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<25・ヤンデレとストーカー。>

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 どうしても会いたい、会って話がしたい。
 千鶴がそう頼み込むと、遥はノーとは言わなかった。ただ、電話の声は明らかに憔悴しきっている。――どうして気づかなかったんだろうと、そう悔やむほどに。
 恋とは盲目だ。その結果、気づかなくていいことに気付くこともあれば、逆に本来なら簡単に見えるはずのものを見落としてしまったりもする。遥と一緒にいるのが楽しい、幸せ、ずっと続いて欲しい。そう舞い上がっていた千鶴と、千鶴のために全てを隠しておきたかった遥。悪い意味で、都合が合致してしまったということだったのだろう。
 和歌子と話した翌日。遥の部屋に入って話を聴いたところで、ようやくそれがはっきりしたのだった。

「……ごめんね、ちーちゃん」

 リビングのテーブルの前。妙にちんまりと肩を縮めて座る遥である。

「ちーちゃんに、余計な心配かけたくなくて。実はここのところ、差出人のない封筒が大量に来るんだよ。あと、外で視線を感じることも多いというか。しかも俺のアップした動画に、自分は彼女だって名乗る人のコメントがつくことが増えて……ブロックするとアカウント変えてまた書き込んでくるからどうすればいいのかわからなくて。そっちは最近“れもん”って名乗ってくるんだけど」
「れもん……」



59:れもん
何よ、わたしが悪いっていうの?みんながレイヤードさんの彼女がいるかどうか気になってたから降臨してあげたってのに
みんなのためにしてあげたのに、まるでわたしが悪いみたいに言われるの納得いかないんですけど



 間違いない。
 大型掲示板にコテハンをつけて書き込んでいた人物だ。あれはやっぱりストーカーの書き込みだったということらしい。

「不安で、だから変装もしっかりしてるんだけど。でも公開してないはずの俺の住所がバレてるっていうのが気持ち悪くって。ちょいちょい無言電話もあるしさ……」
「無言電話っていうの、家電?携帯?この家はどっちもあったよね?」
「それが、両方なんだよ。非通知か、もしくは公衆電話からかけてきてるみたいで……」

 本人は渋ったが、送られてきた手紙とやらの一部を見せてもらうことにした。茶色の、まるで重要書類でも入れるような封筒に、女性の字で“虹村遥様”という宛名と住所が書かれている。本人が言うとおり、送り主の名前はない。
 これが一番マシなやつ、だというので中身の手紙も読ませて貰ったのだが。



『はるか君へ。

 今日は一日、あなたのことばかり考えていました。
 初めて会った日のこと。キラキラしたその笑顔。いつわたしのことに気付いてくれるのか、わたしのことを見てくれるのか、わたしと手を繋いでくれるのか、私とセックスをしてくれるのか。考えて考えて、考えるだけで体の火照りが止まらなくなって一人指で慰めていた時を思い出しました。
 ああ、でも今はそんな必要もない。なんて嬉しいのでしょう。
 二人だけの部屋で会えるのが嬉しくてたまらない。その日は必ず訪れます。だって神様が教えてくれたんだもの、あなたが運命の人だっていうこと。
 そうあなたにはわたししかいないし、わたしにはあなたしかいない。
 愛している、なんてことばじゃ全然足らない。いつか必ずふたりで一緒の部屋に住んで誰にも邪魔されない天国につれていってキスをして抱きしめ合ってふかくふかくふかくふかくふかくあいしあってだいてだかれてあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいしてあいしてるいあいしてあいしてるのこれからもずっと

 わたしのおなかの奥の奥まであなたのたねをちょうだい
 たくさんこどもをうみます、しあわせ、考えるだけでもうどこにだっていけてしまいますもっともっともっともっと

 はやくわたしをむかえにきて
 あなただけのものになってここでまっているから。わたしもむかえにいくから』



――こ、これ、一番マシ、なんだ……。

 げんなりしてしまった。
 十分すぎるほどトチ狂っているとしか思えないが、他の手紙はもっとさらに過激だったということか。それこそ、セックスでやってほしいプレイなんかも赤裸々に書かれていたのかもしれない――果てしなく気持ち悪いとしか言いようがないが。

「……あの」

 とりあえず、言うべきことがある。千鶴は大きく息を吸い込んで告げた。

「ごめん、遥。なんか様子がおかしいな、くらいにしか思ってなかった。ひょっとした浮気してるのかもとか、全然とんちんかんなことも考えてて。遥が悩んでること、全然気づいてなかった。本当の本当に、ごめん……」
「ちーちゃん……」

