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<42・愛ある世界の物語>
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「正しい事をしていると、心から思っていたわけじゃないさ。……いや、正しい事だと信じたかったのかもしれんな、俺は」
マジックトラップのせいで傷を負い、動けなくなったところを拘束されて連れて行かれた。誰がどう見ても明確なほどの、己の敗北。そして今、リオウは牢屋に囚われて狭い天井を見上げている。
本当ならば、悔しがるべきなのだろう。あるいは他の勇者達がそうであったと同じように、己は悪くないと自己弁護にでも走るのが妥当なところなのかもしれない。
それなのに何故か、胸の内に広がるのは清々しい気持ちなのだ。これで良かったのかもしれない、とさえ思えるのは――言い訳のしようもないほど、見事に打ち負かされたからなのかもしれない。自分より圧倒的にひ弱で、特別な力など何もないはずの少女に。
否――リオウにはない武器を。信頼と、努力という最強無敵の武器を持ち合わせていた、そんな女の子にだ。
『そうとしか見えないのだとしたら、それは。貴方に“愛”がないからですよ』
『あの人は止めましたよ。僕のことを思って、ちゃんと止めてくれました。そして……一度は止めて、それでもなお僕の覚悟を“信じて”任せてくれたんです。それがどれほど辛い選択だったかわかりますか。自ら立ち向かうより、誰かを信じて待つ方が余程苦しい時もあるんです。それはあの人に、真の意味で勇気があるから。貴方にはない……誰かを心から信頼する勇気が、あの人にはあるからだ!僕は……それを、証明する為に此処にいる!』
あの言葉を聞いて、そして敗北した時。リオウの中で、ずっとわだかまっていたものが解けた気がしたのだ。
おかしなことだ。自分の生き方を否定されたも同然だというのに。あの時確かに自分は彼女に“救われた”と、そう感じたのだから。
「俺の親は、少々ワケありの女でな。正直俺もどういう状況だったのか把握しきれていないんだ。ただ、どうやら親は戸籍がなく、書類上死んでいるはずの親から産まれた俺にもそれらしいものがなかった。現代日本でそんな馬鹿なと言われるかもしれないが、どうにも母はいわゆるヤクザの愛人というやつだったらしくてな」
「ヤクザ……アンダーグラウンドの組織のこと、でしたか。貴方のいた世界での」
「大体それであっている。これは半分以上推測を含んでいるが、どうにも抗争に巻き込まれそうになった女を、どこぞのヤクザの人間が死んだことにして逃がしたというのが実情らしい。戸籍がなく、偽名を使って生きるしかなかった母親はまともな仕事に就けず、相当苦労したみたいでな。……健康保険もままならないから、殆ど病院に行くこともできなかったし、薬も万引きで凌ぐ有様だった。段々母はノイローゼになり俺も……次第に病気になって、殆ど家にこもりきりの状態になってしまった」
体が動かなくなるような病気にかかっていた、のは間違いないだろう。しかし当時まだ小学生相当の年齢でしかなかったリオウには、己がどんな病気であったかなど知るよしもないのである。母が心の病気で、何かに取り憑かれたような状態に頻繁に陥ることも知っていたが、一体どうやってそれに対処すればよかったのか。
狭い部屋の中を、重い体を引きずりながらやっとの思いで歩き回るのが精一杯。青い空も、眩しい日差しも、外で遊ぶ子供達の声も。リオウにとっては、遠い世界の出来事にすぎなかったのである。
そんなリオウの世界に、唯一色をつけてくれたのは。古紙回収のボックスに入れられていて――まだ体が動く頃にこっそりと盗んできた、数冊の文庫本のみ。ライトノベル、と言われる類のその話は。突飛でご都合主義な展開こそ多かれど、ドラゴンや妖精が飛び交い可愛らしい女の子が無性の愛を注いでくれる物語は、地獄の底にいたリオウにとっては憧れの世界に他ならなかったのである。
自分も、いつかあんな場所へ行ってみたい。美しい見目になり、少女達に愛され、自由に世界を駆け回り英雄として持て囃されてみたい。
