悪役令嬢反撃す~それでも彼女は、愛する人を信じて魔女を倒すと決めた~

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<8・Stain>

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 何もかもがおかしい。
 いや、そもそも朝香がコーデリアの中に入ってしまって、ゲームの世界にいる時点でおかしいもへったくれもないのだが。

「念のため尋ねるがコーデリア、お前ではないよな?」
「失礼な。私にそのようなことをする理由も意味もないです。黙っていれば継承してもらえるはずのものですよ?」
「……だよなあ」

 帰宅した朝香を待っていたのは、なくなっていた初級白魔法用の魔導書を発見した――父のアダムである。朝香にせっつかれるまでもなく、ウィルビー家の機密中の機密である魔導書がなくなるなんてとんでもない事態だ。ゆえに、召使い達を動員して総出で屋敷中を探し回り、なんとかなくなった魔導書を見つけ出したはいいのだが。

「西の塔でしょう?あんな埃っぽいところに、行く理由もそもそもないではありませんか。……いえ、私以外の者も理由がありませんが」

 魔導書はなんと、今はほとんど誰も使っていない西の塔の最上階にあったというのだからわけがわからない。それも、ただぽつんと置いてあったのではなく、ご丁寧にインクでスペル部分を塗りつぶした上でバケツの水に浸かって汚損させられていたという徹底ぶりである。これが事故であろうはずがない。何者かが意図的に魔導書を持ちだした上、破損させてあの場所に放置したのである。
 魔導書は普通の本ではない。ゆえに、その魔法を受け継いだ魔法使いが存命ならば、その力を持って復元することも可能である。ゆえに、これで完全に貴重な魔導書が失われてしまう、ということはないのだが。

「その通りだ。しかし今回の事件、家族の誰かが犯人である可能性がどうしても高くなってくる。言いたいことは、わかるなコーデリア」
「……魔導書の特性をよく理解した人物の犯行だから?」
「その通り。あるいは家族と召使いの誰かの共犯か」

 アダムがそう疑うのも尤もな話である。
 まず第一に、魔導書が保管されている地下書庫に入れる人間が限られていること。警備兵が厳重に見張っている敷地内に部外者が入ることが困難な上、さらに地下書庫にはそれとは別にしっかりと鍵がかかっている。鍵を持ち出せるのはどう見ても内部の人間だ。多少手間暇をかければメイドや執事にも可能な人間はいたかもしれないが、それであっても内部犯が濃厚なのは言うまでもない。
 加えて、今回の魔導書の破損方法である。魔導書を復元することはアダムなら可能なのだが、それでも一カ月以上はかかる見込みだというのだ。その理由は、スペルがインクで塗りつぶされて読めなくなっていたせいである。
 魔導書は、本そのものに魔力と魔法を浸透させた特別なもの。以前説明したように、既にその魔法を覚えた者が、白紙の魔導書に魔法を書き写すことにより、魔導書の持ち主に魔法の継承がされていくという仕組みである。そして、魔法を使うには魔導書を持ち歩く必要がある。魔導書そのものが、魔法と言っていい。正確には魔導書に書き込まれた呪文が大きな意味を持つのだ。
 ゆえに、何か事情があって魔法そのものを破棄したい時は、魔導書のスペルを黒く塗りつぶした上で焼き捨てるという作業が必要になってくるのである。スペルを塗りつぶさないと、魔導書そのものを焼いてもその部分だけ燃え残ってしまうからだ。
 今回は焼かれたのではなく、水に浸かったがゆえに魔導書が完全に失われることはなかった。しかしスペルが塗りつぶされてしまったために、魔導書としては完全に機能を停止してしまった状態である。本そのものの状態を戻す必要もあるし、復元に時間がかかるのはまさにそのためなのだった。
 幸いだったのは、書庫にあった魔導書の持ち主は全て歴代の当主とその家族であるということ。アダム本人の所有する魔導書が損害を受けたわけではない。ゆえに、アダムが該当する白魔法を忘れることはなかったし、復元することも可能だったというわけである。これがアダム本人の魔導書だったならもっと事態は大変なことになっていたに違いない。本人も魔法が使えなくなるし、復元もできなくなっていたところなのだから。

「スペルをインクで塗りつぶす、という魔導書破棄の方法は家族しか知らないはず。だから使用人たちは容疑者から外れる。そういう寸法ですよね?」

 家族のことも、使用人たちのこともあまり疑いたくはない。ただ。

「家族が犯人と決め付けるのは早計では。魔導書に書き写すことで継承する、という方法は使用人達も知っています。書きうつされた呪文そのものに大きな意味があるのではと考察することは可能でしょう。ましてや、あの魔導書を完全に廃棄する方法を知っていてそれが目的ならば、何故燃やすのではなくバケツの水に突っ込んで放置なんです?やっていることが中途半端すぎます」
「そこなんだよなあ。……まるで、魔導書そのものを完全に使えなくすることが目的ではなかったようだ」
「そもそも魔導書が盗まれた時点で、内部犯の犯行が疑われる。下手な扱い方をすれば、私が犯人ですと自白するようなもの。何故盗んだ上で使う気配もなく、中途半端に屋敷内で廃棄してほったらかしにしたんでしょう。まるで、見つけてくれと言わんばかりです」
「むむむ……」

