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<第十一話~悪夢は鏡の向こうに~>
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どうにも理音の仕事というのは、不定期なものであるらしい。
アオの故郷にも在宅ワーカーというものはいたし、自営業者や株で食っている人間など会社に向かわずに仕事をしているケースも多々存在すると知っているが。理音の場合はより特殊で、さっきまで暇だったのがメール一本で急に忙しくなるとか、そういうケースもままにあるようだ。
昼食後に卵焼きと炒飯(これがまた美味しかった。レタスのしゃきしゃき感と、ウインナーの旨味が混ざった実に美味しいご飯である。本人いわく、賞味期限がヤバそうなものを軒並みつっこんだだけ、とのことだが)を食べた後、仕事先から送られてきたメールを見て悲鳴を上げた理音。
「ざっけんなぁぁ!剣二本持たせるとか聞いてねーし先に言っておけよボケェェ!!」
一体何の話だかさっぱりわからないが、どうにも取引先からイラストの修正依頼が来たらしい。締め切りが近いのに返信が遅かった挙げ句、とんでもない修正点を突きつけられてひっくり返ったということらしかった。
そしてこういう時に限って発生するのがトラブルというもの。理音の愛用のサインペンのインクが突然出なくなってしまったらしい。彼にとっては死活問題だ。泣く泣くアオを置いて近くの書店まで買いに行ったのが、今から十分ほど前のことである。
――賑やかだったな、理音は。
初めて会った時はどこか影があって寂しそうであったのに――なんだか、ここのところはくるくると色々な表情を見せてくれるようになった理音である。自分と一緒にいることが、彼にとって良い影響をもたらしているというのなら非常に嬉しいが、少々警戒心が無さすぎるような気がしないでもない。なんといっても自分は異星人で、彼とはまだ数日の付き合いである。
お人好しなのか、なんなのか。少し心配になってしまう――なんていうのは、年上に対して失礼なことなのだろうか。
――しかし、一人で外に行って大丈夫なんだろうか?あまり外に行きたくない理由があるように見えたのだが……。
ちらり、と彼が出ていった玄関に視線を向ける。自分も自分で事情がありまくりだが、どうにも理音も秘密があるように思えてならない。目覚めた時から感じていたが、この家は一人で住むには明らかに広すぎるのだ。夫婦用でもない。それなりの人数の家族が住む、くらいでやっとぴったりなサイズではなかろうか。一階と二階で、あわせて部屋が四つもあるのに独り暮らしとは。しかも明らかに二階の彼の部屋しか使われていないのである。
恐らく家族と暮らしていて死別したとか、家族が蒸発したとか、そういう理由でありそうなのだが。少しずつ明るく接してくれるようになった理音の笑顔を曇らせるような問いかけをするのは、アオにとっても怖いことだった。地球の知識はあるが、記憶としてはおぼろげで何故来たことがあるのかも定かでない。知り合いがいる保証もなく、申し訳ないことだがアオにとっても頼れる相手は理音しかいないのである。
せめて、宇宙船が墜落したのであろう場所だけでも特定できればいいのだが――自分は上手に墜落現場を隠すなりなんなりしたのか、ニュースに飛行物体が堕ちた情報なども上がってくる気配がない。これでは、日本のどこに堕ちたのかさえ調べることは困難だろう。騒ぎになっていないのは、有り難いと言えば有り難いが。
――でも、いつまでも迷惑をかけてはいられないし……それに、ただ世話になっているだけなんて嫌だ。少しは、私も理音の助けになれればいいのだが。
他にも、気になることはある。
理音は明らかに外に出掛けるのを嫌がっていた、ということだ。料理が出来ないわけではないのは、卵焼きの一件で既に知っている。しかし、彼はなるべく自分の食事はコンビニ弁当やカップ麺で済ませたがるし、スーパーにも行きたがらないのだ。そして、買い物に出る回数も極端に少ないし、行っても即座に帰ってくるのである。まるで、長時間外に出ることそのものが嫌だというように。
