暁に散る前に

はじめアキラ

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<23・ハナブタイ。>

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 花舞台の日は、色々な意味で特別な意味を持つ。
 普段は帝以外に入れぬ後宮の中庭に特設の舞台を設け、帝や妃のみならず高官の男子達をも招いて妃達の歌と舞を見物して貰う。これは、帝にとっては妃を品定めする場所であると同時に、妃にとっては数少ない楽しみであり、また帝の威光を示すための重要な儀式でもあるのだった。これほどまでに美しく、魅力のある舞ができる女性達を自分は囲っている、それだけの権力がある――と。帝が名だたる貴族の男子達に見せることで、己の威厳を保つのである。これは、北皇国が“帝一人に複数の側室がつく”という仕組みを作った当初からあるものだった。この国では太古の昔から、神様を慰めるためにも歌と舞を用いる。これらは特別な、神聖な意味を持つものとして重んじられてきた伝統があるのだ。

――準備は出来うる限りしてきたわ。

 秀花は、己の持ちうる中でも最高級の着物を身に纏って参上していた。赤い布地に、キンツメクサの刺繍がところせましと散りばめられた豪勢なものである。衣装が全てではないが、とにかく衣装だけでも誰より目立ちたい。帝は勿論、高官達の覚えがめでたいことも重要なのだ。それだけで、帝の印象も充分すぎるほど良いものとなるのだから。
 縁花がいなくなったので、現在この場にいる妃は九人。
 第一妃の蓮花れんか
 第二妃の秀花しゅうか
 第三妃の然花ねんか
 第四妃の鶯花おうか
 第五妃の顕花けんか
 第七妃の楼花ろうか
 第八妃の楓花ふうか
 第十妃の善花ぜんか
 各々が本名から一文字を取り、花の名前を与えられた妃達が一同に会すこの場所。舞台袖にずらり、と並んだ美女たちを前に、特設された観客席に集まった高官達が色めきだつのがわかった。特に、秀花は長年妃として務めているため、特に好んでくれている殿方もいることを知っている。
 ほら、こうしている間にも聞こえてくるではないか。

「おお、今年も秀花様はなんとお美しい。あの燃えるような赤いお召し物、よくお似合いだ。あの刺繍はキンツメクサか?相当高価なものなのであろうな。秀花様といったらやはり、あのような衣装を身に纏ってこそよな」

 やはり、自分は注目されている。秀花は気分がよくなり、ふふん、と背筋を伸ばした。高官たちは妃たちに聞こえているかもしれないことも気にせず、好きなように雑談を楽しんでいる。

「なに、衣装だけではないだろうよ。秀花様はなんといっても舞の名手であるぞ。得意な演目は多いが、私は特に“皇国賛歌”の曲が好きでなあ。帝を讃える、なんとも勇ましい歌よ。それが、秀花様の手にかかれば勇ましいのみならず、なんとも艶やかに変貌するのだ。あれは見ものであろう?」
「そうであったな。今回は新曲をご披露して頂けるとのこと。どのような曲が来るのか全く想像がつかぬ」
「かつては秀花様こそが第一妃であったからな。蓮花様の存在から押し出されて、さぞかし悔しい思いをされたであろう。それを挽回するためにも、今年こそはと気合が入っているという話を聴くぞ。きっと、難易度の高い曲を選んでこられるに違いあるまい」
「楽しみであるなあ。そういえば縁花様の行方は結局見つかっていないのだったか」
「ああ、残念ながら。山へ逃れたというお噂もあるが……実際は、山奥へ探しに行くのは難しいであろうからな。それこそ、今の季節では朝昼の短い時間しか探すことができんだろう、日が落ちた途端一気に気温も下がるからな。滅多なことを言うものではないが、第九妃のために貴重な兵を無駄死にさせるのも、と帝もお考えなのではないか」
「これが第一妃の蓮花様であったなら、何人犠牲者を出してでも山も町も余さず探してみせたかもしれんな。お噂によれば、蓮花様以外との間に世継ぎはほしくないと宣っておいでだというではないか。しかし、もう二年か三年だったか?縁花様を娶ってからまったく御子ができる様子もないというのに。帝もそろそろ良いお年だが、大丈夫なのであろうか」
「まあ、先々代などは七十五の歳を越えてから御子が生まれたなんてこともあったし、男児の精力が尽きていないのであればそれは可能であろうとも。蓮花様もまだ非常にお若いはずであったしな、十七とかそこらであったか?なら、まだまだ先は長いだろうとも」
「その蓮花様の舞も見事なものであったそうだな。前回の花舞台、私は見物することができなんだが……」

