加藤貴美華とツクモノウタ

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<13・闇の中の手がかり>

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 ちょっと可哀想なことしたかな、とは純也も思ったが。すぐに“このまま二階についてきて”とチョコに言うよりは残酷ではなかっただろうと思い直した。
 確かに瑠璃子とコキアのコンビは厄介極まりないが、正気を保った状態であればあれほど心強い味方もいない。自分がワンフロア分離れても、その隙にチョコが襲撃されるようなことはないだろう。何より、彼は付喪神であるはずなのに随分と感性が人間に寄っているようだ。オバケのようなものが極端に苦手であるようだし、ならば瘴気に満ちた二階の探索に同行させるほうがきつい思いをさせるに違いない。

――もう数日くらい、猶予があると思ってたんだけどな。残念ながら、そこまで簡単な話じゃなかったか。

 エレベーターに乗らない方がいい、とチョコが此処に来た時やんわりと忠告したが。それはエレベーターがボロくて壊れやすいから、すごく狭いからという以外にも理由はあったりする。
 ああいう狭い箱状の空間は、非常に換気がよろしくない。それは単純に空気の問題だけではなくて、悪いものが一度溜まったら拭うのが大変難しいという意味でもあるのである。今でこそ“ただボロいだけのエレベーター”で済んでいるが、以前はあそこでも事故が起きたのだ。一階に止まったエレベーターの天井に、作業員が落下して大怪我をする事故があったのである。その整備会社は、いわゆるブラック企業というやつだった。作業員は残業時間百時間をゆうに超える状況で酷使され、ふらふらの状態で作業を行っていたせいで作業場から足を踏み外したのである。
 幸い彼は死ななかったので、そのエレベーターに悪霊が取り憑いているなんてことはないのだが。当たり所が悪かった彼は重傷を負い、手足が一切動かなくなってほぼ寝たきりの状態になってしまったのだというのである。しかも、彼は落下してからしばらくの間発見されず、激痛に苦しみながら天井の上でもがき苦しんでいたのだそうだ。
 結果。あのエレベーターには、その整備士の会社への恨みつらみがじっとりと染み込んでいるのである。
 死んでいないので、本人の“悪霊”がいるわけではない。しかし、人の怨念というものは時に生者であっても想像がつかない害をもたらすことがあるのだ。実際、きちんと整備しているのに何度も大事故に繋がりかねないトラブルが続出している。純也がうっかり閉じ込められた時もそう。純也自身が幽霊だから特に問題もなかったものの、ボタンを押しても一切管理会社に繋がらない、内部の電気も完全に消えるなんていうのは人間だったら凄まじい精神的ダメージを食らっていたことだろう。
 人の執着=意思というものほど恐ろしく、想像もつかない産物を作り出すものはない。それこそ、付喪神を作り出すことがあってもおかしくないほどに。特に術など嗜んでいなかったはずの瑠璃子が、大して長い月日も経ていないコキアを付喪神にできてしまったのも同じ理由なのだ。真田孝之介の言葉は間違っていないな、と思う純也である。

――そう。百年過ぎてない道具を付喪神にしようとするなら。相応の裏技と、強い意思が必要なはずだ。

 階段を降り、二階へ到着する純也。二階は誰も使っていないので、階段の非常灯を除くとほぼほぼ真っ暗の状態である。エレベーターの左右にある部屋はどちらもドアが取り外された状態で放置されていた。中は硝子が飛び散り、コンクリートはむき出しになり、明かりもなしに踏み込むには非常に危ない状態である。怪我などしない純也には大きな問題ではないが、探索するのに非常に不便であるのは間違いない。
 純也はポケットから、ボール状にまとめた呪符を取り出した。普段はそれをラケットで打つことで攻撃手段にしている。何種類かの呪符を常にポケットに小さく丸めてしのばせているので、状況次第で使い分けることにしているのだ。例えば先ほど瑠璃子の目を覚まさせるのに使ったのは、ほとんど気付け程度の攻撃効果しかないものである。彼女を除霊したいわけではなく、単純に少し本人の強い自我に刺激を与えて術者の呪縛を解けば良かったからという理由だ。元より瑠璃子とコキアのように自我が強いタイプは、生半可なシャーマンにどうこうできる類ではないはずなのである。
 それを、一時的にとはいえ正気を奪って襲撃に使ってきた。久遠、とかいう男。相当な手練であるのは間違いない。現時点では人間であるのかどうかさえ定かでないところだが。

