悪役令嬢反撃す~それでも彼女は、愛する人を信じて魔女を倒すと決めた~

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<25・Experimentalist>

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 パチ、パチ、パチ。ややおざなりな拍手が、真っ暗な闇の中に響き渡る。怯えたように震える瑠子の手を、朝香はぎゅっと握りしめた。お互いまだ、コーデリアとミリアの姿のままである。しかし、周囲に先程まで確かに存在していたはずの、ウィルビー家の庭の風景はない。朝香が魔法で開けた大穴も、そこに落ちたはずのシェリーとギルバートの姿も。
 あるのはただ、真っ黒な闇。
 そして、目の前に立っている――黒髪のボブヘアーに眼鏡をかけた、白衣の女性の姿のみ。

「コングラッチュレーション」

 拍手をしていたのは、その女性だった。

「素晴らしい名勝負をありがとうございます。……なるほど、やはりシミュレーションと実際の実験の結果は同じにはならない、と。情報面では田中瑠子の方が有利だったはずですが……それをキャラクターのスペックと精神力を武器に跳ね返すとは。我々がした事前の計算によれば貴女、小森朝香の勝率はニ割程度だったはずですが」
「……シミュレーション?実験?どういうこと」

 いかにも科学者っぽい彼女の姿からも、言動からも、不穏な気配しかしてこない。大体異世界転生といったら本来、スケスケの布地の女神さまか、髭のおじいさん(仙人っぽいかんじの)が出てきて“間違えて異世界転生させちゃったんで、お詫びにチートスキルをあげるね”とか宣うものである。あるいは、神様ポジションそのものが登場しないケースもあるだろう。
 それが、出てきたのが明らかに人間の科学者みたいな女性ともなれば。まさに、夢も希望もなさそうな予感しかしないではないか。

「……あたし達、実験台にされてたの」

 暗い顔で、瑠子が言う。

「もし、朝香があたしと同じだったなら。……駅で、光る玉みたいなのを見つけて、それに吸い寄せられたら線路から落ちて電車に轢かれたんじゃない?正確には轢かれたかなって瞬間に目の前が真っ白になって、そこから何も覚えてないパターンだと思うけど」
「まあ、そうだね。よく考えてみれば、轢かれて凄く痛かった記憶とかもないかも」
「なくて当然なの。あたし達、あのポイントで死んだことにはされてるけど、正確には……死んだって事実を一時的にあの世界に既成事実として生成されて、その結果異世界に強制転移させられたみたいなものというか」
「……ごめん、瑠子。理解がまったく追いつかんのですが」

 瑠子は、朝香と違ってキャラクターとして目覚めるより前にこの空間に飛ばされ、目の前の科学者にいろいろと説明を受けていたらしい。だから彼女は、朝香よりも圧倒的に情報量が多かったのだ。この世界を作り上げた創造主に予め会って、いろいろと機密を知らされていたのだから当然と言えば当然である。
 なんでも。自分達が生きている世界は、一つの閉じた箱のようなものらしい。その箱の外に様々な世界があり、この科学者の女性が所属する組織もその異世界の存在であるようだ。要するに、彼女は異世界人というわけである。
 数多と次元の狭間で存在する異世界は、さながら宇宙に浮かぶ惑星のようなもの。かなりの労力と手間をかけなければ外に飛び出し、別の異世界に渡ることなどできない。というか、基本は不可能であるらしい。世界と世界は不干渉だからこそ、その中だけであるべき物語が完結し、世界のルールが守られる。異世界転生や転移なんて本来あってはならないもので、それが現実に頻発したら世界が壊れてしまうというのだ。まあそれは、チートスキルをもらった勇者が無双しまくって世界を好き勝手荒らし、死ぬべきではない人が大量に死んだらどうなるか、と考えればたやすく想像がつくだろう。
 しかし、特定の条件を満たせば、箱庭のような世界の中から人を別の世界に転送する事ができるのである。その方法のひとつが、その世界の住人が死ぬこと。死んで魂だけになった存在は、一時的に世界の壁を超えられるという。これが、天国や地獄という名の、その世界に紐づけされた別世界に飛ばされる原理だ。ただ、それでも本来は、まったく無関係の世界に魂がそのまま飛んでしまうことはない。仮に飛んでしまうことになっても、前世の記憶は念入りに消去されるのが絶対のルールである。
 そう。今回のように、第三者が茶々を入れなければ。
 朝香と瑠子は、一度死んだことにされ、一時的に魂のみの存在に矯正転換されることで世界の壁を超えた。そしてそのまま天国や地獄ではなく、科学者たちの手で“地球に紐づけされた”ように偽装された世界へ転送されたというわけらしい。