同時に。それだけの力を得れば、腐った世の中を変えてやることだってきっとできるはずなのにと思っていたのだ。最強無敵。誰にも戦いで負けることのないチート能力。そんなものがあれば、人を不幸にするばかりの闇組織の連中も、母のように自分の弱さを見つめることもできずに我が子を虐め抜く愚か者も。全てこの手で断罪し、まっさらで美しい世界を手にすることもできるのに、と。
「病気で死ぬ直前まで、俺が願っていたのはそんな絵空事ばかりだった。……だからこそ、ラフテルに勇者として呼び出された時は歓喜したものだ。ああ、これで。あの頃見た夢を叶えることができるはずだと。……横暴だったと言うかもしれないが、それでも俺は……俺なりに、勇者としての己の任を全うし、世界を平和にしようとあがいていたんだ。まあ、お前達にとっては言い訳にしか聞こえんかもしれないがな」
幸せな世界を、探していた。全てが自分の言うことを聞く世界になれば、自分が選んだ優しいものだけに溢れた世界になれば。たった一つの力に、全ての意思が従う世界であれば。
もう二度と、怖いものなど見ずに済むと思った。それを人が、独裁と呼ぶのだとしても。
「俺が望んだのも世界征服。アーリアが願ったのもまた同じ。目的は同じだったはずだ。それなのに何故、俺は負けたのか?違ったのは、“手段”だけだったはずだろう?……なあ、クラリスとやら」
牢屋の前。見張り役のつもりか、それとも様子を見に来たのか。屈強で美貌を誇るオーガの女戦士は、やや渋い顔になった。まるで、そんなこともわからないのか、と言わんばかりに。
「当たり前です。あの方なら仰るでしょう……“愛”がなかったから敗北した、それだけのことだと」
「愛、か。そんなものが必要なのか。愛があるから人は惑い、見えなくてもいいものが見えてしまう。それが常だろう?俺の母親がそうやって道を間違えたように」
「確かに、間違えることもあるでしょう。それが人間だからです。でも……愛がなければ、本当の意味の真実なんて見えないものです。愛があるからこそ、人は誰かの弱さを理解しようとする。そして、自分の弱さをも見つめる勇気を持つことができる。……そして、弱さを克服し、あるいは別の武器で補うための努力をすることができるんです。貴方にはその全てが足らなかった。それではアーリア様にも……紫苑にも、勝てるはずなんかないんですよ」
「紫苑、か」
確かに、そうなのかもしれないと思う。己で言うのも情けないことだが、確かに己の前世は不幸で溢れていた。だが、果たして本当に助けを求める手段はなかったのだろうか?あの狭い部屋で諦めて憎しみを溜め込むばかりで、病気に立ち向かうことも現実に抗うこともしなかったのは誰なのかと問われれば――なるほど、言い訳の余地はないのかもしれない。
何より、手に入れた力を何故、暴力だけに向けようとしたのか。力で支配した者達は、みんな大人しく自分に従ったが――従ってくれる、ただそれだけのことだった。結局己も、誰も彼も弱いまま。己のことばかりで懸命になるばかり、本当の意味で誰かを助けようなどという勇気を持てぬまま。
誰ひとり、友となることも叶わぬまま――終わった。今だからこそ思う。果たして自分は、本当にこの世界においても幸せに生きていたのだろうか、と。
『そうしてどうにかして必死でもがいていたら。……一人でも、頑張ろうとしていたら。打算も何もなく、助けてくれる人が現れました。その人は、僕の見えない場所の努力をみんな理解してくれた。成果より、結果より……僕の努力を認めてくれたことが、何より嬉しかった。確かに努力の多くは認められないものです。誰にも認められずに努力を続けるのはあまりにも難しい。それでも……正しいやり方で頑張り続ければ、それを見てくれる人が現れることもあるんです。……望んだ場所に手が届く可能性は、絶対に“ゼロ”にだけはならない』
もし自分にも、正々堂々努力する勇気があったなら。
そして、誰かの為に何かをしようと頑張ることができたなら。
紫苑のように、現れたのだろうか――自分にも、ヒーローと呼べる存在が。
「……あの、女はどうしている?そこそこ傷は負っていたはずだが」
