恋とオバケと梟と

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<14・差し出す手、差し出される手>

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 幼稚園の時、英玲奈が友達に言われて一番ショックだった言葉がある。

『あんた、いい人ぶってんじゃないわよ!』

 恐らく、その子はどこかのアニメで見た台詞を真似ただけなのだろう。やけにお嬢様みたいな、似合わない女言葉をしゃべる子だった。そこで、“いい人ぶる”ようなキャラクターでも出てきて、それを英玲奈に言ってみただけであったのかもしれない。そうは思う。
 それでもだ。
 全く英玲奈に対して腹が立っていなかったのならば、あんな風に怒鳴るような言い方などしてこなかったことだろう。彼女はこう続けたのだ。

『みんながケンンカしてると、すぐ間に入ってなかなおりさせようとするじゃん!わたしはいい人ですーってアピールしてるみたい!ムカつく!』

 男の子と女の子では、同じ幼稚園でも語彙力がまるで違うというのはよくある話だ。女の子の方が、早く喋り出すことも多いし、喋るとなったらテレビや家族の言葉をどんどん吸収してそれはもう要らないことまでやたらと喋るようになることも少なくないものである。その結果、あらぬ争いの種を招くことも。
 彼女は、英玲奈がいつもケンカの仲裁役を買って出るのがずっと気に食わなかったらしかった。何故なら、喧嘩している子供達は先生に叱られるけれど、それを止めようとした子は褒められるということを知っていたからだ。
 英玲奈自身、褒められたくてやっていた一面があったのも否定はできなかった。勿論、喧嘩はいけないと聞いていたから、そう教えられていたから止めなければと思った気持ちもないわけではなかったのだけれど。それをまさか真正面から指摘されることがあるとは夢にも思わず――普段さほど泣く方でもないのに、その時ばかりはわんわんと泣いたのである。
 誰かのために、自分が出来ることをするのが良いことだ。
 誰かを助けるのは気持ちが良いことだ。幼い頃からずっとそう両親に教わってきたし、それが間違っていると思うわけではない。
 しかし、それが誰かにとっては“自分が褒められたいがためにいい人のフリをしていて不愉快”に見えるというのだ。全く気づいていなかったし、心底ショックを受けたのである。自分が今までやっていたことはおかしなことだったのか、人にはそう見ていたのかと思うと怖くてたまらなくなったのだ。

――いい人ぶる、っていうのを、大人の言葉では“偽善者”と呼ぶんだって後で知った。

 小学校に入ってからは、電子辞書でいろんな言葉を調べることが趣味の一つとなった。少しでも早くいろんな漢字が読めるようになって、たくさんのことを学んで、使えるようになったら楽しいと思ったからである。結果、英玲奈は小学校五年生のわりに、読める漢字は多いしたくさんの熟語を知っているという自負があるのだが――一年生の時にはもう、調べていたのである。偽善者という、その言葉の意味を。
 偽善者とは。本心からそうしたいと思っていないのに、上辺だけ取り繕って善い行いをする人、のことを言うのだそうだ。
 自分は、褒められたいためだけで、相手のことを助けたいとも思っていないのに善いことをしようとしていたのだろうか。少なくとも、周囲にはそう思われていたのか。自分がせっかく誰かを助けても、それがお節介になっていることもある。むしろ、助けようと思ってやったことが人を傷つけてしまうケースも。
 一年生になってから、英玲奈はずっと悩んでいたのだった。困っている人を助けたいこの気持ちは、どこまでが本当で嘘なのだろう。そして、どこまで自分が思うままの行動をしていいのだろうか、と。
 そんな、ある日。小学校に上がって少しした時のことである。学校から帰る時、昇降口のすぐ近くで、転んでしまった男の子を見かけたのだった。それは、まさに今から帰ろうとしていた、英玲奈の視界に丁度入る位置。傍から見ても、それこそ“すってんころりん!”なんて古臭い擬音語がつきそうなくらい見事な転びっぷりだった。彼はそのまま、その場でぐすぐすと嗚咽を漏らし始めてしまうことになる。

――本当に痛いのかも。助けてあげなきゃ!

