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<第二十二話~女王の夫という名の~>
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ファラビア・テラの女王――リアナ・ファラビアは激怒していた。今までの人生で、こんなにも怒りを感じたことがかつてあったのかと思うほどに。
あのベティ・ロックハートが何をしたのかは自分も知っている。まだ父の代から代替わりして間もない頃、この惑星で大きなクーデーターが発生したのだ。この国では厳しい階級制度を敷いている。王族と貴族、それから中流階級に労働階級、下層階級。大まかに分けるとそのような具合にである。税金の対象になるのは中流階級以下のみ。重い税金に喘ぎ、場合によっては汚染された地域に追いやられた人々はまともな生活をすることさえもままならぬ状態であり――彼らの不満が爆発するのは、いわば時間の問題であったと言えよう。
まだ年若いリアナには祖父の代から仕えてきた執政たちが付き、彼らが代わりに政治を行っている状況だった。リアナ自身が過度な勉強嫌いであったこともあり、政治などに関する知識が殆ど無かったというのも大きなところだろう。祖父も父も傍に置いてきた執政官達なら信用できるはず。リアナはそう信じて、半ば政治を彼らに丸投げしてしまっていたのだった。――それが誤りだったと知ったのは、クーデターが起きてからになってのことである。庶民達がどれほど今の状況に苦しみ、健康や人らしい生活を阻害されているか。リアナは何も知らず、自分が幸せならば民もみな幸せに違いないと思い込んでいたのだ。
同時に。そういった状況に陥った原因が、酷い環境汚染と資源不足にあるということも。この惑星がかつて侵略戦争を繰り返し、父の代ではそれをやめた結果資源不足が加速したのだということも――ベティがそうやって滅ぼされた星の生き残りであるということも。殆ど全て、終わってから知らされたことであったのである。
『このまま、テラの惑星を放置しておいたらどうなるか?いずれこの惑星は再び侵略戦争を起こすことだろう。いや、それ以上に……汚染問題を自力で解決する努力をしない限り、人が住める土地がなくなるのは時間の問題。そうなればこの惑星の王族貴族達が考えることは明白……他の住みよい星の惑星の住人たちを皆殺しにし、移住先を確保しようとするに決まっている!』
レジスタンスたちのリーダーとして立ったロックハートは。リアナを真正面から、憎悪の眼で睨み据えてきたのである。
『私の惑星を滅ぼしたことも忌々しいことだが、それ以上に私には使命がある!悲劇を知る者として、これ以上の惨劇を防ぐため命を賭ける責務だ。この惑星はただ一つで、他の全ての惑星を滅ぼすだけの軍事力を持っている。この惑星の者達の考え方を、人命軽視のやり方を根本から変えなければ……この惑星の庶民はおろか、銀河全ての惑星の民に未来などない!ならば私は、お前達を全て皆殺しにしてでもこの惑星の政治を変え、銀河の未来を変える……!私を否定したいのなら、殺すがいい、それがお前達に出来るというのであれば!!』
大きな――とても大きな戦争だった。ロックハートは異星人でありながら、テラの民のレジスタンス達を見事なまでにまとめあげ、国家転覆を図るべく戦いを挑んできたのである。
恐ろしいほどの魔力。ただ独りでドラゴンを呼び、嵐を操り、炎の柱を吹き上げるような銀河最強魔導士は――テラの惑星の精鋭兵達を次々と殺戮していったのである。
彼らが負けた原因は、ただ一つ。ロックハート以外のレジスタンスのメンバーの戦闘技術が、国軍の兵士達に勝るものではなかったことと。ロックハート本人が――憎い惑星の民といえど同じ志を共有した同胞達を、けして見捨てられるような人間ではなかったということだろうか。
捕まった仲間を救おうとして、ロックハートは捕らえられることになった。国家転覆を狙ったテロリスト。この惑星の王族貴族達の共通認識として、“ファラビア・テラは銀河の覇者の惑星である”“この惑星の支配は銀河の支配に等しい”というものがある。国家転覆を狙って時点で彼に裁判を受ける権利などほぼなかったわけだが、それが事実上“この銀河全ての支配である”と認識されたのなら尚更である。少年は、公開処刑されるはずだった。それも二度とこのような存在が現れることのないよう、念入りに拷問され――この世で最も残酷と呼ばれるようなあらゆる拷問器具を使われた上で、である。
