ルナティック・パーティ

はじめアキラ

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<1・ピーター・パン、襲来>

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 昔から、何をやっても長続きしないと言われる。集中力がないからなのか、達成感を得るのが下手くそだからなのか。
 いっそ、それが“天才ゆえの悩み”であったならどれほど良かったことだろう。居酒屋の帰り、岸田凛音きしだりんねはそう思う。なんせ「今の仕事をやめようかな」と思っている最大の原因は――仕事ができないせいで上司にボロクソに叱られた、であるからなのだから。

「岸田さん、大丈夫ッスか?ちょっと足フラついてません?」
「うう、加賀美かがみ君超優しい……泣いちゃう」

 でもって今、優しい新入社員の後輩に慰められながら駅まで向かっている最中ときた。加賀美瑠衣かがみるい君。長身で可愛い顔の、爽やか系男子だ。髪の色が明るくてちょっとチャラい印象はあるが、実際は先輩にも同輩にも気配りができるしテキパキ動ける“当たり”な新入社員である。カオスと名高い営業部でお局様達にもしっかり評価されているのだから凄い話である。
 対して営業の補佐で事務をしている凛音と来たら。今日も今日とて「余計なことばっかりして!」と先輩達にこっぴどくお説教されたばかりなのである。次の商品の入荷時期を教えるな、なんて誰も言わなかったではないか。知っていた方が先方も助かるに決まっているのに、何故あんなにも怒鳴られるのか。

――いやわかってるよ?土壇場でクレームにならないためにギリギリまで伏せておきたいってのはさあ。だけど、長年世話になってるお得意さんじゃねーかよ。なんで親切にしたらダメなんだっつーの。

 昔からそうだ。自分ができる、と思ったことなら何でも手を出したくなってしまう。目の前に困っている人がいて、自分にできることがあるならそこで手を出さないで我慢するということができない。結果それが空回ったり、お節介になって叱られることも少なくないというのに。いつだって、凛音は空気が読めないせいで失敗してばかりいるのである。
 勿論、社会人になってもう二年目なのだし、いつまでも学生気分でいてはいけないことくらいわかってはいる。空気を読むスキルは、基本的にどんな仕事であっても要求されるものだろう。今のご時世、最も必要とされるのはどんな学力やちょっとしたスキルよりも、周囲の人間やお客様と円滑に仕事ができる“コミュニケーションスキル”だ。どうにも凛音は、それが決定的に欠けていていけない。
 そして、始めたことも長続きしない。昔からそうだ。小学校の時にやっていたサッカーも。中学生の時にやっていた空手も。高校の時にやった剣道も。どれもこれも、中途半端でやめてしまった。運動は好きだしスポーツそのものに罪はないのに、気づけば“やりたいことを好きなだけやる”という当たり前のことができなくなっている。ふと「続けるのが無理だな」と感じる瞬間が訪れてしまうのだ。それも始めて、二年以内に。
 今回の仕事もそうなのかな、と思い始めている。この不況、三十社以上落ちてやっと拾ってもらえた会社であったというのに。先輩に相性の悪い人はいるけれど、同僚にいい人はいるし、隣にはちょっと気になる可愛い後輩もいるというのに。

「加賀美君はいいよなあ。何でも器用にできるし、空気読めるし。昔からクラスの人気者だったんじゃないか?」

 少々飲みすぎたのは事実だ。目の前の群衆がゆらゆらと揺れ動いて見える。すぐ隣にいる瑠衣の声もどこか遠い。リバースしないだけまだマシかもしれないが、経験上二日酔い確定コースなのはわかっていた。瑠衣はちゃんと、飲みすぎですよと三杯前には止めてくれていたというのに。

「私はダメだあ。何をやってもうまくいかん。空気ってなんだよ美味しいの?っていうね。何で正しいと思ったことをやっちゃいけないんだよ、ちっくしょう」
「……先輩達の手前、俺も大きな声では言えないッスけど」

 誰にでも優しく、温和な後輩は。苦笑しながらも、ゆるゆるとしか動かない凛音に歩調を合わせてくれる。

「正直、岸田さんは間違ってなかったと思いますよ。先方のことを考えるなら、まだ予定の段階であっても入荷時期を教えておいてあげた方が絶対親切ですし。……そもそも規則違反したわけでもないのに、暗黙の了解がどうたらって言ってあんな言い方する課長はおかしいと思いますもん」

