ラブリー・ゴースト!~事故物件で幽霊に好かれた俺~

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<12・アイの重さ。>

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 暫く、久遠の肩に手をおいたまま仁は考えていた。それはもう、色々なことをぐるぐると。

――こ、これ、本当にいいのか?

 まず自分の方の問題。そもそも、同性と恋愛する趣味はない、つもりである。趣味と言うと聞こえは悪いが、まあようするに異性愛者であるという意味だ。ひょっとしたら将来好きになる相手がたまたま同性でした、なんてことも起きるかもしれないが。少なくとも、現時点で男性を相手に恋愛感情を抱いた経験はないつもりである。
 嫌悪感はない、とは思う。それは嘘じゃない。気持ち悪いオッサンとキスしろと言われたらそりゃあ嫌だが、これは気持ち悪いオバさんであっても同じだろう。対して今、目の前にいるのは若くて綺麗な顔をした男の子だ。幽霊だから、向こうが望んだ時でないと直接触ったりできないが、きっと生前は肌もすべすべで綺麗だったんだろう。髪だってサラサラだし、いい匂いがしそうだ。女性とそのへんは全然変わらない、と思う。
 が、それはそれとして。恋愛的に好きなのかは別問題。少なからず彼に惹かれてはいるが、それはどちらかというと現時点では“弟を思うような気持ち”に近いと思うのだ。つまり、恋愛的に好きではない相手とキスをしようとしているわけで。果たして自分のファーストキス、それでいいのか問題は付き纏うのである。

――でもって、久遠も久遠だよ。お前、本当に俺とキスしていいのか?

 彼を傷つけたくなくて、気持ち悪くないと言ったのが嘘ではないと示したくてキス体勢を取ってしまったが。本当にキスしていいのか?はちょっと疑問だ。というのも、段々とわかってきたからである。――彼は未だに、鹿島とかいう高校教師を忘れられていない。そして、その人への未練でこの部屋に留まっているということが。
 つまり、本当はまだその男のことが好きなのではないか。
 仁のことが好みだと言っていたのは間違いないだろうが、それはあくまで見た目と雰囲気の問題のはずだ。大柄で筋肉質、他にも何か似ている要素があったのかもしれない。しかもたまたまチャンネルがあって話をすることができた、それだけだ。つまり、本当に仁のことを好きな訳では無い、のではないか。
 今こうしてキスを要求しているのも、恋愛ドラマを見てナーバスになってしまっただけ。本当にキスを望んでいる相手は、仁ではないのではないか。
 つまり、今の状況は。どっちも本命でないのに、流されるままキスをしようとしているわけである。キスの重さは人よりけりだろう。ファーストキスをセックスより大切にするかどうかも人による。少なくとも仁は、セックスほどの重さはないと思っている。
 でも、久遠はどうなのか。
 セックスをたくさんしたことがある人間が、キスを体験済みとは実は限らない。そしてファーストキスは済ませていても、セックスの方が軽んじていることだってある。むしろ、キスが重くないからこそ今要求してきている可能性が高い。
 なら、そんな相手と。想いを通わせてもいない仁がキスをするのは、本当に正しいことなのか?

「……そ、その、久遠」
「ん?」
「お前、本当に好きなのも、キスしてほしいのも俺じゃないんだろ。なら、いいのかよ。俺なんかとキスして」

 尋ねていいか迷ったが、結局口にすることにした。自分がキスしたくない言い訳と受け取られるかもしれないが、それでも気持ちは正直に言っておきたかったからだ。

「キスって、本当に想いが通じ合った者同士でするべきじゃないのか。それを、いくら寂しくなったからって簡単にしていいのか?」

 そう告げると、ぷっ、と久遠は噴き出した。

「うふふふふ、あはははは、はははははははははははははははっ!もう、やだなぁ!仁もう大学生でしょ?純粋すぎない?さてはドーテーだね?」
「じゅ、十九歳で童貞で何がいけねーんだよ!俺は健全なアメリカンフットボーラーなんだっつの!」
「はいはい。いやぁ、可愛いなぁ。ベッドの中で虐めたくなっちゃうタイプだね。そのうち悪い年上の女に引っかかったりしないようにね?オンナノコは、中学生で処女捨ててる子もいるくらいなんだからさぁ」
「そ、それは駄目だろ普通に!子どもできたらどうするんだ!?」
「あはははっ!もう、そこ真っ先に気にするんだからやっぱり仁はいいなぁ。うんうん、育ちがいいってのがよくわかるね。そのままの君でいてね」
「ば、馬鹿にしてんのかっ!?」

 こっちは大真面目に言ったのに!と仁は憤慨する。それを見て久遠は、ありがとね、と笑った。

「君が本当に俺のためを思ってくれてるのはわかるよ。すこい、嬉しい。ありがとう」

 でもいいんだ、と彼は続けた。

「俺、仁のこと好きだよ。嘘じゃない」

 確かに、嘘ではないのだろう。その目は真っ直ぐな光を放っている。けして、後ろめたさに濁っていない。でも。
 今の言葉の真実はこうであるはずだ――“仁のことも好きだよ”。だって、彼が思い出して傷ついてるのも、此処にいる理由も、全て。