――これが私だったら理由は簡単だ。この国の夏の日差しに長い時間当たり続けるのは命に関わるからな。しかし、彼は地球人で日本人だ。この国の気候にもある程度適用できている、のは普段の服装からも想像がつくこと。
新聞は取っているし、スーパーのチラシも入ってくる。実は一番近いスーパーは大通りに出てすぐであり、コンビニよりもさらに近かったりするのだ。しかも、基本コンビニでモノを買うよりスーパーの方が安上がりであることが多い。スーパーでよくやるような限定の値引きセールなど、コンビニではさほど縁があるものではなかったはずだと記憶している。
加えて、理音に先日尋ねたのだが。いつもコンビニで似たような弁当ばかり買ってくるので、それがそんなに好きなのかと気になって聴いてみたのである。すると理音は少し困ったように笑って言ったのだった。
『そういうわけでもないかなぁ。そりゃ、飽きる時もあるし。けどコンビニだとそんなに種類が売ってるわけでもないから、選ぶ余地ないというか』
――とすると、理音はコンビニで買いたいというより、スーパーを避けたい理由があると考えた方が自然だ。だから割高だろうと少し遠かろうと飽きようと、消去法的な理由でコンビニに向かっている。……では何故スーパーを避けるのか?あのスーパーに、どうしても行きたくない理由でもあるのか?
ならばどうして、スーパーのチラシを断らないのか?という疑問が出てくる。チラシを入れておいて貰うのは、いざとなったら行くつもりはあるから、ということではないだろうか?
なら、あのスーパーが個人的に嫌いな理由がある、というのとは少し違う気がしてくる。ではあの店単体ではなく、コンビニとスーパーの違いが原因であると考えるならばどうだろうか?
――コンビニとスーパーの違いか。……私の頼りにならない知識と記憶だと、はっきりと明言することは難しいな。強いて言うなら……スーパーはレジで並ぶとか、時間帯によってコンビニよりもだいぶ混雑しやすくて手間がかかるとか、そういう点だろうか?
混雑が単純に嫌いなのか?
いやしかし、それだけならば混雑しにくいタイミングを見計らって行けばいいだけなのではないだろうか。なんせ、彼の仕事は他の職業と比べると時間に左右されにくい。主婦層が押し寄せる以外の時間帯に買い物に向かうことも不可能ではないはずだが。
――それに。単純な好き嫌いだけでは済まないような気がする。……ここに、理音を本当に苦しめている悩みの根元があったりするのだろうか。
彼が帰ってくるまでどうしよう、と思い。アオが出した結論は“早めに風呂に入っておくのがベストかな”だった。部屋の掃除も粗方済みつつあるし、かといって勝手に他の部屋に踏み込んでいいとは思えない。一番見てみたいのは理音の部屋だが、彼が明らかにアオに何かを隠したがっている以上勝手に踏み込むのはプライバシーの侵害というものだろう。
そもそも、物の配置を家主に断りなく変えてしまったら、役に立つどころか迷惑をかけるだけになるのは目に見えている。今度このあたりはきちんと理音に相談してみようかな、と思うアオ。読書もしたいが、自分としては何よりも理音の役に立つことがしたいのだ。なんといっても、高熱で倒れていた自分を救ってくれて、衣食住まで提供してくれている命の恩人なのだから。
――えっと、シャワーの設定温度は……。30度でいい、かな。
熱湯が出たら怖いので、温度は低めに設定しておく。日本の文化としては、湯船に湯を張ってのんびり浸かるというのもあるらしいが、アオはまだこの日本式の風呂というのが苦手であったりする。というか、つい昨日浸かろうとしてあっという間に逆上せてしまったというしょうもないエピソードがあるのだ。この、暑さと熱さに滅法弱い体が憎たらしくてならない。もっとこの国の文化を知りたいし、本当は外だって楽しく歩いてみたいというのに。
