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<14・桜の下の天使。>

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「馬鹿なの?」

 レネはストレートに言った。

「酒は飲んでも呑まれるな。あのさぁ、あんたも軍隊になって長いんだろーが。俺らは突然招集がかかることもあるわけ。お分かり?」
「おわかりです……」
「じゃあなんでこんなグデングデンになるまで飲んじゃったの?ねえ?」
「すみません、ごめんなさい、うまれてきてすんません……ううう」
「そこまで言ってないんだけども!?」

 ああ、これは失敗した。レネはため息ををつく。
 ここはミカエルの訓練施設、その訓練場。レネはベンチに横たわっておいおいと泣き出したオーガストを見て、どうしたものかと天を仰いだ。
 すでに時刻は零時を過ぎている。門限なんてものは建前上のものなので寮の鍵は開いているが、いかんせんこの状態の彼を中に運び込むのは不可能に近い。

『どうせ!あんたは!そのうち死ぬんでしょってえええ!軍人に言うべき言葉じゃないでしょうがぁぁぁぁ!』

 打ち上げの会場にて、突然おいおいと泣き始めたオーガスト。別れた女の話になったところで嫌な予感はしていたのだが、案の定酔いが回っていたオーガストの地雷を踏んでしまったらしい。
 というのも彼は恋多き男である。女を取っ替え引っ替えにしているというとプレイボーイっぽく見えるが、実際は付き合った端から女性にフラレているというのが正しい。
 オーガストは親切だし、見た目もイケメンだしで相当モテるのは間違いないのだが。いかんせん、女心がわからない。そして空気が読めない。正確にはミカエルのメンバーとの間では結構気をきかせてくれることも少なくないのだが、これが女性相手になったとたんちっとも発揮されないらしい。
 だから振られ神話は少なくない。ありふれた話から、それこそジョークとしか思えない話まで。

『確かにオレは猪突猛進タイプだ!思い込んだら全力で突っ込んでいくしアタックしていく!彼女がレッドにハマってるときいたところで、赤いカバンに赤いネックレスにといろいろプレゼントしまくったのはやりすぎだったかもしれねえ!そしてオレのセンスは結構終わってるのかもそれねえし愛も重いのかもしれねえ!毎晩メールを十通は送ってたのもヤンデレっぽくで駄目だったかもしれねえ!だからって、“地雷原に単騎突入してさっさと死にそうな男だと残された私が苦労しそうだから嫌なの”ってそういう振り方するかフツー!?』
『お前フラレた理由全部自分で言っただろ。それを解説するのが面倒だったからその言葉に集約しただけじゃねぇの?』
『あんまりだぁぁぁぁ!ちょっと重たい愛を向けたくらいで、死ぬかもしれないなんて言うなんてえええええええ!そりゃ、オレは地雷でふっとばされかけたことも三回くらいあるけどおおおおおお!』
『あるのかよ!』
『オレだって死にたくねえんだよ!死にたくねえんだよおおおお!うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
『聞いちゃいねえ……』

 こんな具合である。
 さすがにこれ以上はまずいと思って、彼を宥めすかせてお金払って先に店を出てきたのだが。
 正直遅かった、としか言いようがない。
 しばらくはふらつきながらも自力で歩いていたオーガストだったが、ついに力尽きてベンチで沈没する羽目になったのだから。

「もしもーし?」

 レネが声をかけるものの、オーガストは泣きながら夢の中に突入している。駄目だこりゃ、とレネは天を仰いだ。
 彼は身長200cmを超える巨漢である。対してレネは148cmしかないわけで。体重は聞いたことがないが、とても自分の腕力では彼を部屋に投げ込むことなどできないだろう。
 仕方ない、と電話を取り出す。訓練場にはまだ明かりがついている。あれは執務室の方だ。ルーイはこの時間でもまだ仕事をしているということだろう。来てもらって、このアホを連れ出して貰うしかない。ルーイは華奢だが、腕力は充分すぎるほどあるのは三年前の段階で証明されている。

「ん?」

 スマホで電話帳アプリを呼び出そうとしたところで、ちらり、と動くものが目に入った。訓練場をぐるりと取り囲む桜の木の一つ。その影になる場所に何かが立っているのである。
 何か、ではない。人だ。しかもあの紺色の軍服は。

――ルーイ?

