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<32・マルヴィナの両翼>
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ねえ、それ、どういうこと。
イレーネは問いかけようとした。眠るのはお前だ――今、マルヴィナはそう言ったのか。ここで言う“眠る”が何を意味するのかわからないほど、愚かであるつもりもないのである。
「何を言ってるの、マルヴィナ。……お願い、離して頂戴。私は、あなたの眠りを妨げる馬鹿な奴らを倒したいの。早く、供物を与えてあなたをもっと力をあげたいの。私達が永遠に一緒に生きていくために……!」
『そんなものは要らない。私はもう、ただの眠りではなく……永遠の眠りが欲しい』
「マルヴィナ!お願い、あなたは疲れているだけ!私と一緒に生きるのがあなたの本当の望み、私はちゃんとわかってるの、だから!」
『イレーネ』
触手と肉塊に塗れたマルヴィナの、本当の姿を見ることは叶わない。
自分なんかとは比較にならないくらい、美しい女性だった。金髪の自分とは対照的の、長く艶やかな黒髪。女性でありながら騎士のようでいて、いつも堂々としたたたずまいを崩さない恰好の良い女性だった。助手として、教授たる彼女を支えながら――自分はいつしか、彼女の一番の存在であるようになりたいと願っていたのだった。
今から思うと、それには逃避行動も入っていた気がする。
イレーネは一人を愛すると、とにかく献身的に尽くしすぎてしまう質だった。マルヴィナの研究室で働くきっかけになったのも、恋人に捨てられたのが原因だったのである。少し、手紙を多く贈りすぎてしまっただけ。少し、気になって毎日彼の職場に顔を出してしまっただけ。少し、気になって電話を多いと一時間に一回かけてしまったとか、本当にそれだけなのである。それだけなのに、何故――何故、あんな冷たい目で彼に捨てられないといけないのかわからなかった。ベッドの上で、テーブルを挟んで、キッチンで向かい合って。あんなにも笑顔で、愛を語り合った二人であったというのに。
もう死ぬしかない――そう思って庭先で首を吊ろうとしていた自分を止めてくれたのが、少し年上の美しい女性研究者・マルヴィナであったのである。
彼女は自分の命を救い、そして研究所に誘うことによって生きる目的を与えてくれた。いつしかマルヴィナが彼にかわって彼女を敬愛し、やや重たい愛を贈るようになってからも。彼女だけはそんな自分に呆れることなく、自分の愛を受け止めて共にあることを許してくれたのである。
最初は逃げから始まった愛だった。
しかし今は、世界の全てを壊してでも永遠を共にしたいと思えるたった一人になったのだ。
確かに、彼女の美しい姿が破壊しつくされ、触手と肉塊の化け物になってしまったのは悲しい。けれどどんな姿でもそこにマルヴィナの心と魂があるのなら、彼女は彼女であり自分にとっては何も変わらないのだ。だから自分は、彼女を救い続けようとした。彼女も自分と一緒にいることを望んでくれていると知っていたから――否、そう信じたかったから。
それなのに、何故。
何故今になって、拒むのだろう。永遠に二人、神としてこの世界を守っていく。それの何が不満だというのか。
『イレーネ。お前が私を愛してくれていたように、私もお前を愛していた』
触手を通じて、マルヴィナの声が聞こえてくる。
『かつてのお前は。お前の愛は。相手の心を思いやり、気遣うことのできる愛だった。少し暴走してしまうことがあっても、私がこうしてほしいと願えばその気持ちを重んじてくれた。少し距離を取ってほしい、一人にしてほしいと願えばそうしてくれた。……そうやって離れる時間があればこそ、私はよりお前が大切であることを再確認できたんだ。でも今は……今のお前はもう、私と共に理想を追いかけた時のお前ではないのだな……』
「何を言ってるのマルヴィナ!私は私よ、ずっと何も変わらないわ!あなたを愛し続ける、たった一人の私……っ」
『その言葉が真実なら。私がかつて、この世界の異変に気づいて食い止めようと決意した時……私が告げた言葉についても覚えているはずだ』
え、と。イレーネは目を見開いた。
この世界が崩壊しそうになった時。それが、この世界の中心部に闇を集める、古代文明のシステムのせいと気づいた時。命をかけた旅になるかもしれないと知りながら、そのシステムを止める決意をした時――そうだ、確かイレーネはこんなことを言っていたのではなかったか。
『イレーネ。私は、命にかえてもこの世界を救いたい。……この世界が滅びかけているのは、人々の闇を吸い上げたせいだと言われているが……それでもなお、私は人々が悪だとは思えないんだ。何故なら、どんな人間であっても闇を持っているのは当たり前のこと。本来ならそれを強引に吸い上げ、なかったことにしようとする考えそのものが間違っている。……システムを壊せば、再び人々の心に闇が生まれるようになり、大きな戦争が起きることになるかもしれない。それでも……』
あの。研究所のあった小さな丘の前に二人立って。
遠くに見える町の明かりを眺めながら、理想を語るマルヴィナは美しかった。
自分はそれを、一番傍で聞いていたのだ。
聞いていた、というのに。
『それでも。……それが、世界の自然な姿だと思う。闇があるからこそ、光が輝ける。きっと、世界はもっと美しいものになると信じている。だから私は、世界を救いたいんだ。……この世界が、この世界に生きる人々が……私は大好きだからな。お前もそうだろう?だってこの世界であったからこそ、私達は出逢うことができたのだから……』
ああ、それで。
自分は、彼女になんと応えた?
