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<21・ルーイの地獄。>

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 シャワーを浴びたあと、暫く二人でベッドに座っていた。
 ルーイが言葉を探しているのはわかっていたので、レネも何も言わない。――間違いなく、尋ねづらいことを尋ねているし、話しづらいことを話そうとしている。それは、三年前にルーイが異様なほど激怒したことに繋がっているはずなのだから。

「……私」

 やがて、意を決したようにルーイが口を開いた。

「自分の身分について、貴方になんて言いましたっけ」
「伯爵だけど元は平民の出、みたいなこと言ってたな」

 これでも記憶力は悪くない。
 というか、ルーイの言動に関しては嫌でも脳に焼き付いてしまっている自覚がある。確か、彼は初めて会った時の自己紹介で自分にこう言ったはずだ。



『実際は、第三皇子特設部隊、“ミカエル”の隊長をしています。ルーイ・クライマー、階級は大佐です。貴方が思っている通り貴族、階級は伯爵ですね。とはいえ、元は私も平民の出なので、騎士侯からステップアップした形なんですけど』



 彼がミカエルの隊長であること。現在の階級が大佐であることに関しては疑う余地がない。問題は伯爵位の方だ。
 確かに、平民の出でも功績が認められれば爵位を賜ることができるケースもある。騎士侯から男爵になれた人間も少ないながら存在していると知っている。ただ、それが伯爵となると話が別だ。正直あの時点で違和感を覚えてはいた。
 貴族の中でも、階級が上がるためには相当な苦労があるはず。よほど国に貢献できるような成果を挙げるなりなんなりしなければ、男爵が次の子爵になるのだって相当苦労があったはずだ。
 現在、この国の貴族階級は大別して以下の五つに分けられる。下から男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵。うち、男爵の中には平民からステップアップした者が含まれ、逆に公爵は努力でなれるものではない。基本的には、皇族の分家筋が与えられる階級だからだ。例えば、公にできない皇族の妾の子で、皇位継承権を与えない場合などは公爵の階級が与えられる。また、その血筋を引き継ぐ者も公爵になる、という寸法である。
 このへんは国によってシステムが異なるが、少なくともこの国ではそういう仕組みになっていたはずだ。
 そして一般的に“上級貴族”というと、伯爵以上を指すことが多い(稀に侯爵と公爵のみを指すこともあるが)。子爵と伯爵の間には、目に見えぬ大きな壁があるのだ。
 何が言いたいのかと言えば。元平民の騎士侯が、男爵ならいざ知れず伯爵まで上り詰めるのは相当難しいということである。

「ちょっと妙だと思っていたけど、スルーしてた。あの時の俺にとってはさほど重要なことじゃなかったからな」

 ドライヤーを使ったが、まだ少し髪が湿っているような気がする。手櫛でとかしながら言うレネ。

「大体、初見でしゃべりすぎるなとは思っていたし。そこに嘘の情報が含まれていてもなんらおかしくない。むしろ普通だ」
「割り切りが良すぎません?」
「客に嘘をつかれるなんて普通にあることだしな。それに、嘘ってのは必ずしも相手を騙すためにつくもんじゃない。誰にだって言いたくないことはあるし、黙っておいた方が双方を守れるケースもある。必ずしも悪いもんじゃない。変だなと思ったが、俺にとってデメリットのあることじゃなければ気づかないフリをしておく方がいいと思った。……あんたの過去がろくなもんじゃないんだろう、ていうのはだいぶ前に察してたしな」



『私が、殿下に対して恋愛感情を抱いているとでも思ったのですか?そのような恐れ多いこと、できるはずがないでしょう。そういう疑いをかけられること自体、私にとってはとんでもない侮辱です。私とあの方の関係は、そのような浅ましいものではけしてない』



