アオイロデイズ

はじめアキラ

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<第十話~卵焼きの時間~>

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 卵焼きの作り方には、きっといくつも方法があるのだろう。多分理音のやり方は極めて普通、というか一般的なはずだと本人は思っているわけだが、実際どうなのかはわからない。いかんせん、よその家の作り方を見る機会があったというわけでもないのだ。
 幸いなことに、理音の家には卵焼き用の四角いフライパンがある(余談だが、あのフライパンに正式名称というものはならしい。以前気になって調べてみたら、卵焼き器だの卵焼きパンだのエッグロースターだの、とにかくいろいろな名称が出てきて結局謎のままだったのである。卵焼きのためのフライパンという認識は間違っていないらしいが)。このフライパンがあるかないかで、卵焼きの難易度は大きく変わってくると言っても過言ではないだろう。

「家によるんだろうけど、俺の家じゃ卵焼き一本作るには、卵は三個くらい使うのが普通なんだよな」
「一本?」
「あ、そっか。お前は完成系しか見てないのか。卵焼きってのは、細長く作るのが普通。それを食べやすく包丁で小さく切ってるんだよな」

 小柄といってもアオは多分身長150cm代程度だ。コンロの上やまな板の上を見るのに踏み台が必要ということはない。むしろ、この家で料理をしようとすると、長身の理音は少し屈まなければならなかったりする。父は長身であったが、母は平均的な女性の体型でしかなかったためだ。

「卵を三つお椀に割って、かき混ぜておく。あんま空気入らないようにな」

 お箸の使い方は、既にアオもマスターしている。わざわざここで説明するまでもない。

「味付けはこの時するんだ。塩と砂糖と醤油だな。俺はちょっと塩を多めに入れるのが好きだ。お前もしょっぱいのでいいんだよな?」
「理音の好きな味付けでいい。それが美味しかったからな」
「よしよし」

 それとなくアオの頭を撫でて、卵を二つ割ってみる。キッチンの平らなところで殻をコツコツわり、罅に指をひっかけてひっくり返す。やってみるか?とアオに尋ねれば、彼もやりたかったようでおずおずと手を伸ばしてきた。こういうちょっとした行動があるからなのか、どうにもこの少年が実年齢十六歳に見えないんだよなあ、と思ってしまう理音である。
 一目見て割り方をマスターしたのか、アオは綺麗に卵を割ってみせた。ついでにかき混ぜるのもお願いしてみる。塩と醤油、砂糖の分量は完全に理音の目分量なのでこちらで上からふりかけることにする。

「フライパンは、温めた後で油をしっかりしいておく。こうだ」
「あまり私達の料理のやり方と変わらないんだな。……でもこのままだと、油がダマになって偏ってしまっているように見えるのだが」
「そうだな。そこで個人的におすすめなのが、ティッシュ使って広げる方法。油のダマに、丸めたティッシュをつけて、菜箸で広げるんだ」

 これは、横で母がやるのを見ていて学んだ方法だった。あの頃の自分は、母に喜んでもらいたくて、嫌われたくなくて――とにかく彼女のできる技術を盗もうと必死であったように思う。
 あの時は結局うまくいかなくて、なんて無駄な努力をしたのかと思ったものだが。一人暮らしになり、そしてこうして誰かに教える立場になってみると、あの苦い記憶も役には立っているのだと痛感させられるのだ。
 無駄な努力なんて、本当は何一つないのかもしれない、なんて。ちょっと前の自分なら、そんなもの綺麗事にすぎないと一蹴していたに決まっているというのに。

「油が綺麗に広がったら、いよいよさっき混ぜた卵投入だな。ここで気をつけるべきは、一気に流し込まないようにするってこと。今回は小さい卵三個だし、二回に分ければ十分だろ」

 昔は、なんで一回で流してはいけないのだと思ったものだが。一回ですべての分量をフライパンに流してしまうと、分厚くなって丸めるのが難しくなってしまうのである。こういうのも、なんだかんだ失敗して勉強していくことの一つだと言っていい。

「まず半分をフライパンに流し込む」
「あ、あれ?空気の泡ができてしまったんだが……いいのか?」
「卵に含まれてた空気だな。混ぜる時にもどうしても空気が入ってしまう。それがこうして出てくるんだと俺は思ってる。泡が浮いてきたら破って空気を抜きつつ、フライパンを浮かせて卵を流しつつ……厚さを均等に持っていく。アバウトでいいぞ。頑張り過ぎて、卵が完全に固まっちゃったらダメだからな」
「なるほど」

 卵の焼けるいい匂いがしてくる。あんまりお腹がすきすぎている時に料理をするのは良くないな、と個人的に思う理音だ。なんといっても、つまみ食いしてしまいそうになる。こちとらもとより卵は大好きな人間なのだ。

「少し表面がまだ固まってないな、くらいまでいったら。端からフライ返しで、ゆっくりと丸めていくんだ。卵が固まる前だと、丸めるごとに半熟状態の卵がノリになってくっついていく。こうしてフライパンの端から端まで丸め終えると……ほら、一本の棒状態になるってわけだな」

