愛憎シンフォニー

はじめアキラ

文字の大きさ
上 下
5 / 28

<5・演奏。>

しおりを挟む
 自由曲のタイトルは、『英雄の再誕』。ひょっとしたら、作曲者には何か頭の中にストーリーがあって、その通りに曲を書き起こしたというものであったのかもしれない。激しくリズムを刻む箇所からゆったりとスローテンポで流れる場所まであり、指揮者と演奏者のリズム感が試される曲でもあった。
 この曲の長さは、きちんとリズム通りに演奏すれば五分弱で終わる。
 吹奏楽コンクールの場合制限時間があるので、それを守って演奏しなければいけない。課題曲の演奏開始から、自由曲の演奏終了まで合わせて十二分と決められている。この時間をオーバーすると失格になってしまうため、時間制限ギリギリの長い曲を採用するのは避けなければいけないのだ。
 なお、課題曲五つは、長いものでも五分以内のものばかり。五分の曲を選んでも、間のインターバルを二分以内に収めれば間に合う計算となっている。

――……キーの高さ、きっついんだよなこれ。トロンボーンの見せ場だから頑張りたいんだけど。

 譜面とにらめっこをしながら、夏樹はため息をついた。『英雄の再誕』は、トロンボーンにもメロディーパートがある。正確には、トランペット、ホルン、ユーフォと一緒にメロディーを奏でるのだ。ちなみにトランペットとホルン、ユーフォニウムはハ長調の譜面で記載され、トロンボーンはヘ長調の譜面で記載されるのでまったく同じ高さの音で演奏するわけではない。というか、物理的にほぼ不可能。同じメロディーを、違う高さで演奏することでユニゾンを奏でて、音に厚みを持たせる仕組みなのだ。
 ちなみにホルンとユーフォニウムは非常に音域が広い楽器であることでも知られている。特に、ユーフォニウムはヘ長調の譜面が渡されるケースもあるので(それくらい、低い音にも充分対応しているということだ)、当たり前だが両方の譜面で吹けるように慣れるのも大事なことなのだった。実際、譜面上だけ見ればトロンボーンとユーフォニウムは今回同じ高さでメロディーを吹いている。ヘ音記号で書かれているか、ト音記号で書かれているかの違いというだけで。
 で、トロンボーンがメロディーをやる場合は高い確率で、ハイ〇〇のキーを吹く必要に駆られることになる。ようは、高いキーを結構頑張って出さないといけないのだ。
 楽器ごとに得意な音域があり、トロンボーンもその例に漏れないため、楽器が得意とする音域より超絶高い音や超絶低い音は苦手としている。特に高い音を出す時は、唇をぎゅっと縮めてかなり頑張って高い音を出さなければいけない。頑張りすぎると、唇が痛くなってしまう。
 しかも、単発で音を出せばいいというものではなく、メロディーとして高音を連発し、タンキングも欠かさず、息継ぎも意識しながら音色を奏でなければいけないのだ。当然、技術が必要になってくる。出来るようになるためには、練習あるのみだ。

――息継ぎタイミングってこのへん?……高いのも辛いけど、速いのもつっらいなー!

 トロンボーンはスライドを動かして演奏する楽器だ。つまり、音を変えるためにはスライドをその位置に持っていかなければいけないわけで――要するに、速く動かすためにはぶっちゃけ身体能力が必要だ、と夏樹は思っているのだった。腕を素早く動かす体力が必要。そもそも、肩に担いで構えているだけでそこそこ重い楽器だというのに。
 無論そんなこと言ったら、チューバとかユーフォとかもっと重い楽器を頑張っている人もいるわけで。その人達と比べたら、トロンボーン程度で泣きごとを言うなと怒られそうなものなのだが(以前同じ吹奏楽部の人のバリトンサックスを運んだことがあったが、いやマジですんませんでした!と謝りたくなるくらいの重量だった。バリトンサックスであれとは、チューバやコントラバスはどうなっているのか恐ろしい)。

