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<28・希望なき世界>
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自分は一体何をしてきたんだろう。何を見てきたんだろう。
小雨に手を握られ、引っ張られるようにして歩きながら思う。小雨は、自分が知った“この世界の真実”を全て話してくれた。きっと衝撃の真実、というやつだったのだろう。霧夜としてもショックがなかったとは言わない。だが、今はそれ以上に――小雨にこんなことをさせてしまった己が不甲斐なくて、腹立たしくてならなかった。
ダンテ公爵の庭は、見る影もなく破壊しつくされている。
正確には、建物や庭に穴ボコは空いているが、その被害そのものは修繕可能な範囲だろう。取り返しがつかないのは、人間の方だ。屋敷へまっすぐのびる石畳も、綺麗に手入れされていたであろう芝生も、花壇も、並木も。どこを見ても――赤が見えない場所がない。場所によっては足の踏み場を探すのも困難なほど、死体が折り重なっている。あるいは、肉片が飛び散っている。
その状況を、平然と歩く小雨。頭から足先まで血まみれの彼女のその有様が、本人の怪我でないことは明らかだった。何せ彼女の足取りはしっかりしていて、邪魔な死体は平然と蹴り飛ばして歩いていくからである。彼女がどかした遺体や肉片の一部を誤って踏んでしまっては、霧夜は悲鳴を上げそうになっているというのに。
――俺の、せいだ。
小雨は、“自分のスキルを使った”“自分の身体能力を大きく上げる力なのだ”と言った。自分が持っている情報はそれだけだ。それでも、彼女が今までの戦闘訓練で一度もその能力を使わなかったこと、明かすことも拒んだことからして詳細は大よそ想像がつくというものである。恐らく、自分、あるいは大切な存在が傷つけられることでのみ発動する能力だったのだろう。それならば、発動できる状況になることそのものを避けたいし、言及されたくもないという考えは理解できる。きっと霧夜が拷問を受けなければ小雨はこのスキルを使えなかったし、こんな風に屋敷に単身飛び込んでいって殺戮することなど不可能だったことだろう。
否。自分が拷問されなければ、そもそもそんな考えにも至らなかったはずだ。ちょっとおばけが出てくるホラー映画でも悲鳴を上げ、いじめられる子供が出ると同情して泣いてしまうような優しい少女が。こんな風に、自分の仇とはいえ人を大量に惨殺して平気でいられるようになってしまうことなどなかったはずだろう。
――俺が。もっと気を付けてれば。
地獄のような光景を歩く。
昔は自分が引っ張っていた手を引っ張られながら。
これが平時だったなら、どれだけ嬉しかっただろう。臆病だった小雨が強くなった、自立できたのかもしれないと思える出来事だったなら、どれほど。
――今回は庭に忍び込む前に捕まったけど。忍び込んだ後に捕まっても同じことだった。何で想像できなかったんだ。捕まったらどうなるか……必要な覚悟は、命を賭けることだけじゃなかったってのに。
小雨の命を守るために、盗賊たちの玩具にされながら。本当はずっと泣き叫びたいのを、歯を食いしばって耐えていたのである。思い出すのはいつも小雨の顔だった。自分達は恋人同士だったわけではない。それでも霧夜が好きなのは小雨で、いつか彼女とそういう関係になれたら幸せだと夢見る気持ちがあったのも確かなことである。そもそも霧夜とて元は中学生の男子だ。大好きな女の子と、一夜を共にする想像を全くしなかったと言えば嘘になるのである。
初めて、を少女のように大事にしていたつもりはなかった。
