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<15・目撃証言>
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背中にまとわりつくような悪寒。やはり、この廃屋には何かがいるらしい。
まず貴美華は、自分が昨日婚約指輪を掘り起こしたあたりを調べてみることにした。玄関先の土にはまだ、自分が土を掘った後がそのまま残されているのでわかりやすい。周囲に足跡などはあるだろうか、と思ったが――そもそも指輪が埋められてから数日以上が経過しているし、雨も振っているのだ。証拠など、あっても流されてしまっているだろう。
「何か、見えるの?」
チョコが後ろからひょこり、と顔を出してくる。
「このへんだよね。その、指輪さんが埋められてたの」
「そうだな。……でも、庭に何か特別なものがあるってわけでもないみたいだ」
「というと?」
「この家全体に、嫌な霊力が充満してる。“庭が”特別なわけじゃないってことだ」
ひっ、と小さく悲鳴を上げるチョコ。付喪神であるはずなのに、彼は随分怖がりな質であるらしい。ぷるぷると震える様は子犬のようで可愛らしい。元々臆病であるのか、それとも記憶がないからこそ臆病になってしまったのかは定かでないところだが。
庭の土全体に、嫌なものが染み込んで抜けなくなっている印象である。壁にも、石畳にも、玄関ポーチにも、何もかもだ。
思い出したのは“入るだけで呪い殺される家”の映画である。庭まではギリギリセーフだが、一歩でも玄関に踏み入ったら最後、家から出ても呪いが継続する。小さな男の子、あるいはその母親にいつまでも取り憑かれて回られるのだ。自宅まで憑いてこられて、布団に隠れて震えていたら布団の中からこんにちは!なんて凄いシーンもあった記憶がある。呪われたら最後、そこから逃げる術はない。唯一“家に入らない”ことで予防できるだけマシだが、登場人物によっては家の近くを通ることで“誘われる”ケースもあるのではなかっただろうか。
何が言いたいのかといえば。呪いの類は、“条件”が大きな役割を果たしているということである。例の悪霊の呪いがどこまでも継続するほど強いのは、そもそも“家に入らない人間は呪うことができない”“家に入った人間にくっついていかなければ、悪霊は家の外に出ることもできない”という条件があるからに他ならない。どんな能力でも同じなのだ。強い制約をかけることにより、効果を倍増させることが可能なのである。裏を返せば、誰彼問わず飛んでいって呪えるような悪霊は、そうそうそこまで一人あたりに大きな呪いを齎すことができないはずなのだ。
「貴美華さん、何か見えますか」
玄関に入るまではセーフ、これは純也も同じ意見であったようだった。
「家全体に瘴気が漂いすぎてて、俺にはどこが出処なのかがわからないんです。家の中に入っても大丈夫でしょうか?瘴気の濃度そのものはさほど変わらないように見えますが……入ることで“スイッチ”が入る類の怪異だと、俺はともかく貴美華さんは相当危険だと思いますけど」
「いや……」
貴美華はじっと玄関を見つめて言う。
「基本的に人を“条件付けで呪う”のは付喪神じゃなくて悪霊がやることなんだが。アタシが見たところ、中に付喪神の気配はあるけど人間霊の気配はないな」
「それは、付喪神が操る使役霊の含めて、ですか?」
「ああ。ものすごく警戒されている感じではあるけれど、アタシらに明確な敵意を向けている存在もない。……だから逆に奇妙なんだよな。自殺した真田孝之介の幽霊も、亡くなった奥さんの幽霊もいないっていうのがかえって不思議だ。死に方からして、少なくとも真田孝之介の方は地縛霊になっていてもおかしくない気がするんだが」