『ええ、勿論!私も……マルヴィナ様と出逢わせてくれた、この世界を愛しています!』
――そう、だ。
イレーネは、声を失っていた。
――そうだ、確かに……そうだった。私はまごうことなき本心を言った。マルヴィナと出逢わせてくれた、この世界を……この世界の人々を愛していた。本気で、救いたいと思っていた。マルヴィナの理想だったからというわけじゃない。私は……この世界に、感謝していた、から。
それなのに。
自分は今まで、何をやってきたのだろう。マルヴィナと共に生きるために、孤独を埋めるために。この世界に災厄を振り撒いて、異世界の人間を殺して無理やり転生させて、生贄にするために酷い目に遭わせて。
何より。
その愛する世界を壊す手伝いを、間接的とはいえマルヴィナにさせていた。
自分達が望んだ世界とは、平和とは、こんなものじゃなかったはずだというのに。
『私は、こうも言ったな、イレーネ』
塔と一体化した怪物ごしに。かつてと同じままの、う苦しい黒髪の女性の姿を見た気がした。
『私達は、二人で一つ。……そう、翼のような存在だと』
「ええ、そんな話も、したわ……」
『翼は、片方だけでは飛べないんだ。二つ揃って、初めて大空を羽ばたける。……どちらか片方が地に堕ちてしまった時点で、私達の運命は決まっていた。私はこんな形で生きるのではなく……抱え込んでしまった古代文明の歪んだシステムと共に、永遠の闇に葬り去られるべきだったんだ。お前と、一緒に』
「マルヴィナ……」
みし、と触手に抱きしめられた手足が、肋が軋んだ音がした。痛いはずなのに、どうして今はそれ以上に――胸の奥が苦しくてならないのだろう。別の涙ばかりが、ぽろぽろと零れ落ちるのだろう。
「ごめん、なさい……マルヴィナ……」
ずっと、彼女と一緒にいたかった。
彼女と一緒に生きていたかった。
でも本当は、こんな形ではなくて。二人共に、いつまでもあの研究室で好きなことを研究して、しわくちゃのお婆ちゃん同志になった後ものんびりと余生を過ごすことができればそれで良かったのに。
「翼はもう、どちらも堕ちてしまったけれど。……それでも私と、一緒に逝ってくれるの?」
『ああ。……これからは。今度こそ、一緒だ。どこまでも一緒に逝こう。それがたとえ、地獄であっても、永遠の闇でも』
「……嬉しい」
自分は罪を犯したのかもしれない。
それなのにその最期がこれだというのなら、少々恵まれすぎていて恐ろしいほどだ。イレーネはありあまる幸福に、そっと目を閉じた。そして。
「ありがとう……マルヴィナ」
凄まじい音と、激痛と共に――イレーネの全身は、触手によって握りつぶされ。
やがて全てが飲み込まれ、穏やかな闇に消えて行ったのである。
***
「“堕星掌《だせいしょう》”!」
「“Star-arrow”!」
霧夜と小雨の狙いは、最初から一つだった。自分達では、どう足掻いてもイレーネに勝つことはできない。勝機があるとしたらただ一つ――永遠の眠りを望む、マルヴィナを味方につけることができるかどうか。
だからずっと、自分達はイレーネと戦いながらマルヴィナの呼びかけつづけ、あるいは眠りから覚めるように刺激を送り続けたのである。
『その方が俺達にとっても好都合かもしれないけどな。おいマルヴィナ!聞こえるか!イレーネはまた、お前の眠りを邪魔するつもりだぞ。お前の望みを叶えようとしている俺達を妨害してきてる。お前をまた永遠に生かすつもりみたいだけど、お前は本当にそれでいいのか!?』
生贄を捧げるまでは、マルヴィナにかけられた眠りの魔法は完全なものにならない。自分達の呼びかけに、彼女がもう一度目覚めてくれる可能性は十分にあったのである。
そう、あとは彼女がイレーネを取り込んだところで――イレーネの加護を失ったところで。全力で必殺技をぶつけ、塔ごとマルヴィナを破壊すればいい。
そうすることで、マルヴィナはイレーネと共にやっと永遠の眠りを得ることができる。例え、魂が堕ちた先が地獄と呼ばれる場所であったとしても。彼らが永遠に、二人でいられることに変わりはないのだろう。それでは犯した罪の罰にならない、と人は言うかもしれないけれど。
「……終わったんだね」
爆発し、燃えながら崩れ落ちていく塔を、霧夜は小雨と手を繋いで見ていた。