――練習するしかないな、うん。以上。

 曲のイメージを掴んだり、抑揚を持たせるなんてことはひとまず最低限音を辿れるようになってからのことである。そもそもみんなで演奏する曲だから、イメージに関してはみんなである程度共通するものを持たないといけない。これも、そのうち話し合いがもたれることだろう。現在は合奏を数回やった程度、まだ皆の技術がまったく追いついてない状態なのでその段階にはないだろうが。

――あの人、どうなったかな。

 譜面を片づけながらちらりと見れば、鞠花はコントラバスの先輩と話をしているところだった。先輩の目が、ほぼ涙目になっていて鞠花に慰められている。なかなかシュールな図だ――そんなに、コントラバスの体験に来てくれたのが嬉しかったのだろうか。実際、彼女は部活が終わる時間の最後まで、コントラバスの先輩のところにいたようだった。本当に入部して、コントラバスの奏者になるつもりなのかもしれない。
 ちなみに、過去この吹奏楽部にもコントラバスが二人いたことがあるので、楽器そのものは二つ存在している。片方のコントラバスは最近出番が巡ってこないまま、奥の準備室でケースに埃を積もらせてはいるが。

――……入部する気かもしれないし、早めに話をしておいた方が良い、よな。俺だって、変な疑念をずっと抱いたままにしておくのは嫌だし。

 譜面台を折りたたむ、パキン、という音がやけに大きく響いた。譜面台と楽器ケースを準備室まで片づけたら、鞠花に声をかけてみることにしよう。



 ***



 パートリーダーに呼ばれてごたごたしていたら、少しだけ遅くなってしまった。もう先に帰ってしまっただろうか、と思って早足で靴箱に向かえば、鞠花が座って待っていた。彼女いわく、“来ると思っていた”という。

「ずっと、私と話したそうにしてましたもんね?嬉しいなあ」

 にこにこと笑う彼女。何だろう、天使が舞い降りたかと思うほど美しい笑顔なのに、どこか底知れないものを感じてしまうのは。
 彼女は何か、大きな隠し事をしてそこにいる。そんな気がしてならないのだ。

「……入部する気、なんだ?それに、コントラバスやるのか?」

 考えた末、最初に出たのはそんな当たり障りのない質問だった。鞠花もわかっていたのだろう、特に気にした様子もなく“そうですねえ”とのんびり返してくる。

「音楽は元々好きですし。……コントラバスって触ったこともない楽器だったんですけど、やらせてもらったら結構面白いです。私の体格だと向いてるかもしれないって言われて、センスあるって褒められたら誰だって調子に乗りません?それに、一年生が入らなくて困っていたみたいだし……私が入ってお役に立てるならそれでいいかなって」
「メロディーできないけど、いいのか」
「メロディーを奏でるばかりが吹奏楽曲ばかりじゃないでしょ?夏樹クンがやっているトロンボーンだって、和音の方が多い楽器じゃないですか」
「……まあ、そうだけど」

 付き合いますとも言っていないのに、いきなり名前呼びとは。ちょっと馴れ馴れしくないか、と思ったがツッコミは控えた。何も、無闇と傷つけたいわけではない。本気で好きになってくれているかもしれないなら尚更に。

「八尾さんが吹奏楽部に来たのは、俺がいるからか?」

 はっきりと、こちらはまだそのつもりでないので、を示すために苗字で呼んだ。その態度に気づいてか、彼女は“鞠花でいいのに”と口を尖らせる。生憎、出会ったばかりのクラスメートをいきなり下の名前で呼ぶほど図々しくないのだ、こちらは。

「正解です。だって、ここの吹奏楽部って……他の学校の吹奏楽部と同じように、ほとんど女子でしょう?部員の数、今五十二人でしたっけ。私が入っても、まだ吹奏楽コンクールに全員出られる人数ですよね。最大五十五人までだったはずだから」
「調べたのか」
「好きな人がやってる部活と大会のことを調べるのは普通のことでしょう?」
「…………」

