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<36・クラリスと恋心>
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オーガの種族は、その大柄で強面の見た目から過去多くの迫害を受けてきたという経緯がある。
確かに力は強いし、高い戦闘能力を持つのは事実だが。性格としては相当温厚な部類で、大きな体体力は実のところ戦闘の為というより故郷を守るため、そして激しい動きを要求される伝統的な祝祭の踊りを踊り切るために磨かれたものと言っても過言ではないのだ。
それは、クラリスにとっても同じ。
他の仲間達よりも大きな体、強い力を持っていたので村の防衛隊長こそ努めてはいたが。だからといって、かつてのクラリスは実際に戦ったことなどは殆どなかったのである。もともとのクラリスの故郷は、東の地――北との国境近くにあった。北の地に逃げてくることになったのは、東の貴族達が大々的に“オーガ狩り”を実施し、自らの私兵を送り込んできたからというのが大きいのである。
オーガは野蛮。オーガは危険。気に入った女子供を連れ去って食べてしまったり、あるいは強引に嫁にしてしまうこともある――残念ながらここまで科学が発展した現代においても、そのような風評被害は少なくないのである。貴族達の中でも、古くからの風習や伝統をやや斜め上に重んじる者達(特に、東の地には多かったのだ)には、今だそれを本気で信じる者は非常に多い。
オーガが住む村の住人が町に買い物に来て、そこで黒い噂を信じる者達と小競り合いになった――きっかけは、ただそれだけのことだった。それだけのことなのに、あわやオーガと人間達の間で紛争が発生する直前にまで行ったのである。
思い込み、意地を張ることに躍起になった人間ほど恐ろしいものはない。
彼らは“やられる前にやれ”の精神で村に攻め込むと、クラリス達の集落を略奪し、科学兵器をも用いて攻撃してきたのである。そうなればクラリス達も応戦せざるをえない。戦いは泥沼化しながら、最終的には数で圧倒的に劣るクラリス達が村を捨てて撤退するハメになり――やがて、北の地までの逃亡を余儀なくされたのである。
――体が大きく、恐ろしい見た目の私達は。北の地であっても、そうそう歓迎されるものではなかった。北の地にも別のオーガの集落はあったが、基本殆どのオーガ達は人間達との関わりを最低限にして山奥に隠れ住んでいるものだからな。
多数で、それも争いのせいで血だらけになって街へと逃げ込んだクラリス達は。東の地と違って石を投げられたり罵倒されることはなかったものの、だからといって歓迎される雰囲気ではなかったのである。厄介事の匂いを漂わせた恐ろしい見目の者達を相手に、そう簡単に手を差し伸べられる勇気を持つ者はそう多くはない。
そう――彼を、除いては。
『大丈夫かい、君!?しっかりして!!』
深手を負い、しかし治療を受け付けてくれる病院もなく、道端で倒れる寸前であったクラリスに声をかけてくれたのが――その時別の事業で町を訪れた、アーリアだったのである。
彼はあまり治癒魔法が得意ではなかった。それでも不慣れながら全員に治癒と、それから応急手当を施して回りながら。見て見ぬふりをしていた人々を一喝し、病院を手配してくれたのである。
何より心強かったのは、彼が三桁にも及ぶオーガの仲間達の名前と顔を一発で覚えてくれたこと。そして、全員の入院が病院に運び込まれるまでにトリアージをしつつ(幸い、黒タグがつく者は一人もいなかった)、優しく声をかけ続けてくれたのである。
『ジョディ、仰向けになってお腹に手を当ててみて。それで多少楽になるはずだから』
『ほら、向こうで弟君も頑張ってるよ!ローダ君も負けてられない、そうだろう?』
『ちょっと待ってね、包帯今替えるからね。コースケ、来月結婚するんだって?結婚式には絶対呼んでくれよ、とびっきりのイベント企画するからさ!』
『リナ、泣きたかったら泣いていいんだからね。お姉さんだからって、痛いことを痛いと言っちゃいけないなんてことはないんだよ』
みんなの血で血だらけになり、大柄なオーガ達を運び続けて疲労しながらも。彼は最後まで、笑顔を絶やさなかった。まるで太陽のように。
