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<28・闇への招待>

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 全員がどうにか無事だった。これは奇跡と呼んでも差し支えないことだろう。
 問題は、無事は無事でも満身創痍ということと、よりにもよって“此処”が襲撃されてしまったということではなかろうか。つまり、莉緒とリーナの自宅の位置が、敵に完全に割れたということである。
 猶予はなくなったと、そう言ってもいい。瑠衣は唇を噛み締める。自分があそこでもっとちゃんと戦えていたのなら――せめて一矢報いることができていたなら。それならば少しは、こんなにも悔やむ気持ちでいっぱいにならなかったはずなのに、と。しかもさっきはわかりやすく醜態を晒した。よりにもよって、会社の先輩に抱きしめられて大泣きするなんて。それも大の大人の男が、だ。

――ううう……これから、先輩の顔、どうやって見ればいいんッスか……!

 自分は要領が少しいいだけの、凡人だ。彼女のように、体当たりで物事にぶつかっていくだけの勇気や度量はない。空気を読む方が大事なスキルだと彼女は以前自分にそう言ったが、果たして本当にそうだろうか。争いを避け、揉め事を避け、その結果世界は何も変わらなかった。
 変えたのは、いつだって彼女の方だ。それが良い方向でも悪い方向でも、彼女は会社においてさえ、間違ったことはきちんと間違っていると言う勇気を持っていた。それで誰かに嫌われても、自分の正義を曲げるということはしなかったのだ。
 凛音を煙たがる社員も、きっといるだろう。
 大人になれない、いつまでも学生気分のガキのようなものだと笑う連中もいることだろう。
 けれど瑠衣は、そうやって瑠衣には持っていない度胸を持ち、頑張り続ける凛音のことが嫌いではなかった。不器用でも、何事にも一生懸命な彼女に憧れてさえいたのだ。きっと彼女は気づいていなかっただろうけれど。

――だからこそ、今までトラブルも多かったんだろうなあ。……人より努力してることに、本人も気づいてないっぽいし。

 ああ、それはいいのだけれど、でも。
 問題は少し、彼女を見る自分の眼が変わってしまったということの方か。
 いつも一生懸命な頑張り屋、勇気がある人だとは知っていたが。それでも、あんなふうに背中を見ることは初めてだったのだ。あそこまで格好の良い女性だとは思っていなかった。思わず見惚れてしまう、とはまさにこのことである。

――わかってるんだけどなあ。……俺には誰かを、そういうふうに見る資格なんかないってことくらい。

 別に、恋愛感情だとか、まだそういう領域ではないと思う――多分だけれど。だからこそ、自分はこれ以上に踏み込まないように気をつけなければいけないのだ。それが、桃太郎を背負った自分が守るべき最低限の境界線なのだから。破壊の力でこれ以上、誰かに迷惑をかけたり、傷つけるようなことなどあってはいけないのだから。
 ああ、でも。そうやって思っている時点でまだ自分は、この力ときちんと向き合えていないということなのだろうか。

「すみません、白雪姫を逃がしてしまいました」

 心底申し訳なさそうに涼貴が言う。襲撃が終わり、もう大丈夫だろうと判断して全員が異説転装を解除、鳥籠も終了させていた。現在リビングで全員が集まり、作戦会議をしているところである。当然、壊された壁の類は全て元通りになっているし、解除と同時にある程度自分達の怪我も治ってはいた。麻痺も既に残ってはいない。ただ、転装解除分をオーバーした分のダメージは残ってしまっている。特にピーターパンである莉緒の怪我はそこそこ酷いものがあった。仕方なく、もう一度リーナだけは再び傷の治療のため、母山羊になって回復をかけている最中である。
 リーナは完全に防御と回復に特化した能力者だ。攻撃がほとんどできない代わりに、こちらに関しては相当なレベルと言っても過言ではない。少し時間をかければ、莉緒の怪我も完全に回復させることができるだろう。

「白雪姫は、あちら側の幹部なんでしょう?できれば捕まえて、魔王軍の情報を聞き出しておきたかったところだったのですけれど」
「……あんたの調査能力、万能じゃないんだな」
「広く浅く、っていうのが実情なんですよ。能力が解析できたのも、本人の姿を視認した上で発動済みの能力のみ、という縛りがありますからね。……魔王軍の本拠地らしき場所はエネルギーが大きいのである程度範囲は絞れなくはないですが。絞り切るには、足を使って捜すしかないようです。日本の国内であるだけマシではあるんですけど」
「ということは、相当遠そうではあるな……」

 治療を受けながら、莉緒と涼貴が会話を交わしている。二人の間に何かがあったのか、あるいは何もなかったのかはわからない。ただ、涼貴に助けられてから明らかに莉緒の態度は軟化したように思う。瑠衣の目の前でも何度も“シンデレラだけは信用できない”と繰り返してきて、実際そのシンデレラの転生者が目の前にいるにもかかわらず、だ。
 あの憎悪は、嫌悪は、そうそうぬぐいされるものではなかったはずである。それでも莉緒もまだ、莉緒なりに割り切ろうと思ったのだろうか。あるいは今回の襲撃で、割り切るしかないと腹をくくったのか。そのあたりは、残念ながら瑠衣にはわからない範疇である。