それを止めたのは、リアナだった。
彼らの主張を聞き、己がいかに無知であったのか――何も知らぬまま民の幸せを当たり前のように奪ってきたのかを理解してしまったからである。
『ベティ・ロックハートとレジスタンス達の意見は尤もです。むしろ彼らを憎しみに駆り立ててしまったのは、私の無知と不知ゆえ。彼らには、十二分に情状酌量の余地が与えられてしかるべきです。何故なら彼らを死なせてしまってその主張を殺してしまっては、この後も間違いなく第二、第三のレジスタンスが産まれることになるだけ。この世界に、本当の平和など訪れる筈がないのですから……』
リアナは彼らを懲役刑にとどめるように命じた。女王の絶対権限による命令とあらば、いくらそれが超法規的処置であっても逆らえる者などいるはずがない。
彼らには労働が課せられ、特に科学者として優秀であったロックハートは研究室でテラの惑星のために尽くすことが命じられた。ロックハートは不満気ながらも、リアナの命令に渋々納得したように見えたのだ。少なくとも、自分はそう思っていたのである――今までは。
「……エスメアに、ルイン」
無知を、後悔したばかりだったというのに。自分はまだ、大事なことを何も知らされていなかったのである。
否――もう、そうやって責任転嫁をするのはやめるべきだろう。リアナが今一番怒り狂っているのは自分自身にである。何故、無知を悔いたはずなのに、己に都合の悪いことが知らされない可能性があると気づいていたはずなのに――目に見えるものばかり信じて、真実を正しく見ようとしなかったのか。
知る努力をしなければ、見えない事実は確かにそこに存在していたというのに。
「私は、確かにベティが私の夫になることも……この惑星の労働に従事することも納得していないことを知っていました。それでも頷いてくれたのは、納得していないなりに……私の気持ちに、理解を示してくれた結果であると」
項垂れる二人の軍人に、ぎろりと視線を向けるリアナ。
「でも、そうではなかったのですね。……ベティはただ、貴方がたに脅迫されていただけだった。レジスタンスの仲間を殺すと脅されれば、彼が逆らえないことを貴方がたは知っていて、しかもそれを私には隠していた!」
「じょ、女王陛下、それは……」
「言い訳など聞きたくありません!しかもベティは、研究職に就いていると言いながら実際は実験台に近いような扱いを何年も受けていた。その結果、何度もベティが自殺未遂を起こしていたこと、ベティの仲間のレジスタンス達が彼を取り戻そうと脱走したことがあったこと……私は何も知らずに、彼が夫になることを承諾してくれたと喜んでいたのです。とんだ道化ではありませんか!」
どうして、自分は何も知ろうとしなかったのだろう。仕事が終わって自分のところに帰ってくるロックハートは、いつも疲弊しきった顔をしていた。暑がりであるはずの彼が、長袖の白衣を脱ぐことも殆どしなかった。あれはきっと注射器の痕やメスの痕を隠すためだったのだろうと今なら分かる。
そして何よりも信じられないことは。ロックハートの仲間であり、彼を拘束する人質として扱われていたレジスタンス達が――重労働に課せられた挙句、全員とっくの昔に殺されていたということである。
「仲間を人質に取っておきながら、その仲間はとうに殺していた。……ベティがそれを知らされて、どれほど傷ついたことか……!」
彼が、どういう経緯でその真実を知ってしまったのかはわからない。ただ、ずっとよりどころにしてきたものが粉々に壊された苦しみは、とてもリアナには想像できぬものである。
「恐れながら申し上げます、女王陛下!」
その言葉に、ルインが頭を地面にこすりつけん勢いで下げた。
「ベティ・ロックハートの仲間達は、労働から脱走したのみならず……看守達数名に危害を加え、ロックハートを拉致しようと画策しました。野放しにしては他の者達に危険が及ぶと判断し、その場で射殺したのでございます……!」