それでもいつかそういう時が来るとしたら、一番大好きな人が相手であるのがいいと思っていた。恥ずかしい姿も情けない姿も全部晒して、愛を囁き合う相手は当然それが赦せる相手がいい。きっと男だって、そう思っている人間は少なくないと思うのである。
女に転生してしまった時点で、そういう目に遭う想像を全くしなかったわけではない。
それでも、覚悟が足りていなかったのは確かだ。自分が実際に、愛しい人への気持ちも覚悟も全部踏みにじられる目に遭うのがどれほど痛く、恐ろしく、悲しいものであるのかが全く分かっていなかったのである。
何時間嬲られたのか、正確には覚えていない。
輪姦されては殴られ、蹴られ、切りつけられ、それが終わったらまた輪姦されるのループ。小雨のために体を差し出したはずなのに、最後の方は彼女の保身を願うことさえできていなかったような気がする。ただただ、早く終わってほしいとしか思えなかった。それほどまでに、その時間は地獄以外の何物でもなかったのである。
解放されて、小雨の顔を見て、無事を喜ぶまではどうにか取り繕えていたような気がする。決壊したのはいざ宿に戻ってシャワーを浴びてからのことだった。
無残にアザと傷だらけになった自分の体と、体内からたっぷり溢れ出してくる血と体液を見た時、悲鳴を上げそうになった。最悪の想像をしたからだ。この世界の自分は女だ。それこそ、妊娠してしまう可能性さえあるのではないか。あんな、クズみたいな男達の子供を。――自分は、本来の自分は男だというのに。女として犯されたばかりか、そんな相手の子供を孕んでしまうだなんて、そんな馬鹿な話があるだろうか。
パニックになって、その後しばらくの記憶が飛んでいる。小雨に介抱された気がするが、気づけばベッドの上で朝になっていた。そして、小雨は宿にはおらず。一枚だけ残されたメモを見て、慌てて荷物を持って飛び出してきたというのが実情である。
――どこで、何を間違えたんだ。
殆どの住人が塀の中で殺されたせいなのか、あたりは静まり返っている上、誰かが駆けつけてくる気配もない。昼頃になれば近隣住民が違和感を感じて騒ぎ出すのだろうか。あるいは、マコッテシティの警察とやらがやって来るのだろうか。それまでに庭を抜けて、塔に行かなければいけなかった。これだけの大量殺戮――どんな理由があれ、極刑は免れられない罪であることは小雨もわかっているだろう。相手が公爵一族なのだから尚更である。
――違う。どこで、じゃない。最初から全部、俺は間違えてたんだ。
霧夜は奥歯を噛み締めて呻くしかない。
自分は、小雨を守っているつもりだった。臆病な彼女を自分が守らなければいけないと、自分は男の子だからそうするべきだと当たり前のように信じていた。それは、小雨にとっても“それが正しい”と刷り込む行為だったはずだ。自分は彼女を守るという名目で、依存させてしまっていただけではないか。中学生になって彼女の方が背も高くなったし、運動神経も良いくらいだったのに。自分が幼い頃からの関係を当然のように続けてしまったせいで、小雨の自立を阻害し続けていたのではないか。
せめて、この異世界に来てから。性別が入れ変わったことを契機に、その関係を大きく変える覚悟を持てば良かったのかもしれない。
依存してきた小雨が、自分が“女として”踏みにじられたのを見て何を思うのか、何故気づけなかったのだろう。間違いなく、己が守られることばかり期待していたせいだと己を責める。――過度な復讐に走るのは予想外だったとはいえ、彼女が暴走しかねないことは十分想像の範疇にあったというのに。
――俺が、小雨をそうさせてしまった。綺麗な小雨に……こんな酷いことをさせちまったんだ。
ああ、なんて惨い世界か。
恨むべきはイレーネか、盗賊たちか、この腐った運命か――不甲斐ない自分自身か。
――俺も、小雨も汚れた。クリスティーナの言う通りなら、それは全てイレーネの描いたシナリオ通り。俺達はもう、元の世界には……っ!
