アオイロデイズ

はじめアキラ

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<第二話~来訪者来たれり~>

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 自分はどうやら他の子供とは違うらしい。理音が薄々それを理解したのは、幼稚園の頃のことであった。
 当たり前のように流れ込んでくる人の感情。赤ん坊の頃の理音は、夜泣きは少なかったものの起きていると本当に泣いてばかりの子供で、本当に手がかかったのだそうだ。なんせ、人の醜い感情が無防備に突き刺さってくるのである。大人になった今でこそ多少のコントロールがきくようになったが、子供の頃は近づくだけで針の筵も同然の状態だった。それこそ、いつ発狂してもおかしくなかったほどには。
 そして、最初は気づかなかったのである。他人は、人の心など見えないのだ、ということに。言葉にしなければ思いが伝わらないのは当然のことなのだということに。だから、幼い頃はよくイライラしたものである。向こうが考えていることはわかるのに、どうしてあちらはこちらの考えていることを察して動いてくれないのだろう。言葉にしなければ何もしてくれないのだろう、と。
 そして、段々と現実が見えてくるようになり、幼稚園を卒業する頃になって母親に相談したのである。――すると彼女の反応は、まるで針で突き刺すような過剰なものだった。

『人の心が見えるなんて、そんなことあるわけないでしょう!?お願いだから余計なことなんか言わないで。頭がおかしい子供だと思われたいの!?』

 多分。彼女の薄々、思い当たるフシはあったのだろう。それでも、そんな能力などあるはずがないと、しかもそれが己の子供であるはずがないと否定したくてならなかったに違いない。だから、息子から告白された時はショックで喚いたのだ。己の心が何でも息子に見透かされているかもしれないという恐怖と、そんな息子をどう育てればいいのかわからないという現実で。
 やがて、理音が理解したことは。自分が見える人の感情には、二つのパターンがあるということである。
 一つは近くにいる人間から、断片的かつぼんやりと流れ込んでくるもの。
 もう一つは普通の音と同じように、はっきり耳に聞こえてくるもの。――後者の声と同じような“ノイズ”は、必ず相手の眼を見てしまった時に発生するものだった。それに気づいてからは、近づいたり触れることは仕方ないとしても、なるべく相手の眼を見ないようにすることで対処するしかなかったのである。
 今でさえ、前者の断片的なものはある程度シャットアウトできても、後者の“相手の眼を見た場合”の音を閉ざすのは困難極まりない。そして、そんな能力が己にあることなど他の誰かに相談するなどできるはずもないのである。母親でさえ、信じられなくて拒絶した力なのだ。結果、理音は人の眼を見られない、言葉も少なくて暗い子供という評価を受けるようになっていったのだった。当然、学校でも社会でも、苦労しなかったことがないのである。
 絵を描く仕事を始めたのは、自分自身が好きであったからというのもあるが――何よりも、会社に出勤してたくさんの人に囲まれて作業しなければならない仕事ではない、というのが最大の理由だった。今の時代は便利だ。作品を送るのも相談するのも、メールやネットでどうとでもなる。どうしても対面して相談しなければならない時があるのは事実だが、それも普通の社会人と比べれば圧倒的に頻度が少なくて済むのは有難い話だ。
 何よりも、この仕事ならばメールでの対話で問題さえなければ、多くの職業で必須とされる“コミュニケーション能力”が要求されずに済むのである。眼を見て話すこともできず、明るく場を盛り上げることもできず、言葉数も少ない理音にはこれが何より重要な要素だった。――その結果、こちらの思っていることや不満の大半が伝わらず、感嘆な謝罪だけで済まされてしまうなんてこともあるのが現実だったが。
 イラストの仕事は自分にとって唯一“出来ること”ではあったが、非常に疲れる仕事であるのもまた事実なのである。好きなことを仕事にしているからといって労力がないわけでもなく、ストレスを感じないということもない。それなのに、人によっては“絵を描くなんて誰でもできるでしょ”と軽く見る人間が少なくないという実情もあるのである。今でこそ企業相手の仕事をすることが大半であるため、急に仕事がナシになったところで当初の契約書通りの違約金や報酬は貰えるのだが。個人サイトでほそぼそと有償の仕事を募集していた頃は、本当にトラブルがつきなかったのである。
 例えば、こんなかんじ。

『今月のバイト代がちょっとしか入らなかったので、入金は来月にしてもらえますか』

 これが延々と続いて、結果いつまでも入金されない、とか。

『依頼した絵なんですけど、思ったほどのクオリティではなかったので報酬は支払わなくていいと思いました。千五百円もこんな絵に払うなんて馬鹿らしいと思います』

 こんなことを、平然と宣ってくる阿呆がいたり。
 あるいは、こちらが別の人向けに描いたアイコンを勝手に流用して、色だけ変えて自作を自称し再配布してくる馬鹿なんてものも存在した。そのたびに対応する羽目になり、こちらがどれほど苦労を重ねたことか。場合によっては文字通り日本語が通用しないユーザーがそれを行うケースもある。カタコトの英語が精々な理音にとって、そういう輩を説得して再配布をやめさせるのは本当に骨の折れる作業なのだ。
 ましてや、理音にとっては、絵を描くことは食べていく手段であると同時に、己の魂を振り絞るようにして作り上げるものでもあるのである。ラフ絵の段階だから大した苦労がない、みたいな言い方をされることがどれほど理音の地雷を踏み抜いてくれたことか。

――しかも、ゲームの企画がポシャったの、完全に向こうのシステムのミスって話じゃねえか!こっちには何の責任もねえのにこんな……くそくそくそ!