「そうなるように仕向けたのは貴方達ではありませんか!毎日三時間しか眠らせず、残りの時間は全て立ったまま重労働に課した上……彼らのリーダーが人間としての尊厳を貶められるような扱いを受けている!それを知って、大切な者を救うべく動こうとすることの何がおかしいのす?貴方がたが、彼ら全員に……私が最初に彼らに約束したような通常の労働とまともな環境を提供していればこのようなことにはならなかったのではありませんか!?」
今ならわかる。本当は、わかっている。国家転覆を図った大罪人達の罪を実質無罪放免にし、通常の労働だけで済ませるなど――そんなこと、王族貴族達も世論もけして納得しなかったであろうことは。お飾りの女王でしかなかったリアナに、彼らを説得できるほどの根拠も提示できなければ、それができる力もなかったであろうということが。
けれど、だからといって――そもそもの原因が、人を人とも思わぬ階級制度と重税、理不尽にロックハートの故郷を焼き払ったテラの王族達にあるということを忘れてはならない。自分達があと少し、僅かでも自分達以外の民や異星人達に慈悲を傾ける心さえあれば、もしかしたら何かは変わったかもしれないというのに。
「そもそもです。……ファラビア・テラはかつてベティの惑星の民を皆殺しにしたばかりか……ベティにあのような惨たらしい拷問を行った。あのような真似を受けてどうして、私達テラの惑星の王族を許すことなどできるでしょうか……?むしろ憎い惑星の民でありながら、レジスタンス達と協力できたことが奇跡に近いと言わざるをえません」
本当に、自分は一体彼の――何を見てきたというのだろう。
彼が王宮で働くようになり、やがて夫として傍にいることとなり。ひそかに憧れていた存在と一緒になれることをふわふわと喜んでいた自分がどれほど間抜けで、彼に対して残酷な真似をしていたことか。夫になることを承諾して貰えた時点で、自分達は彼に許されたのだとばかり思っていたのである。実際、そんなことはなかった彼はただ、人質を取られて脅されていただけだったというのに。
彼はどんな想いで、リアナの傍にいたのだろう。リアナが笑いかけるたび、彼に笑って欲しいと願うたび――寂しそうな眼をする理由を、どうして自分は追求しようとしなかったのか。そうする勇気を持つことができなかったのか。
「しかも、彼が私の夫として選ばれた理由は、彼が優秀な科学者として……功績を認められたからではなかった。それは私に対して語られただけの方便だった、そうですね?」
強い声で糾弾しても、目の前の軍人達は答えない。答えられないのだろう――特にエスメアの方は、リアナのことを現人神のごとく崇拝していたから尚更だ。
本当に、自分は何故気付くことができなかったのか。この国の王家は、いつも気高い身分の者のうち特に優秀な者から伴侶を選ぶのがしきたりとなっている。父の場合も、結婚した相手の女性は再従姉妹であったし、祖父に至っては実の妹と婚姻したのではなかっただろうか。
近親婚が当たり前であるのは、宗教上の理由から。王家は神の子孫であり、その強い力を高めていくことがファラビア家の繁栄に繋がると人々が信じてきたからにほかならない。そしてそんな王家で、異星人の伴侶を許されぬなど前代未聞であったはず。それなのに、どうして自分にロックハートがあてがわれることになったのか。よくよく考えれば今でも彼の世間での認識は“銀河を支配しようとした大罪人”であるはず。そんな相手を女王が夫にするなど、世間体が良いとは到底思えない。
それでも、それ以外の選択肢がなかったとしたら、その理由は。
「近親婚を繰り返しすぎた王家の遺伝子には、異常が発生していた。そしてその子孫である私の身体にも」
先代王である父に産まれた娘は、リアナ一人のみ。それは父が若くして逝去したからというのもあるが、不妊治療をしなければ子供一人作ることができなかったという事情もあるのである。
そして、父の兄弟達は全て流行り病で死んでいる。今、王家の正統な血統者はリアナ一人しかおらず――この惑星の民達は殆どがファラビア教の信者。神の血を引く者が存在し、国を導かなければこの惑星に未来はないと本気で信じている者ばかりだ。
つまり。
「私は今年で十四歳になりました。ですが、未だに生理が来ない。卵子が全くない。子宮の形にも異常があって、妊娠できたところでそれを継続することはまず不可能だとされています。……ですが、貴方達は私の代でファラビアの神の血が途絶えることが耐えられなかった」
