暁に散る前に

はじめアキラ

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<20・センセンフコク。>

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 とっておきの話、なんて言い方をされても。正直嫌な予感しかないというのが映子の本音である。というか、はっきり言って秀花に関しては良い印象がまったくないのだ。これみよがしに縁花を苛めて、恥をかかせようとしていた性悪女。言い方は悪いが、ようはそんな感想しかないわけで。

「……わたくしのような下々の者に、縁花様ほどの方がどういったご用件で?」

 皮肉たっぷりに言ったものの、向こうには通じなかったのか彼女は甲高い笑い声を上げた。

「謙虚で可愛くってよ、貴女。そんなに怖がらないで、本当にちょっとしたご相談があるだけだから」
「相談?」

 怖がってなんかねえわアホ、と言いたいのを堪えつつ訊き返す。忌々しいが、忌々しくてたまらないが、本当に忌々しいことだが。実際、この女が第二妃であり、自分が現状ただの女官でしかないのは紛れもない事実なのである。明確に規定が定められているわけではないが、後宮内での女官の地位は妃どころか妾よりも低いものだとされている。下働きだ、雑用係だと嘲笑う妃もいると聞く――というかこいつは間違いなくその類だろう。
 下手に機嫌を損ねれば、どのように尾ひれをつけて騒ぎ立てるかわかったものではない。どれだけ腹が立ってもここは、穏便に済ませるしかないと知っていた。いくら自分が第一妃付きとはいえ、結局女官であることに間違いはないのだから。

「縁花のことはとても残念だったわ。あたくしはただ先輩として、ね?彼女がこれからもがんばって行けるように、的確な助言をしていただけのつもりだったのに」

 はあ、とため息をつく秀花。

「ほら、貴女は見ていないでしょうけれど……縁花ったら、前の花舞台の時本当に酷いものだったのよ。帯が解けてしまうこと自体はまあ、彼女の“御付きの女官の不手際”か、もしくは本人の監督不行きといったところでしょうけれど。まさか、ねえ。あんなにもはしたなく派手に転んで、しかも下帯までまくれあがるだなんて!ああ、立派に割れた桃のようなお尻が丸見えだったのよ。しかも、ねえ。なんともはしたない、不浄の穴まで綺麗に見えていたわ。ドス黒くて、まるでしわしわの梅干しみたいだったわよ、思わず声を上げて笑ってしまいましたもの!」

 つらつらつらつら。よくもまあ、いけしゃあしゃあとそんなことが言えたものである。品性の欠片もない、としか言いようがなかった。どうせ、細工をしたのは帯だけではなかったのだろう。うら若い女性であるはずの縁花が、殿方の前で秘めたる場所まで暴かれて、どれほど恥ずかしい思いをしたことか。想像するだけで余りあるものである。その場で消えてなくなりたい、自害したいとさえ思ったに違いない。
 しかもそれを、このような女にあげつらって嗤われたとは。帝はこいつの悪戯に気づかなかったのか、それとも。

「まあ、あれも余興としてはなかなか面白いものではあったのだけれどね。道化になることを狙って舞台に上がったのだとしたら、縁花はなかなかの役者であったと思うわ。惜しいわね、もう少し早く後宮入りしていたら、貴女も見ることができたでしょうに!帝もとても楽しそうにしてらっしゃったわよ、はしたないみっともないと指を差しながらも、明らかに嗤ってらっしゃったもの!」

 前言撤回。帝もクズの仲間だった、と映子は心の中で罵倒してしまう。ああ、堂々と“てめぇ男の風上にも置けねえじゃねえかこの野郎!”なんて言ったら反逆罪だろうが、いくら帝であっても人の心までは覗けないのだ。心の中でいくら罵詈雑言並べようが許されるだろう、許されるだろうとも!
 第九妃とはいえ、妃は妃。ちゃんとした御付きがついているし、身ぎれいにしているのは間違いないのだ。それがそこまで恥を晒すような結果になるのは明らかに誰かの手が入ったせいだと何故わからないのか。そこで何者かの悪質な嫌がらせも疑わず、あるいは見て見ぬふりをして笑いものにするなど言語道断である。

