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<27・敗者の宿命>

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 全く、今日はなんて日なのだろう。凛音はそう思わずにはいられない。ピータパンを説得するべく、涼貴が調べたという彼らの本拠地を訪れた――まさにそのタイミングで、彼らが魔王軍に襲撃されることになろうとは。
 ただ鳥籠が使われているだけならば、自宅で訓練しているだけかな、で終わったかもしれなかった。まさに自分達の目の前で二つの影が鳥籠を壊し、反転した空間に飛び込むのを目撃させしなければ。

――……一刻も早く助けに行きたいところだったけど。結果的には、涼貴が言う通り様子を見て正解だったな。

 同志が襲われているのを黙って見ているなんて、とは思ったが。確かに不意打ちは有効であったし、白雪姫の“毒”に対処する必要もあったのは事実だ。魔王軍にどんな物語が下っているのかはわからないところであったが、ここが涼貴の力の便利なところ。目の前に標的がいれば、その人物に関して細かな調査をすることなど造作もない。数分あれば、物語が転生した人間の正体からその者のざっくりとした能力まで粗方分析が可能なのだから。
 勿論、能力の全てがわかるわけではない。物語のあらすじと、現在“発動中”の能力がわかるというレベルではあるらしい。ただ、今の自分達にはそれで十分意味があったのだ。なんといっても、もし知らずに突入していたら、高い確率で白雪姫の“毒槍ポイズン小人達・チルドレン”の餌食になっていたのだから。童話にも出てくる七人の小人達を、敵に毒を盛る役目にあててしまうのだから恐ろしい話である。
 毒林檎で毒殺されかけた逸話があるからなのか、彼女はあらゆる毒薬のエキスパートでもあるようだった(爆薬も、この様子だと得意そうだが)。そんな彼女の裏を掻くならば、彼女の“奥の手”を先に潰しておくしかない。凛音のところに一向に小人が襲来しないところを見るに、持ち前の調査兵を使って小人達は全て涼貴が仕留めたということなのだろう。

――ある意味チートじゃないか、あの“王廷騎士団ナイツ・オブ・プリンス”って。ほんと、味方で助かったというかなんというか。

 地力では、間違いなくこちらが劣っていた。涼貴はともかく凛音はまだまだ能力を扱いきれていないのだから。不意打ち、騙し討ち、卑怯と言いたければ言えという話だ。昔から格下の戦法は乱戦と決まっているのだから。

「……倒したよな?倒したろ?」

 壁にめり込むほど思い切り激突した金太郎は、その屈強な首をがっくりと垂れて白目を向いている。我ながらなかなかの攻撃力と言わざるをえない。
 そばに近づいて様子を見たが、起き上がって来る気配はなかった。バキリ、と音がして見れば――金太郎の腕に嵌っていたブレスレットが、みるみるうちにひび割れていく。
 そして、粉々に砕けると同時に――黒い靄のような魂が、そこからふわりと浮かび上がった。

「チャンス!」

 これを斬れば、物語の力を一時的に封印でき、相手の洗脳をも解くことができる。一寸法師の一件でそれは確認済みだ。凛音は日本刀を一気に振り抜いた。真っ二つに割られる黒井火の玉――上がる、濁った悲鳴
 みるみるうちに、金太郎の異説転装が解けていく。現れたのは男にも劣らぬ屈強な肉体の――女性だ。ああ、あの喋り方からみてそうかなとは思ったが、本当に女であったらしい。金太郎の時とほぼほぼ体格が変わらないのが凄いが、よく見れば確かに胸元が膨らんでいる。

「き、岸田さん……ですよね?」

 そして、後ろから声が。あ、と思って慌てて振り返る凛音。ボロボロの姿で倒れ、唖然とこちらを見る桃太郎――後輩の姿が見える。
 異説転装すれば多少なりに姿は変わるものだが、自分や瑠衣はまだ普段と変化が少ない方だろう。精々髪型と服装が変わって、多少筋肉がもりっとするくらいの差である。転装先の性別が同性であるならば、声もさほど変わらないに違いない――というか、ひょっとしたらそれで自分だとバレたのかもしれなかった。

――けど……ど、どうしよう。なんか私、助けに来た勢いでなんか、すっごくカッコつけたこと言っちゃった気が……!ああああいい年した女が何をををを!?