 自分の悪い癖が出た、と思う。余計なことをしたらかえって迷惑かもしれない、ということを考えてから行動するようにしなければ――そう思っていたのに、実際転んでしまった少年を見たらいろいろなことが吹っ飛んでしまったのだから。
 他の子は気がついていないか、あるいはどうすればいいのか考えあぐねて固まっている様子だった。知らない男の子ということで少し、ほんの少しだけ迷ったが――結局英玲奈は自分の心に従うことにしたのである。
 転んで起き上がれない少年に、手を差し出したのだ。

『だいじょうぶ?』

 その時、こちらを見上げた彼の、涙でキラキラ光った目を覚えている。迷惑だ、なんてことは全然考えていなくて。とにかく驚いた、そんな顔だった。思わず泣き止んでしまうほどに。
 それが、燕だった。
 燕の膝は血だらけになっていたので、とりあえず先生に教わった通りに水で洗い流すことにしたのである。水が染みて痛かったらしく彼は悲鳴を上げていたが、それでももう泣くことはなかった。染みるのは可哀想だが、砂だらけの地面で転んだのである。傷口に、砂や石ころが入ってしまっては大変なことになってしまう。
 まだ顔が涙でベタベタの彼にハンカチを貸してあげ、傷口を優しくティッシュで拭って保健室まで連れていこうとすると。ずっと黙っていた彼は、心底不思議そうに告げたのだ。

『……おこらないの?おれ、男の子なのに泣いちゃったのに』

 それはあまりにも、英玲奈にとっては予想外の質問で。

『え、なんで?』

 何故そんなことを彼が気にするのか、まったくわからなかった。振り返り、英玲奈はこう答えたのだ。

『なんで、男の子は泣いちゃだめなの?男の子だって、いたい時はいたいでしょ?泣いてもしかたないよ。わたしだって、転んで泣いちゃうことあるよ?』

 小学生のうちは、女の子の方が力が強いことだってある。クラスで一番大きいのも二番目に大きいのも三番目に大きいのも女の子だった。女の子の中には、結構強い子もたくさんいるのだ。それなのに、男の子だから我慢しろ、女の子は我慢しなくていい、みたいなのは普通におかしいと思ったのである。
 保健室でその子が手当をされている間、英玲奈は燕が部屋から出てくるのをずっと待っていたのだった。ただの膝を擦りむいての擦り傷である。少し多く血が出ていたように見えたが、洗い流して見てみたら大した深さではなかった。応急手当はすぐに終わり、先生が保健室の中から顔を出す。そして、にっこり笑って言ったのだ。

『この子を連れてきてくれてありがとうね、英玲奈ちゃん。おかげで、先生もとっても助かったわ。きっと傷もすぐ治ると思う。燕君、英玲奈ちゃんにお礼をきちんと言うのよ?』

 この時。先生に褒められて嬉しいと思う反面、“やってしまった”とここにきて気がついたのだった。幼稚園の時のことがフラッシュバックする。いつもケンカの仲裁をしたり、人を助けるフリばっかりして、いい人ぶっている英玲奈。偽善者。それがムカつくんだと言われていたのに、自分はまた同じことを繰り返してしまった。
 燕にもきっと嫌われてしまう。そう思って、一瞬目の前が真っ暗になった時だった。

『うん!ありがとう、えれなちゃん!』
『…………!』

 花が咲いたような可愛くて明るい笑顔に、きっとその瞬間英玲奈は魅了されていたのだろう。
 その日は、家が近かいこともわかって一緒に帰ったのだった。燕の名前を知ったのは、この時のことである。彼は英玲奈と手を繋ぎながらこう言ったのだった。