「よいしょっと」

 丸めてあった呪符の一枚を広げて霊力を込めると、ぽうっと呪符の先端に火が灯った。簡易的なライターの代わりである。純也は左右の部屋のうち、エレベーターを正面にして右側の部屋に踏み込んだ。二階全体が瑠璃子とコキアのテリトリーであるが、実際二人が儀式を行ったのはこちらの部屋の方であるからである。二人はそっちの部屋で、二人だけの幸せな時間を謳歌していることが多いのだ。



『わ、私覚えてるわ!べ、別に他の男に目移りしたとかそういうわけではないし、私の好みのタイプだとかそう思ったわけではないのだけれど!えっとえっとえっと、純也君よりも背が高かったと思うの。スーツを着ていて、細身の純也くんよりずっとがっしりした体格だったんじゃなかったかしら。ロマンスグレーっていうのかしらなんなのかしらね、とにかくダンディなおじさまだったと思うのよ、髭がなんともお洒落で上品だったし喋り方も丁寧だったし!別にそれでときめいたとかそういうことは何もないのだけれど!』



――俺より背が高い……はっきり瑠璃子さんがそう宣言したってことは、ちょっと大きいって程度じゃないだろうな。190cmくらいか。日本人としては相当珍しいし、もしかしたら日本人じゃないのかも……その久遠って人。



『三階にいるような気がしたのは……そう、コキアに言ってきた人がいたから。そうだ、思い出した。その人は今日二階に来たんだ。基本的に二階のフロアには、霊感が少しでもある人は通りたがりたくないというか、避けて通りたい場所のはずなのに。その人は電気もついていない真っ暗な部屋に、ライターの明かりを持って現れて、しかも闇の中で二人でじっとしていたコキアと瑠璃子さんをすぐに見つけて声をかけてきたんだよ。君たちが憎い“あの人”のいる場所を自分は知っているよ……と言って。それで』



――闇の中に潜んでいた二人を見つけたのも問題だけど、この言葉からして久遠はコキア君の方に主体的に話しかけていたみたいだ。……ただの幽霊である瑠璃子より、まがりなりにも付喪神であるコキアの方が強い力を持っている。隠れるのも上手かったはず。そのコキアを見つけられたなら、やっぱり相当な力を持っていると見て間違いないだろうな。



『ごめんなさい。コキアはこれ以上覚えていないし、多分瑠璃子さんも同じ。ただ、コキアの本体は二階に置きっぱなしだと思うし、それを握られたわけではないから純也さんの力ですぐに眼が覚めたんだと思う。コキアの本体には、純也さんが結界を作ってくれてるから、さすがの相手も手出しできなかったんじゃないかな。ひょっとしたら、二階に何か痕跡が残ってるかも……』



――まず探すべきは、コキア君の本体か。瑠璃子さんに気付けしただけですぐ元に戻ったんだから、そんな複雑な術をかけられたわけではないと思うんだけど。



 やっぱりチョコを連れて来なくて正解だったな、と純也は思う。人間をやめた純也の目には、床一面に描かれた魔方陣がくっきりと浮かび上がって見えるからだ。
 勿論、今は瑠璃子が死んだ時に貼られていた床のタイルは全て剥がされているし、簡単な掃除も行われた後であるはずなのだけれど。それでも、多少なりに霊感があれば残留思念は充分拾い上げられてしまうものである。しかも瑠璃子は、自分の両手の指を折る前に己の髪の毛をバラバラと魔方陣の周囲にバラ撒き、儀式を強化するという作業を行っている。その髪の毛が風もないのにゆらゆらと蠢き、侵入者を絡み取ろうとしてくるのが見えるのだからまさにホラーな光景だ。付喪神であるチョコにも、このあたりの思念は充分見えてしまうに違いない。