 段々羞恥心から顔を赤くしていく凛音に、果たして瑠衣は何を思ったのか。そして凛音も凛音で、きっと言うべき言葉はあったはずなのだが――こうして再会してしまうと、どんな言葉から告げるのが相応しいのか全くわからなくなってしまう。
 会社ではほぼほぼ毎日顔を合わせていたし、一緒に飲みに行ったことだって少なくはない。それなりに迷惑もかけるくらいには、親しい間柄ではあったと思う。けれどまさか、こんな厨二じみたファンタジーバトルで、お互いコスプレも同然の姿で再会して、そのまま理性にかえらずにいられるほど子供ではないわけで。

――あああ……は、恥ずかしい……!いや、加賀美君が無事でいてくれたのは良かったけど……いや怪我してる時点で無事とは言い難いのかもだけど……!

「岸田さ……」

 やがて、先に口を開いたのは――瑠衣の方だった。

「ごめんなさ……」
「え?」
「俺、何もわかってなかったんです。何も分かってなくて……戦うのが嫌だって、争うのが嫌だって、そればっかり言ってみんなを困らせて……それで結局殺されかけて……やっとどうすればいいのかわかったのに、このまま死ぬのかって思ったら……!」

 ぽろぽろと、こぼれ落ちる涙。まだ麻痺が残っているのか、どうにか半身を起こすだけで精一杯の彼は。その眼から大粒の涙を零して泣いていた。恥も外聞を考える余裕などないというように。

「怖かったッス……ほんと、怖くて。先輩、ありがとうございます……助けに来てくれて、本当に……!」

 大人も、子供も関係ない。死ぬのが怖い、戦いたくない――現代社会の日本人なら尚更だ。それのどこが、恥じるべきことだろう。凛音とて、全く恐怖がないわけではないのだ。ただそれを上回る怒りに突き動かされてここまで来たというだけで。
 だから、今は。

「……ありがとうは、こっちのセリフ」

 子供のように泣きじゃくる彼をただ、抱きしめることを選ぶのである。

「ありがとな。……ちゃんと、生き残ってくれて。私にとっては、それだけで十分だよ」

 戦いの本番は、これからだ。向こうでこちらを見つめるもうひとり、羊姿の女性の姿に気づいてやや恥ずかしくなるものの。とりあえず、今だけは許して欲しいと願うことにする。
 我武者羅に、息継ぎもせず走り続けられるほど人は強くなんかない。
 誰だって少しは休む時間が必要なのだ。魔王退治の勇者一行だって、きっとそれは同じだろう。



 ***



――あああありえない!ありえないありえないありえない!このわたくしが、あんな小娘に負けるだなんて!

 闇の中。白雪姫は独り、道なき道を走り続けていた。右腕に嵌めたブレスレットには既に罅が入っている。これを完全に壊されたらどうなるのかは、既に負けた仲間を何度も見たから知っていた。自分達の物語としての力は封印されてしまう。解除する方法がないわけではないが、その方法は非常に条件が厳しいものであったはずだ。
 何より、せっかく魔王の使徒となり、自分の欲望に忠実に生きる術を見つけたのに――魔王の力を受けなくなれば、自分はきっと元の自分に戻ってしまうことだろう。あの臆病で、うじうじと教室の隅で小さくなるばかりで――いつも皆にひそひそと後ろ指を刺されるばかりであった自分に。

――そんなの嫌!嫌よ!やっと理想の美しい顔と……強い力を手に入れることができたっていうのに!