 卵焼きらしい姿にはなってきたが、まだまだ太さも細い。当然といえば当然、卵はまだ半分が流し込まずにお椀に残したままにしてあるのだから。

「さて、ここからがちょっとコツがいる。棒状態になった卵焼きがちゃんと全面くっつくように転がしつつ、焦げないように火加減は調整するように。味付けに醤油を入れたから油断すると焦げるんだよな。……で、棒状態の卵焼きをフライパンの一番奥側に寄せると、箸で持ち上げてその下に残った生卵を流し込むんだ」

 勿論、今度もフライパン全面に卵が広がるように気をつけつつ、さっきのように泡ができたら潰して抜いていく作業も必要になる。ある程度棒状態の卵焼きと流し込んだ生卵が固まってきたら、棒状態の卵をこちらにどんどん倒して転がす作業に入るのだ。
 この時、生卵が半ナマ状態すぎても、固まりすぎていてもうまくくっつかないので、注意が必要である。

「こうやって転がして、またさっきみたいに全面が綺麗にくっついて焼けるまで調整すれば。……ほら、こんがりちょうどいい焼き目ができた、卵焼きの完成ってわけだな」
「わあ……!」

 目を輝かせるアオ。ただの卵焼きごときでこんなに感動してもらえるとは、こちらも作った甲斐あるというものである。
 まだアツアツの卵焼きを皿に移して、あとは少し冷めたら食べやすいサイズに切って完成というわけだ。

「簡単だろ?次はアオも作ってみてくれよ。俺が試食してやるから」
「ああ、やってみたい。面白そうだし、もっと理音の手助けができるようになりたい」
「……わかっちゃいたけどお前、いいやつすぎるんでねぇの……?」

 確かに、アオは理音の家に居候している立場になるのかもしれないが。そもそも、理音にとってアオが得体の知れない相手であったならば、アオにとっての理音だってきっと同じであったはずなのである。なんせ、見知らぬ異星人であるのはお互い様なのだから。

「気になってたんだけど。なんでお前は、そんなに俺を信用するんだ?お前にとっての俺も異星人だし、前から付き合いがあったってわけでもないのにさ」

 この際だからストレートに訊いてみることにする。その途端、綺麗に固まるアオ。これは、全く想定していない問いかけが来てフリーズしたパターンだなと判断する。
 なんとなくわかってきたこと。想像していなかった問いかけが来ると、この少年はすぐにキョトン顔で固まって動かなくなるのである。経歴と行動を見るに、頭が悪いわけではなかろうに。発想の飛躍が得意ではない、のだろうか?

「……助けてくれたなら、悪い人ではないだろう?」

 考えた末、アオはあっさりと言い放った。

「それに……と、これは、気を悪くしないで欲しいのだけども」
「なんだ?」
「……なんとなく。貴方は、寂しそうに見えたから」
「…………」

 もしかしたら、アオにも――相手の感情を、なんとなく察知する能力があったりするのだろうか。見たところ、自分のように記憶を辿る、サイコメトリ的なものがあるようには思えないのだけども。
 あるいは、人の感情には非常に敏いタイプなのかもしれない。――寂しかったというのは、紛れもない正解であるのだから。

「そうだな。……寂しかったんだろうな、俺」

 そろそろいいだろう、と思って皿の上で卵焼きに包丁を入れる。ほかほかの湯気があがり、ふわりと少し甘い匂いが鼻をくすぐった。

「地球の事情とか、貴方のその……イラスト?とかの仕事は私にはよくわからないけれど。私でよければ、話相手にくらいにはなれると思うが」
「ありがとな。……そうだな、時々愚痴らせてもらってもいいか?在宅のイラストレーター……まあ絵師ってやつなんだけどさ。ナメられることも多いんだけど、ほんと実際やってみると大変な仕事なわけだしさ」
「そうなのか。悪いことをしたな、忙しいのに押しかけて」
「いいって。むしろ一人でいたら、鬱々と考え込むことばっかりだっただろうし」

 それに、きっとアオが来なければ――自分はこれからの人生、殆どまともに人と話そうとすることもなく、誰かの心に寄り添おうとも思えず、モノクロなばかりの人生を生きていたに違いないのだ。
 確かに、アオが来てやるべき仕事は増えたけれど。それは、自分にとっては――楽しい忙しさ、であるに違いないのだ。多分自分はきっとどこかで、こうややって誰かと笑い合える時間を望み続けていたのだろうから。

「もし、よければさ。……今度、アオの絵も描かせてくれよ。大したクオリティにはならないかもしんねーけど」

 卵焼きを、8対2の割合で取り分けながら告げれば。アオは嬉しそうに顔をほころばせた。

「私なんかでよければ、喜んで」

 それはどこまでも静かで、平和な時間だった。理音とて、この時間がいつまでも続くと思っていたわけではないけれど。
 予想を超える危険が迫っているのだと気づいたのは――夕方になってからのことであったのである。
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