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<17・マイオドル。>
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秋といえば、月が美しい季節である。ゆえに花舞台も例外として月が見える夜に行われることがある。中庭に特設舞台を作り、その中から第一~第十妃の十人(正確には女官も参加する場合があるので十組である)が、下位の妃から順番に歌と舞を披露して帝を楽しませるのだ。
第一妃の組である、蓮花と映子。二人で相談した末、楽曲は月夜に相応しい“満月奇譚”で決まった。満月の夜、死んだ兄を想って泣いていた姫君のところに、月の精霊が降りてきて慰めてくれるようになるというお話である。姫君はその見目麗しい精霊の話に慰められ、次第に恋をするようになるものの、精霊は美しい姫君の誘いをすげなく断ってしまうのである。
実は精霊の正体は死んだ姫君の兄であり、天国から神様にお願いして少しばかりの間現世に降りる事を許されていた死人であった、という物語だ。最後は二人でお別れの舞を踊り、物語の幕が下りるのである。暗い話であるようでいて、最終的に姫君は兄の想いを胸に前向きに生きていくことを伝えるという結末になっている。舞台化されている物語の中では、比較的明るく希望のあるものとして知られているだろう(なんといっても流行のせいか、やたらめったらこの手の歌劇には心中モノが多いのだ)。
この姫君と姫君の兄を、映子と蓮花の二人でやろうというのである。本当ならば蓮花が姫君をやった方が映えるだろうに、蓮花は断固として兄の役がやりたいと言って聴かなかった。
『良いではないか。実際、兄の方が舞も歌も難易度が高い上、実質こちらが主役であるぞ。それに……堂々と、男装ができる数少ない機会だ、許してくれまいか』
そう言われてしまっては、映子も否と言うことはできない。
今日も今日とて蓮花の部屋で稽古をつけて貰っている最中であった。まあ、姫の方の役を映子がやるのは妥当だったかもしれないと今になっては思うのである。明らかに、独唱の場面が少ないのだ。なるほど、自分が精霊をやっていたら間違いなくどこかでボロを出していたに違いない。
「あいや、愛し、兄様。なにゆえ、私を置いて身罷られたのか……!」
腹から声を出し、頭の中で音楽を慣らしながら音程を合わせる。舞いながら足で拍子を刻み、狂わぬように必死で力を込めて立つ。
明らかに、稽古を始めた時よりは上達しているはずだ。少なくとも声がよく飛ぶようになったのは映子自身にもよくわかっていることだった。
「月よ、月よ、我が涙を流し……月よ、月よ、此の聲を彼の人に。月よ、月よ、祈りは彼方……月よ、月よ、あまりに無力と……」
トン、とやや強く踏み込み、扇子を閉じて前へ。この物語の姫は、幼い頃は父の剣を触らせて欲しいとせがむほどにお転婆な性格だった。時折男装しては、ひそかに馬を駆って山へ入り、弓で動物を狩ることもあるほどに。この舞いは、そんな姫君の勇ましさと、そうでありながらも女性らしくたおやかな動きの両方を表現しなければならない。
扇子を突きだし、まるで刀のように両手で握る。そして声高らかに叫び、まるで刀を振るうように空中で切り結ぶのだ。自分が男ならば、兄を襲って殺した夜盗など皆こうして切り殺してやれたものを。何故自分はおなごであり、何もすることができなかったのか。嘆き、苦しみ、歌と共に芒の川べりで涙を流すのである。
そして、そこに現れるのが、月から降りてきた精霊。兄が転じた姿である。
「そこの麗しい姫よ。なにゆえ、そのように嘆くのか。そなたの涙はまるで星屑のよう、このままでは美しい瞳ごと川へと流れ落ちてしまおうぞ」
その声に、姫に扮した映子は振り向く。そして、精霊の美しさに感嘆し、立ち尽くすのだ。
「嗚呼、あなた様は……」
と。そこで、映子は完全に台詞が飛んでしまった。
――あ……。
派手な女物の着物が邪魔ということで、今だけは襦袢姿となっている蓮花である。別に、男装しているわけでもなく、別のお洒落をしているわけでもない。違うのはただ、守りの小太刀を本番で用いる太刀に見立てて腰に差しているだけである。
髪型も化粧も髪飾りも、華やかないつもの蓮花のそれと同じ。にも拘らず。刀を差しているだけで、それを今まさに抜き去ろうとしているだけで。勇ましい武家の男子のように見えてしまうのは、何故であろうか。