これが、答えだ。残酷すぎる、この世界の。
「ベティを選んだのは、そのためだったのですね。彼がガイアの民の唯一の生き残りであり……誰とでも子供を作ることのできる種族であったから」
あのベティ・ロックハートが何をしたのかは自分も知っている。まだ父の代から代替わりして間もない頃、この惑星で大きなクーデーターが発生したのだ。この国では厳しい階級制度を敷いている。王族と貴族、それから中流階級に労働階級、下層階級。大まかに分けるとそのような具合にである。税金の対象になるのは中流階級以下のみ。重い税金に喘ぎ、場合によっては汚染された地域に追いやられた人々はまともな生活をすることさえもままならぬ状態であり――彼らの不満が爆発するのは、いわば時間の問題であったと言えよう。
まだ年若いリアナには祖父の代から仕えてきた執政たちが付き、彼らが代わりに政治を行っている状況だった。リアナ自身が過度な勉強嫌いであったこともあり、政治などに関する知識が殆ど無かったというのも大きなところだろう。祖父も父も傍に置いてきた執政官達なら信用できるはず。リアナはそう信じて、半ば政治を彼らに丸投げしてしまっていたのだった。――それが誤りだったと知ったのは、クーデターが起きてからになってのことである。庶民達がどれほど今の状況に苦しみ、健康や人らしい生活を阻害されているか。リアナは何も知らず、自分が幸せならば民もみな幸せに違いないと思い込んでいたのだ。
同時に。そういった状況に陥った原因が、酷い環境汚染と資源不足にあるということも。この惑星がかつて侵略戦争を繰り返し、父の代ではそれをやめた結果資源不足が加速したのだということも――ベティがそうやって滅ぼされた星の生き残りであるということも。殆ど全て、終わってから知らされたことであったのである。
『このまま、テラの惑星を放置しておいたらどうなるか?いずれこの惑星は再び侵略戦争を起こすことだろう。いや、それ以上に……汚染問題を自力で解決する努力をしない限り、人が住める土地がなくなるのは時間の問題。そうなればこの惑星の王族貴族達が考えることは明白……他の住みよい星の惑星の住人たちを皆殺しにし、移住先を確保しようとするに決まっている!』
レジスタンスたちのリーダーとして立ったロックハートは。リアナを真正面から、憎悪の眼で睨み据えてきたのである。
『私の惑星を滅ぼしたことも忌々しいことだが、それ以上に私には使命がある!悲劇を知る者として、これ以上の惨劇を防ぐため命を賭ける責務だ。この惑星はただ一つで、他の全ての惑星を滅ぼすだけの軍事力を持っている。この惑星の者達の考え方を、人命軽視のやり方を根本から変えなければ……この惑星の庶民はおろか、銀河全ての惑星の民に未来などない!ならば私は、お前達を全て皆殺しにしてでもこの惑星の政治を変え、銀河の未来を変える……!私を否定したいのなら、殺すがいい、それがお前達に出来るというのであれば!!』
大きな――とても大きな戦争だった。ロックハートは異星人でありながら、テラの民のレジスタンス達を見事なまでにまとめあげ、国家転覆を図るべく戦いを挑んできたのである。
恐ろしいほどの魔力。ただ独りでドラゴンを呼び、嵐を操り、炎の柱を吹き上げるような銀河最強魔導士は――テラの惑星の精鋭兵達を次々と殺戮していったのである。
彼らが負けた原因は、ただ一つ。ロックハート以外のレジスタンスのメンバーの戦闘技術が、国軍の兵士達に勝るものではなかったことと。ロックハート本人が――憎い惑星の民といえど同じ志を共有した同胞達を、けして見捨てられるような人間ではなかったということだろうか。
捕まった仲間を救おうとして、ロックハートは捕らえられることになった。国家転覆を狙ったテロリスト。この惑星の王族貴族達の共通認識として、“ファラビア・テラは銀河の覇者の惑星である”“この惑星の支配は銀河の支配に等しい”というものがある。国家転覆を狙って時点で彼に裁判を受ける権利などほぼなかったわけだが、それが事実上“この銀河全ての支配である”と認識されたのなら尚更である。少年は、公開処刑されるはずだった。それも二度とこのような存在が現れることのないよう、念入りに拷問され――この世で最も残酷と呼ばれるようなあらゆる拷問器具を使われた上で、である。