「おかげさまで、暫くはベッドの上でしょうね。命の別状はありませんが、歩くのにも苦労するせいで風呂とトイレが面倒だとボヤいていましたよ」
「ったく、よくもまあ……あの程度の傷が長引くような女が、この俺に単騎で向かって来ようなどと思えたもんだ」
いや、単騎に見えて、そうではなかったと知っている。彼女は一人に見えて、けして独りでは戦っていなかった。マジックトラップや大量の罠を仕掛けるのに尽力してくれた仲間達。リオウの能力が届くかぬ遠方からマジックトラップを起爆し、最後のトドメを刺してくれたアーリア。そんな信じた仲間達と、彼女は最後まで共に戦い抜いたのだ。
だから、自分に勝った。――腕力や魔力、体力はなくても。あの時自分に立ち向かった彼女は、紛れもなく真の“強者”であったのだ。
「いい女だな、あれは。……いつか手に入れたいものだ」
思わずぼやくと、クラリスは露骨に苦い顔をした。そして。
「出来るもんならどうぞ。むしろそうして下さると助かります。アーリア様の隣の席が空くので」
「そうか、奴はアーリアの女か」
「そんな単純な言葉で括れるものでもなさそうですけどね。……何にせよ、貴方への罰は未定ですが。最低でも当面勇者達がやらかした地の復興支援で馬車馬のごとく働かされることは確定していますから。紫苑に接触する隙がどれくらいあるかはわかりませんけども」
「ふん、それくらいの隙は作ってみせるさ。俺は、欲しいと思ったものは全て手に入れる主義だからな」
当面自由らしい自由はないのだろうし、南の地に戻れる時があっても封印の腕輪が外れることはないだろうが。そして、働かされた後で最終的に死罪が言い渡される可能性もまたゼロではないのだろうが。
今、それでも悪くないかと思っている自分がどこかに存在しているのである。――あれだけのものを奪って、八つ当たりのような暴力ばかりを振りかざしてきたのに。それに見合わぬほど大切なものを、確かに彼女から受け取ることができたような気がしているのだから。
***
「ちょっとアーリア!また回線がぶっちぎれてるんですけど!この屋敷、ネット環境不自由すぎやしませんか!!」
勇者討伐の仕事が終わっても、怪我をしたせいで紫苑はまだ元の世界に帰れない状況である。療養のために用意された一室でぎゃいぎゃい喚く彼女は存外元気そうだ。――血だらけで運び込まれて来たときは心臓が止まるかと思ったのに、なんてはた迷惑な女であることか、とアーリアは思う。
「送信したデータが全部消えてたら泣くんですけど!いい加減工事して直して貰ってくださいよ!!」
「仕方ないじゃないか、この屋敷って築ウン十年のボロなんだからさあ。……あ、あと悪いんだけどこれのファイルもまとめておいてくれない?南の地の被害状況のまとめなんだけど、まだ記録の整頓ができてないからさ、ファイリングから始めるしかないんだよねえ」
「鬼!人が動けないことをいいことにー!」
なんだかんだで、ベッドの上の彼女に復興支援関連の事務仕事を投げてしまっているが。喚きながらも、どこか彼女が楽しそうに見えるのは気のせいではないだろう。彼女は己の能力が生かせる、そして誰かの役に立てる仕事に生きがいを感じているようだ。多分、自分の下での事務仕事は天職に近いものだと思われる。それこそ、同じ世界の出身者であったなら迷うことなく正規雇用したところであるというのに。
――勇者は三人とも倒したし、アヤナとマサユキに関しては懲罰期間も終わって元の世界に転生し直して貰ったけど。まだリオウの対処が完全に決まってないしなあ。人手足らないし、暫くは大人しく奴隷やっててもらうしかなさそうだけどさ。一応は本人、あとの二人と違って反省してるみたいだし。
仕事は山積みだ。クラリスやエリーゼ達、オークの集落の方の復興も進めなければいけないし、アヤナに攫われた男達のPTSDへの治療も本格的に始めなければいけない。カウンセリングと言えば、ユージーンとマルレーネもそう。あとは、マサユキが滅茶苦茶にしてくれた農地と、それによって滞っていた物流の整理と支援。南の地も、リオウが自分の生活のために強引に一部土地を買い上げ、地主となって人々にかなりの重税を課して苦しめていたことがわかっている。これは本人に責任を持って働いて、取り立てたお金を返させていくしかないが――それでも困窮してしまった人々には早急な金銭的・物資的な支援が必要だ。