「どうした、姫よ。私の顔に、何かついているであろうか」
「あ、えっと……」
蓮花は、女装して違和感がないほど女顔なのは間違いない。でも男性だと知った上で、薄い襦袢を纏った体を見るとよくわかるのである。
細くても、骨ばったちゃんと男性の体をしていると。
平らな胸の上には均整のとれた筋肉がついており、合わせの間からは男らしい鎖骨が覗いている。その体も姿も、あまりに男子として魅力的が過ぎた。
「……おーい、映子?」
「はっ」
目の前でひらひらと手を振られて、映子はやっと自分がぼんやりしていた事実に気づいた。台詞も飛んでいたし、姫君の演技も完全に忘れてしまっていた。残りの稽古期間も長くはないというのに――映子は慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ございません、蓮花様!そ、その、つ、つい……蓮花様があまりにも勇ましくて見惚れてしまって」
「ほう?」
その言葉に、蓮花はにやり、と悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「惚れてもいいのだぞ?俺としては嬉しいのだがなあ?」
「!!」
何でそんなことを言うのだ、この人は。そんな意地悪な笑顔さえ格好良くて、映子は顔が真っ赤になるのを感じてしまう。
絶対結ばれない相手、そう言ったのは彼だというのに。
だから返事などいらない、忘れてもいいなんて言ったくせに。どうしてこう、自分を試すような物言いをするのだろう。
「ほ、惚れられても困るくせに!勝手なこと言わないでくださいませっ!」
結局返せるのは、そんなやけっぱちな言葉ばかりなのだ。ああ、自分の馬鹿、と映子は内心で頭を抱える。好きも嫌いも、まったく自分で自分がどうにもならない。素直になることさえできないなんて、本当に自分らしくもないというのに。
一緒にいればいるほど、この人の男性としての魅力に気づいてしまうから困る。
実際、愛し合うことなどけして出来ない身であるというのに。
「ははは、すまんすまん。しかし、そのように上の空では稽古にならんぞ。しっかりしたまえ」
「……すみません」
「そういえば、朝の草むしり。康子と随分楽しそうに雑談に興じていたようだが、何を話していたのだ?」
「あ……」
まあ、中庭の目立つ場所での会話である。草に埋もれていたとはいえ、別の誰かに聴かれる可能性は充分考慮していた。この様子だと、蓮花は自分達の会話の内容までは把握していないらしい。
迷った末、映子は蓮花に、康子にした相談の内容を正直に話すことにした。それから――その相談の後、康子から聞かされた気になる話についても。
「実は女官の中で噂になっていることが。……縁花様が実は、生きているのではないかというのです」
「ほう?遺書もあったし、何よりこの後宮の警備は厳重だ。ネズミ一匹逃げられる構造でなかったと思うが?」
「はい。ですが……特別な方法でなら逃げることもできたのではないか、と。そう」
はっきりと尋ねてはこなかったが、映子もずっと気にはなっていたのだ。縁花は生きているにせよ死んでいるにせよ、どうやってこの後宮から逃れたのかと。そしてそれには、蓮花が一枚噛んでいるのではないか、と。
「たとえば。……後宮の中の誰かが、秘術を用いて縁花様をこの場所から外に連れ出したのではないか……と。空間を飛ばしてしまうような術や、あるいは翼が生えて飛んでいけるような術があれば、そういったことも可能であったのではないかというのです」
秘術、という物言いから誤解されがちだが。そもそも術を使う方法や、その媒介がどういうものであるのかは誰も知らないことなのである。なんせ、世界の外からきた、それそのものが神聖な遺物であるのだから。
帝が国中の書庫を片っ端から探しているせいで、なんとなく本の形式で秘術を記したものがあるのではないか?という印象は強くなっているが。何も、秘術そのものが本であるとは限らないし、もっと別の宝物があって、それを使うと簡単に摩訶不思議な術を使うことができる――なんてことがあってもおかしくはないのだ。実際、映子が過去に読んできた幻想小説の類ならば、宝玉を用いるものや短剣を用いるもの、鏡を用いるものなど数々の種類が存在している。現実でも、そういったものである可能性は充分にあるだろう。
「秘術を使う本や宝物の類を誰かが隠し持っていて、それで縁花様を生きて逃がした。……もしそのような人物がいて、見つかってしまえば……重罪は免れられないでしょう」