 真正面から喧嘩を売ってくる輩なら、学生時代にいくらでも経験している。ちょっとツラ貸して貰えますか、からの帰り道の闇討ちなんかもあった。今考えると、二十年くらい前の時代錯誤の不良かよとしか思えないような状況だったわけだが。
 でも、こういう――目に見えないところから、こそこそと欲望や悪意を向けられたことは千鶴もない。果たし状なんて可愛いものではないか。自分は相手の顔も名前も知らないのに、ひたすら欲望で穢される。挙句、根も葉もないことをネットで書き込まれて拡散されるのだ。あの掲示板の様子を見るに、本当にレイヤードの“彼女”が降臨したと思い始めている人間もいるらしい。少なくとも、クトゥルフ神話のセッションをやった“リア友”がきっとそうだったのだろうと。
 しかも、あのれもんと名乗る女性は、今度は遥の家の写真を撮るなんて言ってきているのだ。下手をしたら――下手をしなくても、家に押しかけてくる可能性が高いのではないか。
 どれほど気持ち悪いことだろう。しかも――しかもだ、男性が女性にストーカーされる場合、なかなかその危険性や緊急性を周囲に理解してもらえないことも少なくないのである。自分より非力な女に怯えるなんて情けない、と言ってくる人も少なくない。
 これは、妻にDVを受ける夫がなかなか被害を言い出せず、泣き寝入りするのと同じ現象でもあるのだ。例え身体能力に差があったとしても、相手が武器を持ちだしてくれば簡単に力関係は逆転する。いくら男性の方が力があったとて、向こうが刃物や鈍器を持っていたら?抵抗なんてできるはずがないではないか。
 さらに厄介なのは、下手に抵抗すると“こちらが悪いことにされかねない”ということ。昔よくあった虐めに、いじめっこの悪女が男を襲って、拒否られると自分で服を破って“乱暴されかけた!”と触れ回るというのがあった。裁判になると、女性の方が“弱い立場の人間”として同情されがちだ。痴漢だと疑われると、なかなか冤罪証明ができないのと同じだろう。遥が未成年だったならまだしも、既に二十七歳の立派な成人である。実際にそのストーカーと遭遇してしまった時、こちらが被害者だと証明する手段はあるだろうか。
 勿論、本当に刃物を持って襲われたら土壇場でそんなことまで考えられないかもしれないが。そういう状況がより、彼に対処を悩ませているというのもきっとあったはずである。

「……私が巻き込まれないように、心配かけないように。いろいろ一人で抱え込んで、頑張ってくれてたんでしょ。それなのに私ときたら……遥が女の人と一緒にレストランに入ったのを見ただけで、浮気じゃないかって思っちゃって……」
「それ、昨日のこと?太田川さんのこと?」
「オオタガワサン?」
「えっと、小柄で眼鏡の茶髪の女の人のことだったら、確かに一緒にご飯食べたよ。NEXT実況のイベントスタッフの人で、次のイベントの打ち合わせがしたいって言われて。事務所の部屋があいてないからって言われて仕方なく……」
「あー……」

 やっぱり、仕事の関係者だったらしい。本当にバカ自分、とテーブルに突っ伏してしまう千鶴である。早合点しすぎではないか。思った通り、仕事の関係者。それを浮気と言ってしまうのは無理がある。誤解を招きそうなことをするその女性スタッフに、ちょっと恨み言を言いたくないと言えば嘘になるが。

「手紙が来るようになったのはいつ?NEXT実況のイベントに参加したくらいから?」

 千鶴が尋ねると、うん、と消え入りそうな声で頷く遥。

「それくらいの時から、手紙が来るようになって……動画にも変なコメントがつくようになったなって。多分、イベントで俺を見て……ってことなんだと思う」
「警察行こうよ、警察。何かあってからじゃ遅いし……実際に何かあった時、事前に警察に説明してたってなれば印象がだいぶ違うから。なんなら私も行くよ?」
「大事にしたくないんだけど……。その、俺、本名隠してるし」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。大体ストーカーには本名バレて……」

 ん、とそこまで言ったところで首を傾げる。
 遥の本名と住所。当たり前だが、レイヤードとしての活動の上では一切公表していないはず。ストーカーはどうやってそれを知ったのだろう。関連書籍にだってそういうものは出していなかったはずだが。

――……というか、家の電話番号も……携帯電話の番号もバレてるんだよね?どっかから情報漏れてるんじゃ。

 活動上でそれを明かすことなどないはずの遥。
 だが、それらを明かすしかない場所があったとすればどうだ。例えば、仕事の上で交わす書類には、連絡先として本名や電話番号を記載してもおかしくはないはず。
 そう、例えば――。

「!」

 その時。ぴんぽーん、という玄関のインターフォンが鳴った。びくり、と遥が肩をすくめる。その様子でピンときた。もしや、既に犯人らしき人物が家まで来たことがあるのだろうか。

「さ、最近……インターフォンが鳴らされることも増えて。しかも、一階じゃなくて……いきなり部屋の前で鳴らすんだ。慌てて出ると、誰もいなかったりして、気持ち悪くて……」

 そういえば、遥は言っていた。オートロックマンションは安全なようでいて、実は部屋の前までなら来る方法があると。
 他の住人がマンションに入るのと一緒に堂々と自動ドアを潜ってしまえば、疑われることなく通路までは来られてしまうと。犯人がそれを理解していたのだとしたら。

「……ちょっと待って」

 千鶴は意を決して、立ち上がる。ちーちゃん、と遥が焦ったような声を上げた。

「大丈夫」

 彼を振り返り、頷く。

「いきなり開けたりしない。……確認するだけ。大丈夫だよ」

 彼の肩を叩いて、千鶴は微笑んだ。

「大丈夫、私がついてる」

 インターフォンが、催促するようにもう一度鳴った。
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