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<14・終わり、始まり>

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「お、終わった……?」

 あ、こういう事言うとフラグになるんだっけ。思わず青ざめながら、凛音は恐る恐る一寸法師に近づいて行く。ぐったりと倒れた彼は、攻撃の余波を受けて完全に気を失っている様子だった。仰向けに大の字を作って倒れているその傍には、巨大な椀の欠片が散らばっている。
 踏んだらちょっと痛そうだ。なんせ、この姿に凛音が履いているのは草履である。ぴったりと足にフィットしているせいで存外歩きづらくはないが(前世の自分が、これの扱い方を心得て慣れているせいかもしれない)普通の靴より足の裏が心許ないのは間違いない。

「!」

 気絶した一寸法師を覗き込んだ凛音は、彼の手首に妙なものが纏わりついていることに気付く。まるで黒い、靄のようなもの。それが彼の右の手首に装着された紫色のブレスレット周囲をぶわぶわと回っているのだ。
 明らかに、邪悪な何か。もしかしてこれが、一寸法師のを洗脳している魔王の意思とやらだろうか。凛音が手を伸ばそうとした瞬間、ピシリ、とブレスレットに罅が入る。そして。

「あ」

 ブレスレットが音を立てて砕けた瞬間、何か黒い人魂のようなものがそこから溢れ出してきた。ぶわり、と宙に浮かび上がったそれを見て直感する。恐らくこれを斬れば、一寸法師は魔王の支配下から開放されるのではないか。
 技を出す必要はない。凛音は再び刀を構え、一気に振り抜いた。

「せやっ!」

 一刀両断。真っ黒な火の玉は真っ二つに割られ、気色悪い悲鳴と共に溶けて消えた。その途端、倒れている一寸法師に変化が現れる。
 丁髷が云われていた髪が解けてツインテールになり、侍風の和装がみるみるうちに可愛いピンクのシャツとスカートに変わる。さらにそのすぐ傍に現れたのは――大きな、赤いランドセルだ。

「本当に、女の子だったんだ。しかも……どう見ても小学生じゃんか……」

 こんな女の子が、一歩間違えれば人殺しになるところであったなんて。こんな少女に、同じ物語を攫ったり殺したりなんて仕事を任せていただなんて。
 ギリ、と凛音は唇を噛み締める。まだ顔を見たこともない“魔王”とやらに、途方もない怒りを感じた。一体どこのろくでなしだというのだ、こんな小さな子供の意思を奪って、こんな酷い事をやらせるなんて。

――今、はっきりとわかった。

 警察やらなんやらを、一体どう誤魔化せばいいのか。周囲の抉れた地面やら壊れた建物やらは、鳥籠の解除と共に元に戻るだろうが。それでも倒れている少女と、涼貴の怪我はどうにもならない。きっと根掘り葉掘り聞かれるのを、これから下手な説明でやり過ごさなければいけないだろう。
 しかし、今は。それさえも、どうでもいいと思っている自分がいる。面倒だけれど、それよりも大事なことがある。
 このような事――これ以上、続けさせてはならない。いいはずが、ない。

――だから、私は戦わないといけないんだ。他の誰かじゃない……私が、自分の意思で戦わないといけないんだ。

 誰かに任せて、傍観者を気取ってなどいられない。舞台に上がれる者が限られているのなら、それは自分がやるべきことだ。きっと涼貴も同じように決意したのだろう。ああ見えて随分と正義感が強いようだし――案外自分達は、似たもの同士であるようだから。

――そのために、まず最初にやるべきことは。一緒に戦う、仲間を増やすってこと!

 倒れている涼貴の傍に走りながら、凛音は思う。
 仲間割れなどしている場合ではない。ピーターパンを説得し、なんとしても力を貸して貰わなければ。



 ***



「あらあら、本当にいい腕してるのね。頼もしいわ」

 バラバラになって崩れ落ちた人形。それを前に刀を収めた瑠衣を見て、パチパチと拍手する人物が一人。白衣を来た女性は穏やかな声で笑いながら歩み寄ってくる。
 彼女の名前は、永倉リーナ。四十三歳で、ある製薬会社の研究員をしているらしい。らしい、というのはどこでどんな研究をしているのか、なんて詳しい情報は何も聞かされていないからである。彼女がピーターパンである莉緒の保護者替わりであるらしかった。苗字が違うが、親戚か何かなのだろうか。
 彼女と莉緒が一緒に暮らしている自宅には、なんと地下に能力を訓練し研究できる施設が備え付けられていた。一体どれだけ資金があるんだろう、と疑わずにはいられない。残念ながら自分はまだこの家の外の景色さえ見ていないので、この場所が何県の何処なのかもわからないわけだが(さすがに、国外ということはないだろう。自分はパスポートも持っていないし)。

「今日の訓練はそろそろ終わりにしましょう。莉緒も学校から帰って来る頃合だし」
「莉緒君、普通に学校に行ってるんッスね」
「ええ、勿論よ。あれでいて成績優秀なの。ちょっと協調性がないのが難点だけど……まあ色々あったしねえ」
「えっと……」