「……申し訳ありませんが、興味がないので」

 これ以上この女と話していたら耳が腐りそうだ。映子は怒りをどうにか押し殺して、その場を立ち去ろうとした。しかし。

「でね、蓮花様が同じように道化になられたら、もっと殿方の皆さんを喜ばせられると思わない?」
「!?」

 聞き捨てならぬ言葉が聞こえて、思わず振り返る。そこには、にやにやと笑う秀花の姿が。

「蓮花様はとても美しい方ではらっしゃるけど……正直性格はだいぶ難がおありでしょう?貴女も御付きの女官として、いろいろと振り回されて困っているのではないかしら」

 昔からそうなのよ、と秀花。

「あたくしは、蓮花様がこの後宮にいらっしゃる前から此処にいて……蓮花様のことはいらっしゃった時からもうずーっと見ているのだけれどね。女官が入れ代わり立ち代わり、すぐ替わることでも有名なのよね。多くの女官が、蓮花様にいじめられて心を病んでしまって暇を貰うとか、あるいはそれこそ縁花様のように自ら命を絶つべく山へと消えてしまう子もいるわ。妃だってそう、蓮花様に苛め抜かれていなくなってしまった子もちらほらと……私はとてもあしらい上手だし、蓮花様にも認められているからなのかそのようなことはないのだけれどね」

 ああ、そういう認識か、と映子はうんざりする。いや、蓮花がそうやって自分の性格を悪辣に見せているのは間違いないし、いなくなった子らが秘術の力で逃がされていると知られていないのは良いことではあるが。
 だがしかし、自分が苛められていないのは実力があるからだ、と思い上がっているのがまたすごい話である。元々第一妃であったのが追い落とされて第二妃に降格となった女、しかもかなりの古参であるというのに帝からの愛情が薄く、まだ一人も子を産めてもいないというのにその自信はどこから来るのだろう。
 自信を持つことと、傲慢になることは全く別。自分の実力以上に思い上がる者はいずれ自滅するものだ、自分も気を付けなければ――と心の中で記録する映子である。

「はっきり言って、いくら美しかろうとそのような人が、帝の第一妃として相応しいかというと、それはおかしなことかなと思うわけなの。だって、いずれ帝との間に男児が生まれてしまえば、その子が次の帝となるわけでしょう?そのように性格的に問題がある方の血を引き継ぐ御子が跡継ぎになって、果たしてこの国の政を正しく行えるものなのかしら。我儘で、自分勝手な政治をされてしまっては、みんながみんな困り果てて路頭に迷ってしまうでしょう?」
「自分こそが、本来第一妃に相応しい、と?」
「少なくとも、あのお方よりはマシであるという自負があるのだけれどね」

 なんとも謙虚な物言いをするものだ。本来は、野望でギラギラしているくせに。

「……それで、何が仰りたいのです?」

 段々と見えてきた。この女の意図が。

「今度の花舞台、貴女も一緒に出るのですってね。演目は当日発表だから、私も貴女達がどんな曲で舞うのかまでは知らないけれど」

 にやり、と嗤って秀花が言う。

「単刀直入に言うわ。映子、貴女……あたくしの下につきなさいな」
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味よ。表向き蓮花様の御付きをしながら、実際は私の指示で動きなさいということ。少なくとも、あたくしは蓮花様ほど強欲で我儘ではないわ。もっと誠実で、働きに見合った成果を約束してあげる。最終的に跡継ぎの御子を産んで初めて妃の地位は確かなものとなるのだけれど、実はその御付きだった女官も帝にお褒めの言葉が頂けるの。その時、帝の覚えがめでたい者は妃になれる可能性があるというのをご存知かしら」
「なるほど。秀花様が帝の跡継ぎを産めば、秀花様の地位も確実に上がる。そしてその御付きの者も、ということですか」
「察しがいいのね、その通りよ」