――キスするのと、しないの。傷つけるのはどっちなんだ。

 それとも、もう。
 迷っている時点で、傷つけてしまっただろうか。

「お願い」
「――――っ!」

 もう一度繰り返されて、決意は固まった。正しいとはまったく思えない。それでもほんの少し、目の前の少年の痛みが和らぐのなら。それくらいの価値があるなら、キスくらいしてもいいのではないかと。
 だから、一歩前に踏み出した。
 その柔らかいであろう唇に、思い切り噛みつくようなキスをしようとして――仁は勢い余って、すってんころりんした。頭から、もろに一回転だ。

「どわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 どったんばったんどんがらがっしゃん!まさに、そんな文字がつきそうな騒音。せっかく部屋片付けたのに、と仁は涙目になる。
 そして座り込んで涙目になったまま、この原因を作った誰かさんを睨みつけた。

「てんめええええ久遠!」

 そう。キスしようとしたら、仁の体は思い切り久遠の体をすり抜けたのだ。
 自分達の体が触れ合うことができるかどうかは、完全に久遠の方の意思にかかっている。彼が触りたい、と念じてくれれば触れる仕組みであるはずだ。現にさっき、肩に手を置くことはできていたのだから。
 それが急に解けたのは、つまり。

「あっはっはっは!ごめんごめん仁、冗談だって!まさか、本気にするとは思ってなかったんだ!」

 久遠はお腹を抱えて大笑いしている。からかわれた、とようやく気がついた。

――なんだよもう!こ、こっちは本気で悩んだっていうのに!!

 この小悪魔め、と恨めしい気持ちで見上げるしかない。彼はひとしきり大笑いすると、あー面白かった!と言って再びキッチンに向かった。

「はいはい、席に座って待っててー。余興はおしまい!パスタは五分のやつ使うからすぐに茹だるし、ミートソースはちょっと温めるだけだからすぐ食べられますよーっと」
「お茶は?」
「あ、忘れてた。ごめん、それは自分で淹れて」
「ったく……」

 一体どこまで冗談で、どこまで本気だったのやら。ぶつぶつと言いながら食器棚へと向かう。一人で飲むだけなのだから、ティーバッグの緑茶で充分。とはいえ、一応買ってある茶葉が古くなっているかもしれない。チェックしておくか、と棚を開けた時だった。

「仁」

 鍋を火にかけながら、久遠が言った。

「ありがとね。……キス、しようとしてくれて」
「!」

 なんだよ、と思う。何なのか、その泣きそうな声は。要するに、彼は。

――馬鹿野郎。

 仁は小さく、奥歯を噛み締めたのだった。

――そんなに傷つくくらいなら。結局逃げるくらいなら。……試すような真似、してんじゃねえよ。

 本当はとても臆病なくせに、と思う。
 短い付き合いだが、それでも仁にもわかってきたことはあるのだから。



 ***



 鹿島雄二という男の現在の所在がわかったのは、それからさらに数日後のことだ。
 男は現在、神奈川県の高校で教員をしているという。その名も鹿島実業学院。――名前が名前なのでもしやと思ったが、やはり鹿島の兄が理事長をしている学校だった。黒須ヶ丘高校の教員をやめてすぐ、彼はこの学校に在席し、約二十年教師をし続けているという。何か理由があるのは明白だった。まるで、兄の学校に匿われてでもいるかのようではないか。
 鹿島は、なにか問題を起こして黒須ヶ丘の教員をやめたのではないか?
 ひょっとしたらそれは、久遠と関わりのあることではないか?
 やや不躾とは思ったが、他に手がかりになることは何もない。久遠の記憶が戻るきっかけちなる情報を得るためなら、違法行為にならない限りあらゆる手段を講じるべきだと考えた。
 それで、仁は久遠のポルターガイスト騒動から一週間後にあたる今日、鹿島実業学院を訪れてみたのである。練習がない日なので、朝から出かけることができた。まあ、行き先を告げたら久遠はかなり不安そうな顔をしていたが。

――うっかり来ちゃったけど……土曜日だし、先生学校に来てないかもしれないよな。失敗した、平日に来るべきだった……。

 茶色い煉瓦を積んだような建物を見上げて、仁は途方に暮れる。それなりに歴史のある学校なのだろう。建物は古く、それでいてお洒落である。煉瓦造りの校舎の上には藍色の屋根があり、風見鶏のようなものがくるくると風に回っていた。土曜日の午前中だからなのか、キャンパスを歩く生徒の姿も疎らである。

――どうしよ。このままぼんやり突っ立ってると不審者だろうし、かと言っていきなり校舎の中に突撃するわけにもいかないし……。

 己のガタイがいいことは自覚済みである。ヤクザに見られるような服装と雰囲気ではない、とは思うのだが、華奢な子供や女性と比べたら警戒されてしまうだろう。
 と、目に入ったのは正門横に立っている小さな小屋である。カウンター状になっている窓から、警備員らしき男性がちらちらこちらを見ている。さすが学費の高い私立と言うべきか、しっかり警備員は雇えているようだ。
 お仕事お疲れ様です、と思いながら――仁はてくてくとそちらに歩いていくことにする。

――マナーは守らなくちゃけねーし……ものは試しだ、正直に用件を話してみよう。

「あの、すんません」

 困惑した様子の年配の警備員に、仁は腰を低くして話しかけた。

「ちょっと、お尋ねしたいことが。いいっすかね?」

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