 そろそろ、もう少し色々と話を聞いてもいい頃合だろうか。なし崩しのように彼らに言われるまま訓練をしているわけだが。正直まだ、瑠衣は戦うことに納得しきれているわけではない。本当に戦うことが、正解かどうかも確信できていない状況だ。
 ただあの時、莉緒に言われた言葉がどうしても引っかかっているだけで。
 このまま見て見ぬフリをするのも嫌だから、という曖昧な理由があるだけで。

「いいわよ、黙って訓練ばかりさせて、こっちも悪かったと思ってるしね」

 苦笑しつつ、リーナが言う。どうやらこちらが尋ねたいことなどお見通しらしい。多分悪い人ではない、のだろう。こうして話していると、なんというか普通に莉緒のお母さんだと言われても通用しそうだ。実際の母親ではないらしいが、彼女の莉緒への接し方はそれに近いものがある。きっと全部わかっていて、この戦いに参加しているのだろう、ということも。

「えっと、じゃあ……」

 鳥籠を解除して転装を解き、地上へ戻るエレベーターに戻りながら聞いた話によれば。
 此処は、埼玉県の××市、であるらしい。かなり北の方、結構山に近い田舎なのだと教えてくれた。これくらいの大きな屋敷と地下室を作れたのは物価が安かったからなのよねえ、と彼女は笑いながら話してくれた。
 次に、彼女と莉緒の関係だが。莉緒は、彼女の妹の息子であるらしいのだ。それがちょっと訳有りで妹が育てられなくなり、今は実質リーナが育てているような状態であるということも。二人揃って物語の転生者であり――リーナは七匹の子山羊の“母山羊”の転生であるということも。

「物語の転生者には、主人公の転生者が多いんだけどねえ。そうではない、悪役とか脇役が転生してるケースもあるの。特にほら、七匹の子山羊なんて主人公がぼんやりした童話じゃない?私もそうだし、他にも転生したキャラクターはいるみたいなのよねえ」
「そうなんですか」
「ええ、そうなの。七匹の子山羊で言えば、狼も転生してたみたいなのよ。……残念ながら、今はお話ができる状態じゃないんだけどね。私が見つけた時にはもう、魔王の手下に襲われて……意識不明の重体で、入院してたから」
「……」

 意識不明。瑠衣は渋い気持ちで下を向く。
 戦いの重要性も、戦わなければいけない必要性も説明された。魔王の目的も、魔王の手下達が物語を集めようとしていることも――従わない者は手にかけているらしいということも。
 それでもまだ。瑠衣は実際に戦いに参加したことがあるわけではない。大きな怪我をするかもしれないだとか、死んだ人間がいるなどという話を聞いても、イマイチピンと来ていないというのが本心だった。こんな状態で果たして戦力になるのか、という不安も。

「……あの」

 これも、尋ねておくべきだろう。エレベーターを降りたところで、瑠衣は口を開く。

「魔王と戦うなら、本来一人でも多く仲間が必要なのに。莉緒君にそれがわかってないとは思えないのに……シンデレラを嫌っているって、それはどうしてなんスか」



『他にも仲間を集めている奴はいるようだが……正直“シンデレラ”は信用できない。全ての物語には須く“前世の罪”がある。自らの罪を悔やんでない輩を仲間にする気はない』



『覚醒した物語は、同じ目覚めた物語に触れればその前世をある程度読み取ることができる。また、俺のように索敵能力が高ければある程度近付くだけでも可能だ。加賀美瑠衣、お前のことは数日前から調査して、結果仲間にするべきと判断した。お前は己がしたことを、心底後悔しているからだ』



 物語の、前世の罪。
 桃太郎である瑠衣にはそれが痛いほどよくわかる。自分は、真実をろくに見ようともせずに村人達の口車に乗り、なんの罪もない鬼達を虐殺して英雄になった大罪人だ。その罪は、桃太郎が死んでも――来世になっても、償い切れるものではないと思っている。実際前世の記憶を思い出してしまった日は、あまりの恐ろしさに吐き気が止まらなかったほどなのだから。
 しかし、全ての物語に罪があるというのは、どういうことなのか。
 シンデレラにも、ピーターパンにも、七匹の子山羊にも罪があるということなのか?

「……そうね」

 いずれ聞かれる質問だとは思っていたのだろう。リーナは苦虫を噛み潰したような顔になり――はあ、と大きく息を一つ吐いた。

「そもそも、昔話も童話も、大抵どこかしら残酷な要素がはいってるのよね。最後に魔女が殺されたとか、おばあさんがひどい目にあったとか、そういう話が本当に多いわ。原典よりも、だいぶマイルドに改変されて現世には伝わっているけどね。何でだと思う?」
「何で、って……」
「理由は二つ。人は、痛みのない教訓からは何も学ぶことができないからよ。いくら“それはやってはいけないこと”と教えても、“何故やってはいけないのか”“ルールを破ればどんなペナルティがあるのか”を身をもって知っていないと効果は薄いでしょ」

 そして理由のもう一つはね、と。彼女は苦笑に近い表情を浮かべて告げた。

「人は、残酷なものを、安全圏から眺めるのが大好きなの。……物語を本棚に収めた魔女も同じ。残酷な悲劇を、本として楽しむのが大好き。魔王がそういう物語を作ろうとしている、最大の理由がそういうことなんでしょうね」
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