暁に散る前に

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<21・セイセイドウドウ。>

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 女官になるような娘には、野心家が多い。そんなことは秀花にもわかっていたことである。事務から雑用まで、幅広くこなすスキルと度胸が必要。貴族の娘がこのようなことを!なんてぐだぐだ言わずに泥仕事も行い、いざという時は帝と妃を守る盾にもなるのが仕事だ。かつて春舞台で帝に見初められ、女官にならずして一足飛びに貴族の地位を得た秀花とは根本的に違うのだろうなとは思う。
 そう、だからこそ。
 最終的に妃になれるのならば、何だってやるという女官は少なくないはずだと思っていたのだ。実際秀花が地位をチラつかせてやれば、縁花の女官たちはあっさりと陥落し、自分の言う通りの細工をこなしてくれたのだから(実際、いざ帝にことがバレたならトカゲのしっぽ切りにされるとは夢にも思わず、馬鹿な奴らである)。蓮花の女官である、あの映子とかいう女も簡単に乗ってくるだろうと思っていたのに。

「あいつ……!」

 言い返してやる前に、部屋に戻られてしまった。我ながらなんということか。この秀花が、第二妃がたかが女官ごときに威圧されるだなんて!



『自分の魅力を磨くより、努力して技能を高めるより。……誰かに恥をかかせて突き落とそうという、その考え方が私は大っ嫌いですの。申し訳ないですけど』



 ああ、ああ!
 なんたる無礼者!



『そのような方より。蓮花様の方が、遥かに人として真っ当と思いますわ』



 よりにもよって、上級貴族の娘たる自分を!
 あんな娼婦あがりの女より劣ると評するなんて、なんという侮辱であることか!

「……いいわ」

 ぎりぎりと拳を握りしめ、そして手摺へと叩きつけた。

「あんたがそのつもりだってなら、こっちにも考えがあるわよ。……あたくしを敵に回したこと、存分に後悔させてやろうじゃないの……!」

 映子に手引きさせるのが一番簡単ではあったが、だからといって方法がないわけではない。確かにこれで、縁花に使ったのと同じ手は使えなくなったが、ようは舞台の上で蓮花に恥をかかせることができればそれでいいのだ。
 やり方は、いくらでもある。
 幸い妃の席は、帝と並んで舞台に近いところに設置される。自分がそこからこっそりと何かを飛ばしてもよし、あるいは舞台上から攻撃されたように見せかけてもよし。
 そもそも、妃達の演目は、いつも通りならば第十妃から順番に行われるはずなのである。つまり、第二妃である秀花の手番は、蓮花&映子の舞よりも先に回ってくるということ。直前に何かを仕掛けることも不可能ではあるまい。

――思い知らせてやるわ、蓮花に映子!帝に愛されるに最も相応しい女は、この国で一番美しい女はこのあたくしなのよ……!



 ***



 やりたいことが、できた。
 自分にとって今、一番大切なものが何か、はっきりとわかったのだ。
 目標が決まれば、あとはただただ自分の前にある道を真っ直ぐ進めばよいだけのこと。迷いを捨てた映子は強かった。例えその道が茨の道であろうとも関係ないのだ。そこに道があるとわかっているのであれば。その先に、望む未来があると知っているのであれば。

っ!」

 しゅんっ、と風を切るような音をした。蓮花が小太刀を抜刀し、映子の頭の上で振り抜いた音である。
 部屋での稽古も、大詰めを迎えていた。現在練習しているのは、満月奇譚の中盤の見せ場となる場面である。
 この演目は、主に三つの構成によって成り立っている。最初は、さめざめと月を見つめて泣く姫の元に、月の精霊となった元兄が降りてくる出会いの場面。その後二人が逢瀬を重ねて恋仲のようになっていく描写を挟んだ後、魔物に襲われる姫を兄が助ける場面。最後に姫が想いを伝えたところで兄が正体を明かし、別れを告げて月へと帰っていくところで話が終わるのである。
 今やっているのは、その中でも華やかな場面である。魔物に襲われた姫を、兄が助けるところだ。これは、安全かつ優美に剣を振る技術が求められる重要な見せ所である。敵役の役者はいないとはいえ、それでも殺陣に精通していなければ演じ切ることはできないだろう。ましてや、実際に真剣を使うのだから尚更に。

――いくら実際は男でも、蓮花様ってずっと遊郭と後宮にいるわけでしょ。本当に殺陣なんてできるのかしら。

 ちょっと前までそう思っていた映子だったが、彼が演技を始めてすぐにそれが杞憂であったと知った。

「あいや、なにゆえ、このような乙女に傷をつけんとするか!」

 高々と名乗りを上げ、剣を見えない敵へと向ける蓮花。この場面、映子はほとんど座り込んだまま、それとなく彼の動きを邪魔しないよう舞台の端に後退していくだけの役目となる。魔物に怯えて震える姫の役なのだから、この場面で地味なのは致し方ない事ではあるのだが。

「さては、さては、さては。人の幸福を妬む心の闇ぞ。今この私が、この聖なる太刀でもってして断ち切ってやろう!」

 ここからは、太鼓の音とともに息もつかせぬほど激しい一人舞台が始まる。見えぬ敵をただ斬るのみならず、その攻撃を躱し、防ぐ動作も機敏に求められるのだ。全体からすればけして長い場面ではないはずなのだが、それでも魔物を相手に踊るように立ち回り続けるには並々ならぬ体力が必要となってくるだろう。
 しかも。