それを止めたのは、リアナだった。
彼らの主張を聞き、己がいかに無知であったのか――何も知らぬまま民の幸せを当たり前のように奪ってきたのかを理解してしまったからである。
『ベティ・ロックハートとレジスタンス達の意見は尤もです。むしろ彼らを憎しみに駆り立ててしまったのは、私の無知と不知ゆえ。彼らには、十二分に情状酌量の余地が与えられてしかるべきです。何故なら彼らを死なせてしまってその主張を殺してしまっては、この後も間違いなく第二、第三のレジスタンスが産まれることになるだけ。この世界に、本当の平和など訪れる筈がないのですから……』
リアナは彼らを懲役刑にとどめるように命じた。女王の絶対権限による命令とあらば、いくらそれが超法規的処置であっても逆らえる者などいるはずがない。
彼らには労働が課せられ、特に科学者として優秀であったロックハートは研究室でテラの惑星のために尽くすことが命じられた。ロックハートは不満気ながらも、リアナの命令に渋々納得したように見えたのだ。少なくとも、自分はそう思っていたのである――今までは。
「……エスメアに、ルイン」
無知を、後悔したばかりだったというのに。自分はまだ、大事なことを何も知らされていなかったのである。
否――もう、そうやって責任転嫁をするのはやめるべきだろう。リアナが今一番怒り狂っているのは自分自身にである。何故、無知を悔いたはずなのに、己に都合の悪いことが知らされない可能性があると気づいていたはずなのに――目に見えるものばかり信じて、真実を正しく見ようとしなかったのか。
知る努力をしなければ、見えない事実は確かにそこに存在していたというのに。
「私は、確かにベティが私の夫になることも……この惑星の労働に従事することも納得していないことを知っていました。それでも頷いてくれたのは、納得していないなりに……私の気持ちに、理解を示してくれた結果であると」
項垂れる二人の軍人に、ぎろりと視線を向けるリアナ。
「でも、そうではなかったのですね。……ベティはただ、貴方がたに脅迫されていただけだった。レジスタンスの仲間を殺すと脅されれば、彼が逆らえないことを貴方がたは知っていて、しかもそれを私には隠していた!」
「じょ、女王陛下、それは……」
「言い訳など聞きたくありません!しかもベティは、研究職に就いていると言いながら実際は実験台に近いような扱いを何年も受けていた。その結果、何度もベティが自殺未遂を起こしていたこと、ベティの仲間のレジスタンス達が彼を取り戻そうと脱走したことがあったこと……私は何も知らずに、彼が夫になることを承諾してくれたと喜んでいたのです。とんだ道化ではありませんか!」
どうして、自分は何も知ろうとしなかったのだろう。仕事が終わって自分のところに帰ってくるロックハートは、いつも疲弊しきった顔をしていた。暑がりであるはずの彼が、長袖の白衣を脱ぐことも殆どしなかった。あれはきっと注射器の痕やメスの痕を隠すためだったのだろうと今なら分かる。
そして何よりも信じられないことは。ロックハートの仲間であり、彼を拘束する人質として扱われていたレジスタンス達が――重労働に課せられた挙句、全員とっくの昔に殺されていたということである。
「仲間を人質に取っておきながら、その仲間はとうに殺していた。……ベティがそれを知らされて、どれほど傷ついたことか……!」
彼が、どういう経緯でその真実を知ってしまったのかはわからない。ただ、ずっとよりどころにしてきたものが粉々に壊された苦しみは、とてもリアナには想像できぬものである。
「恐れながら申し上げます、女王陛下!」
その言葉に、ルインが頭を地面にこすりつけん勢いで下げた。
「ベティ・ロックハートの仲間達は、労働から脱走したのみならず……看守達数名に危害を加え、ロックハートを拉致しようと画策しました。野放しにしては他の者達に危険が及ぶと判断し、その場で射殺したのでございます……!」
「そうなるように仕向けたのは貴方達ではありませんか!毎日三時間しか眠らせず、残りの時間は全て立ったまま重労働に課した上……彼らのリーダーが人間としての尊厳を貶められるような扱いを受けている!それを知って、大切な者を救うべく動こうとすることの何がおかしいのす?貴方がたが、彼ら全員に……私が最初に彼らに約束したような通常の労働とまともな環境を提供していればこのようなことにはならなかったのではありませんか!?」