もし、あの時彼があそこまで献身的に支え、人々に呼びかけてくれなかったら。クラリスも仲間達も、きっとあそこで命を落としていたことだろう。
『クラリス、君は凄い。……敵の追撃を防ぐために、ずっとしんがりと守っていたと聞いたよ。みんなが君感謝してるってさ。……この村に、君は必要なんだ。こんなところで死んでる場合じゃないよね?』
ああ、あんなに強く、優しく、美しい人がが他にいるだろうか。
多分あの時にはもう、恋に落ちていた。同時にはっきりと確信したのだ。自分の今日までの人生はきっと、この人に出会うために――この人に報恩するために存在したのだと。
例え、最終的に結ばれるのが己でなかったとしても。最後までこの人に忠臣として仕え、願わくばこの人を守って戦場で命を散らせること。それこそがオーガの女として、武人として、彼の部下としての最上級の幸せに違いない――と。
そうだ。本当は最初から、この恋が叶うことは最優先事項などではなかったはずである。自分が一番に望むべきはこの人の幸せであって、この人と夫婦になることではない。この人が他の誰かを選んで、それで幸せになれるというのなら。それを全力で応援するのが自分の務めであるはずなのだ。わかっていた。わかりきっていた。そう努めてきた――それなのに。
「アーリア様」
紫苑を出立させ、部下達を南の地に送り出してから。笑顔が消えて沈みこむことが多くなった、その人。執務室にクラリスが入ってきても、顔を上げることもしない――できなくなっている。普段なら、絶対に人を無視するようなことなどしないというのに。
原因はわかっている。紫苑の作戦が採用されたから。そしてその内容が、一歩間違えば彼女の命を奪いかねないものであったから。
「……わかってるんだよ」
彼は、優しい。仲間が死ぬくらいなら、自分が死ぬ方が遥かにマシ。元々そういう人だ。
「紫苑が言っている作戦が、“全員で”生き残るための最善だ。それに反対したいなら、私はリーダーとして同等の代案を出さなければいけない。反対意見を叫ぶだけならば野次馬にだって出来ることだからね。それが出せなかった時点で……私に、彼女を止める資格はないんだ」
だけどさ、と。彼は額の前で祈るように拳を握って――告げる。
「だけどさ、割り切れるかって、それは全く別問題だと思わない?……万が一を起こさないために私達がいるし、彼女の言葉を信じてはいるけど。それでも危ないことには変わりなくて……もし万が一が起きたらって思うとさ……」
「アーリア様」
こんな質問をするのは、意地悪だ。それでも、どうしても尋ねずにはいられなかった。
彼は優しい。仲間であったら誰であっても心配するし、仲間でなくても誰かを傷つけるのは抵抗がある。だからこそ、紫苑も彼自身にマサハルやアヤナの懲罰を決めさせたり任せるということをしなかった――それが偽善と分かっていても。
それでも、だ。
「貴方がそこまでお心を傾けるのは……彼女だから、ですか?」
この人と紫苑の距離は、独特だ。元々短期間だけ、力を貸して貰うだけの関係であったはずである。それを、半ば紫苑が強引に、最終的には実力をもってしまって傍に仕えることを許された形だった。最初彼女が作戦を立てると聞いた時は耳を疑ったものだが、実際にマサハルもアヤナも倒すことができた今となっては今や非難を口にする者も殆どいないことだろう。
多分、最初から何かを思っていたわけではあるまい。役に立つならそれでよし、立たないならそれはそれで、その程度であったはずだ。事故とはいえ無理やり転移させてしまった申し訳無さがあったのも否定はできまい。
だけど、今は。多分今は、そうではなくて。
「……わからないんだ、正直」
アーリアは緩慢に顔を上げる。
「だって私、恋とかしたことないしさ。……友達だとは思ってるよ。でも、彼女がそれ以上なのかなんてわかんないよ。知らないんだから、そういうキモチってやつ」
だってさ、と彼は続ける。
「みんなには言ってないけど。私って、実は滅茶苦茶自分勝手だし、自分のことしか考えてない人間なんだよ?」
「そうなんですか」
