暁に散る前に

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<26・エイエン。>

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 何がいけなかったのだ、と秀花は愕然とした。
 実は、秀花が仕掛けた“針”は一つではなかった。あまり派手にばらまきすぎると周囲にバレる心配があるので三つに留めたが、それでも二人が踏む可能性は極めて高かったはずなのである。特に、映子の方は何度も踏みそうになった場面があった。あれは、舞台の序盤で針に気づいていた可能性も充分考えられるだろう。
 それなのに、いざ踏んだのは一気に盛り上がって舞台上も観客も高揚していた最後の最後の一度だけ。しかも、確かに激痛を感じたはずなのに彼女はよろめいただけで、その場で騒ぎ立てることもしなかった。それどころか、とっさに予定にない台詞を作り、さながらこの行動全てが予定調和であるかのように演じ切ってみせたのだ。いや、確かに扇子を落としかけたところでとっさの瞬発力でそれを拾い、映子を抱きとめた蓮花も凄かったといえば凄かったのだが――。

――負けた。

 蓮花の組が優勝であると、帝が讃える前から分かっていた。あの、最後の改変がかえって良いものだと審査されたのだ。実際、舞台の印象を悪くするどころか、非常に新鮮なものとして観客たちに受け止められていた雰囲気だった。実際、映子も思わず見惚れてしまったほどである。あんなものを見せられて、勝てると思うほど自惚れたつもりはない。しかも、己の演技に失敗があったと自覚していたから尚更に。
 とにかく難易度で、演技力で差をつけたくて、わざと一人で演じるには厳しい霊告斬歌を選んだ。
 が、それが失敗だったと中盤で気づいた。自分は、どうあがいても女性としての演技しかできていない。娘に呼びかけてくる父親の気配、導く大きな力を表現することに欠いていると思い知った。――最大の要因は、一人で演じるのに無理がある演目であったのもそうだが、何より秀花が一般的な父親というものをよく知らなかったがためである。秀花の父は政府の高官であったが、あまりにも忙しく家で殆ど顔を見たことがなかったのだ。

――何よ……何よ、何よ、何よ!

 悔しくてたまらない。それは、自分の罠の大半を躱されたこと、ではなかった。演技で上回れたことでもなかった。

――何で、そんなに息が合っているの!あんた達、傍から見ていても全然仲良くなかったじゃない。映子なんて、蓮花に散々振り回されて迷惑かけられてたくせに、なんでっ……!

 舞台の片づけが始まってもなお、悔しさが抑えきれずに舞台を睨み続けていた。自分の演目選びが失敗していたのは事実。それだけが原因で負けたのなら、潔く負けも認めよう。しかし、実際はそういうわけではなかった。己が別の演目で挑んでも、果たしてあの二人に勝つことができたかどうか。映子は時々歌の調子を外していたし、実際は蓮花と比べて歌も舞も技量としてなら一段劣っていたはずなのに――それを、減点とみなされないほどの新鮮さと魅力が二人の連携にあったのだ。
 それは実際に、親しい間柄でもなければできないものであっただろう。自分も舞の名手と言われているのだ、それくらいのことはわかる。
 だが、本当に。何故、そこまで二人が絆を結べたのかが分からない。納得がいかない。自分には――そのように心許せる相手など、この後宮にはいないというのに。

「……何があるっていうのよ、あいつらに」

 思わず、近くにいた女官の一人にぼやいてしまった。その女官は驚いたように振り向く。自分でも顔を知っている女官筆頭の女は、少し考えた後に、さあ、と肩をすくめた。

「わかりませんわ、秀花様。でも……」
「でも?」
「……何か、大事なものを見つけられたのかもしれません。……いつか、秀花様にも見つかるかもしれませんわ。私にも」
「……ふん」

 何を、分かったようなクチを。何だか面白くなくて、蓮花はふん、と鼻を鳴らしたのだった。



 ***



 康子は、そろそろ手紙を渡してくれただろうか。映子はちらり、と窓の外を見た。

「今宵は、本当に帝の閨に呼ばれないのでしょうか、蓮花様は」
「大丈夫であろうよ」

 此処は、蓮花の部屋。二人で茶を飲み交わしながら、窓の向こうに浮かぶ月を眺めているところだった。本当は酒でも飲み交わしたいところだったが、流石にこれからしようとしていることを考えるならば酔っぱらうわけにはいかない。特に、映子の方は。
 今は茶で我慢だ。きちんと逃げ切れた後で、祝杯はまた別に上げればいい。

「“今夜は花舞台で疲れたゆえ、しっかりと休養を取らせて欲しい”と、それはそれはしなを作ってお願いしたからな。まあ、向こうも向こうで花舞台のあとは盛り上がって、複数の妃やら妾やらを呼んで乱交することも珍しくない。そのような下品な催しに、第一妃を招く必要もあるまい?それくらいの配慮はあるだろうさ」
「配慮、ねえ」
「まあ、その間に……まさかその第一妃が部屋から消えているとは、夢にも思わないだろうよ」

 さすが、帝の行動はよくわかっているということらしい。年若い娘としては、なんとも渋い顔をしたくもなる情報ではあったが。いやはや、色ボケジジイとはいえ節操なさすぎではないだろうか。

