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<26・狂信者はかく語る>

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 そもそも、と久遠正貴は考える。
 そもそも自分がこのようなことを考えるきっかけをくれたのは、この社会そのものであると。
 元はただ、幽霊や付喪神がある程度見えるような、ちょっとした霊感を持つだけに人間であった自分。ただ少し、人あらざるもの達に親しみすぎたせいで、人間の友達が極めて少ない幼少時代を過ごしたというだけである。淋しいと思ったことは殆どなかった。人間よりもずっと、付喪神と呼ばれる存在達は優しく素直で、親しみやすい存在であったから。
 太古の昔から存在しているはずのあやかしという概念。しかし日本に西洋からの文化が多く流入し、人々がモノを大切にし宗教を尊ぶことを忘れるようになった影響で、彼らの存在や力は時間を追うごとに弱くなっていくのを感じていた。久遠が幼い頃から今に至るまでの数十年だけを数えても、彼らの数が減りつつあるのを感じているのである。彼らは皆、人間よりもずっと昔から存在すると言っても過言ではない存在。人間の信仰心に支えられなければいけないのがおかしなほど神聖であり、尊ばれるべき存在であるはずというのにだ。
 何故人間は、人間ばかりを尊いものだと思うのだろう。
 何故人間は、人間以外を真の友人と認めてはいけないのだろう。

『正貴と散歩に行くのは嫌!』

 正貴の五つ上の姉は、実に素直に正貴のことを忌避した。当時家で飼っていた犬の新太郎しんたろう。その夕方の散歩を、姉と正貴の二人で行くのが日課となっていたからである。

『正貴は、いつも寄り道をする!何もないところに話しかけてばっかりで、通り過ぎる人達みんなに私までおかしな目で見られるの。そんなの耐えられないわ!』

 幼かった正貴にとって、姉の言葉こそ不思議でならないものであったのである。
 電柱の影にひっそりと佇んでいる、顔も服も真っ黒な女性。
 雑草の横でべったりと平たくなって寝そべっている首のない猫。
 塀の上からこちらを覗きこみ、いつも笑顔で手を降ってくれる首が二つあるおじいさん。
 全て正貴にとっては、人間の常識の外にあると理解しながらも、人間と同等の極めて親しい友人に他ならなかったのである。それが、他の人には見えないのだと理解するまでにはやや時間がかかったが。どうにも彼らには見えないものに正貴が手を振ったり挨拶を返すことで、家族や友人は正貴が頭のおかしい人間であるかのように映っていたということらしい。
 極めて心外であったが、説得はすぐに諦めた。どうせ信じてなどもらえない。そんなことに時間をかけるよりも、人間以外の友達をもっともっと増やしていった方がずっと有意義だ。彼らは人間とは異なる、時には非常にグロテスクな見た目をしていることもあったが、皆親切で博識であった。正貴が幼稚園や小学校で教えて貰えないこともたくさん教えてくれたし、彼らのおかげで多くの教わらない知識を学ぶことができるようになったのである。
 あるいは、普通に生きているだけではまず気づくことのない多くのこと。

『あの家の奥方は近いうちに旦那を殺して無理心中を図ると思うよ。何でわかるかって?あれだけ目を血走らせて殺気を溜め込んで包丁を研いでいるんだ、付喪神でなくてもわかるだろうさ』

『正貴、あの側溝には近づかない方がいいわ。蓋がすごく外れやすくなってるの。かわいそうに、この間子猫が落ちて流されてしまったのよ』

『ほら、あの家の屋根に真っ黒な影がべたべたとしがみついているだろう?ああいう家は、まともな建築方法で建っていないんだ。すぐ倒壊するだろうさ。知り合いが住んでるというなら、引越しを勧めた方がいいと思うのだけど……ああでも、人間は君の話をなかなか聞いてはくれないからな。放置するしかないかねえ』