「これでもう。マルヴィナ様が目覚めることも……このい世界に災厄が振り撒かれることもない。異世界で人が殺され、無理やり転生者として連れてこられるなんてことも」
「ああ」
「あたし達。……これで、良かったんだよね?」
マルヴィナを眠らせた時に集めたエネルギーは、瓶の中に十分にため込まれている。しかし、それを使って自分達を元の世界に帰してくれるはずの女神は、全ての元凶たる邪神であり――もう、いない。自分達が、正攻法で元の世界に帰る術はもう、ない。
「良かったんだ」
それでも。霧夜ははっきりと、そう口にした。
「少なくとも俺達は、この世界も、俺達の世界も守ったんだ。でもって、希望が完全に潰えたわけじゃない」
「え?」
「イレーネの話を覚えてるよな。“俺達が元の世界に戻る方法も、元の体に戻る方法もある。そのための魔法は自分達の研究でとうの昔に確立させている。そうでなければ異世界にモンスターを召喚して人を殺し、その存在をこの世界に転生しなおすなんてことできるはずがない”って。……その魔法を探すんだ。やり方さえわかれば、俺達だって実行できるかもしれない。そのために必要なエナジーは、ここにあるんだからな」
ほら、とエナジーをためた小瓶をひらひらと振って見せた。中では、星屑のようにキラキラ輝くマルヴィナの力の欠片がいっぱいにつまっている。
闘いは終わった。
けれどすべての希望までもが終わったわけではない。イレーネとマルヴィナが研究していたという研究所。何千年も前の場所とはいえ、イレーネの執着を考えるならその場所をそのまま残しておくくらいのことはしそうなものだ。そこを見つけることができれば、彼女が編み出した魔法を入手することも可能かもしれない。
「諦めるな、小雨。諦めるのは、死んでからだって遅くない。俺達は生きてる。二人で、未来へ生きていける。だったらどんな未来だって変えることができるはずだ。だって俺達は、神様にだって打ち勝つことができたんだから」
「……うん!」
お互い、傷だらけの泥だらけだ。それでも二人手を繋ぎ合い、、笑いあってみせた。それができるのもまた、自分達が生きているからにほかならないのである。
大丈夫。きっとなんとかなる――二人なら。
――共に生きる未来を守っていくために俺は。最後の最後まで、命を削るスキルを使わない選択をしたんだから。
誰かの心を傷つける自己犠牲では、本当に幸せな未来は導けない。マルヴィナとイレーネが、そうして間違った道を歩んでしまったように。
霧夜は小雨と共に、手を繋いで歩き出した。
――この手は絶対離さない。もう二度と俺は、自分を犠牲にしない、小雨にもさせない。それが今の、俺達の決意だ。
炎を背に歩き去りながら、霧夜はそっと思ったのだ。
手を繋いで歩く自分達の姿もまるで、大きな翼のように見えるかもしれない。
しかしそれはけして、堕ちることも朽ちることもない両翼だと。
――大丈夫。俺達はもう間違えないよ、ジョージ。
君と生きる世界は、どんな場所でも美しい。
今も昔も、これからもきっと。
イレーネは問いかけようとした。眠るのはお前だ――今、マルヴィナはそう言ったのか。ここで言う“眠る”が何を意味するのかわからないほど、愚かであるつもりもないのである。
「何を言ってるの、マルヴィナ。……お願い、離して頂戴。私は、あなたの眠りを妨げる馬鹿な奴らを倒したいの。早く、供物を与えてあなたをもっと力をあげたいの。私達が永遠に一緒に生きていくために……!」
『そんなものは要らない。私はもう、ただの眠りではなく……永遠の眠りが欲しい』
「マルヴィナ!お願い、あなたは疲れているだけ!私と一緒に生きるのがあなたの本当の望み、私はちゃんとわかってるの、だから!」
『イレーネ』
触手と肉塊に塗れたマルヴィナの、本当の姿を見ることは叶わない。
自分なんかとは比較にならないくらい、美しい女性だった。金髪の自分とは対照的の、長く艶やかな黒髪。女性でありながら騎士のようでいて、いつも堂々としたたたずまいを崩さない恰好の良い女性だった。助手として、教授たる彼女を支えながら――自分はいつしか、彼女の一番の存在であるようになりたいと願っていたのだった。
今から思うと、それには逃避行動も入っていた気がする。