――はぁ。なんとかならないものか……替えの服も結局、理音の子供時代のものを借りてしまっているし……それなのに丈が長くてあってないし。
洗面所の前に立つ。だぼだぼの服を着たアオの上半身が映る鏡を見て、ますます憂鬱な気持ちになった。種族のせいだから肌が白すぎるのは仕方ないが――それ以外は本当にどうにかならないものだろうか。
小さくて丸い頭、中途半端に長い髪の色も好きではない。なんといっても、ガイアの民でさえあまり見ない髪色だったのだ。母親と自分だけだった、こんな深い碧い髪をしていたのは。みんな淡くてキラキラした、綺麗な水色の髪をしていたのに。
それにこの顔もなんとアンバランスなのだろう。鼻も口も小さいのに金色の眼だけが妙に大きくて気味が悪い。一応これでも男性の身だというのに、首は細いし肩幅も狭い。周りの同年代の者たちはもう少しマシな体格をしていたような気がするというのに、何故自分はこんな見た目なのか。いっそ、母と同じく女性に生まれていたら、少なくとも体格はもう少しマシな印象であっただろうに。
――鏡は嫌いだ。……大嫌いな私の顔が映るから。
なんて醜いんだろう。胸の奥に貯まっていくもやもやを振り払うように、アオは服を脱ぎ始めた。服を着た姿も嫌いだが、脱いだ姿はもっと気味が悪い。まるで死人のようだとさえ思う。――そういえば、いつから自分はこんなに、自分の姿が嫌いになったのだろうか。
残念ながら記憶は欠落したまま。戻ってくる気配もないわけだが。
――思い出さなければいけないのは、わかってる。……何故逃げているのか、何から逃げなければならないのかも思い出せないなど……迷惑がかかるだけなのだから。なのに。
思い出したくない。そう思ってしまうのは何故なのか。
――私は何か、大きな罪を犯したのか?どうして故郷が焼けた原因も、逃げ出す直前までの記憶もほとんど抜け落ちてるんだ?本当に事故だけが理由なのか?
風呂場は昨日、理音が気合いを入れて掃除していたのでピカピカになっている。彼は優しい人間だ。他人のためにこれだけ時間を費やすことができるのだから。
少しでも彼の役に立ちたい気持ちはある。けれど、今の自分ではあまりにも――。
「!!」
その時。アオの視界に入ってきたのは、風呂場の鏡だ。曇りだらけだったのが磨きあげられてつるつるに光っている。洗面所のものとは違い、ほぼ全身が映し出されていた。
そして当然今のアオは、風呂に入るため全裸だ。大嫌いな己の白い裸体がはっきりと眼に映る。なんて醜い――アオが反射的にそう思った時だ。
『まだ――の在りかを吐く気はないのか、こいつは』
どくん、と心臓が跳ねた。
『思ったよりしぶといな。指をすべて折ったのに駄目とは』
『念のため反対も行っておけ。それと、足も念入りに潰しておかないとな』
『あんまりやりすぎるなよ、汚くなるだけだろ?』
『もういいじゃない?こんなまだるっこしいことしなくてもさ。こいつ、ガイアの民なんだもの。在りかを吐かせるならもっと簡単な方法あるし……あんたたちもそのつもりで此処にいるんでしょ?』
――な、んだ……この記憶は……っ!?
目の前がバチバチとショートする。硝子に、血まみれの己の姿が映っている。嗤いながら、何人もの男女が立っている。全員が褐色の肌に紫の髪。その手が自分に伸びる、伸びる――ああ、そうだ知っている。自分はあの連中を知っている。
何をされたか、覚えている!
「い、や……だ、やだっ!」
全身がガタガタと震えて止まらない。鏡に映る自分。みっともない顔で震える自分。
なんて醜い、醜い、醜い、汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚いキタナイキタナイミニクイミニクイキタナイミニクイキタナイミニクイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイ――!!