「……まさか、あれが神様なのかな」
「!」
いつの間にか、自分達は庭を抜け切り、塔の前へと辿りついていたらしい。霧夜は眼前に広がる光景に目を見開く。
マルヴィナが眠らされている塔。最初にイメージしていたのは古代遺跡のような塔の上部に、女神様の石造のようなものが置かれていてそこからパワーが漏れている――いわばそんなゲームでありそうな光景である。
だが、実際に目の前にした“マルヴィナの塔”はまるで違うものだった。灰色の石造りの、古代遺跡のような古びた塔――がそこに存在していたのは確かなのだろう。だが、それらにはピンク色の触手のような肉塊がうねうねと絡みついているのである。塔の最上階らしき場所から、気持ち悪い肉の塊は溢れ出し、塔と地面に根を張る形で一体化しているようだった。凄まじい魔力を感じる。場所から見ても、状況からしても、これが塔であるのはほぼ間違いあるまい。
神様というからどんな姿と思いきや、蛸が変形したような肉塊の怪物だなんて、全く予想していなかったわけだが。触手の先端は地面に深く突き刺さり、どくんどくんと血管を浮き上がらせて脈打っている。まるで腐ったような臭いに、思わず吐き気を催しそうになった。同時に、なんとなく理解してしまうことになる。
これは、マルヴィナにとって望んだ姿であるはずがない、と。
元は人間の女性であったという彼女が――こんな姿で永遠を生き延びることが、本当に本望であったのかと。
「霧夜。ジョージから、マルヴィナ様の“眠らせ”方は聴いてたよね?どうするの?この凄まじい魔力からして、攻撃してくればただでは済まなさそうだと思うんだけど」
「……いや。マルヴィナ様は、一切抵抗してこないんだそうだ」
「そうなの?」
「ああ」
『実は、な。マルヴィナ様を倒すには、高い“攻撃力”だけ、ありゃいいんだ。とにかく全身全霊で必殺技を、ぶつけて……ある程度ダメージさえ与えりゃ、眠らせられるんだと。マルヴィナ様本人は、一切抵抗してこない。……暴走してるはずなのに、不思議だよな』
ああ、やっぱりそうなのか。あの時はジョージの言葉に驚いたが、今なら納得もいくというものだ。
マルヴィナは、誰のことも傷つけたくない。ただ、自分を終わらせてくれる誰かを待っているに過ぎない。だから自分を攻撃してくる相手に対して一切抵抗しないのではないのか。本当はもうこんな姿で生きていたくなくて、永遠に縛り付けられる人生を終わりにしてほしくて――それゆえに。
「じゃあ、難しくはないね。二人で一緒に攻撃しよう」
あのさ、霧夜――と。小雨は拳を構えながら言った。
「あたし、バカだけどね。あたしなりに考えたんだよ。この世界でどうするべきなのかって。あたし達は最初から、マルヴィナ様を鎮めて贄となるためだけに召喚された存在だって。……イレーネは最初から、あたし達を元の世界に帰す気がないんじゃないかって聞いた時……正直絶望したし、怖かった」
「……うん」
「それでもね、あたし思ったんだよ。イレーネは、よその世界にモンスターを召喚してあたし達を殺して転生させるってことをやってのけた。そのイレーネだって元は普通の人間だったってことは……きっとあたし達が帰る方法もある。どこかにある。全ての絶望を断ち切って、それでも追い求め続けたらきっと。……霧夜の隣でなら、あたし、それができる気がするの。もう、霧夜に頼ってばかりのか弱い女の子じゃない、あたしなら」
彼女の思考が、少し前とは大きく異なっているのは。ただ霧夜が傷つけられてショックを受けたから、だけではないかもしれない。スキルの影響で、なんらかの代償を支払った可能性も十分あるとはわかっていた。それでも。
「……俺」
それでも、彼女の覚悟が。
彼女が自分ここまで想ってくれる事実が。嬉しいと思ってしまう自分も確かにいるなんて。
「俺、すげぇ汚くなっちゃったんだけど。もう、小雨の隣にいていいのか、正直わからないんだけど。……それでも、いいのか」
歪んでいるのはきっと、お互い様だ。
どれほど壊れても、傷つけられても、歪められても。二人でいるなら希望は死なないなんて、心のどこかで信じてしまいそうになるのは。
「お前のこと、好きでいて、いいのか」
きっと今の自分は、誰が見ても情けない――女の子の顔になってしまっている。滲む視界の中。振り返った小雨の大きくなった手が、そっと霧夜の頬を包んだ。返り血が多少ついたけれど、汚いとは思わなかった。