 ハルザクラの樹の下。彼は何をするでもなく、ただぼうっとそこに佇んでいる。両腕を下ろしているので、携帯電話で誰かと話しているわけではないし、メールを打っているなんてこともない。何より話し声などは聞こえない。
 夜桜を愛でている、のだろうか。
 確かに街灯もあるし、施設の明かりもあるのでそこまで暗くはない。しかし時刻が時刻である。仕事で疲れているだろうに、夜のお散歩をするほど余裕があるのかどうか。あるいはただ黄昏れているだけか。

――あ……。
 
 声をかけようとしたところで、レネは足を止めていた。
 はらり、はらり、はらり。
 舞い散る薄紅色の花びらが、ルーイの肩に落ちる。風に、彼のピンク色がかった明るい茶髪がふわふわと揺れた。思わず見惚れてしまう。
 綺麗だった。まるで、天使がそこに立っているかのように。こちら側からでは、彼の横顔しか見えない。憂いを帯びたその瞳が何を見つめているかは何もわからない。それなのに。
 いや、だからこそ、だろうか。



――そうだ。俺は初めてあんたと会った時……思ったんだ。まるで……。



『ああ、失礼。こう言わなければならないんでしたね。貴方が……マシンガン、であっていますか?』




――まるで天使が舞い降りたようだ、と。



 色々な貴族に抱かれたし、愛を囁かれた。それなりに見目のいい男もいたのは確かだ。でも、ルーイほど気品にする触れ、美を凝縮した存在に出逢ったことはなかったのである。
 イケメンと言えばオーガストもそうだが、ルーイは彼とは方向性が違う。
 繊細で、華やかで、それでいて女性の美貌とはまた違う。性別なんてないみたいに、それを飛び越えてあらゆる者を魅了する美、とでも言えばいいのか。
 だから見惚れたし、興味をも持った。
 実際接してみればこの天使様は“ミカエル”のような慈悲深いものではなく、主のためならば何でもする苛烈で激しい人間であったわけだが。

――なあ、アンタは、何を見てるんだ。

 一歩、近づく。目に見えるよりもずっと自分達には距離があると知っている。それでも近付きたいと思うのは何故だろう。
 その視線の先にあるものを知りたいと考えるのは、一体。



『私が、殿下に対して恋愛感情を抱いているとでも思ったのですか?そのような恐れ多いこと、できるはずがないでしょう。そういう疑いをかけられること自体、私にとってはとんでもない侮辱です。私とあの方の関係は、そのような浅ましいものではけしてない』



 利用するつもりで近づいたのは確かだ。そして、全て分かっていて抵抗もせずに抱かれた。その怒りの根源を知りたかった。必ずその目を自分に向けさせて、落として、思い通りに操ってやると決めた。それは恋をしたからではなく、さながらゲームをするかのような感覚である。
 なんせ、今までレネを抱いて、この身に溺れなかった者など殆どいなかったのだから。レネと一夜を共にして(それも結構激しい行為をした)にも関わらず、その目は一切レネを見なかった。ただひたすら、敬愛する主とその理想だけを見据えていた。ある意味屈辱で、屈伏しがいがあると思ったのである。
 当時に、アイザック皇子の信頼の厚いこの男を落とせれば、芋づる状に皇子をも落とすことができるかもしれない。この国の次期国王の最有力候補、そんな皇子を思うがままにできれば、この国を手中に収めたも同然だ。
 そうすれば、長らく藻掻いてきたこの人生も報われるというもの。憎たらしいこの国への復讐を叶えることもできようもいうものだ。
 でも。



『確かに、この国は階級が全てを決める。そういう風に考えている人は少なくありません。けれど、皇族や貴族であっても、それ以外の考えを持っている方は確かにいらっしゃるんですよ』