こういう時は、中に入る前にやるべきことがある。貴美華はちらり、と隣の家の塀の方を向いた。佐藤家の隣は、表札がかかっていない似たような一戸建てが存在している。すぐ隣には空っぽなガレージがあり、その向こうに今にも倒壊しそうな木造家屋の家があった。相当長いこと放置されていた家なのだろう。
佐藤家には幽霊の気配はないが、隣の家にはある。貴美華は声を張り上げた。
「おいちょっとそこの……下田家のおにーさん。話を訊きたいんだけど、いいかな?」
貴美華の調査方法は、インターネットなどの情報収集を除けば大きく分けて二つである。
一つは自らの幻視能力を使い、霊力の濃い場所や瘴気の強い場所を探知する方法。
もう一つが――人あらざる者への聞き込みである。目撃者から話を訊くのは探偵業の常識だ。貴美華の場合はその対象が生きた人間より、既に亡くなっていてそのへんを漂っている浮遊霊や地縛霊に大きく偏っているという点が異なるわけだが。
『んん……?誰だい、僕のことを呼んでいるのは』
「ひいいっ!」
なんともわかり易い反応だった。のっそりと、おかしな方向に折れ曲がった腕が塀を掴むと、チョコが悲鳴を上げて純也の後ろに隠れてしまう。確かに、自分も慣れるまでは結構大変だったなあ、と貴美華はしみじみ思った。物心つく頃には幽霊が当たり前に見えていた貴美華である。スプラッタな存在が日常を跋扈するのに耐え切れず、幼い頃は随分と内気でおとなしい性格であった気がするのだ。
まあどんどん背が伸びてたくましくなり、無駄に喧嘩が強くなってしまった結果、中学生や高校生では“ヤンキー”だの“女番長”だの呼ばれる存在になってしまったわけだが。両親はきっと、心の底から“どこで育て方を間違えたのだろう”と思っているに違いない。
まあ、それはそれとして。
手足がおかしな方向に曲がっている地縛霊やら、内臓を引きずって歩く浮遊霊なんてもの、貴美華には日常の中の存在としてすっかり見慣れたものであるのである。だから塀の下からずるっと這い上がってきた男が、両手にあらぬ関節を大量に増やしていても、頸が不自然に斜めに曲がっていても全く恐るに足らないのだ。
個人的には血と内臓出てないだけ全然いいレベル、なのである。血も内臓も出ていなくても、焼け焦げていたらもっとグロテスクになる。この程度でびびっていては、この仕事は務まらないというものだ。
「えっと、下田健作さんだよな。どうも、二ヶ月ぶりくらい?」
「し、知り合いなの貴美華さん!?」
「まあな。この付近の幽霊に聞き込みすることは少なくないし。特に下田さんみたいな地縛霊は、目撃者として貴重なんだ。いっつも同じ家や同じ場所にいるから、近隣の様子をしっかり観察して覚えていてくれたりするんだよな。しかも幽霊である分、普通の人間よりずっと気にされない傾向にあるし」
「な、なるほど……」
チョコは納得できたのか納得しようとしているのか、ぎこちなく頸を盾に動かしている。相変わらず純也の後ろに隠れているままであたり、相当怖がっているのは間違いなさそうだ。
君がしがみついてる人も幽霊なんですけどね、というのは心の中だけでツッコむけれど。しかも今の見た目はともかく、結構血まみれの酷い死に方をしている人なわけで。
『……なんだ、貴美華さんか。まあ僕みたいな根暗に声をかけてくる人はそうそういないんだけどもさ』
ずるん、と塀の上に登った痩せた中年男は、下田健作。隣の下田家に住み、作家を目指していたフリーターである。彼は大の読書好きで、執筆活動をしていない時はひたすら読書に時間を費やしていたそうだ。結果、溜め込みすぎた本の山に埋もれて二階の床が抜け、そのまま圧死してしまうという非常に残念な最期を迎えることになったわけだが。頸や手足がバキバキに折れているのはそのせいである。
『今日はそこの調査なの?その家、もうずーっと人が住んでないけど』
「だろうな。此処が阿川賞作家、真田孝之介の家だってことは知ってるのか?」