 俺は岸田さんの味方ッスよ、なんて言ってくれる可愛い後輩。ああ、と萌えが限界突破して崩れ落ちそうになる凛音である。何故にこの年下の後輩が、自分の実の弟や彼氏ではないのか。営業事務をやっている女性陣の間では、影でアイドル扱いされているほどなのだ――今日飲みに付き合わせて、一緒に帰って貰ったのが知られるだけで一体何を言われるやら。
 正直、何かを期待していない、と言ったら嘘になるのである。好意ゼロなら、こんな風に愚痴に付き合わせたりしないのだから。

「ほんと、お前はいい奴だ、うん」

 可愛くてイケメン、気配り上手で優しい。こんな優良物件、きっとすぐどこぞの女にかっさらわれてしまうことだろう。実に口惜しい。残念ながら恋愛経験ゼロ(つまり、未だ年齢=彼氏いない歴という有様)な凛音には、到底アタックする度胸などあるはずもなかったのだが。

「人の気持ちがわかる男って貴重だよ。女の子にさぞモテたんじゃないか?優しくて可愛いって」
「あー……そうでもないッスよ。俺、ものすごく臆病だし」
「臆病?」
「ええ、まあ。……言うべきことがあっても、全然言い返せないし。喧嘩になったり、争ったりするのが凄く苦手で。……営業なんて、ライバルを出し抜かないといけない時もあるのに、弱気じゃダメだってわかってるんッスけどね」
「ええ、そうなの?」
「そうなんですよ」

 雑踏が、遠い。そういえば、今日はやけに道が静かである気がする。車通りの多い道路を避けて、一本裏の道を歩くことに決めたのは凛音だけれど。それにしても、さっきから妙に人が減ったような気がするのは何故なのか。

「人を、傷つけたくないんです……言葉でも、拳でも。思い込んで、ぶつかって……それで酷い失敗をしたのを、思い出しちゃうから」

 あの、と。彼は躊躇いがちに、告げる。予想外の言葉を。



「先輩は。……前世って、信じますか?」



 はい?と思わず固まった。話の流れが全く見えなかったからだ。酷い失敗をした、それで――何故に、前世なんて話が出てくるのか。
 暫くフリーズした後、凛音から出てきた言葉は一つだ。

「えっと……アニメとかで人気の、異世界転生っていうアレ?」

 ちゃちな返ししかできなかったが、他にどう言えばいいだろう。前世、というものを否定しているつもりはない。けれどそんな記憶があるなんて言われたら、そんなものナンセンスだ。勿論目の前の可愛い後輩が本気でそんなものを信じているというのなら、余計なことまで言うつもりはないけれど――。

「あんな、可愛いものじゃないですよ……本当の前世なんて。産まれる前も産まれた後も、望んだ場所に行けるとは限らないんッスから」

 そんな凛音に、彼は一体何を思ったのか。普段の明るくて快活な彼とはうってかわって、まるで死んでしまいそうな目をした青年がそこにいる。

「前世を信じないなら、その方がいいです。一度焼き付いたら、もうそこから離れることなんかできないんだから」
「え、え?」
「人は知ろうと努力することはできるけれど、知ってしまった後で……知らなかった自分に戻ることなんかできやしないんッスから」

 困惑する凛音の耳に――その音は、不意に届いた。まるで風を切るような、何かが飛んでくるような――それ。
 ああ、どうしておかしいと思わなかったのか。いくら一つ裏手の通りだからといっても、まだ町が元気なこの時間の都心で、駅からもさほど遠くないこの道で――人がまるで歩いていない、だなんて。

「!?」

 次の瞬間、凛音達の目の前を何かが通過した。あまりにも速い不意打ち。我に返った瞬間気がつく。――さっきまですぐ隣にいた青年の姿が、なくなっているということに。

「加賀美君!?」

 はっとして周囲を見回す凛音。パニックの一歩手前で聞こえたのは、まだ声変わりも済ませていないような少年の声だった。

「悪いが、貰っていくぞ。これ以上、あいつに『物語』を集めさせるわけにはいかないんでな」

 声がする方、見上げた先。凛音は見た――ビルの上に降り立つ人影を。その“緑”の光を、ファンタジーの妖精のような衣装を纏った少年を。
 その姿は、まるで。

「“桃太郎”は、この“ピーターパン”が預かる。あんたには申し訳ないがな」
「ちょっ」

 彼は腕に、自分より遥かに長身の青年を軽々と抱えている。待って、と叫んだ次の瞬間。ピーターパンを名乗った少年はビルの屋上を蹴り、凄まじいスピードでどこかへと消え去ってしまった。走ったのか、飛んだのか。確かなことは止める暇も助ける暇も、凛音には全く許されていなかったということである。

「待って……待って!加賀美君、加賀美君!!」

 夜の町、呆然として名前を呼ぶ女が一人取り残された。
 まさかこれが、恐るべき運命の始まりなどとは知る由もなく。
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