 犯人の意図がまったくわからない。もしも敵勢力のスパイがこの屋敷の従者たちにもぐりこんでいて、その仕業だというのなら。魔導書を廃棄するなんて、そんな勿体ないことするはずがないだろう。なんせ、この家がまだ魔法を抱え込んでいるという重要な証拠だ。盗んだ魔導書をどうにか隙を見て持ち出して、証拠品として大切に保管するか魔法の仕組みを解明するために役立てようとするのではないか。
 では、魔法を覚えたくて魔導書を盗んだ?
 それもない。何故なら魔法は、覚えている人間が魔導書に書き写さなければ意味がないので、魔導書だけ盗んでも会得できるわけではないからだ。さらに言うなら、家族であんな初級の白魔法を覚えていないのはコーデリア本人くらいである。既に覚えた魔法の魔導書を盗み出すメリットなどまったくない。さらに言うなら、魔法を使うやり方は知っていても、魔法が実際に使えるのは魔力を生まれつき持っている魔女の一族の人間か、あるいは鍛錬を重ねて魔力を習得した元一般人のどちらかである。朝香が知る限り、この屋敷の中で実際に魔法が使える召使いはフィリップくらいなものである。そのフィリップも、やっぱり初級白魔法は会得済みなので盗む意味などないだろう。

――スペルを塗りつぶしたことからして、魔導書の廃棄方法を知っていた可能性が高いというのはわかる。……でも焼き捨てなかったのは、焼いてしまったら都合が悪い理由があった、とか?例えば……。

「……見つけて欲しかったから、ということは?」
「え?」
「いえ。魔導書を盗んだのも、スペルを塗りつぶして水浸しにしたのも。全て、最終的に“盗まれて汚損した魔導書”をお父様に見つけさせて騒ぎにするのが目的だったとしたら、辻褄があうのではないかと思いまして」

 あまり考えたくない仮説だが、一度思いついてしまったらもう頭から離れない。そして、この説が正しいのなら全て筋が通ってしまうのも事実なのだ。
 講義室のテーブルに置かれた魔導書をもう一度観察する。書庫に保管されている魔導書は全て、厚さこそまちまちなものの全て一つの共通点があるのである。
 つまり、小さな文庫本ではなく、そこそこのサイズがあるハードカバーだということ。
 水に浸かればふやけるが、それでも原型をまったくとどめなくなるほど欠損することは稀なのである。よっぽど時間がすぎて、カビだらけにでもならない限りは。

「……魔導書を盗める人間が、この家の中にしかいないというのは言うまでもないことです。だから、私達は最初から内部犯を疑っている。その上で、スペルを塗りつぶされた魔導書が発見されたらどう思いますか?お父様が言ったように、魔導書を廃棄するための正しい方法を知っている家族、が犯人ではないかと疑念を持つのが自然な流れです。……つまり、犯人は私達家族を互いに疑い合わせて、疑心暗鬼にさせたかったのでは?」

 燃やさなかったのは、魔導書を廃棄するのが目的ではなかったから。
 むしろ燃やしてしまって、証拠が亡くなってしまっては困るのだ。
 “魔導書を廃棄する方法を知っている何者かが盗んだ”と判断できるものが見つかってこそ、犯人の目的は達成されるのだから。

「ウィルビー家が、未だに科学派や政府の人間から良い眼で見られていないことは明白です。ですが、ただ魔法を隠し持っている証拠を見つけて捕まえようとしても、魔法の力で抵抗されて面倒になるのは目に見えている。ならば証拠を持ち帰ることより、疑心暗鬼に指せて内部崩壊を狙い、隙を突く方がいいと考えた可能性は十分にあり得るかと」
「……しかし、魔導書の廃棄方法は……」
「この家の召使いにスパイがいるなら、魔法のことに関してもある程度知るチャンスはあります。スペルに関してはさきほど述べた通り、仕組みがわかっているならスペルを塗りつぶす意味があるということも十分予想できる範囲でしょう。……いや、もしかしたら召使いたちにスパイがいるというのも事実ではないのかも。いずれにせよこの状況は、家族が犯人ならばあまりにも自殺行為。疑いがかけられるのは明白なのですから。ならば、家族を疑わせて結束を揺るがそうとしている何者かがいると考える方が自然では?」

 ほとんど考えながら喋ったようなものだが、こうして組み立ててみると存外的を射ているように思う。勿論、その最終目標が果たして本当に“科学派の攻撃”なのかは不明だが、彼等が最もウィルビー家の結束を揺るがしてメリットがある連中なのは間違いないことである。

「メイドや執事の皆さんを無闇に疑いたくはないですが、それとなく探りは入れていくのがいいと思います。……お父様、慌てられる気持ちはわかりますけど、ここは冷静さを保ってください。我が家の跡継ぎは私でも、今現在の家長がお父様であることに間違いはないのですから」
「そう、だな。……すまない、その通りだ」

 話している間に、アダムもだいぶ落ち着きを取り戻してきたらしい。しかし、と冷や汗をハンカチで拭いながら彼は言う。

「ここ最近、科学派の人間達とも険悪になるようなトラブルはなかったし、ミューア家との縁談も決まって比較的融和方向に動いていたはずなんだ。それが何故、急にこんなことになるのか。お前の乗っていた馬車に細工した人間というのも気になる。今回こそ大きな怪我に至らなかったが、コーデリアに万が一のことがあったら大問題どころじゃない。ああ、本当に、ジュリアンには頭が上がらない……」

 まったくだ、と朝香も頷く。
 恐らくこの二つの事件は繋がっているだろう。同一犯が起こしたとしたら、やはりそれはウィルビー家を破滅させてやろうという科学派の思惑ということなのだろうか。
 だが、気になるのはやはり、本来のゲームのシナリオではどちらの事件も起きていないということである。この世界の設定が、朝香が知るそれとは大きく異なっているということなのか。それとも、他に何かイレギュラー要素が発生しているということか。
 そして自分は。自分は本当にこの世界に転生か転移をしてしまい、もう二度と元の世界に戻れないのだろうか。

――コーデリアの体を乗っ取ってるだけで気が重いのに。

 悲しいかな、情報不足。
 真実はまだ、闇の中と言う他ないのだった。

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