蓮花は何も答えない。それがかえって不気味だと感じながらも、映子は畳みかけるのだ。
「蓮花様、正直に仰ってください。……縁花様を逃がされたのは、蓮花様なのですか?」
第一妃の組である、蓮花と映子。二人で相談した末、楽曲は月夜に相応しい“満月奇譚”で決まった。満月の夜、死んだ兄を想って泣いていた姫君のところに、月の精霊が降りてきて慰めてくれるようになるというお話である。姫君はその見目麗しい精霊の話に慰められ、次第に恋をするようになるものの、精霊は美しい姫君の誘いをすげなく断ってしまうのである。
実は精霊の正体は死んだ姫君の兄であり、天国から神様にお願いして少しばかりの間現世に降りる事を許されていた死人であった、という物語だ。最後は二人でお別れの舞を踊り、物語の幕が下りるのである。暗い話であるようでいて、最終的に姫君は兄の想いを胸に前向きに生きていくことを伝えるという結末になっている。舞台化されている物語の中では、比較的明るく希望のあるものとして知られているだろう(なんといっても流行のせいか、やたらめったらこの手の歌劇には心中モノが多いのだ)。
この姫君と姫君の兄を、映子と蓮花の二人でやろうというのである。本当ならば蓮花が姫君をやった方が映えるだろうに、蓮花は断固として兄の役がやりたいと言って聴かなかった。
『良いではないか。実際、兄の方が舞も歌も難易度が高い上、実質こちらが主役であるぞ。それに……堂々と、男装ができる数少ない機会だ、許してくれまいか』
そう言われてしまっては、映子も否と言うことはできない。
今日も今日とて蓮花の部屋で稽古をつけて貰っている最中であった。まあ、姫の方の役を映子がやるのは妥当だったかもしれないと今になっては思うのである。明らかに、独唱の場面が少ないのだ。なるほど、自分が精霊をやっていたら間違いなくどこかでボロを出していたに違いない。
「あいや、愛し、兄様。なにゆえ、私を置いて身罷られたのか……!」
腹から声を出し、頭の中で音楽を慣らしながら音程を合わせる。舞いながら足で拍子を刻み、狂わぬように必死で力を込めて立つ。
明らかに、稽古を始めた時よりは上達しているはずだ。少なくとも声がよく飛ぶようになったのは映子自身にもよくわかっていることだった。
「月よ、月よ、我が涙を流し……月よ、月よ、此の聲を彼の人に。月よ、月よ、祈りは彼方……月よ、月よ、あまりに無力と……」
トン、とやや強く踏み込み、扇子を閉じて前へ。この物語の姫は、幼い頃は父の剣を触らせて欲しいとせがむほどにお転婆な性格だった。時折男装しては、ひそかに馬を駆って山へ入り、弓で動物を狩ることもあるほどに。この舞いは、そんな姫君の勇ましさと、そうでありながらも女性らしくたおやかな動きの両方を表現しなければならない。
扇子を突きだし、まるで刀のように両手で握る。そして声高らかに叫び、まるで刀を振るうように空中で切り結ぶのだ。自分が男ならば、兄を襲って殺した夜盗など皆こうして切り殺してやれたものを。何故自分はおなごであり、何もすることができなかったのか。嘆き、苦しみ、歌と共に芒の川べりで涙を流すのである。
そして、そこに現れるのが、月から降りてきた精霊。兄が転じた姿である。
「そこの麗しい姫よ。なにゆえ、そのように嘆くのか。そなたの涙はまるで星屑のよう、このままでは美しい瞳ごと川へと流れ落ちてしまおうぞ」
その声に、姫に扮した映子は振り向く。そして、精霊の美しさに感嘆し、立ち尽くすのだ。
「嗚呼、あなた様は……」
と。そこで、映子は完全に台詞が飛んでしまった。
――あ……。
派手な女物の着物が邪魔ということで、今だけは襦袢姿となっている蓮花である。別に、男装しているわけでもなく、別のお洒落をしているわけでもない。違うのはただ、守りの小太刀を本番で用いる太刀に見立てて腰に差しているだけである。
髪型も化粧も髪飾りも、華やかないつもの蓮花のそれと同じ。にも拘らず。刀を差しているだけで、それを今まさに抜き去ろうとしているだけで。勇ましい武家の男子のように見えてしまうのは、何故であろうか。
「どうした、姫よ。私の顔に、何かついているであろうか」
「あ、えっと……」
蓮花は、女装して違和感がないほど女顔なのは間違いない。でも男性だと知った上で、薄い襦袢を纏った体を見るとよくわかるのである。
細くても、骨ばったちゃんと男性の体をしていると。