『そりゃあ、僕みたいなホラー小説家の卵からすれば、憧れの人だったからね。知ってるよ。生きていた頃はたまに庭で散歩していたし。……亡くなってからは一度も見ないから、ちょっと不思議には思ってるんだけどね。あんな死に方して、地縛霊になっていないとは到底思えないし』
「そうか……」
やはり、この家の中に真田孝之介はいないらしい。しかも“死んでから一度も見ない”と隣人である彼が言うからには――死ぬと同時にその魂がどこかに連れ去られた可能性があるということである。しかも地縛霊として、家に縛り付けられる段階になる前に切り離したのだ。よほどの術者でなければできない芸当だろう。
それがやれるとしたら、死ぬのと同時に術を発動しなくてはならないはずである。ということはつまり、真田孝之介が死ぬところに術者が立ち会った可能性が高いということになる。奇妙な死に方であるとは聞いていたが、この様子だと――真田孝之介は何者かに殺された、そう判断しても間違いなさそうだ。
「真田孝之介は、死ぬ少し前から妙に人を家に招いていたらしいな」
下田健作は、真田孝之介より少し前に亡くなった幽霊である。つまり、真田孝之介が死ぬ前後のことも“幽霊になってから”目撃しているはずだ。
「どういう連中だったとか、覚えてるか?それと……真田孝之介が死んでこの家に誰も住まなくなってから、此処に来た人間はいなかったか?」
貴美華が尋ねると健作は、“そうだねえ”と間延びした口調で言った。彼が体を揺らすたび、既に機能していない頸がぐねぐねぶらぶらと左右に揺れるのがなかなか気持ち悪い光景である。
『真田孝之介先生の家に、たくさん人が出入りしてたのは本当。ただ、お揃いの装束を来ているとかもなくて、とにかく老若男女バラバラだったからどういう集団かはわからない。最初は、凄く仲良しに見えたかな。特に、集団のリーダーっぽいスーツのおじさんは意気投合していたように見えたけど』
「スーツのおじさん?」
『うん。背が高いおじさん。外まで楽しそうな話し声が漏れ聞こえてきてたかな。なに話してたのかまでは知らない……僕はこの家から出られないから見に行けないし。ただ、死ぬ少し前に、そのすごく仲良くしてたっぽいおじさんと先生がすごくもめてて、ほぼ一方的に真田先生が怒鳴っていたのはびっくりしたかも。先生、偏屈だけど全然声を荒げて怒鳴るようなタイプじゃなかったのに』
どうやら、純也が調べてくれた情報は本当であったらしい。真田孝之介の家に出入りしていた複数の男女――彼らが元ローズマリーの楽園のメンバーで、現アルベースの狼の基礎となった者達なのだろうか。
『先生が死んだ後、その大揉めに揉めてたでっかいおじさんは家に何度か来ていたみたいだね。でもって、家の小物をたくさん持ち出してたみたいだ。大きな家具とかじゃなくて、何故か小さな小物ばっかり持っていくから変だなとは思ってたよ。それも、そんなに価値があると思えないものばっかり。あー……先生の蔵書とか、未公開原稿とかは結構お金になるかもしれないけど』
盗んでたのか、なんらかの契約があったのかは知らないよ、と彼は付け加える。不審に思ったところで、部外者であり幽霊である健作にはどうにもできなかったということだろう。
『だから、中を調べてもそんなに重要なものは残ってないかも。危ないものも残ってないとは思うけどね。……気になるなら調べてもいいんじゃない?不法侵入って点を気にしないなら』
じゃあ僕は読書に戻るから、と。彼は貴美華の返事を待たずして再び塀の下に引っ込んでしまった。それを見て、ほうっとチョコが息を吐く。そして。
「……そうだよね。これ、不法侵入だよね……」
「そうだな、中に入るか」
「その結論はおかしいんだけどなんかもうツッコミ疲れたよ僕……」
げんなりするチョコの頭を、純也が苦笑しながら撫でている。きっと、“自分はツッコミ嫌だから頑張ってくださいね”とでも思っているのだろう。優しそうでいて、しれっと時折鬼を発揮するのが純也だ。