 夏樹は眉間の皺を深くする。好きな人がやっていることを調べるには――というが。彼女とは、今日出会ったばかりというのを忘れてはいないだろうか。でもって、夏樹が吹奏楽部であることを知ったのも、長くて数時間前のことであるはず。これくらいの事はネットで簡単に調べられる時代とはいえ、ちょっと念入りすぎる気がしないでもない。
 どちらかといえば。前々から夏樹のことを知っていて、予め所属する部活動やその性質について調べていましたとでも言いたげな口ぶりだ。特に、コンクールの最大参加人数なんて、ピンポイントで検索でもしない限り出てこない情報だろうに。

「女の子が圧倒的に多い部活で、それでも吹奏楽部に入ろうとするなんて……よっぽど、音楽が好きなんですね。それとも、トロンボーンが好きなのかな?中学の頃も、吹奏楽部だったりするんです?」

 彼女は立ち上がり、くい、と顔を近づけてきた。長身の彼女は、夏樹より少しばかり背が高い。至近距離に近づかれると、その美貌もあいまって威圧感がある。

「……あのさ」

 微妙に、煙に巻かれているような気がしている。ここはストレートに切り込むべきだ。

「その、君は。俺のこと、前々から知ってたのか?だから、前々から俺のことが好きだったとか、そういうことか?俺は、完全完璧に、君とは初対面だと思ってるんだけど……」

 こんなモデルのような美少女、どこかで見かけていたらまず忘れないだろう。接点なんてないはずだ。少なくとも、自分が記憶している限りでは。

「……いいえ」

 少しの間の後、鞠花は頭を振った。

「私と、貴方は。今日が初対面ですよ」
「じゃあ、何で……」
「でも運命って、理屈では図れないものだと思いませんか?私も女の子なので、そういうものをついつい信じちゃうんです」

 気が付いた。真正面で見る、鞠花の顔。ずっとにこやかな笑みを浮かべているように思っていたのに、それはあくまで唇と眉毛の動きでそう判断しただけだった。
 間近で見る、その顔は。明らかに目だけが、笑っていない。
 一目惚れした相手を見る眼というより、むしろ。

「出会った瞬間、貴方には運命を感じました。この人と一緒にいたい、付き合いたい。その時間を少しでも長くするためには、私も吹奏楽部に入るのが一番いいって。……一目惚れって、そういうものじゃありません?私はもっともっと、貴方のことが知りたいんです。だから、もっと貴方のことを私に教えてください。そして私のことも、好きになって欲しいな」
「お前……」

 少しばかり、恐怖を感じてしまった。理解が追い付かない、そう思ったのだ。
 深い深い奈落の底を覗きこむような眼をしながら、同じ唇で浮かれたような愛を語るその姿が。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

機織姫

ワルシャワ
ホラー
栃木県日光市にある鬼怒沼にある伝説にこんな話がありました。そこで、とある美しい姫が現れてカタンコトンと音を鳴らす。声をかけるとその姫は一変し沼の中へ誘うという恐ろしい話。一人の少年もまた誘われそうになり、どうにか命からがら助かったというが。その話はもはや忘れ去られてしまうほど時を超えた現代で起きた怖いお話。はじまりはじまり

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

冬の水葬

束原ミヤコ
青春
夕霧七瀬(ユウギリナナセ)は、一つ年上の幼なじみ、凪蓮水(ナギハスミ)が好き。 凪が高校生になってから疎遠になってしまっていたけれど、ずっと好きだった。 高校一年生になった夕霧は、凪と同じ高校に通えることを楽しみにしていた。 美術部の凪を追いかけて美術部に入り、気安い幼なじみの間柄に戻ることができたと思っていた―― けれど、そのときにはすでに、凪の心には消えない傷ができてしまっていた。 ある女性に捕らわれた凪と、それを追いかける夕霧の、繰り返す冬の話。

怪物どもが蠢く島

湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。 クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。 黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか? 次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

処理中です...