「そうだよ。とんだ偽善者だ。困っている人を助けたいのは嘘じゃないけど……本当は、誰かを助けることで自分は救われたいだけなんだから。自分が異世界から来たかもしれないってことは薄々物心つく頃には気づいてたし。だから、記憶を取り戻す時があっても、元の世界に戻ることは二度とできないんだろうなってことも思っててさ。自分の足元が覚束無いのが怖くて、自分の正体がわからないのが不安なのにそれを知ってしまうのも恐ろしくて。……誰かの役に立つことをしてるって、そう思える瞬間だけはそういう不安を忘れられるんだ。だから必死になってきた。いつも、本当はただ、それだけなんだよ……」
それは、クラリスが今まで見たこともないような。
それこそ迷子になった子供のような顔、だった。
「誰かに必要とされる自分、であることができれば。私は、そこに存在することを許される。誰かに許された自分なら、自分は自分を認められる。……私は私を、好きになれる。全部自分のためだ、自分のエゴだ。私は酷いんだよ。みんなのことは好きだけど、それでも結局一番愛してるのは自分だけだったんだからさ……だから」
泣きそうな顔で、笑うアーリア。彼にこんな一面があったことを、クラリスは初めて知った。
ああ、そういうことだったのか――とストンと胸に落ちるものを感じながら。
「だから。紫苑のためじゃなくて、自分のために怒ってた。紫苑に死んでほしくない自分のことしか考えてなかった。それがどういう理由だとか、それがリーダー失格だとか、そういうの全部ほっぽってさ。最低だろ。最低じゃないか。……自己嫌悪してるのに、わかってるのに、まだ私はどこかで紫苑を許してないんだよ……」
「それは……それは、誰だって同じです。同じようなことをみんな考えて生きているものですよ。人は神じゃない。聖人君主にはなれないんですから」
「そうかな」
「そうですよ、だから、その……」
ほんの少し。彼にこんな顔をさせる紫苑のことを、クラリスは恨んだ。
同時に。――弱っている彼にそれとなくつけ込もうとしている自分を、卑怯だと思った。
「だからその。……どうか、ご自分を責めないでください。きっと、紫苑もわかってますから。……私達も」
彼の手を、包み込むように握った。人間としては青年であるはずのアーリアなのに、大柄なクラリスと比べればその手はあまりにも小さく華奢だ。握りつぶしてしまいそうなほどに。
「……ありがとね、クラリス。君には、ほんと何でも喋っちゃうなあ」
困ったように笑うアーリアを見て、クラリスは思うのだ。
ああ、やっぱり――私はこの人が好きだ、と。
確かに力は強いし、高い戦闘能力を持つのは事実だが。性格としては相当温厚な部類で、大きな体体力は実のところ戦闘の為というより故郷を守るため、そして激しい動きを要求される伝統的な祝祭の踊りを踊り切るために磨かれたものと言っても過言ではないのだ。
それは、クラリスにとっても同じ。
他の仲間達よりも大きな体、強い力を持っていたので村の防衛隊長こそ努めてはいたが。だからといって、かつてのクラリスは実際に戦ったことなどは殆どなかったのである。もともとのクラリスの故郷は、東の地――北との国境近くにあった。北の地に逃げてくることになったのは、東の貴族達が大々的に“オーガ狩り”を実施し、自らの私兵を送り込んできたからというのが大きいのである。
オーガは野蛮。オーガは危険。気に入った女子供を連れ去って食べてしまったり、あるいは強引に嫁にしてしまうこともある――残念ながらここまで科学が発展した現代においても、そのような風評被害は少なくないのである。貴族達の中でも、古くからの風習や伝統をやや斜め上に重んじる者達(特に、東の地には多かったのだ)には、今だそれを本気で信じる者は非常に多い。
オーガが住む村の住人が町に買い物に来て、そこで黒い噂を信じる者達と小競り合いになった――きっかけは、ただそれだけのことだった。それだけのことなのに、あわやオーガと人間達の間で紛争が発生する直前にまで行ったのである。
思い込み、意地を張ることに躍起になった人間ほど恐ろしいものはない。
彼らは“やられる前にやれ”の精神で村に攻め込むと、クラリス達の集落を略奪し、科学兵器をも用いて攻撃してきたのである。そうなればクラリス達も応戦せざるをえない。戦いは泥沼化しながら、最終的には数で圧倒的に劣るクラリス達が村を捨てて撤退するハメになり――やがて、北の地までの逃亡を余儀なくされたのである。
――体が大きく、恐ろしい見た目の私達は。北の地であっても、そうそう歓迎されるものではなかった。北の地にも別のオーガの集落はあったが、基本殆どのオーガ達は人間達との関わりを最低限にして山奥に隠れ住んでいるものだからな。