今ならわかる。本当は、わかっている。国家転覆を図った大罪人達の罪を実質無罪放免にし、通常の労働だけで済ませるなど――そんなこと、王族貴族達も世論もけして納得しなかったであろうことは。お飾りの女王でしかなかったリアナに、彼らを説得できるほどの根拠も提示できなければ、それができる力もなかったであろうということが。
けれど、だからといって――そもそもの原因が、人を人とも思わぬ階級制度と重税、理不尽にロックハートの故郷を焼き払ったテラの王族達にあるということを忘れてはならない。自分達があと少し、僅かでも自分達以外の民や異星人達に慈悲を傾ける心さえあれば、もしかしたら何かは変わったかもしれないというのに。
「そもそもです。……ファラビア・テラはかつてベティの惑星の民を皆殺しにしたばかりか……ベティにあのような惨たらしい拷問を行った。あのような真似を受けてどうして、私達テラの惑星の王族を許すことなどできるでしょうか……?むしろ憎い惑星の民でありながら、レジスタンス達と協力できたことが奇跡に近いと言わざるをえません」
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彼が王宮で働くようになり、やがて夫として傍にいることとなり。ひそかに憧れていた存在と一緒になれることをふわふわと喜んでいた自分がどれほど間抜けで、彼に対して残酷な真似をしていたことか。夫になることを承諾して貰えた時点で、自分達は彼に許されたのだとばかり思っていたのである。実際、そんなことはなかった彼はただ、人質を取られて脅されていただけだったというのに。
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「しかも、彼が私の夫として選ばれた理由は、彼が優秀な科学者として……功績を認められたからではなかった。それは私に対して語られただけの方便だった、そうですね?」
強い声で糾弾しても、目の前の軍人達は答えない。答えられないのだろう――特にエスメアの方は、リアナのことを現人神のごとく崇拝していたから尚更だ。
本当に、自分は何故気付くことができなかったのか。この国の王家は、いつも気高い身分の者のうち特に優秀な者から伴侶を選ぶのがしきたりとなっている。父の場合も、結婚した相手の女性は再従姉妹であったし、祖父に至っては実の妹と婚姻したのではなかっただろうか。
近親婚が当たり前であるのは、宗教上の理由から。王家は神の子孫であり、その強い力を高めていくことがファラビア家の繁栄に繋がると人々が信じてきたからにほかならない。そしてそんな王家で、異星人の伴侶を許されぬなど前代未聞であったはず。それなのに、どうして自分にロックハートがあてがわれることになったのか。よくよく考えれば今でも彼の世間での認識は“銀河を支配しようとした大罪人”であるはず。そんな相手を女王が夫にするなど、世間体が良いとは到底思えない。
それでも、それ以外の選択肢がなかったとしたら、その理由は。
「近親婚を繰り返しすぎた王家の遺伝子には、異常が発生していた。そしてその子孫である私の身体にも」
先代王である父に産まれた娘は、リアナ一人のみ。それは父が若くして逝去したからというのもあるが、不妊治療をしなければ子供一人作ることができなかったという事情もあるのである。
そして、父の兄弟達は全て流行り病で死んでいる。今、王家の正統な血統者はリアナ一人しかおらず――この惑星の民達は殆どがファラビア教の信者。神の血を引く者が存在し、国を導かなければこの惑星に未来はないと本気で信じている者ばかりだ。
つまり。
「私は今年で十四歳になりました。ですが、未だに生理が来ない。卵子が全くない。子宮の形にも異常があって、妊娠できたところでそれを継続することはまず不可能だとされています。……ですが、貴方達は私の代でファラビアの神の血が途絶えることが耐えられなかった」
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