イレーネは一人を愛すると、とにかく献身的に尽くしすぎてしまう質だった。マルヴィナの研究室で働くきっかけになったのも、恋人に捨てられたのが原因だったのである。少し、手紙を多く贈りすぎてしまっただけ。少し、気になって毎日彼の職場に顔を出してしまっただけ。少し、気になって電話を多いと一時間に一回かけてしまったとか、本当にそれだけなのである。それだけなのに、何故――何故、あんな冷たい目で彼に捨てられないといけないのかわからなかった。ベッドの上で、テーブルを挟んで、キッチンで向かい合って。あんなにも笑顔で、愛を語り合った二人であったというのに。
もう死ぬしかない――そう思って庭先で首を吊ろうとしていた自分を止めてくれたのが、少し年上の美しい女性研究者・マルヴィナであったのである。
彼女は自分の命を救い、そして研究所に誘うことによって生きる目的を与えてくれた。いつしかマルヴィナが彼にかわって彼女を敬愛し、やや重たい愛を贈るようになってからも。彼女だけはそんな自分に呆れることなく、自分の愛を受け止めて共にあることを許してくれたのである。
最初は逃げから始まった愛だった。
しかし今は、世界の全てを壊してでも永遠を共にしたいと思えるたった一人になったのだ。
確かに、彼女の美しい姿が破壊しつくされ、触手と肉塊の化け物になってしまったのは悲しい。けれどどんな姿でもそこにマルヴィナの心と魂があるのなら、彼女は彼女であり自分にとっては何も変わらないのだ。だから自分は、彼女を救い続けようとした。彼女も自分と一緒にいることを望んでくれていると知っていたから――否、そう信じたかったから。
それなのに、何故。
何故今になって、拒むのだろう。永遠に二人、神としてこの世界を守っていく。それの何が不満だというのか。
『イレーネ。お前が私を愛してくれていたように、私もお前を愛していた』
触手を通じて、マルヴィナの声が聞こえてくる。
『かつてのお前は。お前の愛は。相手の心を思いやり、気遣うことのできる愛だった。少し暴走してしまうことがあっても、私がこうしてほしいと願えばその気持ちを重んじてくれた。少し距離を取ってほしい、一人にしてほしいと願えばそうしてくれた。……そうやって離れる時間があればこそ、私はよりお前が大切であることを再確認できたんだ。でも今は……今のお前はもう、私と共に理想を追いかけた時のお前ではないのだな……』
「何を言ってるのマルヴィナ!私は私よ、ずっと何も変わらないわ!あなたを愛し続ける、たった一人の私……っ」
『その言葉が真実なら。私がかつて、この世界の異変に気づいて食い止めようと決意した時……私が告げた言葉についても覚えているはずだ』
え、と。イレーネは目を見開いた。
この世界が崩壊しそうになった時。それが、この世界の中心部に闇を集める、古代文明のシステムのせいと気づいた時。命をかけた旅になるかもしれないと知りながら、そのシステムを止める決意をした時――そうだ、確かイレーネはこんなことを言っていたのではなかったか。
『イレーネ。私は、命にかえてもこの世界を救いたい。……この世界が滅びかけているのは、人々の闇を吸い上げたせいだと言われているが……それでもなお、私は人々が悪だとは思えないんだ。何故なら、どんな人間であっても闇を持っているのは当たり前のこと。本来ならそれを強引に吸い上げ、なかったことにしようとする考えそのものが間違っている。……システムを壊せば、再び人々の心に闇が生まれるようになり、大きな戦争が起きることになるかもしれない。それでも……』
あの。研究所のあった小さな丘の前に二人立って。
遠くに見える町の明かりを眺めながら、理想を語るマルヴィナは美しかった。
自分はそれを、一番傍で聞いていたのだ。
聞いていた、というのに。
『それでも。……それが、世界の自然な姿だと思う。闇があるからこそ、光が輝ける。きっと、世界はもっと美しいものになると信じている。だから私は、世界を救いたいんだ。……この世界が、この世界に生きる人々が……私は大好きだからな。お前もそうだろう?だってこの世界であったからこそ、私達は出逢うことができたのだから……』
ああ、それで。
自分は、彼女になんと応えた?
