ラブリー・ゴースト!~事故物件で幽霊に好かれた俺~

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<14・君は淋しそうに笑っていた。>

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 鹿島雄二にとって、最初は柊久遠は本当に――本当にただの可愛い教え子の一人だった。そのはずだったのだ。
 彼はクラスでも良い意味で目立つ生徒だった。利発で聡明、明るくムードメーカー。しかも容姿は非常に整っているし、成績も授業態度もいい。それでいて、勉強が苦手な友達に寄り添って教えてあげたり、弱い者を庇ったり。クラスに一人いてくれたらありがたいというような、教師にとってはまさに理想の生徒だったと言っても過言ではない。
 いつもたくさんの友達に囲まれて、楽しそうにしているのを見ていた。時々、淋しそうに校庭を一人で見ろしている時がある以外は。

『どうしたんだい、柊君。いつも、その場所から校庭を見てるけど』
『んー……』

 教室の、一番後ろ。掃除用具入れの前の窓に立って、じいっと斜め下を見る彼。立っているのはいつも放課後の同じ時間帯だった。
 曖昧に笑う少年の視線の先を辿ると、そこにはベンチがあることに気が付いた。深緑色に塗られたベンチには、一組の男女が笑って話をしている。
 今でこそ老眼鏡が必要な鹿島だが、当時はまだ三十代だ。目もそんなに悪くなかったので、多少距離があっても三階からその二人を判別することはできた。男子の方は、うちのクラスメートだ。それも、久遠とよくしゃべっている友達である。

『ああ、西田君か。隣にいるのは……三組も松木さんかな?仲良しだね』

 あえてそんなぼかした言い方をした。すると久遠は、付き合ってるんだよ、と苦笑いする。

『去年の末からだってさ。最初は並んで歩くのも恥ずかしいくらいウブだったのに、今は放課後同じ時間にイチャついてる。二人とも文芸部だからな。ほら、うちの文芸部週に一日しか活動してないから、それがない日は二人で早い時間に帰ったりできるし』
『へえ、かわいいじゃないか』
『うん、そうだな。うまく行って欲しいと思いますよ、俺も』

 うまくいってほしい。そう言うわりに、彼の顔は暗い。友達に彼女ができて嫉妬している、というのとは少し違うような印象である。ひょっとして、三組の松木さんの方が好きな子だったのだろうか、と鹿島は思った。だから尋ねた。

『ひょっとして君、松木さんが好きだったりする?』

 すると。その問いは予想できたものだったのだろう、久遠は窓に寄りかかって乾いた声で笑ったのだった。

『そう言う風に見える?やっぱり、そういうもんだよね』

 それが。
 男は女の子が好きで当たり前、という認識のことを指していると気づいたのは、もう少し後になってからのことである。



 ***



 そんな話をしたのが、大体五月くらいのこと。六月も半ばになった頃、教室で事件が起きた。いつも明るくて、比較的温厚に見えた久遠がブチギレて隣のクラスの男子を殴ったのである。久遠の後ろには、うちのクラスでも特に大人しい生徒がいた。彼を庇って喧嘩をしたのは明らかだった。
 ただの口論ならともかく、軽傷とはいえ相手も久遠も怪我をしている。教師としては、事情を訊かない訳にはいかない。保健室で彼の顔や腕の傷を手当したあとで、生徒指導室に連れていっていろいろと話をきくことにした。あの久遠が手を上げるなんてよっぽどのことだろうと思ったというのもある。

『……井口のやつ。うちのクラスの皆川みなかわに酷いこと言いやがったんだ』

 井口、というのが久遠と喧嘩をした隣のクラスの男子である。皆川、というのが後ろで庇われていた生徒だ。

『皆川と幼馴染の女の子に、井口のやつが気があったみたいでさ。だから、とにかく悪口言って皆川の評判を貶めようとしてたみたいだ。俺もだいぶ前から相談受けてて……なんとかしなきゃと思ってたら今日、廊下でまた皆川が絡まれてて。すげえ酷い言葉が聞こえたから、思わず手が出ちゃった』
『なんて言ってたんだ?』
『……本当はゲイのくせに。男が好きなゲロ野郎のくせに、女の子に気があるフリしてマジできもいんだよって。そういう奴は本来さっさと死んだ方がいいんだって……』

 白いテーブルの上。ぎゅううっと、久遠の手が握りしめられるのを、鹿島は見たのである。
 実のところ、皆川という少年にゲイ疑惑があることは薄々鹿島も察していたのだった。幼馴染の女の子とはけして恋愛関係にはないことも。しかし、だからといってさっさと死んだ方がいい、はあまりにも暴論だろう。久遠が友達のために怒るのは当然である――無論、だからって殴っていいかは別問題だとしても、だ。

『それは、酷いな』

 月並みな感想を鹿島が漏らすと、本当に酷いよ、と久遠は泣きそうな顔をした。

『誰だって……望んでゲイに生まれるわけじゃない。本当は多数派でいたかったはずだ。でも、それでも気づいたら好きになるのは自分と同じ男でさ。みんなにそれをわかってもらえなくてさ。ストレートな人間のフリして、一生懸命本当の自分隠して埋没しようと頑張ってるんだぜ。それを、無理に暴き出して、あろうことか変質者みたいに言いやがって……俺、俺はあいつこそ死んでほしいです。人がどれほど苦しんで苦しんで、死にそうに苦しむ瞬間があるかもわからないで……!』