 近づけば近づくほどわからなくなる。
 彼が本当に皇子とともに世界を変えようとしているのか。もしそうならそれは何の為であるのか。
 だって彼は伯爵だ。生まれついての勝ち組。むしろこの国の階級制度に恩恵を受けて今日まで生きてきたはず。
 身分や階級がなくなれば、間違いなく困ることになるはずなのに。



『まあ、恋愛感情なんか抱かない方が無難だと俺も思うよ。あの人、なんだかオレ達に対しても距離があるなあって思う時あるし。どういう経緯で皇子と一緒にいるのか、父親と母親は何やってる人なのか、とか。そういうのオレらもだーれも知らないしなあ』



 オーガストの忠告は尤もだ。
 彼と皇子の間には誰も踏み込めない。そんな余地などない。だから、恋愛感情なんて抱くべきではない。一人の部下として、利用する者される者としてビジネスライクな付き合いを続けていった方が絶対楽に決まっている。
 そう、わかっているのに。
 知りたいと思ってしまうのはどうしてだろう。近づきたいと、もう一度抱いて欲しいと思ってしまうのは、一体。恋愛なんて、アイなんてコイなんてまったく信じていないし、なんなら己が同性愛者かどうかさえレネ自身わかっていないというのに。

「ん?」

 レネが声をかける前に、ルーイが振り返った。泣いているのかもしれない、と思うような憂いを帯びた気配が霧散する。

「なにをしてるんですか、レネ?」
「……それ、こっちのセリフなんだけど?」

 こちらを見たルーイは、いつもの彼だった。三年前から何も変わらない、穏やかな笑顔の仮面ですべてを覆い隠してしまう男。

「ハルザクラの木の下でぼーっとしてるから、どうしたのかと思ったんだよ。深夜で何一人たそがれてたの?ちょっと様子見てたけど、電話するために出てきたとかそんな雰囲気でもないし。散歩?」

 まるで天使みたいに綺麗だったし、という言葉を飲み込んだ。小っ恥ずかしくなったのと、なんだか悔しかったからというのが大きい。

「ええ、少し。……ハルザクラ、綺麗なんですけどね。この花を見ると少しだけ感傷に浸りたくなってしまうんです。色々と思い出してしまうので」
「去年のお花見イベントの時、そういえばアンタ不在だったね。なんかトラウマでもあったりする?」
「そういうわけでは。まあ、皇子と初めてお会いしたのがこの季節だったのは確かですが」
「ふうん……」

 なんだか少し、面白くない。やっぱりこの人は皇子に恋愛感情を抱いてるんじゃないか、と疑いたくなってしまう。
 アイザックのことを語るルーイの瞳は、恋する乙女のそれに近い気がして。

「何か嫌なことでもあった?仕事で」

 ちらり、とベンチに置いてきたオーガストのことが頭を過ったが、後にしようと決めた。なんとなく、今でないとできない話があるような気がして。

「最近、ミカエルも忙しいしね。他の皇子サマ方の蹴落としも必死になってるかんじ。まあ、こっそりアイザック様を支援してくださってる第一皇子様は別だけど」
「必死にもなります。誰が皇帝になるかによって、この国の未来は大きく変わってしまうのですから」

 はぁ、とため息をつくルーイ。実際、レネも第二皇女クリスティーナの支援者を一人蹴落としてきたところだ。まあ、リークされた不正や変態趣味、犯罪行為を知って彼を切り捨てたのはクリスティーナの方ではあるけれど、
 そしてルーイが言っていることもわからないわけではない。内政だけではないのだ。
 皇子皇女の中にはいるのである。自分が皇帝になったら、他所の国と戦争をして領土拡大に乗り出すなどと本気で言っている輩も。もし、そんな人間が皇帝になってしまったなら。

「……私は、アイザック様を失っては生きていけない」

 そしてぽつり、とルーイは呟いたのだった。

「ほんのついさっきなんですよ。……アイザック様が暗殺されかけたのは」
「は!?」

 とんでもない内容に、レネも目を見開くことになったのだった。
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