『ええ、勿論!私も……マルヴィナ様と出逢わせてくれた、この世界を愛しています!』
――そう、だ。
イレーネは、声を失っていた。
――そうだ、確かに……そうだった。私はまごうことなき本心を言った。マルヴィナと出逢わせてくれた、この世界を……この世界の人々を愛していた。本気で、救いたいと思っていた。マルヴィナの理想だったからというわけじゃない。私は……この世界に、感謝していた、から。
それなのに。
自分は今まで、何をやってきたのだろう。マルヴィナと共に生きるために、孤独を埋めるために。この世界に災厄を振り撒いて、異世界の人間を殺して無理やり転生させて、生贄にするために酷い目に遭わせて。
何より。
その愛する世界を壊す手伝いを、間接的とはいえマルヴィナにさせていた。
自分達が望んだ世界とは、平和とは、こんなものじゃなかったはずだというのに。
『私は、こうも言ったな、イレーネ』
塔と一体化した怪物ごしに。かつてと同じままの、う苦しい黒髪の女性の姿を見た気がした。
『私達は、二人で一つ。……そう、翼のような存在だと』
「ええ、そんな話も、したわ……」
『翼は、片方だけでは飛べないんだ。二つ揃って、初めて大空を羽ばたける。……どちらか片方が地に堕ちてしまった時点で、私達の運命は決まっていた。私はこんな形で生きるのではなく……抱え込んでしまった古代文明の歪んだシステムと共に、永遠の闇に葬り去られるべきだったんだ。お前と、一緒に』
「マルヴィナ……」
みし、と触手に抱きしめられた手足が、肋が軋んだ音がした。痛いはずなのに、どうして今はそれ以上に――胸の奥が苦しくてならないのだろう。別の涙ばかりが、ぽろぽろと零れ落ちるのだろう。
「ごめん、なさい……マルヴィナ……」
ずっと、彼女と一緒にいたかった。
彼女と一緒に生きていたかった。
でも本当は、こんな形ではなくて。二人共に、いつまでもあの研究室で好きなことを研究して、しわくちゃのお婆ちゃん同志になった後ものんびりと余生を過ごすことができればそれで良かったのに。
「翼はもう、どちらも堕ちてしまったけれど。……それでも私と、一緒に逝ってくれるの?」
『ああ。……これからは。今度こそ、一緒だ。どこまでも一緒に逝こう。それがたとえ、地獄であっても、永遠の闇でも』
「……嬉しい」
自分は罪を犯したのかもしれない。
それなのにその最期がこれだというのなら、少々恵まれすぎていて恐ろしいほどだ。イレーネはありあまる幸福に、そっと目を閉じた。そして。
「ありがとう……マルヴィナ」
凄まじい音と、激痛と共に――イレーネの全身は、触手によって握りつぶされ。
やがて全てが飲み込まれ、穏やかな闇に消えて行ったのである。
***
「“堕星掌《だせいしょう》”!」
「“Star-arrow”!」
霧夜と小雨の狙いは、最初から一つだった。自分達では、どう足掻いてもイレーネに勝つことはできない。勝機があるとしたらただ一つ――永遠の眠りを望む、マルヴィナを味方につけることができるかどうか。
だからずっと、自分達はイレーネと戦いながらマルヴィナの呼びかけつづけ、あるいは眠りから覚めるように刺激を送り続けたのである。
『その方が俺達にとっても好都合かもしれないけどな。おいマルヴィナ!聞こえるか!イレーネはまた、お前の眠りを邪魔するつもりだぞ。お前の望みを叶えようとしている俺達を妨害してきてる。お前をまた永遠に生かすつもりみたいだけど、お前は本当にそれでいいのか!?』
生贄を捧げるまでは、マルヴィナにかけられた眠りの魔法は完全なものにならない。自分達の呼びかけに、彼女がもう一度目覚めてくれる可能性は十分にあったのである。