 つまり、彼女が言いたいのはこういうことだろう。

「……蓮花様を第一妃から落とすために、私に協力しろと仰るのですか」

 一緒に踊る女官の裏切りほど、対処できないものはない。それこそ映子が舞の最中に、蓮花の着物の裾でも踏んでしまえばそれだけで舞台は崩壊するだろう。その上で、蓮花の着物にも脱げやすくなりような細工の一つでもなされていれば、余計恥を晒させることになるはずだ。
 いくら寵愛されている第一妃と言えど、そこまでの醜態を晒してしまえば――帝も蓮花を、庇い切れるものではないのではないか、と。

「ちょっと失敗してくれればいいのよ。なんなら、蓮花にわからないように、転んだふりして足を引っ掻けてくれるだけでもいいの」

 手摺に凭れて、秀花は実に嬉しそうに笑う。美しい女性であるのは間違いないはずなのに、長い前髪の影からぎらぎらと覗く目が、まるで肉食獣のそれのように思えるのは何故だろう。

「花舞台は、単に帝や高官の皆様を楽しませるだけのものではないわ。あれは、帝が妃を改めて品定めするものでもあるの。……つまり、その舞いの結果次第では、妃の順位が入れ替わることもままあるということなのよ。あたくしが蓮花様より上に行くのに、これほどの好機はないというわけ。……協力してくれれば、金子も用意するし、なんなら貴女も妃になれるように口利きしてあげてもいいわよ?あたくしに従うのなら妃になった後だって“仲良く”してあげる。悪い話ではないでしょう?……だって貴女も女官として入ってきたからには……ね。最終的に、妃の座を目指してそこにいるんだもの。違う?」

 自分に従うならば、帝に取り入って映子を妃にしてやっていいと言う。それは、一見すると魅力的な提案なのかもしれなかった。確かに秀花は現在蓮花よりも順位が低いが、本当に花舞台で蓮花が大失態を犯せばその順位が変動する可能性も充分にあるのだから。
 そして、もし。
 もし後宮に来たばかりの頃の映子なら、その誘いに頷くこともあったのかもしれない。宋家の名誉を背負い、妃になって家の汚名を返上する。間違いなく自分は、そのために女官となってここに来て、毎日雑用も何もかもをこなしているのだから。
 でも。

「……秀花様」

 今の映子は、あの時の映子ではない。
 自分で思っていた以上に、躊躇う気持ちは生まれなかった。例え、この返事をすることで秀花の不興を買うのだとしても。

「お断りしますわ」
「!」
「秀花様が、このような話を今持ってきたのは……縁花様がいらっしゃらなくなったからなのでしょう?つまり、今までのように苛められる対象がいなくなってしまったから、その苛立ちをまた蓮花様にぶつけて差し上げようというのですよね」
「なっ……」

 絶句する秀花。自分も、我慢の限界というものがある。元より、大人しい気性など持ち合わせていないのだから。

「自分の魅力を磨くより、努力して技能を高めるより。……誰かに恥をかかせて突き落とそうという、その考え方が私は大っ嫌いですの。申し訳ないですけど」

 きっと、秀花には本気で映子が“蓮花に振り回されて迷惑している”ようにも見えていたのだろう。それも間違ってはいない。でも。
 今は、それ以上に。

「そのような方より。蓮花様の方が、遥かに人として真っ当と思いますわ」

 あの人を、助けたい。そのような気持ちが、どこまでも強くなっている。
 このような誰かの悪意から、蓮花を守れるのは。蓮花の本当の心を知って寄り添えるのはきっと、この後宮で自分だけであるはずだ。
 自分は絶対、蓮花を一人になどしない。
 だって、自分は、彼を。

「失礼。……花舞台、楽しみにしております」

 そのままくるりと踵を返す映子。後ろで秀花が何やら叫んでいたような気もするが、無視することにした。
 有象無象の声など、聴く必要もあるまい。
 決意した映子の前には、月が確かな道を照らしているのだから。
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