 その言葉に。ようやく、鹿島はいろいろなことが繋がったのである。
 友達がカップルと一緒にいるのを見て、応援しつつも複雑な顔をしていた理由は。どちらかが好きだとか、嫉妬していたからではないと。
 自分には一生できないと思っていたからこそ羨ましかったのだと。――男同士では、カップルであることを主張することさえままならないし、気持ち悪いと言われるのを恐れ続けなければいけないからだったのだと。

『ひょっとして、君もかい?』

 鹿島の言葉に。久遠はこくりと頷いた。そして。

『先生、俺や皆川は気持ち悪いって思う?……思ったとしてもできれば、これからも普通に接してほしい、です。それから、他の誰にも言わないでほしい』

 その細い肩が震えているのを見て、鹿島は激しい後悔に襲われたのだった。どうして、自分は気付いてやれなかったのだろう。もう六月。自分は二カ月も彼等の悩みに気づかず、今日のトラブルを招いてしまったのだと。
 果たして久遠は、その笑顔の仮面の下にどれほどの苦悩を隠して今日まで過ごしてきたのか。自分なら、彼の苦しみを理解することもできたはずだ。
 そう。何故なら鹿島も、バイセクシャルだったから。
 男性とも女性とも恋をする、両性を同じだけ愛する人間であったから。それをずっと、隠していたから。
 無論、同性しか愛せない彼等とまったく同じ存在ではないのだけれど。

『……気持ち悪くなんかないよ。私も実は……バイなんだ』
『!』

 顔を上げた久遠が、何かに縋る瞬間を知った。助けて欲しい、そう言っている声を、自分なら拾い上げられると思ったのだ。

『だから、君の理解者になれるつもりだ。全部じゃなくても、ほんの一部でも……君の助けになれないだろうか』
『せん、せい……』

 その時、初めて久遠は自分の前で声を出して泣いた。その彼を小さな子をあやすように、鹿島は抱きしめたのだった。
 そしてきっと。その時間は、全ての始まりとなったのだろう。




 ***




「聞き分けがよくて、友達が多くて、クラスの人気者。……そんな彼がそんな悩みを抱えているなんて、私は思ってもみませんでした」

 老眼鏡を外し、疲れたように眉間の皺をほぐしながら鹿島は言った。仁は別のところでも驚いていた。約二十年前、彼は三十代。ということは、今目の前にいるこの男は五十代か、せいぜい六十歳くらいということになるのではないか。
 だが、仁の目には彼が、七十はゆうに超えた老人にしか見えない。よくよく考えれば引退しないで仕事をしているのだから、六十以下と考えるのは自然なのだが。
 それに、佳代子が言っていたような“マッチョでスポーツマンぽい男性”という印象でもない。無論肩幅もあるし首もそれなりに太いので、かつて何かの運動をしていたのは事実だろう。身長も、仁ほどではないがある。かつてはバリバリにジムにでも通っていたのかもしれない。だが、今は――精々、少し体が大きな老人といった印象だ。
 二十年。その月日の間に、彼に何があったのか。
 あるいは二十年前の事件が、彼をここまでやつれさせてしまったのか、どっちだろう。

「同じLGBTだと思うと、話もしやすいなと思ったんでしょう。彼は、今までよりさらに私を頼るようになりました。といっても、最初は精々、ちょっとした悩みの相談をしたり、愚痴を言い合ったりする程度の仲だったんですけどね。彼にとってはそれだけで充分、肩の荷が下りたんだと思います。……ゲイであることを暴露されてしまった皆川君が、不登校になって学校に来なくなってしまったことも影響していたんでしょうね」
「他に、そういった話が出来る人がいなかった、と」
「多分そうだと思います。……その当時、私は貴方が今住んでいるアパートの303号室に一人暮らしをしていました。クラスの子を時々呼んで、勉強を教えるようなことはしていたんです。教師としてそれは問題なかったのかとちょっと思わなくはなかったんですが……呼ぶのも男子生徒ばかりだし、別にかまわないだろうと」

 最初に踏み外したのはどっちだったんでしょうね、と鹿島は言った。

「憧れていた人に彼女ができて悲しかった。ある日、久遠君がそういう話をしたんです。自分は彼女よりもっとその人の事を知っているし、もっと尽くしてあげられるのに結局女性じゃないと駄目なんだ……みたいな。本人もやけっぱちになってたんでしょうね、だから」



『先生。……慰めてよ。キスして』



「恥ずかしい話、当時私は酒癖が悪かったんです。自宅で夜、晩酌することもありまして。家では、久遠君の前でもよく飲んでいました。それが祟ったんでしょう。流されるまま、キスをして……そこからなし崩しで、一線を越えてしまったんです」

 罪悪感にまみれた顔で、鹿島は笑った。

「私はけして、許されないことを彼にしてしまった。例え、向こうもまたそれを望んでいたのだとしても」
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