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<22・差し伸べられた手、浴びた光。>

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 子供の頃のルーイを、当然レネは見たことがない。
 しかし今のルーイの美貌からだけでもおおよその想像はつく。ドレスを着せられた彼は、そこらへんの女性なんて霞んでしまうほど美しかったことだろう――本人が望んだことではなかったとしても。
 しかし、皇子はその美しさに誤魔化されず、すぐに見破ったというわけだ。伯爵とルーイの、歪んだ関係を。

「私は驚きました。伯爵もぎょっとしていましたね。今まで何度かこの姿で人前に出たこともありましたけど、一度たりとも私が男性であると看破されたことはなかったのですから。女性のフリをする演技力や所作も徹底的に指導されていましたし、場合によっては“うちの娘よりお淑やかで上品ですね”って褒められたこともあったくらいなんですから」
「自分で言うのかそれ」
「演技派だったというだけですよ。……まあ、本当の自分を出す方法もわからなくなっていたというのもありますけどね。自分は本当にルーイなのか?本当は女の子で別人だったのではなのか?ルーイではなく、“エメリー”や“ルナ”なのではないか?……そんな風にも思い始めていましたから」

 それは、本当の彼を、誰も求めてくれなかったということだろう。
 男娼だった頃は、カラダのスキルばかりを求められ、伯爵家にて養子となってからは今度は妻としての役割ばかりを求められる。
 自分を見失うには、十分な境遇であったはずだ。

「でも、殿下は違っていました。慌てて伯爵が“まだマナーを学んでいる途中の子ですから、何か失敗もあるやもしれません。粗相があったのでしたら謝罪します”みたいなことを言ってるのを見て。殿下は、とても悲しそうな眼をしてこう仰られました」



『社交界にはいろいろな人が来る。体は男性なのに、女性になりたいと願っていてドレスを着る人もいる。そういう人をわたしは差別しないとも。だがね、クライマー伯爵。体も心も男性なのに、望んでもいない服を着ている人というのは一目瞭然なのだよ。わたしにはそれがわかる。貴方は、その子の目から光が消えていることに気付かないのかね?』



「殿下は奥様が亡くなられる前に、お会いしたことがあったと言っていました。それで違和感を覚えたというのもあったでしょう。でも、きっとそれだけではなかった。伯爵の傍で“ルナ”を演じる私はきっと、自分で思っていた以上に酷い顔をしていたのでしょうね」
「……それ、伯爵はなんて言ったんだ?」
「最初は否定されていましたよ。まあ、アイザック皇子が、その場で私のドレスを脱がせて性別を確認するような無粋な真似などしないと知っていたからなのでしょうが。ここで殿下の凄いところは、そこで無闇に伯爵を怒鳴るような真似はしなかったということです。ご存知だったからでしょうね……奥様への愛が本物であったからこそ、伯爵が狂ってしまったということを」

 動揺する伯爵に、アイザックはこう言ったという。



『貴方が愛した女性はただ一人だろう?それを間違えてはいけないと思うがね。彼女が生まれ変わったにしては、その子は年が行き過ぎているよ。……とても賢そうな、素敵な男の子じゃないか。貴方はその子に、父親としての愛情は一切ないのかね?……いい加減、本当の名前で呼んでおやり。その子のためにも……亡くなられた奥様のためにも』



 その言葉を聞いて、伯爵はその場で泣き崩れたそうだ。それはきっと、本当は最初からすべてわかっていて、それでも自分を誤魔化さずには生きてこられなかったということなのではないだろうか。
 愛する人が、もうこの世にはいない。
 自分を見てくれない、囁いてくれない、抱きしめてくれない、笑ってくれない。
 その現実を簡単に受け止められるほど彼は強い男ではなく、身代わりをとても残酷な形で求めてしまったと、そいうことなのだろう。だが。

「伯爵は、その日以来私にドレスを着せませんでした。私を抱くことも、私を亡くなられた奥様の名前で呼ぶことも。ただ、ぎこちなく距離があいたまま……もう一度親子としてやり直すこともできないまま、いずれ御病気で亡くなられました」
「……そうか」
「本当は。そうなってしまったのは、私のせいだというのもわかっているのです。殿下の言葉で目が覚めたあの方は、今度こそ私を父親として愛そうとしてくれた。私もそれを望んでいたはずだった。でも……わかっていても、それまでの時間があまりにも私にはつらすぎました。触れられれば恐怖で体が竦むのです。愛しているという言葉が信じられないのです。そのせいで、結局……あの人の家督だけを引き継いで、今に至ります。恐らく、それが彼が唯一できる罪滅ぼしだったと、そういうことでしょう」

 ルーイは寝転がったまま、そっと天井に向けて手を伸ばした。まるで、そのずっと向こうにいるはずの誰かを、あるいは何かをつかみ取ろうとするように。
 もしくは、何も掴めないことを知っているかのように。