「愛を謳うは、人の性……」

 剣舞のみならず、時折歌も混じってくるのだ。太鼓の音がやんだ瞬間に、すべり込むように歌声を織り交ぜなければいけない。

「それを邪魔立てするのだれば、神の使徒とて容赦はできぬ!人は、人は、愛に生き。人は、人は愛に死ぬ。例えこの身が朽ち果てようと、愛し人こそ守るため。立ち向かうのは魔性の獣……!」

 だが、蓮花にその心配は全く無用であるようだった。彼は素早く切り回ったところで、ぴたりと足を止めて歌い、さらにすぐさま敵と切り結んでは所定の位置まで立って朗々と続きを紡ぐのである。軽やかな足運びは、彼の高い脚力と安定感のなせる業だろう。恐らく単純に体力があるなしのみならず、彼の女性並みに軽い体重がそれを可能としているに違いない。足運びに無駄がなく、着地の際にもどたどたと下品な音を立てることがないのだ。まるで羽衣でも纏っているかのように、かろやかに床に降り立ち、次の動作へ以降している。
 まるで、舞い踊るために生まれたかのよう。これを天賦の才と言わずして、なんと言うべきか。

「月の君!」

 最後は、魔物を倒し切って疲れ果てた精霊のところに、腰がひけていた姫がどうにか立ち上がって駆け寄るところで場面が切り替わる。この場面での映子の台詞は、この“月の君”をあわせてもほんの僅かしかない。だからこそ、難しいとも言えるのだが。
 台詞で感情を表現するよりも遥かに、台詞ナシで想いを魅せる方がずっと困難極まるのである。

「……よし、ここまでだ」

 パン!と手を叩いて蓮花は言った。

「すまんな、少々足運びがもたついてしまった。あそこで一拍遅れると、後の拍も大きく狂ってしまう。気を付けなければならんな」
「……そんなところ、ありましたっけ?」
「太鼓と三味線の音がつけばすぐに分ったろうさ。しかし、映子もどんどん上手くなるな。これならば、最高の花舞台を魅せてやれそうだ!」

 ははは、と蓮花は笑う。一度休憩の流れならば、どうしても彼に尋ねておきたいことがあった。そう、何故自分を花舞台に誘ったのかどうか、だ。

「蓮花様。……こうしてともに躍らせていただいて、わたくしは舞と歌の本当の面白さを知れたように思います。蓮花様には、とても感謝しているのです」

 だからこそ、と映子は続ける。

「だからこそ、何ゆえ……蓮花様は、わたくしをお誘いになられたのでしょう?確かに過去、女官と共に踊った事例はいくつかありましたし、規則の上での問題はありませんが。しかし、息を合わせるのは大変ですし、何より蓮花様ほどの歌い手、踊り手についてこられる女官は少ないでしょう。少なくとも、歌に関してはどれほど上達したとてわたくしが足を引っ張っているのは間違いありません。それなのに貴方は……わたくしが音痴であるのを知ってもなお、誘うことをおやめになりませんでした。何故なのです?」

 彼が、自分に最初から好意を寄せてくれていたことは知っている。でも、それだけでは説明がつかないことも多いような気がするのだ。

 それこそ、縁花にしたように――秀花が自分の舞台を妨害してくることも充分考えられたはず。今回はたまたま映子が断ったからいいようなものの、女官によっては買収された可能性も充分考えられるというのに。

「何度も言わせるでない。貴様に惚れているからだ」

 蓮花は肩をすくめて言う。

「もっと言うとな。……俺は、花舞台を唯一の楽しみだと思っている。舞う側としてもだ。それが、いつ最後になるかわからんと思ったら、どうしても一度……貴様と踊っておきたかったのだ」
「最後って」
「身重の身になったなら舞台になんぞ上げてはもらえんだろう。花舞台も、病と身重の妃は出番を免除されるからな。万が一、万が一そのようなおぞましいことになったら……あの帝が、御子一人で満足するとも考えられぬ。それこそ俺は、死ぬまで子を産まされ続けることさえ考えなければならんのでな……」

 何で男の身でこのような心配をせねばならぬのであろうなあ、と蓮花は苦々しく笑う。

「俺が帝で、貴様を、映子を娶る側であったならと……ついつい妄想してしまうこともあるほどだ。全く、情けない。俺も男かな。そなたに同じような苦しみを与えることを、僅かばかりとはいえ考えてしまうなんて……」

 帝が秘術を見つけるまで、もはやいくばくの猶予もないのではないかという噂がある。本当にそうなってしまえば、蓮花に待つのは文字通り悲惨な未来だろう。そもそも、男が両性の体になったとて、きちんと無事に子を孕んで産むことなどできるのだろうか。普通の女人の出産でさえ、母親が死ぬことなど珍しくもないというのに。

「……そうでしたか」

 その言葉は、まさに。映子にとって、決意をゆるぎないものにするのに充分なもので。

「蓮花様。実は……二つばかり、お願いがあるのです。実は昨夜、夜の散歩の最中にわたくしは……秀花様とお会いしました。そして、貴女様を裏切って自分の下につけ、花舞台で蓮花様に恥をかかせる手伝いをしろと仰られたのです」
「……まあ、あの女ならやりかねんな。縁花がいなくなった今、矛先は必然的に俺に向くのだろうさ」
「わたくしは、蓮花様ほど大人ではありません。あのようなお方に、妃を名乗って頂きたくもありません。ですので」

 映子は、蓮花の手を握って、言ったのである。

「花舞台。何がなんても、あのお方よりも素晴らしいものを魅せつけてやりましょう。卑怯な手など使わず、正々堂々こちらが上であると教えて差し上げるのです。それが、お願いの一つ目。そして、もう一つは……」

 その瞬間。蓮花の眼が、驚愕に見開かれたのである。 
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