「いずれにせよ、一刻も早く魔王軍の本拠地に殴り込んだ方がいいわ。莉緒の怪我が治りきったら行きましょう」

 ひとりだけ母山羊姿のままのリーナが、強い口調で言う。

「此処が知られたということは、次は大群を送り込んでくる可能性もゼロじゃない。あとどれくらい、向こうの配下に下った物語がいるかなんてわからないんだもの。どうにかこれで、仲間が五人。最低限の人数だけど、行くしかないわ」
「……なんかしれっと仲間としてカウントされているけど、いいのか?その、カッコつけて突入してきたけども、まだ私、目覚めたてだし……足引っ張りかねないというか、なんというか」
「ここに来て貴女がそれを言うのは驚きね」
「本当にな」

 柄にもなく弱気なことを口にした凛音に、思わず笑うリーナと莉緒の二人である。思いっきりつっぱしった後で我に返り、自分の暴走ぶりを後悔するのも彼女のいつものお約束である。その突っ走りが、存外みんなの役に立っていたりすることには気づいていないのだから、笑うしかあるまい。
 そもそも、今回は彼女と涼貴が来てくれなかったらみんな殺されていたところである。涼貴と並んでここまで貢献しておいて、今更怖気付くのがまたなんと言うべきか。
 いや、怖気づいたというより、当たり前のように戦力としてカウントされていていいのか、という不安なのだろう。そもそも自分が攫われた時にはまだ、物語として覚醒していなかったはずの彼女である。この短期間でここまでモノになった時点で才能の塊としか言い様がないのだが、本人には驚くべきほど自覚がない。戦力として十分どころか、味方であってさえ脅威に感じるほどである。

「そのつもりで、此処に来てくれたんでしょう?……この子を説得して、共に魔王と戦うために」

 ちらり、と莉緒を見るリーナ。気恥ずかしくなったのか、莉緒の方は露骨に視線を逸らしているが。

「私自身は、最初からそうするべきだとは思ってるわ。ただ、この子がシンデレラを忌避してしまう気持ちもわかっているから黙っていただけ。……莉緒、今はどうなの?少しは打ち解けたようだけど」
「打ち解けてなんかいないが」
「ほら、もう意地張ってる場合じゃないでしょう。……思っていた以上に状況が深刻で、それこそ今日中にでも向こうの本拠地を探さなければいけないって状況だっていうのに」
「…………」

 こういうやり取りを聞くと、本当の親子にしか見えないなと常々思う。もし、莉緒が最初からリーナの子としてこの世に生を受けていたら、彼が実の親から辛い仕打ちを受けるようなこともきっとなかったことだろう。けれど同時に、こんなにも幼いのに覚悟を決め、命を賭けるだけの勇気を持った少年にも育つことはなかったのかもしれないと思う。
 この世に偶然はなく、あるのは必然だけというのなら。きっと全ては、あるべくして形作られたパズルのピースのようなものであったのだろう。何か一つ欠けていても今の彼ではなく、今の世界ではなかった。今の彼であるからこそ、魔王に屈することもなくこうして戦うことを選べているのかもしれないとおも思えば、不幸にさえ意味があったと言わざるをまい。

「……俺は、シンデレラが嫌いだ。人を殺すのは、罪で。罪を罪だとも思わない殺人ほど、最も俺が忌避するべきものであるからだ」

 小学生とは思えぬような、達観した口調、聡明だけれどどこか意地っ張りな子供らしさもある性格。全てを内包して少年は、今。

「けれど。……その転生者である、今の。瀬良涼貴。あんたのことは……嫌いじゃない。やりこめられた時の白雪姫の顔は、なかなか爽快だったしな」
「それは、確かに」

 くす、と笑う涼貴。そうだ、白雪姫が敗走したということは、彼らはそれほどまでに彼女を追い詰めたということ。あの毒物を操る恐ろしい魔女を、一体どうやって撃退したのか。後でその詳細をきっちり聴いておこうと思う瑠衣である。
 同じ結果であっても。そこに伴う過程は、きっと一つではないわけで。
 どんな理由や理屈をつけてもいいのだ。共に手を取り合い、未来を捜す選択ができるというのなら。きっと莉緒は今、彼なりに一つ壁を超えたのだろう。
 ならばきっと――次は、自分の番だ。

――俺も、今度は。今度こそは俺が……みんなのことを、守るんだ。

 瑠衣が誓いを立てた、次の瞬間だった。



『なかなか良いものを見せてもらったぞ、お前達」



 その声と共に――一気にリビングの照明が落ち、周囲が真っ暗に染まったのである。
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