 ここまで築き上げた時間を返せ、と言いたい。苛々と小石を蹴り飛ばし、一戸建ての自宅の前まで到達する。
 幼い頃から育った家。ローンは既に払い終わっているし、持ち家である以上引っ越す選択肢はないが。正直なところ、理音が一人で住むには少々大きすぎる家であるのは間違いなかった。実質、使っているのは一階のリビングと、自分の自室くらいしかない。他に三つある部屋は掃除こそ適当にするものの、現状殆ど使用されていないというのが現状だった。
 この家は、両親が買ったもの。
 二人は既に、この世にいない。――理音の能力を知り、学校であまりにもうまくいかないことに憤り、ノイローゼ気味になった母親。その母親に引きずられて父親までアルコール中毒になり、緩やかに崩壊していった家庭が最後に行き着いたのは、無理心中という選択だった。皮肉なことに、全ての元凶であるはずの理音だけが生き残ってしまったわけなのだけど。

『あんたが普通の子だったらよかったのに。普通の子が欲しかった。他に何も要らないから、普通にお友達と遊べて、普通にみんなとうまくやれて、普通にお仕事ができるような人間に育ってくれればそれ以外何も要らなかったのに!どうしてあんたは普通じゃないの?よりにもよって私の息子が普通じゃないのよ、ねえなんで!なんでよおお!?』

 晩年の母親は、当たり前のようにそんな言葉ばかり繰り返していた気がする。
 もっともそんなことは、言われなくても全部理音には伝わってしまっていたのだけれど。

――普通って、なんだよ。普通の子供ってなんだ。

 サイコメトリの能力なんかなければ。普通の人間と同じような、平凡程度のコミュニケーション能力があれば。
 そんなこと、理音自身が一番思ってきたに決まっているでないか。自分がそれで悩んでいないとでも思っているのか。自分が一番苦しいとでも?自分だけが不幸の元凶で、息子はその加害者であるとでも?
 その上、理音が少しでも母に気に入られようと、先生に少しでも褒められた絵などを持っていって見せた暁には。そんなもの必要ないのよ!と切り刻むような声でヒステリックに叫ぶ始末だ。

『そんなものいいから!絵なんか上手くたってそれで食べていけるヤツなんか殆どいないんだから!それよりも当たり前のお友達を連れてきなさいよ!班の班長として頑張ったとかみんなに認められたとか、発表会で褒められたとか!そういうものの方がずっと大事に決まってるでしょ!?こんな絵がちょっと上手いとか、そんなもの求めてないの、そんなものなくてもいいから頼むから普通でいてよ、これ以上私を苦しめないでよ!!』

 ありもしないものばかり求められ、あるものは否定される。
 そんな日々でよくぞ自分は壊れなかったものだと今でも思う。まあ、今の自分は殆ど屍のようなものと言えば間違ってもいないのだけれど。唯一、自分を拒絶した母親に対して“ざまあみろ”と思うのは、最終的に母が否定した絵で食べていけるようになったということくらいだろうか。
 まあ食べていけるといっても、それは今だけのことかもしれないとは思うけれど。今後の自分がどうなるかなどわからないし、母が期待したような“普通に社会人として暮らして結婚して子供を作る未来”なんてもの、到達できる見込みなどまったくもってありはしないのだけども。

――ああ、くだらね。こんな悩んだって何になるってんだ。もうおふくろはこの世にいないってのに。

 きっとこれからも、世界を否定し、自分を否定し、それでもイラストに関しては妥協できずに悩み苦しむ日々が続いていくのだろう。好きなことで仕事をしているはずなのに、頑張っても報われないという虚無感がのしかかるばかりの毎日。そして、そのうち酒浸りにでもなって、ボロ雑巾のようになって死んでいくのだろうと思っていた。
 そう――今日、この日になるまでは。

「あ……?」

 家の前に来た、その時だった。庭先で、何か青い光が弾けたように見えたのである。それはまるで、小さな花火が跳ねたような、そんなはっきりとした光だった。

「な、なんだ……?」

 そして、どさり、と何かが落ちるような音。まさか隕石のようなものだろうか。いや、それだったらもっと大きく派手な音がするようなきがするのだが。理音は動揺しつつも、自分の家の庭を覗き込む。理音の家は、隣が空き地で、片方が老夫婦が住んでいる一軒家という立地である。そして隣の家の老夫婦は結構アクティブな人たちで、よく公民館などで講座に出かけていることを知っている。反応がないということは、彼らは今出かけているところなのだろう。
 玄関の前には何もない。では縁側の方か、とそちらを覗いた理音は眼を見開くことになる。

「は……!?」

 そこには、キラキラと輝く青い光の塊があった。なんだなんだ、と思う自分の目の前で。その光はゆっくりと収まり、一つの人影を形作ったのである。

――う、嘘だろ……?

 そこにいたのは、紫色のローブのような衣装を身に纏った――小さな子供の姿。少年か少女かもわからぬその人物は、碧い髪を風に揺らしながら――ぐったりと、その場に倒れ伏していたのである。
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