貴美華はスルーして玄関のドアに手をかけた。調べるとしたら、唯一威圧感を覚える場所だろう。
この家の書斎らしき場所から――なんらかの、付喪神の気配がしている。
まず貴美華は、自分が昨日婚約指輪を掘り起こしたあたりを調べてみることにした。玄関先の土にはまだ、自分が土を掘った後がそのまま残されているのでわかりやすい。周囲に足跡などはあるだろうか、と思ったが――そもそも指輪が埋められてから数日以上が経過しているし、雨も振っているのだ。証拠など、あっても流されてしまっているだろう。
「何か、見えるの?」
チョコが後ろからひょこり、と顔を出してくる。
「このへんだよね。その、指輪さんが埋められてたの」
「そうだな。……でも、庭に何か特別なものがあるってわけでもないみたいだ」
「というと?」
「この家全体に、嫌な霊力が充満してる。“庭が”特別なわけじゃないってことだ」
ひっ、と小さく悲鳴を上げるチョコ。付喪神であるはずなのに、彼は随分怖がりな質であるらしい。ぷるぷると震える様は子犬のようで可愛らしい。元々臆病であるのか、それとも記憶がないからこそ臆病になってしまったのかは定かでないところだが。
庭の土全体に、嫌なものが染み込んで抜けなくなっている印象である。壁にも、石畳にも、玄関ポーチにも、何もかもだ。
思い出したのは“入るだけで呪い殺される家”の映画である。庭まではギリギリセーフだが、一歩でも玄関に踏み入ったら最後、家から出ても呪いが継続する。小さな男の子、あるいはその母親にいつまでも取り憑かれて回られるのだ。自宅まで憑いてこられて、布団に隠れて震えていたら布団の中からこんにちは!なんて凄いシーンもあった記憶がある。呪われたら最後、そこから逃げる術はない。唯一“家に入らない”ことで予防できるだけマシだが、登場人物によっては家の近くを通ることで“誘われる”ケースもあるのではなかっただろうか。
何が言いたいのかといえば。呪いの類は、“条件”が大きな役割を果たしているということである。例の悪霊の呪いがどこまでも継続するほど強いのは、そもそも“家に入らない人間は呪うことができない”“家に入った人間にくっついていかなければ、悪霊は家の外に出ることもできない”という条件があるからに他ならない。どんな能力でも同じなのだ。強い制約をかけることにより、効果を倍増させることが可能なのである。裏を返せば、誰彼問わず飛んでいって呪えるような悪霊は、そうそうそこまで一人あたりに大きな呪いを齎すことができないはずなのだ。
「貴美華さん、何か見えますか」
玄関に入るまではセーフ、これは純也も同じ意見であったようだった。
「家全体に瘴気が漂いすぎてて、俺にはどこが出処なのかがわからないんです。家の中に入っても大丈夫でしょうか?瘴気の濃度そのものはさほど変わらないように見えますが……入ることで“スイッチ”が入る類の怪異だと、俺はともかく貴美華さんは相当危険だと思いますけど」
「いや……」
貴美華はじっと玄関を見つめて言う。
「基本的に人を“条件付けで呪う”のは付喪神じゃなくて悪霊がやることなんだが。アタシが見たところ、中に付喪神の気配はあるけど人間霊の気配はないな」
「それは、付喪神が操る使役霊の含めて、ですか?」
「ああ。ものすごく警戒されている感じではあるけれど、アタシらに明確な敵意を向けている存在もない。……だから逆に奇妙なんだよな。自殺した真田孝之介の幽霊も、亡くなった奥さんの幽霊もいないっていうのがかえって不思議だ。死に方からして、少なくとも真田孝之介の方は地縛霊になっていてもおかしくない気がするんだが」
こういう時は、中に入る前にやるべきことがある。貴美華はちらり、と隣の家の塀の方を向いた。佐藤家の隣は、表札がかかっていない似たような一戸建てが存在している。すぐ隣には空っぽなガレージがあり、その向こうに今にも倒壊しそうな木造家屋の家があった。相当長いこと放置されていた家なのだろう。