「やだ、やだぁぁぁぁぁぁぁ!」
次の瞬間。アオの絶叫とともに――硝子は粉々に砕け散っていた。
アオの故郷にも在宅ワーカーというものはいたし、自営業者や株で食っている人間など会社に向かわずに仕事をしているケースも多々存在すると知っているが。理音の場合はより特殊で、さっきまで暇だったのがメール一本で急に忙しくなるとか、そういうケースもままにあるようだ。
昼食後に卵焼きと炒飯(これがまた美味しかった。レタスのしゃきしゃき感と、ウインナーの旨味が混ざった実に美味しいご飯である。本人いわく、賞味期限がヤバそうなものを軒並みつっこんだだけ、とのことだが)を食べた後、仕事先から送られてきたメールを見て悲鳴を上げた理音。
「ざっけんなぁぁ!剣二本持たせるとか聞いてねーし先に言っておけよボケェェ!!」
一体何の話だかさっぱりわからないが、どうにも取引先からイラストの修正依頼が来たらしい。締め切りが近いのに返信が遅かった挙げ句、とんでもない修正点を突きつけられてひっくり返ったということらしかった。
そしてこういう時に限って発生するのがトラブルというもの。理音の愛用のサインペンのインクが突然出なくなってしまったらしい。彼にとっては死活問題だ。泣く泣くアオを置いて近くの書店まで買いに行ったのが、今から十分ほど前のことである。
――賑やかだったな、理音は。
初めて会った時はどこか影があって寂しそうであったのに――なんだか、ここのところはくるくると色々な表情を見せてくれるようになった理音である。自分と一緒にいることが、彼にとって良い影響をもたらしているというのなら非常に嬉しいが、少々警戒心が無さすぎるような気がしないでもない。なんといっても自分は異星人で、彼とはまだ数日の付き合いである。
お人好しなのか、なんなのか。少し心配になってしまう――なんていうのは、年上に対して失礼なことなのだろうか。
――しかし、一人で外に行って大丈夫なんだろうか?あまり外に行きたくない理由があるように見えたのだが……。
ちらり、と彼が出ていった玄関に視線を向ける。自分も自分で事情がありまくりだが、どうにも理音も秘密があるように思えてならない。目覚めた時から感じていたが、この家は一人で住むには明らかに広すぎるのだ。夫婦用でもない。それなりの人数の家族が住む、くらいでやっとぴったりなサイズではなかろうか。一階と二階で、あわせて部屋が四つもあるのに独り暮らしとは。しかも明らかに二階の彼の部屋しか使われていないのである。
恐らく家族と暮らしていて死別したとか、家族が蒸発したとか、そういう理由でありそうなのだが。少しずつ明るく接してくれるようになった理音の笑顔を曇らせるような問いかけをするのは、アオにとっても怖いことだった。地球の知識はあるが、記憶としてはおぼろげで何故来たことがあるのかも定かでない。知り合いがいる保証もなく、申し訳ないことだがアオにとっても頼れる相手は理音しかいないのである。
せめて、宇宙船が墜落したのであろう場所だけでも特定できればいいのだが――自分は上手に墜落現場を隠すなりなんなりしたのか、ニュースに飛行物体が堕ちた情報なども上がってくる気配がない。これでは、日本のどこに堕ちたのかさえ調べることは困難だろう。騒ぎになっていないのは、有り難いと言えば有り難いが。
――でも、いつまでも迷惑をかけてはいられないし……それに、ただ世話になっているだけなんて嫌だ。少しは、私も理音の助けになれればいいのだが。
他にも、気になることはある。
理音は明らかに外に出掛けるのを嫌がっていた、ということだ。料理が出来ないわけではないのは、卵焼きの一件で既に知っている。しかし、彼はなるべく自分の食事はコンビニ弁当やカップ麺で済ませたがるし、スーパーにも行きたがらないのだ。そして、買い物に出る回数も極端に少ないし、行っても即座に帰ってくるのである。まるで、長時間外に出ることそのものが嫌だというように。