 そんな具合である。時々戯れに冗談や嘘を言ってくることもあったが、基本的には人間よりずっと彼らの方が素直にものを教えてくれたし、隠し事も少なかった。彼らも理解していたのかもしれない。久遠が、人間でありながら自分達に近い魂を持つ存在である、ということを。
 だからだろうか。自分が気味が悪い子供だと言われ、人間達から遠巻きにされることよりも。そんな付喪神達の存在が認識されず、なかったものとして蔑ろにされることに、悲しみや怒りを覚えるようになってしまったのは。
 付喪神は、モノが百年時を経ることで産まれるものとされている。しかし正確には、力をまだ持たない付喪神の“意思”のようなものは、もっと早い段階で産まれていることが殆どなのだ。ただ人間のような姿を作ったり、普通の人間にも見えるような姿を顕在化させることができないというだけである。
 ゆえに久遠は、数多く見てきたのだ。
 人間の都合によって閉店されることになった店。きちんと使われることもなく、ただ人間の需要にだけ合わせて捨てられることになっていく数多くの食品や道具達。彼らが泣きながらゴミとして捨てられていく様を、彼らの想いに簡単に唾を吐くような人間達の所業を。
 森の木々の精霊達の嘆きを無視して山を切り開き、住宅を建てたのに。その住宅が売れなければ、今度はそこに宿った付喪神達の意思を無視してあっさりと建物を再度壊して更地にする。人間の都合で生み出され、あっさりと壊されていく“モノ”達の悲鳴、悲しみ、苦しみ。何故人間にそんなことをする権利があるのか、久遠の疑問は尽きることなどなかったのだ。彼らはその気になれば、人間よりずっと長い時を生きることもできる存在。モノとして生まれたのはそこまで昔ではなくても、いわばこの惑星の意思として、人間よりずっと貴い存在として産まれてきた魂であるはずなのに。
 何故彼らよりずっとくだらない、嘘吐きで、穢れた人間達に良いように使われ、支配者ヅラをされなければいけないのか。彼らの心の叫びを、彼らが見えない人間達にアピールし、彼らこそ真の支配者になるべき存在だと人間達に知らしめるにはどうすればいいのか?
 幼い頃から考え続けてきた久遠は、その手段を探るためにひたすら勉学に没頭した。自らの霊能力を伸ばすために、怪しげな宗教にも足を踏み入れたしカウンセリングも受けた。寺や神社のような場所で、修行させてもらったこともある。
 そうやって信心もないまま、ひたすら方法を模索し――ローズマリーの楽園という宗教団体に身を寄せていた、まさにその時だったのである。真田孝之介という作家の、偉大なる作品群に出会ったのは。
 彼は自分と同じく、付喪神を愛し、人ならざる者に心を寄せる魔術師だと気づいた。
 彼こそが自分の、世界でたった一人の真の同胞になりうる者である、と。

「そう思っていたのですよ、真田孝之介先生」

 じゃらん、と。生々しいほど冷たい鎖の音がする。
 八階の3LDK。家具の殆どないこざっぱりした一室は、黒いカーテンを締め切られているせいで真っ暗だ。ロウソクがいたるところに並べられ、その炎が揺らめいているせいでかろうじて視界を確保しているに過ぎない。
 部屋の中心にある、魔方陣は――久遠が長年の研究の末独学で編み出したもの。西洋魔術をベースに、多くの秘術を組み合わせて作った知識の結晶である。その陣は、久遠が捉えた使役霊の力を何倍にも増幅することができるのだ。
 その中心に垂らされている鎖には、どろどろとした肉の塊が絡みついている。首と、胸と、肩。そして右腕だけが飛び出した異質なその姿は、かろうじて生前の“真田孝之介”の姿を保っている状態だった。鎖で吊られ、囚われている真田孝之介は、目の前の机に張り付くように固定された原稿用紙にひたすらペンを走らせていた。焦燥と恐怖を、その顔面におぞましいほどくっきりと顕にしながら。
 彼は、書き続けるしかないのである。命じられた“道具”達の物語を。もし筆を止めたらその時は、死んだ時の苦痛を再現してやると久遠に脅されているがためだ。
 絶対に屈しない、殺すなら殺せ――そう啖呵を切ってみせた孝之介であったが。それでも、死ぬ間際のおぞましい苦痛は、心を叩き折るには充分なものだったらしい。生きたまま、体中の骨を砕かれていく激痛。それを死んだ後でもう一度再現させられると言われてしまえば、自分を操る魔術師に逆らう気が起きなくなるのも無理からぬことであろう。