佐藤家には幽霊の気配はないが、隣の家にはある。貴美華は声を張り上げた。
「おいちょっとそこの……下田家のおにーさん。話を訊きたいんだけど、いいかな?」
貴美華の調査方法は、インターネットなどの情報収集を除けば大きく分けて二つである。
一つは自らの幻視能力を使い、霊力の濃い場所や瘴気の強い場所を探知する方法。
もう一つが――人あらざる者への聞き込みである。目撃者から話を訊くのは探偵業の常識だ。貴美華の場合はその対象が生きた人間より、既に亡くなっていてそのへんを漂っている浮遊霊や地縛霊に大きく偏っているという点が異なるわけだが。
『んん……?誰だい、僕のことを呼んでいるのは』
「ひいいっ!」
なんともわかり易い反応だった。のっそりと、おかしな方向に折れ曲がった腕が塀を掴むと、チョコが悲鳴を上げて純也の後ろに隠れてしまう。確かに、自分も慣れるまでは結構大変だったなあ、と貴美華はしみじみ思った。物心つく頃には幽霊が当たり前に見えていた貴美華である。スプラッタな存在が日常を跋扈するのに耐え切れず、幼い頃は随分と内気でおとなしい性格であった気がするのだ。
まあどんどん背が伸びてたくましくなり、無駄に喧嘩が強くなってしまった結果、中学生や高校生では“ヤンキー”だの“女番長”だの呼ばれる存在になってしまったわけだが。両親はきっと、心の底から“どこで育て方を間違えたのだろう”と思っているに違いない。
まあ、それはそれとして。
手足がおかしな方向に曲がっている地縛霊やら、内臓を引きずって歩く浮遊霊なんてもの、貴美華には日常の中の存在としてすっかり見慣れたものであるのである。だから塀の下からずるっと這い上がってきた男が、両手にあらぬ関節を大量に増やしていても、頸が不自然に斜めに曲がっていても全く恐るに足らないのだ。
個人的には血と内臓出てないだけ全然いいレベル、なのである。血も内臓も出ていなくても、焼け焦げていたらもっとグロテスクになる。この程度でびびっていては、この仕事は務まらないというものだ。
「えっと、下田健作さんだよな。どうも、二ヶ月ぶりくらい?」
「し、知り合いなの貴美華さん!?」
「まあな。この付近の幽霊に聞き込みすることは少なくないし。特に下田さんみたいな地縛霊は、目撃者として貴重なんだ。いっつも同じ家や同じ場所にいるから、近隣の様子をしっかり観察して覚えていてくれたりするんだよな。しかも幽霊である分、普通の人間よりずっと気にされない傾向にあるし」
「な、なるほど……」
チョコは納得できたのか納得しようとしているのか、ぎこちなく頸を盾に動かしている。相変わらず純也の後ろに隠れているままであたり、相当怖がっているのは間違いなさそうだ。
君がしがみついてる人も幽霊なんですけどね、というのは心の中だけでツッコむけれど。しかも今の見た目はともかく、結構血まみれの酷い死に方をしている人なわけで。
『……なんだ、貴美華さんか。まあ僕みたいな根暗に声をかけてくる人はそうそういないんだけどもさ』
ずるん、と塀の上に登った痩せた中年男は、下田健作。隣の下田家に住み、作家を目指していたフリーターである。彼は大の読書好きで、執筆活動をしていない時はひたすら読書に時間を費やしていたそうだ。結果、溜め込みすぎた本の山に埋もれて二階の床が抜け、そのまま圧死してしまうという非常に残念な最期を迎えることになったわけだが。頸や手足がバキバキに折れているのはそのせいである。
『今日はそこの調査なの?その家、もうずーっと人が住んでないけど』
「だろうな。此処が阿川賞作家、真田孝之介の家だってことは知ってるのか?」
『そりゃあ、僕みたいなホラー小説家の卵からすれば、憧れの人だったからね。知ってるよ。生きていた頃はたまに庭で散歩していたし。……亡くなってからは一度も見ないから、ちょっと不思議には思ってるんだけどね。あんな死に方して、地縛霊になっていないとは到底思えないし』