――これが私だったら理由は簡単だ。この国の夏の日差しに長い時間当たり続けるのは命に関わるからな。しかし、彼は地球人で日本人だ。この国の気候にもある程度適用できている、のは普段の服装からも想像がつくこと。
新聞は取っているし、スーパーのチラシも入ってくる。実は一番近いスーパーは大通りに出てすぐであり、コンビニよりもさらに近かったりするのだ。しかも、基本コンビニでモノを買うよりスーパーの方が安上がりであることが多い。スーパーでよくやるような限定の値引きセールなど、コンビニではさほど縁があるものではなかったはずだと記憶している。
加えて、理音に先日尋ねたのだが。いつもコンビニで似たような弁当ばかり買ってくるので、それがそんなに好きなのかと気になって聴いてみたのである。すると理音は少し困ったように笑って言ったのだった。
『そういうわけでもないかなぁ。そりゃ、飽きる時もあるし。けどコンビニだとそんなに種類が売ってるわけでもないから、選ぶ余地ないというか』
――とすると、理音はコンビニで買いたいというより、スーパーを避けたい理由があると考えた方が自然だ。だから割高だろうと少し遠かろうと飽きようと、消去法的な理由でコンビニに向かっている。……では何故スーパーを避けるのか?あのスーパーに、どうしても行きたくない理由でもあるのか?
ならばどうして、スーパーのチラシを断らないのか?という疑問が出てくる。チラシを入れておいて貰うのは、いざとなったら行くつもりはあるから、ということではないだろうか?
なら、あのスーパーが個人的に嫌いな理由がある、というのとは少し違う気がしてくる。ではあの店単体ではなく、コンビニとスーパーの違いが原因であると考えるならばどうだろうか?
――コンビニとスーパーの違いか。……私の頼りにならない知識と記憶だと、はっきりと明言することは難しいな。強いて言うなら……スーパーはレジで並ぶとか、時間帯によってコンビニよりもだいぶ混雑しやすくて手間がかかるとか、そういう点だろうか?
混雑が単純に嫌いなのか?
いやしかし、それだけならば混雑しにくいタイミングを見計らって行けばいいだけなのではないだろうか。なんせ、彼の仕事は他の職業と比べると時間に左右されにくい。主婦層が押し寄せる以外の時間帯に買い物に向かうことも不可能ではないはずだが。
――それに。単純な好き嫌いだけでは済まないような気がする。……ここに、理音を本当に苦しめている悩みの根元があったりするのだろうか。
彼が帰ってくるまでどうしよう、と思い。アオが出した結論は“早めに風呂に入っておくのがベストかな”だった。部屋の掃除も粗方済みつつあるし、かといって勝手に他の部屋に踏み込んでいいとは思えない。一番見てみたいのは理音の部屋だが、彼が明らかにアオに何かを隠したがっている以上勝手に踏み込むのはプライバシーの侵害というものだろう。
そもそも、物の配置を家主に断りなく変えてしまったら、役に立つどころか迷惑をかけるだけになるのは目に見えている。今度このあたりはきちんと理音に相談してみようかな、と思うアオ。読書もしたいが、自分としては何よりも理音の役に立つことがしたいのだ。なんといっても、高熱で倒れていた自分を救ってくれて、衣食住まで提供してくれている命の恩人なのだから。
――えっと、シャワーの設定温度は……。30度でいい、かな。
熱湯が出たら怖いので、温度は低めに設定しておく。日本の文化としては、湯船に湯を張ってのんびり浸かるというのもあるらしいが、アオはまだこの日本式の風呂というのが苦手であったりする。というか、つい昨日浸かろうとしてあっという間に逆上せてしまったというしょうもないエピソードがあるのだ。この、暑さと熱さに滅法弱い体が憎たらしくてならない。もっとこの国の文化を知りたいし、本当は外だって楽しく歩いてみたいというのに。
――はぁ。なんとかならないものか……替えの服も結局、理音の子供時代のものを借りてしまっているし……それなのに丈が長くてあってないし。