専用の部署を立てつつ、北の地を中心に支援事業に携わってくれる人材の募集を始めなければ。ポスター作って、ネットでも求人出して――と、こう考えるとやらなければならないことはあまりにも多い。むしろ、ここからが本当の戦いと言っても過言ではないだろう。
紫苑には申し訳ないが。まだしばらくは、リア・ユートピアに来て助けて貰う必要がありそうだ。
――……返事は結局、先送りにしちゃってるけどさ。
データが、データが!と叫んでいる彼女を見ながら。アーリアは小さく笑みを浮かべる。
自分はまだ、彼女のことをどう思っているのかがよくわかっていない。好きだとは思うけれど、恋を知らない自分にはそれがそこに当てはまる感情なのかはわからないのだ。
それは、向こうも同じだろう。自分に対して本当に恋愛感情を抱いているのか、かつて憧れた人への感情とごっちゃになっているのか。幸いというべきか、答えを出すための時間はもう少しは用意されているらしい。
なら、その時間いっぱい、考えさせて欲しいと思うのだ。共に生きるとしても、別れるとしても。互いに少しでも納得がいく選択肢を選べるまで。少しでもハッピーエンドに近い結末を歩いていけるようになるまで。
「ちょっとアーリア!こっちの事業報告書どうなってるんですか!?とんでもない予算があらぬ方向に使われちゃってるんですけど!!」
「え、嘘嘘嘘!?そんなヤバイの混じってた?どれ!?」
「これですよ、これ、これー!!」
悲鳴にも近い絶叫が、二重奏で響き渡る。
自分達の騒がしい日々は、まだ当面続くことになりそうだ。
マジックトラップのせいで傷を負い、動けなくなったところを拘束されて連れて行かれた。誰がどう見ても明確なほどの、己の敗北。そして今、リオウは牢屋に囚われて狭い天井を見上げている。
本当ならば、悔しがるべきなのだろう。あるいは他の勇者達がそうであったと同じように、己は悪くないと自己弁護にでも走るのが妥当なところなのかもしれない。
それなのに何故か、胸の内に広がるのは清々しい気持ちなのだ。これで良かったのかもしれない、とさえ思えるのは――言い訳のしようもないほど、見事に打ち負かされたからなのかもしれない。自分より圧倒的にひ弱で、特別な力など何もないはずの少女に。
否――リオウにはない武器を。信頼と、努力という最強無敵の武器を持ち合わせていた、そんな女の子にだ。
『そうとしか見えないのだとしたら、それは。貴方に“愛”がないからですよ』
『あの人は止めましたよ。僕のことを思って、ちゃんと止めてくれました。そして……一度は止めて、それでもなお僕の覚悟を“信じて”任せてくれたんです。それがどれほど辛い選択だったかわかりますか。自ら立ち向かうより、誰かを信じて待つ方が余程苦しい時もあるんです。それはあの人に、真の意味で勇気があるから。貴方にはない……誰かを心から信頼する勇気が、あの人にはあるからだ!僕は……それを、証明する為に此処にいる!』
あの言葉を聞いて、そして敗北した時。リオウの中で、ずっとわだかまっていたものが解けた気がしたのだ。
おかしなことだ。自分の生き方を否定されたも同然だというのに。あの時確かに自分は彼女に“救われた”と、そう感じたのだから。
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「ヤクザ……アンダーグラウンドの組織のこと、でしたか。貴方のいた世界での」
「大体それであっている。これは半分以上推測を含んでいるが、どうにも抗争に巻き込まれそうになった女を、どこぞのヤクザの人間が死んだことにして逃がしたというのが実情らしい。戸籍がなく、偽名を使って生きるしかなかった母親はまともな仕事に就けず、相当苦労したみたいでな。……健康保険もままならないから、殆ど病院に行くこともできなかったし、薬も万引きで凌ぐ有様だった。段々母はノイローゼになり俺も……次第に病気になって、殆ど家にこもりきりの状態になってしまった」