 三年前、彼が自分に言った言葉だ。前後の文脈から察するに、ルーイにとって恋愛感情を向けることはイコール、相手を性欲の対象にすることという解釈であったらしい。
 だから、恋をする、ことそのものを汚いものだと思っていた。
 そんな感情で敬愛する皇子を穢すことなど許されないし、そのように誤解されるのも耐え切れないと。その上で。



『その元男娼の貴方より、私はずっと汚らわしい存在だということです。……そう思いながら、こうして貴方に縋ってしまっている時点で、自分でも終わってると思いますけど。本当に弱い人間です、私は』



 さっきの発言がこれである。
 ルーイは己のことを、元男娼のレネより汚い存在だと思っている。それだけのことが、彼の身には起きたということではないだろうか。

「貴族でない人間が貴族になる方法は、俺が知る限りもう一つ存在している。……貴族の養子になることだ。俺は一時期貴族に飼われたが、諸事情で養子として迎え入れられることはなかった。でもあそこで養子になっていたら、俺も今頃は貴族だったんだろうな」

 これは、自分の推測。しかし、騎士侯から階級を上げたと言われるより、よほど説得力がある仮説だ。

「あんたは元は平民、もしくはそれ以下の出身だった。それが、クライマー伯爵家に養子となった。無論、養子ってのは血が繋がっているわけじゃないから、本来は爵位の継承権ってやつがない。ただ一つだけ例外がある。伯爵に他に子供がおらず、そして本人が養子に爵位を引き継ぐことを良しとしていた場合だ。例えば、正式に遺言書を残しておいた、とかな」

 血の繋がった子供がおらず、養子に爵位を受け継ぐ意思があれば、我が国の法律上養子もその地位を継ぐことができる。
 これならば、元庶民の養子がいきなり伯爵になることも可能というわけだ。

「ちらっと聞いた話だが、あんたの父親……クライマー伯爵は妻に早々に先立たれていたはずだ。なら子供が他にいなくても無理はないだろ」
「……なんだ、全部想像ついてるんじゃないですか」
「俺を誰だと思ってる。元情報屋の“マシンガン”だぜ?目を付けた貴族の情報はみんな頭に入ってんだよ」
「仰る通りで」

 はは、と笑いながらルーイはベッドに転がった。エメラルドの瞳を細めて、どこか遠くを見つめるようなそぶりを見せる。

「貴方がお察しの通り、私はクライマー伯爵の養子です。元は貴方と同じ、アンダークラスの子供で……道端で体を売る夜鷹のような生活をしていました。その点は、貴方に近いものがあるでしょう」

 ただ、と彼は続ける。

「本当の意味で私の人生がおかしくなったのは、貴族の養子になってからのことだったんですよ」
「どういうことだ?」
「自分の見目が人並外れている自覚は、幼いながら私にもありました。だからこそ、貴族のような男達も興味を持ったんでしょうしね。そして、クライマー伯爵が養子にならないかと言った時、私は救われたと思ったのです。これで、この薄暗いスラムの路地裏から抜け出すことができる。此処から先は貴族として、毎日美味しいものを食べて暖かいところで寝られる、と。同時に……生まれてから一度も得ることがなかった、まともな家族に巡り合うことができたのではないかと期待したんです。親に捨てられて、親の愛情なんてものを感じたことはありませんでしたからね」

 親の愛情がどういうものか知らず、それを知りたいと思った。
 その気持ちは、レネにも痛いほどよくわかる。むしろ、一時期貴族に飼われていた時、ついていったのもそれに近い気持ちがあったからかもしれない。まあ、相手が己を子供ではなく、あくまで妾のようなものとして迎え入れたことは知っていたので過度な期待などしなかったが。

「……お前は期待しちまったのか、伯爵に」

 レネの言葉に、ルーイはこくりと頷いた。

「伯爵の言葉は、声は、顔は、とても優しかった。私の髪を撫でる手も慈しみに満ちていました。だから、きっと愛してもらえると思ったんです。心から、お父さん、と呼べる人間に巡り合うことができたと。それが、十二歳の頃のことでした。当時私は子供でしたが、背は多少高かったですからね。今思うと、少年というより女性のような見た目であったかもしれません」