 段々と、話が面白くない方向に進んでくる。秀花は腹が立って、聴き耳を立てるのをやめた。何が楽しくて、忌々しい女を讃える声など聴かなければならないのか。
 縁花がいた時は、腹立たしい女を共に苛めるという意味で爽快な仲間であったのは事実だ。蓮花以上に、いつもびくびくしていて、大した器量も実力もないのに妃として居座る縁花が憎らしくてならなかったからである。その縁花を、あの蓮花も自分に同調して嫌っているという構図が実に気分が良いものだったのだ。自分はやはり間違っていない、正しいのだとそう思わせてくれるのであれば、たとえ目の上のたんこぶであろうとも少しは存在を肯定してやろうという気になるのである。
 が、縁花がいなくなれば。蓮花はまた、自分の道を阻む邪魔者でしかない。それでもあの御付きの、映子とかいう女官が自分に味方をすればまだ楽しいものであったのを。



『失礼します。……花舞台、楽しみにしておりますわ』



 忌々しい。ギリリ、と秀花は奥歯を噛み締める。何が楽しみにしている、だ。自分を、あんな娼婦上がりの女より劣っていると評したあの女。蓮花もムカつくが、今は同じだけ映子が許せない。たかが女官風情が、この第二妃の秀花に恥をかかせたのである。絶対に許しはしない。何がなんても、後悔させてやらなければ気が済まなかった。

――思い知らせてあげる。この後宮での、本当の権力者は誰なのか……帝に愛されるに、最も相応しい女が誰であるのかということをね!

 観客席の端で、似合わぬ桃色の着物をまとって待機している映子をちらりと見、それから妃の一列で青い袴を着、明らかな男装をした蓮花の姿を見た。男装ということは、曲目はアレかアレのあたりか、と大体のあたりをつける。映子がお姫様の装いならば、もうほとんど絞れるも同然だ。

――馬鹿な女。帝に見初められるためのこの舞台で、よりにもよって男の格好をする曲を選ぶだなんて!勝負を捨てたも同然ね。

 絶対に、見返してやる。秀花がそう胸に誓った時、舞台上に司会役の男が上がってくるのが見えた。
 彼は右手を高々に上げ、宣言をする。

「それではこれより、我らが帝、北郷様が主催される……花舞台の開始を宣言する!」

 わあああ、と観客席から一気に歓声が上がった。



 ***



 この国において、歌と舞の鍛錬は高貴な女性の一般教養の一つとして数えられる。美しい歌声と、麗しい舞の技術を持つ女性はそれだけで非常に魅力的なものだと捉えられるからだ。むしろ多少不器量であっても、歌と舞が堪能ならば玉の輿に乗ることも充分可能と言われるほどである。
 今いる妃達の中で、秀花と張り合えるほどの舞の技術を持つ者は蓮花くらいなものだった。
 正確には、第四妃の鶯花はなかなかの舞い手であるものの、少し前に足を痛めてしまったとのことで今回は難易度の低いものしか踊れないであろうと言われている。故に、彼女は好敵手にはなりえない。やはり、蓮花さえなんとかすれば、秀花の優勝は確実なものだろう。
 そう、この舞台はなんといっても、最終的に帝自らが妃達の舞台に審判を下し、最も美しい舞を魅せたものを表彰することになっているのだ。目に見える功績というものは非常に大きい。妃達が、他の者達に負けられぬと稽古に汗を流すのも当然なのである。

――前回まであの蓮花に煮え湯を飲まされてきたけれど。今回のあたくしは完璧よ。あいつらに負けるつもりはないわ。

 実力だけでも充分に自分は勝てる。その上、今回は罠も仕掛けるつもりでいる。
 失敗する余地などどこにもあるまい。

「それでは、次。第二妃、秀花様」

 妃達の舞が順調に終わっていき(やはりと言うべきか、鶯花の曲はかなり簡易的なものとなっていた)、第三妃の然花の曲が終了となった。さあ、いよいよ自分の番だ。今回のために新調した扇子を手に、秀花は舞台へと上がっていく。
 男性たちの視線が、一斉に自分に集まっているのがわかる。何の曲をやるのか、楽器を演奏する演者と曲目を発表する司会進行以外には誰にも知らされていないのだ。秀花が中央に立った瞬間、司会が高らかに宣言した。

「曲目は、“霊告斬歌れいこくざんか”でございます」

 一瞬、観客席がざわついた。霊告斬歌。あまり貴族達の舞台でも上演されることのない、珍しい楽曲である。理由は単純明快。この曲の難易度が恐ろしく高いからだ。歌って舞える者が、本当に少ない。まさかそれを選んできたのか、と観客たちがどよめくのも当然だろう。

「まさか、霊告斬歌だと……!?」
「さすが秀花様、挑戦心に溢れておられる」
「しっ、静かに!始まるぞ!」

 男達のそのようなざわつきさえ、心地よい。秀花は背筋をぴん、と伸ばし――扇子を高々と頭の上に掲げた。この姿勢こそ、初動。あとは、激しい銅鑼の音で全てが始まる。

――見せて差し上げるわ、あたくしの本気を!

 ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!

 叩きつけるような、銅鑼の音色。それが意味する者は、大雨の中で落ちる激しい雷だ。
 さらには細かく刻むような太鼓の音が響き始める。それを合図に、秀花はよろめくようにその場にしゃがみこんだ。

「いと、かなし!」

 そして、歌い始めるのである。己の魂をかけた、全身全霊の一曲を。
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