『……おれ、やっぱり泣かないようにしたい。男の子だから泣いちゃだめとかじゃなくて……泣いてたら、えれなちゃんみたいにできないから』
『わたし、何もしてないよ?』
『してくれたよ。おれのこと、助けてくれた。すごくうれしかった。こまってる人がいた時、泣いてたら助けにいけないじゃん。ヒーローは、泣いたりしないだろ。むしろ泣いてる人を助けてくれるだろ。おれ、そっち側になりたい。えれなちゃんみたいな、かっこいいヒーローになりたい』

 恥ずかしそうに笑いながらも、小さな小さな少年はそう約束してくれたのだった。



『おれ!おれが!えれなちゃんを守るヒーローになる!だから……そのために、転んでも泣かないつよい男になる!』



 初めてだった。英玲奈のしたことを、ヒーローのように格好良いと言ってくれた人は。
 初めてだった。英玲奈のことを、ヒーローのように強くなって守ると言ってくれた人は。

『……うん。ありがとう、つばめくん』

 その時思ったのである。彼が自分のヒーローになってくれるなら、自分が彼のヒーローであろうと。ヒロインではない、目指すのは同じヒーローでありたいと。
 自分を守るために、彼が傷つくようなことがあったら嫌だと思うなら。自分も強い女の子にならなければいけない。
 お互いに助けあって、お互いに守り合って、唯一無二の二人だけのヒーローだなんて最高に格好良いではないかと。

「……燕、お前なあ……」

 英玲奈が話し終えると、何故か梟は恥ずかしそうに顔を覆って呟いていた。

「そこまで言ってんのに、なんで……ああもうっ」
「?」
「い、いや……なんでもないよ英玲奈ちゃん」

 あまり顔立ちの似ていない兄弟だが、表情や仕草はどこか同じと思うことが少なくない。恥ずかしがって照れて視線を泳がせるところなど、梟は燕とそっくりそのまま同じだった。やっぱり一緒に暮らしていると、それだけで似ることは少なくないらしい。

「久しぶりに、砂吐きそうなくらい甘いエピソード聞いちゃったわ俺。燕めっちゃモテモテじゃねーか爆発しろよ」
「でも、燕君女の子に結構人気だから。私以外にも燕君のこと好きな子たくさんいると思うし……。靴箱にラブレターもらってるの見たことあるし」
「え!?靴箱にラブレターとか古典的なことやる奴まだいるの!?つかその話俺知らねーよ!?」
「小学生だと携帯持たせてもらえない子もまだいるから、それでお手紙になるんだと思う。え、燕君モテてるのに、そういう話梟さんにはあんまりしないんですね……意外」

 なんとなく、ほっとしてしまった。なんだかんだ、この兄弟は仲が良い。梟に語らなかったということはつまり、燕にとっては取るに足らないエピソードであったということだろう。
 状況を忘れて、少しだけお互いに笑顔が戻ってくる。校舎に閉じ込められている状況には変わりないし、燕のことも見つかってはいないけれど。それでもなんとかなるような、そんな気がしてきてしまうのだ。燕のことを思い出すだけで。燕の話をするだけで。

――燕君、私……絶対、助けに行くからね。

 そのためにはまず、この状況を打破する方法を真剣に考えなければいけない。だいぶ疲れも抜けたし、そろそろ移動するべきかと英玲奈が立ち上がろうとした時だった。

「ちょい待ち、英玲奈ちゃん」
「え?」
「……いろいろ考えたけど。此処から移動する必要ないかもしれない」

 梟は立ち上がると、階段の横まで歩いて行った。その視線の先には、階段下の倉庫が。

「あくまで推測にしか過ぎないけど。とりあえず話すな、俺が考えていること」

 そういえば、と英玲奈は気づいた。一階西階段の下の倉庫――詳しくは覚えていないが、そこにもなんらかの七不思議があったのではなかったか。

「多分俺達、七不思議の謎を解かないと此処から出られないしな。……その鍵の一つは、此処にあるかもしれねーんだ」
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