多数で、それも争いのせいで血だらけになって街へと逃げ込んだクラリス達は。東の地と違って石を投げられたり罵倒されることはなかったものの、だからといって歓迎される雰囲気ではなかったのである。厄介事の匂いを漂わせた恐ろしい見目の者達を相手に、そう簡単に手を差し伸べられる勇気を持つ者はそう多くはない。
そう――彼を、除いては。
『大丈夫かい、君!?しっかりして!!』
深手を負い、しかし治療を受け付けてくれる病院もなく、道端で倒れる寸前であったクラリスに声をかけてくれたのが――その時別の事業で町を訪れた、アーリアだったのである。
彼はあまり治癒魔法が得意ではなかった。それでも不慣れながら全員に治癒と、それから応急手当を施して回りながら。見て見ぬふりをしていた人々を一喝し、病院を手配してくれたのである。
何より心強かったのは、彼が三桁にも及ぶオーガの仲間達の名前と顔を一発で覚えてくれたこと。そして、全員の入院が病院に運び込まれるまでにトリアージをしつつ(幸い、黒タグがつく者は一人もいなかった)、優しく声をかけ続けてくれたのである。
『ジョディ、仰向けになってお腹に手を当ててみて。それで多少楽になるはずだから』
『ほら、向こうで弟君も頑張ってるよ!ローダ君も負けてられない、そうだろう?』
『ちょっと待ってね、包帯今替えるからね。コースケ、来月結婚するんだって?結婚式には絶対呼んでくれよ、とびっきりのイベント企画するからさ!』
『リナ、泣きたかったら泣いていいんだからね。お姉さんだからって、痛いことを痛いと言っちゃいけないなんてことはないんだよ』
みんなの血で血だらけになり、大柄なオーガ達を運び続けて疲労しながらも。彼は最後まで、笑顔を絶やさなかった。まるで太陽のように。
もし、あの時彼があそこまで献身的に支え、人々に呼びかけてくれなかったら。クラリスも仲間達も、きっとあそこで命を落としていたことだろう。
『クラリス、君は凄い。……敵の追撃を防ぐために、ずっとしんがりと守っていたと聞いたよ。みんなが君感謝してるってさ。……この村に、君は必要なんだ。こんなところで死んでる場合じゃないよね?』
ああ、あんなに強く、優しく、美しい人がが他にいるだろうか。
多分あの時にはもう、恋に落ちていた。同時にはっきりと確信したのだ。自分の今日までの人生はきっと、この人に出会うために――この人に報恩するために存在したのだと。
例え、最終的に結ばれるのが己でなかったとしても。最後までこの人に忠臣として仕え、願わくばこの人を守って戦場で命を散らせること。それこそがオーガの女として、武人として、彼の部下としての最上級の幸せに違いない――と。
そうだ。本当は最初から、この恋が叶うことは最優先事項などではなかったはずである。自分が一番に望むべきはこの人の幸せであって、この人と夫婦になることではない。この人が他の誰かを選んで、それで幸せになれるというのなら。それを全力で応援するのが自分の務めであるはずなのだ。わかっていた。わかりきっていた。そう努めてきた――それなのに。
「アーリア様」
紫苑を出立させ、部下達を南の地に送り出してから。笑顔が消えて沈みこむことが多くなった、その人。執務室にクラリスが入ってきても、顔を上げることもしない――できなくなっている。普段なら、絶対に人を無視するようなことなどしないというのに。
原因はわかっている。紫苑の作戦が採用されたから。そしてその内容が、一歩間違えば彼女の命を奪いかねないものであったから。
「……わかってるんだよ」
彼は、優しい。仲間が死ぬくらいなら、自分が死ぬ方が遥かにマシ。元々そういう人だ。
「紫苑が言っている作戦が、“全員で”生き残るための最善だ。それに反対したいなら、私はリーダーとして同等の代案を出さなければいけない。反対意見を叫ぶだけならば野次馬にだって出来ることだからね。それが出せなかった時点で……私に、彼女を止める資格はないんだ」
だけどさ、と。彼は額の前で祈るように拳を握って――告げる。
「だけどさ、割り切れるかって、それは全く別問題だと思わない?……万が一を起こさないために私達がいるし、彼女の言葉を信じてはいるけど。それでも危ないことには変わりなくて……もし万が一が起きたらって思うとさ……」