そう、あとは彼女がイレーネを取り込んだところで――イレーネの加護を失ったところで。全力で必殺技をぶつけ、塔ごとマルヴィナを破壊すればいい。
そうすることで、マルヴィナはイレーネと共にやっと永遠の眠りを得ることができる。例え、魂が堕ちた先が地獄と呼ばれる場所であったとしても。彼らが永遠に、二人でいられることに変わりはないのだろう。それでは犯した罪の罰にならない、と人は言うかもしれないけれど。
「……終わったんだね」
爆発し、燃えながら崩れ落ちていく塔を、霧夜は小雨と手を繋いで見ていた。
「これでもう。マルヴィナ様が目覚めることも……このい世界に災厄が振り撒かれることもない。異世界で人が殺され、無理やり転生者として連れてこられるなんてことも」
「ああ」
「あたし達。……これで、良かったんだよね?」
マルヴィナを眠らせた時に集めたエネルギーは、瓶の中に十分にため込まれている。しかし、それを使って自分達を元の世界に帰してくれるはずの女神は、全ての元凶たる邪神であり――もう、いない。自分達が、正攻法で元の世界に帰る術はもう、ない。
「良かったんだ」
それでも。霧夜ははっきりと、そう口にした。
「少なくとも俺達は、この世界も、俺達の世界も守ったんだ。でもって、希望が完全に潰えたわけじゃない」
「え?」
「イレーネの話を覚えてるよな。“俺達が元の世界に戻る方法も、元の体に戻る方法もある。そのための魔法は自分達の研究でとうの昔に確立させている。そうでなければ異世界にモンスターを召喚して人を殺し、その存在をこの世界に転生しなおすなんてことできるはずがない”って。……その魔法を探すんだ。やり方さえわかれば、俺達だって実行できるかもしれない。そのために必要なエナジーは、ここにあるんだからな」
ほら、とエナジーをためた小瓶をひらひらと振って見せた。中では、星屑のようにキラキラ輝くマルヴィナの力の欠片がいっぱいにつまっている。
闘いは終わった。
けれどすべての希望までもが終わったわけではない。イレーネとマルヴィナが研究していたという研究所。何千年も前の場所とはいえ、イレーネの執着を考えるならその場所をそのまま残しておくくらいのことはしそうなものだ。そこを見つけることができれば、彼女が編み出した魔法を入手することも可能かもしれない。
「諦めるな、小雨。諦めるのは、死んでからだって遅くない。俺達は生きてる。二人で、未来へ生きていける。だったらどんな未来だって変えることができるはずだ。だって俺達は、神様にだって打ち勝つことができたんだから」
「……うん!」
お互い、傷だらけの泥だらけだ。それでも二人手を繋ぎ合い、、笑いあってみせた。それができるのもまた、自分達が生きているからにほかならないのである。
大丈夫。きっとなんとかなる――二人なら。
――共に生きる未来を守っていくために俺は。最後の最後まで、命を削るスキルを使わない選択をしたんだから。
誰かの心を傷つける自己犠牲では、本当に幸せな未来は導けない。マルヴィナとイレーネが、そうして間違った道を歩んでしまったように。
霧夜は小雨と共に、手を繋いで歩き出した。
――この手は絶対離さない。もう二度と俺は、自分を犠牲にしない、小雨にもさせない。それが今の、俺達の決意だ。
炎を背に歩き去りながら、霧夜はそっと思ったのだ。
手を繋いで歩く自分達の姿もまるで、大きな翼のように見えるかもしれない。
しかしそれはけして、堕ちることも朽ちることもない両翼だと。
――大丈夫。俺達はもう間違えないよ、ジョージ。
君と生きる世界は、どんな場所でも美しい。
今も昔も、これからもきっと。
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