 それは、なんとなく想像がつく。レネはついついルーイの顔を観察してしまう。彼の顔立ちは性別を超えた美がある。今でこそ声変わりもしているし、そのままの姿で女性に間違われることはないだろうが――数年前だったなら、きっと目が覚めるような美少年であったことだろう。少し変装するだけで、立派に女性として通用するような見目だったのは頷ける話だ。
 同時に、その先に想像がついてしまった。
 伯爵は早々に妻に先立たれている。子供もいない。寂しかったはずだ。と、いうことは。

「……あんた、伯爵の死んだ妻に似ていたのか」

 そう告げると、ルーイは乾いた声で笑った。

「確かに、写真を見せられると驚くほど似ていました。奥様が亡くなったのは四十半ばのことでしたから、あくまで“奥様が若い頃”にそっくりということですけど。でもきっと旦那様にとっては、私は奥様が生まれ変わって現れたような、そんな感覚を覚えたのでしょうね。まあ年齢は合わないんですけど」
「それで、妻の身代わりにされたわけか」
「そういうことです。あの方は私に“恋をした”と言いました。好きだ、愛していると何度も言われました。そして私を抱きました、毎晩毎晩、繰り返し繰り返し……。その手は優しくて、でも私にとっては残酷なものでしかなかった。だってそうでしょう?私は父親が欲しかったのであって、彼の妻になりにきたわけじゃない。一体どこの世の中に、父親に望んで抱かれたい息子がいますか?あの方は私に女性の服装をすることを強いて、妻のように扱いました。そして、家の中では妻の名前で私を呼ぶんです。私は望んだ愛を得られないばかりか、死んだ人間の身代わりにされただけ……あまりにも惨めじゃないですか」

 思い出したのか、ぎゅう、と取り換えたばかりのシーツを握るルーイ。その顔は笑っているが、あまりにも見ていて痛々しいものだった。

「こんなのは嫌だ、僕はエメリーさんじゃない……何度もそう言いました。言うたびに殴られて、無理やり抱かれました。そして無茶を強いたあとで何度も言うんです。許してくれエメリー、お前のことを愛しているんだ。愛しているから抱くんだ。だから拒まないでくれ、愛を受け止めてくれ……って。愛って、なんなんでしょう?恋をすることは、セックスに直結するものでしかないのですか?愛していると言えば、何をしても許されるとでも?……どれほど温かい食事をしても、綺麗な服を着ても、学校に通うことを許されても。私の心が満たされることはありませんでした」

 そんな時です、とルーイは続ける。

「あの方が、来てくれたのは。……今から八年くらい前でしょうかね。伯爵の屋敷をアイザック皇子が訪れました。その用事の内容はよく覚えていませんが、伯爵は皇子が幼い頃から懇意にしていたようです。突然の訪問で、しかし断ることもできずに伯爵が大慌てしていたのをよく覚えています。なんせ、私は屋敷の中では常にドレス姿でしたからね」
「なるほど。息子に女装させてるやべえやつ、ってバレる可能性があって焦ったか」
「そういうことです。まあ、私は声変わりが遅かったので、あの頃はまだ喋ってもバレなかったでしょうけど。……伯爵は仕方なく、皇子に私のことを“養子の娘のルナだ”と言って紹介していたのを覚えています」
「ひょっとして……」

 レネが皇子と話をした数はそう多いものではない。でも、彼がとても聡明で自信にあふれた人物であるのはわかっている。
 八年前というと、アイザック皇子は大体十六歳くらいだろうか。とすれば。

「バレたのか?」
「その通り」

 ごろん、とルーイはベッドの上で転がった。

「食事を共にする中、アイザック皇子はあっさりと看破されたのです。そしてはっきりと仰られました。“何故男の子にドレスを着せて、女装をさせているのかね?”と」

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