「先生の物語は、まさに私の理想を体現するのに充分なものでした。先生と私は、そう私達だけが、魂の盟友となりうる存在だったのです。それなのに、貴方は私の誘いを断ってしまった。どれほど私が残念であったか、失望したかわかりますか?貴方は自分の物語が、永遠に“物語”たることに無駄に拘りすぎてしまった。それが現実にできる可能性と力が、目の前にあるとわかっていながら。……私は悟らざるをませんでしたよ。それが先生の、人間たる限界でしかないのだと。こうなった以上、私がその限界を踏み越えさせて差し上げるしかないのだと……」

 彼が全面に文字を書き終えると。風もないのにぴらり、と原稿用紙が一枚めくれて、床にはらりと落ちる。途端、その下から現れる新しい紙。孝之介は狂ったように、落ちた原稿用紙に目を向けることもなく次の紙に執筆を続けた。落ちた紙はすぐ、ロウソクの炎に焼かれて不自然なほどあっさりと灰になって消えていく。――それでいい。孝之介が書いた文字が焼かれて消えることで、儀式は成就するのだ。この建物の中にある道具達に、新しい意思と姿を与えることに成功する。そしてその新しい付喪神達が、そのまま久遠の支配下として自分達の新たな力となってくれるのだ。
 彼らは邪魔者を排除する力であり、同時に付喪神融合計画を成就させる要となる。
 久遠が付喪神達を一つにしようとしているのは、断じて彼らが憎いからではない。弱い力でしかない彼らを一つにして強大な存在を産み出し、愚かな人間達にその存在をアピールさせるために他ならないのだ。
 久遠は心の底から信じていた。自分のやっていることは、付喪神達の未来を導く善行以外の何物でもないと。

「か弱い付喪神達の存在を、人々に思い出させ……真の支配者が人間であるなどという奢りを捨てさせる。私がしているのは全て、この国の愛しいあやかし達のための行い」

 長い長い語りを終えて、久遠はそっと玄関の方へと腕を差し出した。リビングのドアは解放されている。玄関の入口には、先ほど入ってきたばかりの新しいゲストが三人佇んでいた。
 彼らがそこにいるのは必然だ。なんせ自分が、彼らがやってくることを見越して招き入れたのだから。

「そのために。……自分の意思の力だけで私を撥ね付けた……チョコさん、でしたか。貴方の存在が、是非とも欲しい。貴方こそ、私が作り出した付喪神達の頂点に立ち、融合計画を成し遂げる存在であるのかもしれないのですから。……協力してくださいませんか、付喪神達の未来を守りたいのは、貴方も同じはずでしょう?」

 加藤ツクモ相談所の所長、加藤貴美華。
 その使役霊である、楠純也。
 そして自分達の元から自力で逃げ出した、テディベアの付喪神であるチョコ。
 彼らの目的はわかっている。敵意を向けられていることも重々に。それでも久遠は、出来ることならば彼らと敵対せず、話し合いで解決したいと今でも願っているのだ。自分は付喪神の意思を尊重する者のことは、人間の中でも充分生かすに値する存在であると思っているのだから。

「私達で、共に手を取り合うことはできませんか?平和的な解決は、皆さんもお望みのはずでは?」

 話している間も、ペンの音は響き続けている。
 狂ったように、まるでこの空間を彩るBGMを奏でるかのように。
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