「その後、生きる気力も何もなくなっていた私に、皇子自らが声をかけてくださって……最初は特別に事務官として雇っていただいたのが始まりでしたね。そして、この国を、階級も身分もないみんなが平等に生きられる国にしようと、そう理想を語って下さって。……今度はこの方のために生きてみようとそう思えたのです。そして、最終的には私設部隊の隊長となって今に至るわけですね」
「なるほど。……それが、あんたがアイザック皇子に尽くす理由か」
「はい」

 ぱたん、とルーイの手が落ちる。
 そして何かを噛みしめるように告げた。

「弱い者が、弱いというだけで踏みつけられない世界を。誰もが、当たり前に誰かを愛し、愛されることができる世界を作る。そのために自分は皇帝になり、世界を変えなければいけない。……あの方の言葉は、理想は、今の私にとって生きる目標なのです。だからけして、それを穢すようなことはあってはならないのですよ。……わかるでしょう?」

 ようやく、全てが繋がった。
 何故ルーイが、恋愛というものを忌避するのか。特にそれが、アイザックに向くことを恐れるのか。
 すべては義父の、歪んだ愛情によるものだった。無論、それまでの男娼としての日々も少なからずルーイを苦しめたものだっただろうが、それ以上に――愛していると言いながら正しい愛し方をされなかったことが、ルーイにとって何よりの心の傷になっていたのだろう。
 家族の愛情と、恋人の愛情は違う。なのにその境界線を踏み荒らされて、しかも“恋愛感情を受け止めることはセックスを許容すること”だと叩きこまれてしまったというわけだ。それでは恋愛感情と性欲が結びつきやすくなる=汚らわしいもの、という認識が強くなるのも致し方ないことだろう。
 本当は、恋というのはもっと神聖で、貴いものであってもいいはずなのに。いや、レネもちゃんと恋をしたことがあるわけではないから、あくまで本で読んだり人から聞かされた知識で理想を知っているだけではあるけれど。

「愛情と性欲は、イコールじゃない」

 いずれにせよ、確かなことは一つ。レネに話した時点でルーイもまた、そんな心の傷を乗り越えようとしているということだ。

「愛している、ということは。セックスをするってことじゃない。あんただって頭じゃ理解してるんだろ。兄弟とセックスするか?友達とセックスするか?教師と教え子は、親と子は?……そんなものがなくても相手のことが大切で、守りたいと思えて、それもまた愛情なんじゃないのか?」
「家族のいなかった人の言葉とは思えませんね」
「いなかったさ。でも……ずっとどこかで憧れていたから、そういうものであってほしいって願うってだけだ。あんたもそうだろ。セックスなんかなくても愛し愛される関係はあるはずだって、家族になれるはずだって信じていたのに裏切られたから苦しかったんだろ。……アイザック皇子はまさに、あんたにそういう愛もあるんだって教えてくれようとしてるんじゃないか?実際、アンタはあの人を誰より“敬愛”してる。それは紛れもない愛情だろう?」

 不思議だなと自分でも思う。いつもならこんな饒舌に、誰かのための言葉を考えて口にしたりなどしないのに。
 今はただ、とにかくルーイの傷を癒したい。その涙をぬぐいたい。
 彼は笑ってはいるけれど、心ではずっと涙を流してきたのだとわかったから。

「だから恋愛したいなら俺にしとけ、以上」
「結論は結局そこですか」
「実験台にはちょうどいいだろ。俺も、あんたなら……恋愛してもいいかなって思い始めてるし」

 とはいえ、自分の気持ちを口にするのはやっぱり恥ずかしい。段々、声は尻窄まりになっていってしまう。
 そんなレネに気付いたのか、ルーイがくすくすと声を上げて笑った。

「貴方も大概素直じゃありませんね。……わかりました。じゃあ、お付き合いといきますか。……正直、私はまともに恋愛なんかしたことないので、本当に男性が恋愛対象にできるかもわかってないんですけどね?」
「それ言ったら俺もだし。男どもとはセックスしかしたことなくて、女とはろくに話す機会もなかったからな。本当に男が好きなのかはわかんねえ。でも、あんたならいいと思っただけで。美人だし?」
「そういう貴方も可愛いですよ」
「可愛いよりかっこいいって言われたいんだけど!」
「はいはい」

 す、と伸びて来た手に髪を撫でられる。その手つきが優しくて気持ちよいと思うと同時に、やっぱり子供扱いされていると感じてムクれたくなってしまう。
 しかし、ルーイが少し気持ちを持ち直してきたのがわかったので、とりあえず良しとしようと思う。問題が解決したわけではないけれど、それでも一歩前に進めたのは確かだろうから。

「とりあえず、一緒に寝ますか。あとちょっとしか寝られませんけど」

 はい、とルーイが靴を脱いでベッドに上がると、ぽんぽんと自分の隣を叩いてくる。

「子供は抱っこして寝たら気持ちよさそうですしね」
「子供扱いすんなつってんじゃん!俺はもう十六!」
「はいはい」
「はいはいじゃねーってのー!」

 とはいえ、濃厚なセックスのあとで眠かったのは事実。すぐに、レネもルーイの隣で意識を飛ばすことになるのだった。
 背中に回された腕が温かくて気持ちよかった、なんてのは内緒の話だ。

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