「私の名前は……お伝えする必要もありませんので、適当に実験者とでもお呼びください」

 女は表情一つ変えずに話を続ける。

「私たちの世界は、貴女がたの世界より遥かに高い科学力を持っています。世界と世界を自由に渡り歩く術を、組織単位で持つのは我々くらいなモノでしょう。私達の仕事は、異世界の研究。自分達以外にどのような世界があり、どのような生命が存在し、どのような文化があるのか。それを調査し、研究し、我々の世界に生かせる資源があるならば採取する。それが我々、組織の目的です」
「……なるほど。超すごい科学者だから、仮想世界一つ作るのもワケなかったってわけ?」
「その通り。貴女がたの世界の文化は実に興味深く、我々は地球人に紛れて頻繁に訪問し調査を重ねてきました。異世界どころかまともに宇宙に飛び出す術も怪しいはずの地球人が、異世界という概念を想像の中だけでも築いているというのは実に興味深いと感じています。ゆえに、貴女がたの世界に存在するゲームをモデルに仮想世界を生成し、親和性のある者を引き寄せて実験させて頂いたわけです。ご理解頂けましたか」

 忌々しいが、大体わかってしまった。どうやら自分たちはその親和性とやらが偶然高くて引っかかってしまったのだろう。恐らく、ロイヤル・ウィザードが好きで、ちょっと歪んだ妄想を持ってる人間なら誰でも良かった。たまたま自分達が、彼女らが“光の玉”を放った地点にいて、条件が合致したので引っ張られてしまった。おおよそ、そんなところではなかろうか。

「仮想世界がきちんと機能するかどうか。そして、自らの外見や名前を奪われ、唐突に見知ったゲームの世界に転生させられた人間がどのように考え行動するか。地球人の思考は我々には非常に興味深い観察対象です。たまたま顔見知りの女性二人が被験者になりましたので、それぞれ条件を微妙に変えて競わせてみようということになりました」
「条件って、転生するキャラや情報量ってこと?」
「その通り。キャラクターとしての能力や立場ならば、コーデリアに転生した小森朝香が有利。ただし、ミリアに転生した田中瑠子にだけ、我々の正体と実験目的、完了条件、コーデリアの中に友人の小森朝香が入っていることを通達しておく。小森朝香に伝えた実験の完了条件とは、もうひとりの転生者に敗北を認めさせること。相手を屈服させたら、望みをなんでも一つ叶えると伝えました。元の世界に帰ることでも……己が大好きなジュリアン・ミューアの結婚し、箱庭の世界で永遠に幸せに暮らすことであっても」

 思わず瑠子の方を見た。彼女は唇を噛んで俯いている。平気な顔で語ってくれるが、なんと身勝手で無茶苦茶な実験ではないか。電車に轢かれて死んだかもしれない、そして突然実験だのなんだの言われて、しかも転生先がロイヤル・ウィザードの世界だなんて伝えられて。混乱しない人間などいないはずだ。そのパニックの中で、果たして何人が正常な判断力を保てるのだろう。
 瑠子に罪がなかったとは言わない。ミリアに成り代わって好き勝手に動き、ジュリアンや他のメイド達を洗脳し、自分の欲望のために苦しめた行為は許されるものではないだろう。だが、そうやって朝香を追い詰めて屈服させなければ、彼女はこの世界で望んだ幸せを掴むことも、元の世界に帰ることもできないと言われていたのだ。彼女が一番悪い、と責められるものではあるまい。巻き込まれたという意味では間違いなく瑠子も被害者なのだから。

「意外でした。自分の大好きなゲームに転生して、しかも大好きなキャラクターに一番に愛されるヒロインのポジションになれたのに。まさか小森朝香、貴女が一切この世界に安住することを望まなかったとは。貴女がたの世界で大流行している異世界転生系のアニメやライトノベルでは、ほとんどの場合主人公は元の世界に帰るのを早々に諦めるか、むしろ帰りたがらずに楽しい異世界ライフを満喫しようとするのに」

 まあ、それも事実ではあるだろう。夢のような異世界に行き、辛い現実を忘れたい。そう願う者たちほどハマるのがそのジャンルだ。元の世界に過剰に帰りたがる主人公なんて、そうそう共感されないに違いない。
 でも、忘れるなかれ。それが許されるのは、あくまで夢を楽しむ非現実の世界であればこそ。現実では、人はそう己を切り捨てて、あるべき世界と言う名の地面から足を離して飛び降りるような真似はできないのである。

