どこにいてもそうなのでしょう。

 まあ、私が疲弊している原因とは主に、保坂の詳細を知り得るためだけに、貴重な朝の時間を浪費した馬鹿さ加減です。

 それともう一つ増えそうです。それは、ふてぶてしく校門を潜ろうとしたその時でした。

「読子ーおはよー」

「よお、明日」

 一人はよく知った声ですが、もう一人は意外と言えば意外ですが、昨日のことを考えたらある意味当然かもしれません。彼の性格を加味すればなおさら。

「おはよー。情ちゃん今日も可愛いね」

「俺は無視かよ」

 私のすぐ背後には、極道の一人娘と学校の人気者が揃っています。周囲の注目を朝から集めます。

 嫌なことを思い出します。昨日の放課後、私が今生君にからかわれて泣きじゃくったことを。そしてその時も今朝のように校門で注目を集めてしまったことを。

 悪目立ちの状況は、その中心人物が最も辛いのだと再認識します。私は激しい後悔に襲われる。

 やばい、今なら余裕で恥ずか死ねる。 

 どうしよう、周りの生徒たちがこそこそ話してる……。絶対私のことだ。声は聞こえるけど、内容までは分からないのがまたつらくて…………。

「読子、気にしないの」

 ありがとう情ちゃん。

「辛いことがあったら泣けばいいんだぜ。明日」

 お前は傷を抉るな。

 なんだかんだで優しい二人に励まされつつ、私は教室へと足を運びます。

 今日の授業くらい真面目に受けようかな。

 心地良いのか、そんな心変わりを感じながら。
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