平らな胸の上には均整のとれた筋肉がついており、合わせの間からは男らしい鎖骨が覗いている。その体も姿も、あまりに男子として魅力的が過ぎた。
「……おーい、映子?」
「はっ」
目の前でひらひらと手を振られて、映子はやっと自分がぼんやりしていた事実に気づいた。台詞も飛んでいたし、姫君の演技も完全に忘れてしまっていた。残りの稽古期間も長くはないというのに――映子は慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ございません、蓮花様!そ、その、つ、つい……蓮花様があまりにも勇ましくて見惚れてしまって」
「ほう?」
その言葉に、蓮花はにやり、と悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「惚れてもいいのだぞ?俺としては嬉しいのだがなあ?」
「!!」
何でそんなことを言うのだ、この人は。そんな意地悪な笑顔さえ格好良くて、映子は顔が真っ赤になるのを感じてしまう。
絶対結ばれない相手、そう言ったのは彼だというのに。
だから返事などいらない、忘れてもいいなんて言ったくせに。どうしてこう、自分を試すような物言いをするのだろう。
「ほ、惚れられても困るくせに!勝手なこと言わないでくださいませっ!」
結局返せるのは、そんなやけっぱちな言葉ばかりなのだ。ああ、自分の馬鹿、と映子は内心で頭を抱える。好きも嫌いも、まったく自分で自分がどうにもならない。素直になることさえできないなんて、本当に自分らしくもないというのに。
一緒にいればいるほど、この人の男性としての魅力に気づいてしまうから困る。
実際、愛し合うことなどけして出来ない身であるというのに。
「ははは、すまんすまん。しかし、そのように上の空では稽古にならんぞ。しっかりしたまえ」
「……すみません」
「そういえば、朝の草むしり。康子と随分楽しそうに雑談に興じていたようだが、何を話していたのだ?」
「あ……」
まあ、中庭の目立つ場所での会話である。草に埋もれていたとはいえ、別の誰かに聴かれる可能性は充分考慮していた。この様子だと、蓮花は自分達の会話の内容までは把握していないらしい。
迷った末、映子は蓮花に、康子にした相談の内容を正直に話すことにした。それから――その相談の後、康子から聞かされた気になる話についても。
「実は女官の中で噂になっていることが。……縁花様が実は、生きているのではないかというのです」
「ほう?遺書もあったし、何よりこの後宮の警備は厳重だ。ネズミ一匹逃げられる構造でなかったと思うが?」
「はい。ですが……特別な方法でなら逃げることもできたのではないか、と。そう」
はっきりと尋ねてはこなかったが、映子もずっと気にはなっていたのだ。縁花は生きているにせよ死んでいるにせよ、どうやってこの後宮から逃れたのかと。そしてそれには、蓮花が一枚噛んでいるのではないか、と。
「たとえば。……後宮の中の誰かが、秘術を用いて縁花様をこの場所から外に連れ出したのではないか……と。空間を飛ばしてしまうような術や、あるいは翼が生えて飛んでいけるような術があれば、そういったことも可能であったのではないかというのです」
秘術、という物言いから誤解されがちだが。そもそも術を使う方法や、その媒介がどういうものであるのかは誰も知らないことなのである。なんせ、世界の外からきた、それそのものが神聖な遺物であるのだから。
帝が国中の書庫を片っ端から探しているせいで、なんとなく本の形式で秘術を記したものがあるのではないか?という印象は強くなっているが。何も、秘術そのものが本であるとは限らないし、もっと別の宝物があって、それを使うと簡単に摩訶不思議な術を使うことができる――なんてことがあってもおかしくはないのだ。実際、映子が過去に読んできた幻想小説の類ならば、宝玉を用いるものや短剣を用いるもの、鏡を用いるものなど数々の種類が存在している。現実でも、そういったものである可能性は充分にあるだろう。
「秘術を使う本や宝物の類を誰かが隠し持っていて、それで縁花様を生きて逃がした。……もしそのような人物がいて、見つかってしまえば……重罪は免れられないでしょう」
蓮花は何も答えない。それがかえって不気味だと感じながらも、映子は畳みかけるのだ。
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