「……空しいものですね」

 映子は、素直な感想を漏らした。

「まさか本当に……己が微塵も愛されていないなどとは夢にも思っておられないのでしょう。愛とは、独りよがりではけして成り立たないものだというのに」

 帝はきっと、最後まで自分は蓮花に愛されていたに違いないと思うのだろう。蓮花が消えて、蓮花と映子の直筆の遺書が見つかってもなお己は悪くないのだと思うのかもしれない。それこそが昏君ばかとのなどと、影で噂される原因であるのだとも気づかずに。
 人の本当の弱さは、間違いを犯さないことではない。間違えた時、それを認める勇気を持てないことなのだと知っている。ほんの少し、ほんの少しその力があるだけで、人は変わっていけることもあるのだというのに。

「……それは違うぞ、映子」

 ことり、と空になった湯呑を机に置いて、蓮花は告げた。

「愛とは大抵、独りよがりから始まるものだ。ただただ相手のことさえ鑑みず、恋を胸の内に募らせて身を焼き焦がす。時にはその想いを腐らせて、己も相手も滅ぼすことになるというのに。えてして、綺麗なだけの感情ではないのだ」
「でも、恋は時に大輪の花を咲かせ、何よりも人の人生を華やかにしてくれるものですわ。……蓮花様、貴方のおかげで、わたくしはそれを知ることができたのです」
「やめろやめろ。そんなことを言われると、調子に乗ってしまうぞ俺は」

 ははは、と笑う蓮花は、酔ってもいないのに顔が赤いように見える。そして最後に、いいんだな?と言ってきた。

「もし本当に良いのなら……このたびの儀式、蓮花ではなく……蓮、と。俺の本来の名で呼んではくれぬか」
「でしたら、わたくしのことも。映子ではなく、映、とお呼びください。宋映。それが本来の、わたくしの名なのですから」
「ああ、勿論だとも」

 壷を取り出し、するすると紐を解く。映子は意を決して、呪文を唱えた。

「ケラ・セケラ・セナ。偉大なる女神、ジェニファー・レテよ。その力の片鱗、我に見せ給え」

 ぽうう、と壷の中に紫色の水が沸き出し、光を放ち始める。蓮花――否。蓮が髪を人房、小太刀で切り落として映子、否、映に渡した。映はそれを壷の、紫色の水の中に落とす。

「“ジェニファーの加護を、この者に。蓮を西皇国の天慶てんけいへ”」

 逃げる先は考えた末、西皇国の辺境の市へと決めた。北皇国とはほぼ国交が途絶えている国。だからこそ、一番安全に潜伏することができると考えたのだ。特に、西の国では蓮花のように紫の瞳の人間は重宝される文化がある。無下にされる心配も少ないだろう。

「映、必ず……必ず生きて、会おうぞ!」

 蓮の姿が、紫色の光に包まれて溶けるように消えた。これで、彼は西皇国に逃げることができたはずだ。あとは、映が覚悟を決めるのみ。
 そう、術をかけた本人が壷の力で飛ぶためには、大きな代償を払わなければならないのである。それは、ある意味では命を捨てるよりも大きな覚悟が要求される代償だ。
 つまり。

――蓮。……わたくしは、死にません。貴方と生きて、必ず新しい夜明けを見るのです。

 映は自らの小太刀を壷の中の液体につけると、やや紫色の光を帯びた刃を――自らの左の手首に押し当てた。
 そう。代償とは、己の手。
 自ら手首を切り落とし、その痛みと苦痛、後遺症に耐える覚悟。場合によっては大量出血で死ぬことも充分に考えられるだろう。しかしもしそれに耐えうるのならば、術をかけた本人もまた望んだ場所へ飛ぶことができるのだ。映はそれを己が行うと決めた。その痛みをもってして、愛を証明してみせるのだと。

「“ジェニファーの加護を、わたくしに。映を西皇国の天慶てんけいへ”」

 映は歯を食いしばり、そして。

――今、そちらに向かいます、蓮。絶対に、貴方を一人になどさせない……もう二度と。

 刃を強く押し当て、引いたのである。



 ***



 花舞台の翌日。
 北神邸は大きな騒ぎとなっていた。よりにもよって第一妃とその御付きの女官が、二人揃って姿を消していたからである。
 彼女らの部屋からは、二人分の遺書と、それから大量の血痕が見つかった。部屋にあった壷の中には御付きの女官と思われる娘の切り落とされた手首が落ちており、まるで娘と妃が壷に喰われて死んでしまったようだと恐れ慄くことになったのだという。
 そして、その日の朝。いなくなった女官、映子の実家である宋家には、一通の手紙が届けられていたことがわかっている。
 その手紙には家族に向けて、このような文面が記されていたそうだ。



『お父様、お母様。

 わたくし、宋映は。帝に仕える女官、映子となれたことを誇りに思っております。
 お二人のご尽力あってこそ、今のわたくしがあり、感謝はしてもしきれないほどです。
 本当にありがとうございます。そして、申し訳ありません。わたくしはこのたび、その地位を、そして宋の家を、何もかもを捨てなければならなくなりました。
 何故ならば、そのすべてを捨ててでも、守らねばならぬものができてしまったからです。
 愛すべきものを見つけてしまったがためです。

 この胸の内にあるそれを守る為には、朝を待つことは叶いませんでした。
 その想いが暁に散る前に、わたくしは誰も見果てぬ場所へと旅に出ようと思います。

 先立つ不孝を、お許しください。
 そして、本当に申し訳ありません。皆さまの不幸を理解してなお、今のわたくしはあまりにも幸福なのです。

 何故ならわたくしは、今。
 誰にも譲れぬ宝物を抱いているのですから』
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