「出来るわけないでしょ、ばっかじゃないの」

 朝香は苛立ち紛れに吐き捨てる。

「私は私。それ以上でもそれ以下でもないわけ。そりゃ現実の世界は楽しいことばっかじゃないし、仕事はいっつもミスったり遅かったりして叱られてばっかだし、通勤きついし疲れるし、酒飲んだらすぐ失敗して二日酔いになるし、母さんやばーちゃんは電話長ぇし必要は時に財布家に忘れるし……ってとにかくいろいろあるけど!でも、そういうの全部ひっくるめて、私だから。私が私として生きてなきゃ、大切な家族にも友達にも会えず、最高に面白いマンガやゲームにも出会えなかった。捨てられるわけないでしょ、そうやって二十八年も積み重ねてきたモンをさ」
「その、大好きなゲームの中にせっかく入れたとしてもですか?」
「当たり前でしょーが、本物のオタクナメてんじゃねーっつの!私は、推しの幸せを遠くから見守り隊ってやつなわけ。自分がコーデリアになっちゃったら、本物のコーデリアと幸せになるジュリアンを拝めないでしょうが!そんなのナシナシのナシ!超解釈違い!絶対無理!」

 大体ね、と朝香は実験者を名乗る女性を睨みつける。

「あんたは人間としての私達のこともナメすぎ。ふざけんじゃねーっての!異世界人だか、すっごい科学力持ってるんだか知らないけど、人を同意なくぶっ殺して異世界転生させて実験してましたって、どのツラ下げて言ってるわけ?自分たちは神様みたいな存在だから、何しても許されるとか本気で思ってんの?ねえ?」

 そうだ。多くの謎は解けたが、一番腹立たしいのはその点だ。目の前の女性からは一切、申し訳無さや謝罪の気持ちが伝わってこない。それっぽく取り繕う気配もない。悪いことなど一つもしてないとさえ言いたげである。
 この様子なら、朝香も見えないところで瑠子と同じ勝利条件が設定されていたのだろう。瑠子が実質敗北を認めたから、朝香が勝利したことになり、この場に呼び出されたと考えるのが自然だ。だが、朝香はこの状況が全て己の実力によるものだとは思っていないし、なにか一つあれば負けていたり、あるいは二人共どこかで死んでいた可能性も十分あり得るはずである。
 結局助かったからいいではないか、では済まされない。
 どう見てもこの女は、自分達が死んでも狂っても構わないと思っていたのが透けているのだから。

「自分たちの世界を作り、あるいは観察し、時に自分たちの都合で雨を降らせ火山を噴火させ世界を滅ぼし世界を作る。貴女がたの世界では、己より高次元の存在を人は神と呼び、その理不尽さえ敬うのでしょう?ならば、我々もまた神に等しく、その圧倒的な力と采配を畏怖するべきでは?私達が貴女がたより遥かに高次元の、圧倒的に優れた存在であることに間違いはないのですから」
「自分たちの都合だけで実験台にされて、死にそうな目に遭わされて、友達と殺し合いまがいのことまでさせられたのに許せってのかよ」
「最終的にお二人共死んではいないし、勝負に勝った貴女の望みは叶えるつもりですが、それでも何か不満なのですか?」
「…………」

 まったく話にならない。朝香は深くため息をつくしかなかった。言葉のキャッチボールができているようでまったくできていない。彼女には、巻き込まれた被害者の気持ちを慮る、相手を思いやって労るといった人として当たり前の感情が一切欠落しているようだ。
 あるいは。彼女達の世界では、そういった感情は不要なものとして消去されてしまっているのかもしれない。――世界を作り、世界を渡ることができるという素晴らしい科学力と引き換えに。

――憐れなのはどっちなんだっつの。

 本当は、ブン殴らせろと言いたいところだが。機嫌を損ねて、元の世界に返してもらえなくなったら全く意味がない。どれほど悔しくても、今は引き下がる他ないのだろう。

「……もういい。私と瑠子を二人揃って元の世界に返して」
「いいでしょう。勝者となった貴女の健闘を讃え、その願いを叶えます」
「どこまでも上から目線かよ、クソが」

 思わず普段よりきつい罵倒が口からついて出る。

「最後に一つだけ言っとくわ。……次に会うことがあったら、絶対ブン殴るから」

 果たして。神をも自称する、高慢な実験者は――自分たちより遥かに格下と蔑む人間の宣言に何を思ったのか。

「ご安心下さい。そんな機会は訪れませんので」

 意識が消える寸前。朝香が聞いたのは、どこか嘲笑を含んだような女の声だったのだ。

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