洗面所の前に立つ。だぼだぼの服を着たアオの上半身が映る鏡を見て、ますます憂鬱な気持ちになった。種族のせいだから肌が白すぎるのは仕方ないが――それ以外は本当にどうにかならないものだろうか。
小さくて丸い頭、中途半端に長い髪の色も好きではない。なんといっても、ガイアの民でさえあまり見ない髪色だったのだ。母親と自分だけだった、こんな深い碧い髪をしていたのは。みんな淡くてキラキラした、綺麗な水色の髪をしていたのに。
それにこの顔もなんとアンバランスなのだろう。鼻も口も小さいのに金色の眼だけが妙に大きくて気味が悪い。一応これでも男性の身だというのに、首は細いし肩幅も狭い。周りの同年代の者たちはもう少しマシな体格をしていたような気がするというのに、何故自分はこんな見た目なのか。いっそ、母と同じく女性に生まれていたら、少なくとも体格はもう少しマシな印象であっただろうに。
――鏡は嫌いだ。……大嫌いな私の顔が映るから。
なんて醜いんだろう。胸の奥に貯まっていくもやもやを振り払うように、アオは服を脱ぎ始めた。服を着た姿も嫌いだが、脱いだ姿はもっと気味が悪い。まるで死人のようだとさえ思う。――そういえば、いつから自分はこんなに、自分の姿が嫌いになったのだろうか。
残念ながら記憶は欠落したまま。戻ってくる気配もないわけだが。
――思い出さなければいけないのは、わかってる。……何故逃げているのか、何から逃げなければならないのかも思い出せないなど……迷惑がかかるだけなのだから。なのに。
思い出したくない。そう思ってしまうのは何故なのか。
――私は何か、大きな罪を犯したのか?どうして故郷が焼けた原因も、逃げ出す直前までの記憶もほとんど抜け落ちてるんだ?本当に事故だけが理由なのか?
風呂場は昨日、理音が気合いを入れて掃除していたのでピカピカになっている。彼は優しい人間だ。他人のためにこれだけ時間を費やすことができるのだから。
少しでも彼の役に立ちたい気持ちはある。けれど、今の自分ではあまりにも――。
「!!」
その時。アオの視界に入ってきたのは、風呂場の鏡だ。曇りだらけだったのが磨きあげられてつるつるに光っている。洗面所のものとは違い、ほぼ全身が映し出されていた。
そして当然今のアオは、風呂に入るため全裸だ。大嫌いな己の白い裸体がはっきりと眼に映る。なんて醜い――アオが反射的にそう思った時だ。
『まだ――の在りかを吐く気はないのか、こいつは』
どくん、と心臓が跳ねた。
『思ったよりしぶといな。指をすべて折ったのに駄目とは』
『念のため反対も行っておけ。それと、足も念入りに潰しておかないとな』
『あんまりやりすぎるなよ、汚くなるだけだろ?』
『もういいじゃない?こんなまだるっこしいことしなくてもさ。こいつ、ガイアの民なんだもの。在りかを吐かせるならもっと簡単な方法あるし……あんたたちもそのつもりで此処にいるんでしょ?』
――な、んだ……この記憶は……っ!?
目の前がバチバチとショートする。硝子に、血まみれの己の姿が映っている。嗤いながら、何人もの男女が立っている。全員が褐色の肌に紫の髪。その手が自分に伸びる、伸びる――ああ、そうだ知っている。自分はあの連中を知っている。
何をされたか、覚えている!
「い、や……だ、やだっ!」
全身がガタガタと震えて止まらない。鏡に映る自分。みっともない顔で震える自分。
なんて醜い、醜い、醜い、汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚いキタナイキタナイミニクイミニクイキタナイミニクイキタナイミニクイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイキタナイ――!!
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次の瞬間。アオの絶叫とともに――硝子は粉々に砕け散っていた。
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