体が動かなくなるような病気にかかっていた、のは間違いないだろう。しかし当時まだ小学生相当の年齢でしかなかったリオウには、己がどんな病気であったかなど知るよしもないのである。母が心の病気で、何かに取り憑かれたような状態に頻繁に陥ることも知っていたが、一体どうやってそれに対処すればよかったのか。
狭い部屋の中を、重い体を引きずりながらやっとの思いで歩き回るのが精一杯。青い空も、眩しい日差しも、外で遊ぶ子供達の声も。リオウにとっては、遠い世界の出来事にすぎなかったのである。
そんなリオウの世界に、唯一色をつけてくれたのは。古紙回収のボックスに入れられていて――まだ体が動く頃にこっそりと盗んできた、数冊の文庫本のみ。ライトノベル、と言われる類のその話は。突飛でご都合主義な展開こそ多かれど、ドラゴンや妖精が飛び交い可愛らしい女の子が無性の愛を注いでくれる物語は、地獄の底にいたリオウにとっては憧れの世界に他ならなかったのである。
自分も、いつかあんな場所へ行ってみたい。美しい見目になり、少女達に愛され、自由に世界を駆け回り英雄として持て囃されてみたい。
同時に。それだけの力を得れば、腐った世の中を変えてやることだってきっとできるはずなのにと思っていたのだ。最強無敵。誰にも戦いで負けることのないチート能力。そんなものがあれば、人を不幸にするばかりの闇組織の連中も、母のように自分の弱さを見つめることもできずに我が子を虐め抜く愚か者も。全てこの手で断罪し、まっさらで美しい世界を手にすることもできるのに、と。
「病気で死ぬ直前まで、俺が願っていたのはそんな絵空事ばかりだった。……だからこそ、ラフテルに勇者として呼び出された時は歓喜したものだ。ああ、これで。あの頃見た夢を叶えることができるはずだと。……横暴だったと言うかもしれないが、それでも俺は……俺なりに、勇者としての己の任を全うし、世界を平和にしようとあがいていたんだ。まあ、お前達にとっては言い訳にしか聞こえんかもしれないがな」
幸せな世界を、探していた。全てが自分の言うことを聞く世界になれば、自分が選んだ優しいものだけに溢れた世界になれば。たった一つの力に、全ての意思が従う世界であれば。
もう二度と、怖いものなど見ずに済むと思った。それを人が、独裁と呼ぶのだとしても。
「俺が望んだのも世界征服。アーリアが願ったのもまた同じ。目的は同じだったはずだ。それなのに何故、俺は負けたのか?違ったのは、“手段”だけだったはずだろう?……なあ、クラリスとやら」
牢屋の前。見張り役のつもりか、それとも様子を見に来たのか。屈強で美貌を誇るオーガの女戦士は、やや渋い顔になった。まるで、そんなこともわからないのか、と言わんばかりに。
「当たり前です。あの方なら仰るでしょう……“愛”がなかったから敗北した、それだけのことだと」
「愛、か。そんなものが必要なのか。愛があるから人は惑い、見えなくてもいいものが見えてしまう。それが常だろう?俺の母親がそうやって道を間違えたように」
「確かに、間違えることもあるでしょう。それが人間だからです。でも……愛がなければ、本当の意味の真実なんて見えないものです。愛があるからこそ、人は誰かの弱さを理解しようとする。そして、自分の弱さをも見つめる勇気を持つことができる。……そして、弱さを克服し、あるいは別の武器で補うための努力をすることができるんです。貴方にはその全てが足らなかった。それではアーリア様にも……紫苑にも、勝てるはずなんかないんですよ」
「紫苑、か」
確かに、そうなのかもしれないと思う。己で言うのも情けないことだが、確かに己の前世は不幸で溢れていた。だが、果たして本当に助けを求める手段はなかったのだろうか?あの狭い部屋で諦めて憎しみを溜め込むばかりで、病気に立ち向かうことも現実に抗うこともしなかったのは誰なのかと問われれば――なるほど、言い訳の余地はないのかもしれない。
何より、手に入れた力を何故、暴力だけに向けようとしたのか。力で支配した者達は、みんな大人しく自分に従ったが――従ってくれる、ただそれだけのことだった。結局己も、誰も彼も弱いまま。己のことばかりで懸命になるばかり、本当の意味で誰かを助けようなどという勇気を持てぬまま。