「アーリア様」
こんな質問をするのは、意地悪だ。それでも、どうしても尋ねずにはいられなかった。
彼は優しい。仲間であったら誰であっても心配するし、仲間でなくても誰かを傷つけるのは抵抗がある。だからこそ、紫苑も彼自身にマサハルやアヤナの懲罰を決めさせたり任せるということをしなかった――それが偽善と分かっていても。
それでも、だ。
「貴方がそこまでお心を傾けるのは……彼女だから、ですか?」
この人と紫苑の距離は、独特だ。元々短期間だけ、力を貸して貰うだけの関係であったはずである。それを、半ば紫苑が強引に、最終的には実力をもってしまって傍に仕えることを許された形だった。最初彼女が作戦を立てると聞いた時は耳を疑ったものだが、実際にマサハルもアヤナも倒すことができた今となっては今や非難を口にする者も殆どいないことだろう。
多分、最初から何かを思っていたわけではあるまい。役に立つならそれでよし、立たないならそれはそれで、その程度であったはずだ。事故とはいえ無理やり転移させてしまった申し訳無さがあったのも否定はできまい。
だけど、今は。多分今は、そうではなくて。
「……わからないんだ、正直」
アーリアは緩慢に顔を上げる。
「だって私、恋とかしたことないしさ。……友達だとは思ってるよ。でも、彼女がそれ以上なのかなんてわかんないよ。知らないんだから、そういうキモチってやつ」
だってさ、と彼は続ける。
「みんなには言ってないけど。私って、実は滅茶苦茶自分勝手だし、自分のことしか考えてない人間なんだよ?」
「そうなんですか」
「そうだよ。とんだ偽善者だ。困っている人を助けたいのは嘘じゃないけど……本当は、誰かを助けることで自分は救われたいだけなんだから。自分が異世界から来たかもしれないってことは薄々物心つく頃には気づいてたし。だから、記憶を取り戻す時があっても、元の世界に戻ることは二度とできないんだろうなってことも思っててさ。自分の足元が覚束無いのが怖くて、自分の正体がわからないのが不安なのにそれを知ってしまうのも恐ろしくて。……誰かの役に立つことをしてるって、そう思える瞬間だけはそういう不安を忘れられるんだ。だから必死になってきた。いつも、本当はただ、それだけなんだよ……」
それは、クラリスが今まで見たこともないような。
それこそ迷子になった子供のような顔、だった。
「誰かに必要とされる自分、であることができれば。私は、そこに存在することを許される。誰かに許された自分なら、自分は自分を認められる。……私は私を、好きになれる。全部自分のためだ、自分のエゴだ。私は酷いんだよ。みんなのことは好きだけど、それでも結局一番愛してるのは自分だけだったんだからさ……だから」
泣きそうな顔で、笑うアーリア。彼にこんな一面があったことを、クラリスは初めて知った。
ああ、そういうことだったのか――とストンと胸に落ちるものを感じながら。
「だから。紫苑のためじゃなくて、自分のために怒ってた。紫苑に死んでほしくない自分のことしか考えてなかった。それがどういう理由だとか、それがリーダー失格だとか、そういうの全部ほっぽってさ。最低だろ。最低じゃないか。……自己嫌悪してるのに、わかってるのに、まだ私はどこかで紫苑を許してないんだよ……」
「それは……それは、誰だって同じです。同じようなことをみんな考えて生きているものですよ。人は神じゃない。聖人君主にはなれないんですから」
「そうかな」
「そうですよ、だから、その……」
ほんの少し。彼にこんな顔をさせる紫苑のことを、クラリスは恨んだ。
同時に。――弱っている彼にそれとなくつけ込もうとしている自分を、卑怯だと思った。
「だからその。……どうか、ご自分を責めないでください。きっと、紫苑もわかってますから。……私達も」
彼の手を、包み込むように握った。人間としては青年であるはずのアーリアなのに、大柄なクラリスと比べればその手はあまりにも小さく華奢だ。握りつぶしてしまいそうなほどに。
「……ありがとね、クラリス。君には、ほんと何でも喋っちゃうなあ」
困ったように笑うアーリアを見て、クラリスは思うのだ。
ああ、やっぱり――私はこの人が好きだ、と。
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