――まあ、こんな場所でも瑠璃子さんとコキア君には絶好のイチャイチャスポットなんだから不思議というか。まあ人の趣味にどうこう言っても仕方ないんだけど。

 すぐに異変には気づいた。コキアの本体である、瑠璃子の星型のピアスは。普段ならば、魔方陣があった中央部分に、箱に入れて留め置かれているはずだった。しかし今は、箱そのものがなくなっている。コキアいわく、二階のどこかに本体があるのは間違いないはずということであったが。

「んー?」

 篝火がわりにした呪符を掲げながら、周囲をくまなく探した。歩くたびにカチャカチャと飛び散ったガラス片を踏んで音がする。小さなピアスがむき出しで置かれていたら踏み潰してしまいそうで恐ろしい。やっぱり二階にも電気がつくようにして欲しいな、でもそうすると電気代はウチで持たないと行けなくなるのかな――そんなことを思いながらも純也は己のセンサーが導く方向へと歩いていった。
 純也と貴美華の役割分担はいたってシンプルである。基本的に貴美華は優秀な“幻視”能力を持っているが、除霊する能力に関しては最低限しか持ち合わせていない。敵の弱点を幻視で見抜いて、そこにピンポイントで呪符を投げ込んだり霊力を注いだりしなければ敵を倒すことができないタイプだ。
 対して純也は、人間の頃からかなり高い霊力の持ち主であったらしい。幽霊がはっきりくっきり見えるわけではないので、いわゆる幻視能力の方は乏しいのだが。その代わり、一部媒介を用いることで高い攻撃性能を発揮するのである。純也が“ほぼほぼ見えるだけ(ただし喧嘩などの物理攻撃力は高い)”の貴美華の使役霊になったのは、いわば割れ鍋に綴じ蓋の状態であったというわけだ。お互いに補いあうことで、自分達のコンビは真価を発揮するのである。

――貴美華さんには、念のため日本酒を多めに買ってきてくれるように頼んだし。今後の準備もぬかりない、とは思うけど。……もし危ないものが残ってるようなら、戻ってくるより前に俺が排除しておかないと。

 貴美華は強いが、それでも人間だ。死ぬ時は死ぬ。ゆえに、“もう一度死ぬことなどない”純也が危険な役目は積極的に負うべきであるのだ。貴美華が戻ってくるより前に、一人で二階の探索を開始したのはそういう理由からだった。

「あ」

 幸い、見るのが得意ではないだけで、多少知っている存在の霊力の気配を感じ取ることはできる。そこまで広い部屋というわけでもない。魔方陣から外れた場所、一つだけぽつんと残された小さな四角い棚の上に、ピアスが入った箱が残されていた。
 紙製の箱には、やや茶色いシミが浮いている。瑠璃子の血がついたそれを躊躇いなく掴むと、純也は蓋を開けて中を見た。星型のキラキラした金色のピアス――間違いない、これがコキアの本体だろう。
 問題はその本体に、細い紙のようなものが巻きついていることである。例えるならそう、おみくじの紙のように見えるものだ。

「これが呪符か」

 あちこちが焦げたそれは、既に純也に破られたことで効力を失っているようだった。純也はそっとピアスを手に取り、巻き付いた紙を剥がしていく。久遠、という術師の霊力が残っていれば“覚える”こともできたのだが、残念ながら霊力の残滓は完全に消し飛んでしまっていた。
 ただし。

「……これ、もしかしてわざと残していったのかな」

 広げた細長い紙には、蛇のように畝ねる文字が書き連ねられている。達筆すぎて解読は困難だったが、一部だけ読み取ることができた。
 “アルベースの狼”――近年勢力を伸ばしつつある、新興宗教団体の名前だ。

――派手な自己紹介。誘ってるってこと?……まあ、貴美華さんに相談かな。

 その文字を純也が読み取るのを待っていたかのように、紙はさらさらと砂のように崩れて消えてしまった。
 どうやら自分達は、カルト教団のようなものを相手にしなければいけないということらしい。
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