誰ひとり、友となることも叶わぬまま――終わった。今だからこそ思う。果たして自分は、本当にこの世界においても幸せに生きていたのだろうか、と。
『そうしてどうにかして必死でもがいていたら。……一人でも、頑張ろうとしていたら。打算も何もなく、助けてくれる人が現れました。その人は、僕の見えない場所の努力をみんな理解してくれた。成果より、結果より……僕の努力を認めてくれたことが、何より嬉しかった。確かに努力の多くは認められないものです。誰にも認められずに努力を続けるのはあまりにも難しい。それでも……正しいやり方で頑張り続ければ、それを見てくれる人が現れることもあるんです。……望んだ場所に手が届く可能性は、絶対に“ゼロ”にだけはならない』
もし自分にも、正々堂々努力する勇気があったなら。
そして、誰かの為に何かをしようと頑張ることができたなら。
紫苑のように、現れたのだろうか――自分にも、ヒーローと呼べる存在が。
「……あの、女はどうしている?そこそこ傷は負っていたはずだが」
「おかげさまで、暫くはベッドの上でしょうね。命の別状はありませんが、歩くのにも苦労するせいで風呂とトイレが面倒だとボヤいていましたよ」
「ったく、よくもまあ……あの程度の傷が長引くような女が、この俺に単騎で向かって来ようなどと思えたもんだ」
いや、単騎に見えて、そうではなかったと知っている。彼女は一人に見えて、けして独りでは戦っていなかった。マジックトラップや大量の罠を仕掛けるのに尽力してくれた仲間達。リオウの能力が届くかぬ遠方からマジックトラップを起爆し、最後のトドメを刺してくれたアーリア。そんな信じた仲間達と、彼女は最後まで共に戦い抜いたのだ。
だから、自分に勝った。――腕力や魔力、体力はなくても。あの時自分に立ち向かった彼女は、紛れもなく真の“強者”であったのだ。
「いい女だな、あれは。……いつか手に入れたいものだ」
思わずぼやくと、クラリスは露骨に苦い顔をした。そして。
「出来るもんならどうぞ。むしろそうして下さると助かります。アーリア様の隣の席が空くので」
「そうか、奴はアーリアの女か」
「そんな単純な言葉で括れるものでもなさそうですけどね。……何にせよ、貴方への罰は未定ですが。最低でも当面勇者達がやらかした地の復興支援で馬車馬のごとく働かされることは確定していますから。紫苑に接触する隙がどれくらいあるかはわかりませんけども」
「ふん、それくらいの隙は作ってみせるさ。俺は、欲しいと思ったものは全て手に入れる主義だからな」
当面自由らしい自由はないのだろうし、南の地に戻れる時があっても封印の腕輪が外れることはないだろうが。そして、働かされた後で最終的に死罪が言い渡される可能性もまたゼロではないのだろうが。
今、それでも悪くないかと思っている自分がどこかに存在しているのである。――あれだけのものを奪って、八つ当たりのような暴力ばかりを振りかざしてきたのに。それに見合わぬほど大切なものを、確かに彼女から受け取ることができたような気がしているのだから。
***
「ちょっとアーリア!また回線がぶっちぎれてるんですけど!この屋敷、ネット環境不自由すぎやしませんか!!」
勇者討伐の仕事が終わっても、怪我をしたせいで紫苑はまだ元の世界に帰れない状況である。療養のために用意された一室でぎゃいぎゃい喚く彼女は存外元気そうだ。――血だらけで運び込まれて来たときは心臓が止まるかと思ったのに、なんてはた迷惑な女であることか、とアーリアは思う。
「送信したデータが全部消えてたら泣くんですけど!いい加減工事して直して貰ってくださいよ!!」
「仕方ないじゃないか、この屋敷って築ウン十年のボロなんだからさあ。……あ、あと悪いんだけどこれのファイルもまとめておいてくれない?南の地の被害状況のまとめなんだけど、まだ記録の整頓ができてないからさ、ファイリングから始めるしかないんだよねえ」
「鬼!人が動けないことをいいことにー!」