 思い出してしまう。あまりにも醜く無残な顔で産まれたがゆえに、何処へ言っても笑いものにされるばかりであった己のことを。花の女子高生なんて言っても、ブサイクで、太っている自分を見てくれる男子などひとりもいやしないのだ。自分が声を発するたび、近づくたび、当たり前のようにざわつく教室。避けていく人波。ブサイク、ブタ、ブス、バケモノ、キモイ――それに類するアダ名をつけられなかったことは、幼稚園から小中高まで一度もないのである。
 こんなはずではなかった。こんな人生を望んだ筈ではなかった。夢の中なら、妄想の中なら、いくらでも美しくてお金持ちのお姫様になれるというのに――どうして現実の自分は、こんなにも無残なものしか与えられていないのだろうか。
 きっとその意識には、白雪姫としての前世が影響していたのだろう。その前世の罪のせいとでもいうのだろうか?あれだけ美しく可憐であった白雪姫が、来世でこのように醜悪な外見の女に生まれ変わってしまうだなんて。ああ、そんなこと認められるはずがない。前世の自分も、現世の自分も、何一つ“悪いことなどしていない”というのに!

――終わりたくない……こんなところで、終わりになんかしたくない!わたくしはまだ、まだ復讐してやりたい奴らがごまんといるのに!わたくしを馬鹿にした奴らをみんな、八つ裂きにしてやるつもりだったのに!

 とにかく今は、魔王に謁見しなければなるまい。そして一刻も早く、このブレスレットを修復してもらわなければ。白雪姫は走る、走る――魔王の玉座がある場所まで。美しく可憐な自分はあの方に誰より愛されているはずだ。自分が望めばきっと、より強い“陶酔”と“悦楽”、そして新たな力を授けてくれるに違いないのである。
 そう、自分は特別なのだから。
 選ばれた物語の中でもさらに選ばれた存在。誰も適うことのない、あの“白雪姫”なのだから。

「まさか、おめおめ逃げ帰ってこようとは」
「!」

 闇の中に、響く声。白雪姫はぎょっとして足を止めることになる。
 ぼう、と浮かび上がるように現れたのは――そっくりな顔をした、双子の姿だ。茶髪にショートカットの少年と、同じ色の髪におさげを垂らした少女。西洋の民族衣装のようなものを身に纏った彼らが誰であるかなど、今更問うまでもないことである。
 彼らは“ヘンゼルとグレーテル”。
 我らが“魔王”の、側近たる者達。実質、真の意味でこの集団のナンバー2と言っても過言ではない存在だ。

「一寸法師がやられただけでも驚きなのに、金太郎に……まさかお前まで。そして、満身創痍で無様に逃げ延びてくるとは。……お前には失望した、白雪姫」

 無感動、無表情に告げる“ヘンゼル”。

「その様子だと、まさか自分にならば“次”があるとでも思っていたのか?笑える話だな」

 同じく表情筋を全く動かすこともなく、人形のように言い放つ“グレーテル”。ああ、と白雪姫はその場にずるずると座り込むしかない。全身が、カタカタと震えて止まらなかった。彼らはただ自分よりも地位が高いというだけではない――彼らの言葉は、魔王の言葉に等しいと白雪姫は知っている。なんせ何度も、彼らを通じて魔王の意思を伺って来たのだから。

「待って……ねえ、待ってよ、ねえ……!わ、わたくしは少し不意をつかれただけですわ。まだ、負けたわけじゃ……!」

 ああ、そんなはずがない。自分が、この自分がこんなところで終わるなど。
 だってまだ一番果たしたい復讐も、世界の終わりも見ていないのに。自分の理想を何一つ叶えてはいないというのに。
 このまま見捨てられたら自分は、自分は。いや、そもそも彼らは果たして、自分を“見捨てる”だけで済ませてくれるのだろうか?

「お前の役目は終わりだ、白雪姫……否、“山村美依子やまむらみいこ”」

 じり、と双子が近づいてくる。白雪姫は、動けない。全身を、がんじがらめに恐怖が縛り上げてくる。逃げられない――逃げる場所など、どこにもない。

「いや、いや……いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 そして、闇の中。絶叫と、血肉が潰れる音が響き渡ったのである。
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