「そうか……」
やはり、この家の中に真田孝之介はいないらしい。しかも“死んでから一度も見ない”と隣人である彼が言うからには――死ぬと同時にその魂がどこかに連れ去られた可能性があるということである。しかも地縛霊として、家に縛り付けられる段階になる前に切り離したのだ。よほどの術者でなければできない芸当だろう。
それがやれるとしたら、死ぬのと同時に術を発動しなくてはならないはずである。ということはつまり、真田孝之介が死ぬところに術者が立ち会った可能性が高いということになる。奇妙な死に方であるとは聞いていたが、この様子だと――真田孝之介は何者かに殺された、そう判断しても間違いなさそうだ。
「真田孝之介は、死ぬ少し前から妙に人を家に招いていたらしいな」
下田健作は、真田孝之介より少し前に亡くなった幽霊である。つまり、真田孝之介が死ぬ前後のことも“幽霊になってから”目撃しているはずだ。
「どういう連中だったとか、覚えてるか?それと……真田孝之介が死んでこの家に誰も住まなくなってから、此処に来た人間はいなかったか?」
貴美華が尋ねると健作は、“そうだねえ”と間延びした口調で言った。彼が体を揺らすたび、既に機能していない頸がぐねぐねぶらぶらと左右に揺れるのがなかなか気持ち悪い光景である。
『真田孝之介先生の家に、たくさん人が出入りしてたのは本当。ただ、お揃いの装束を来ているとかもなくて、とにかく老若男女バラバラだったからどういう集団かはわからない。最初は、凄く仲良しに見えたかな。特に、集団のリーダーっぽいスーツのおじさんは意気投合していたように見えたけど』
「スーツのおじさん?」
『うん。背が高いおじさん。外まで楽しそうな話し声が漏れ聞こえてきてたかな。なに話してたのかまでは知らない……僕はこの家から出られないから見に行けないし。ただ、死ぬ少し前に、そのすごく仲良くしてたっぽいおじさんと先生がすごくもめてて、ほぼ一方的に真田先生が怒鳴っていたのはびっくりしたかも。先生、偏屈だけど全然声を荒げて怒鳴るようなタイプじゃなかったのに』
どうやら、純也が調べてくれた情報は本当であったらしい。真田孝之介の家に出入りしていた複数の男女――彼らが元ローズマリーの楽園のメンバーで、現アルベースの狼の基礎となった者達なのだろうか。
『先生が死んだ後、その大揉めに揉めてたでっかいおじさんは家に何度か来ていたみたいだね。でもって、家の小物をたくさん持ち出してたみたいだ。大きな家具とかじゃなくて、何故か小さな小物ばっかり持っていくから変だなとは思ってたよ。それも、そんなに価値があると思えないものばっかり。あー……先生の蔵書とか、未公開原稿とかは結構お金になるかもしれないけど』
盗んでたのか、なんらかの契約があったのかは知らないよ、と彼は付け加える。不審に思ったところで、部外者であり幽霊である健作にはどうにもできなかったということだろう。
『だから、中を調べてもそんなに重要なものは残ってないかも。危ないものも残ってないとは思うけどね。……気になるなら調べてもいいんじゃない?不法侵入って点を気にしないなら』
じゃあ僕は読書に戻るから、と。彼は貴美華の返事を待たずして再び塀の下に引っ込んでしまった。それを見て、ほうっとチョコが息を吐く。そして。
「……そうだよね。これ、不法侵入だよね……」
「そうだな、中に入るか」
「その結論はおかしいんだけどなんかもうツッコミ疲れたよ僕……」
げんなりするチョコの頭を、純也が苦笑しながら撫でている。きっと、“自分はツッコミ嫌だから頑張ってくださいね”とでも思っているのだろう。優しそうでいて、しれっと時折鬼を発揮するのが純也だ。
貴美華はスルーして玄関のドアに手をかけた。調べるとしたら、唯一威圧感を覚える場所だろう。
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