なんだかんだで、ベッドの上の彼女に復興支援関連の事務仕事を投げてしまっているが。喚きながらも、どこか彼女が楽しそうに見えるのは気のせいではないだろう。彼女は己の能力が生かせる、そして誰かの役に立てる仕事に生きがいを感じているようだ。多分、自分の下での事務仕事は天職に近いものだと思われる。それこそ、同じ世界の出身者であったなら迷うことなく正規雇用したところであるというのに。
――勇者は三人とも倒したし、アヤナとマサユキに関しては懲罰期間も終わって元の世界に転生し直して貰ったけど。まだリオウの対処が完全に決まってないしなあ。人手足らないし、暫くは大人しく奴隷やっててもらうしかなさそうだけどさ。一応は本人、あとの二人と違って反省してるみたいだし。
仕事は山積みだ。クラリスやエリーゼ達、オークの集落の方の復興も進めなければいけないし、アヤナに攫われた男達のPTSDへの治療も本格的に始めなければいけない。カウンセリングと言えば、ユージーンとマルレーネもそう。あとは、マサユキが滅茶苦茶にしてくれた農地と、それによって滞っていた物流の整理と支援。南の地も、リオウが自分の生活のために強引に一部土地を買い上げ、地主となって人々にかなりの重税を課して苦しめていたことがわかっている。これは本人に責任を持って働いて、取り立てたお金を返させていくしかないが――それでも困窮してしまった人々には早急な金銭的・物資的な支援が必要だ。
専用の部署を立てつつ、北の地を中心に支援事業に携わってくれる人材の募集を始めなければ。ポスター作って、ネットでも求人出して――と、こう考えるとやらなければならないことはあまりにも多い。むしろ、ここからが本当の戦いと言っても過言ではないだろう。
紫苑には申し訳ないが。まだしばらくは、リア・ユートピアに来て助けて貰う必要がありそうだ。
――……返事は結局、先送りにしちゃってるけどさ。
データが、データが!と叫んでいる彼女を見ながら。アーリアは小さく笑みを浮かべる。
自分はまだ、彼女のことをどう思っているのかがよくわかっていない。好きだとは思うけれど、恋を知らない自分にはそれがそこに当てはまる感情なのかはわからないのだ。
それは、向こうも同じだろう。自分に対して本当に恋愛感情を抱いているのか、かつて憧れた人への感情とごっちゃになっているのか。幸いというべきか、答えを出すための時間はもう少しは用意されているらしい。
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「え、嘘嘘嘘!?そんなヤバイの混じってた?どれ!?」
「これですよ、これ、これー!!」
悲鳴にも近い絶叫が、二重奏で響き渡る。
自分達の騒がしい日々は、まだ当面続くことになりそうだ。
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作者は初投稿で理系人間ですので誤字脱字には寛容頂きたいとお願いします。
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異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。
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ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。
目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。
「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」
これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。
なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。
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女神さん可愛いですねっ!(^^)!