「あたしも、霧夜が好き。霧夜は汚くなんかないよ。男の子でも女の子になっても……あたしの一番は、ずっと変わらないの。これからはあたしが霧夜を守るから……もう二度とあんな目に遭わせないから。だからお願い。ずっとずっと、傍にいて」
「……うん……っ」
言葉にはっきりせずとも。自分達がこれからどうするべきなのか、お互いの覚悟はしっかりと伝わっている。
一瞬触れ合った唇は、微かに血の味がした。
体を離し、二人は共に哀れな神様へと向き直る。
さあ、今こそ。
覚悟の一撃を撃ちこむ時だ。
小雨に手を握られ、引っ張られるようにして歩きながら思う。小雨は、自分が知った“この世界の真実”を全て話してくれた。きっと衝撃の真実、というやつだったのだろう。霧夜としてもショックがなかったとは言わない。だが、今はそれ以上に――小雨にこんなことをさせてしまった己が不甲斐なくて、腹立たしくてならなかった。
ダンテ公爵の庭は、見る影もなく破壊しつくされている。
正確には、建物や庭に穴ボコは空いているが、その被害そのものは修繕可能な範囲だろう。取り返しがつかないのは、人間の方だ。屋敷へまっすぐのびる石畳も、綺麗に手入れされていたであろう芝生も、花壇も、並木も。どこを見ても――赤が見えない場所がない。場所によっては足の踏み場を探すのも困難なほど、死体が折り重なっている。あるいは、肉片が飛び散っている。
その状況を、平然と歩く小雨。頭から足先まで血まみれの彼女のその有様が、本人の怪我でないことは明らかだった。何せ彼女の足取りはしっかりしていて、邪魔な死体は平然と蹴り飛ばして歩いていくからである。彼女がどかした遺体や肉片の一部を誤って踏んでしまっては、霧夜は悲鳴を上げそうになっているというのに。
――俺の、せいだ。
小雨は、“自分のスキルを使った”“自分の身体能力を大きく上げる力なのだ”と言った。自分が持っている情報はそれだけだ。それでも、彼女が今までの戦闘訓練で一度もその能力を使わなかったこと、明かすことも拒んだことからして詳細は大よそ想像がつくというものである。恐らく、自分、あるいは大切な存在が傷つけられることでのみ発動する能力だったのだろう。それならば、発動できる状況になることそのものを避けたいし、言及されたくもないという考えは理解できる。きっと霧夜が拷問を受けなければ小雨はこのスキルを使えなかったし、こんな風に屋敷に単身飛び込んでいって殺戮することなど不可能だったことだろう。
否。自分が拷問されなければ、そもそもそんな考えにも至らなかったはずだ。ちょっとおばけが出てくるホラー映画でも悲鳴を上げ、いじめられる子供が出ると同情して泣いてしまうような優しい少女が。こんな風に、自分の仇とはいえ人を大量に惨殺して平気でいられるようになってしまうことなどなかったはずだろう。
――俺が。もっと気を付けてれば。
地獄のような光景を歩く。
昔は自分が引っ張っていた手を引っ張られながら。
これが平時だったなら、どれだけ嬉しかっただろう。臆病だった小雨が強くなった、自立できたのかもしれないと思える出来事だったなら、どれほど。
――今回は庭に忍び込む前に捕まったけど。忍び込んだ後に捕まっても同じことだった。何で想像できなかったんだ。捕まったらどうなるか……必要な覚悟は、命を賭けることだけじゃなかったってのに。
小雨の命を守るために、盗賊たちの玩具にされながら。本当はずっと泣き叫びたいのを、歯を食いしばって耐えていたのである。思い出すのはいつも小雨の顔だった。自分達は恋人同士だったわけではない。それでも霧夜が好きなのは小雨で、いつか彼女とそういう関係になれたら幸せだと夢見る気持ちがあったのも確かなことである。そもそも霧夜とて元は中学生の男子だ。大好きな女の子と、一夜を共にする想像を全くしなかったと言えば嘘になるのである。
初めて、を少女のように大事にしていたつもりはなかった。
それでもいつかそういう時が来るとしたら、一番大好きな人が相手であるのがいいと思っていた。恥ずかしい姿も情けない姿も全部晒して、愛を囁き合う相手は当然それが赦せる相手がいい。きっと男だって、そう思っている人間は少なくないと思うのである。
女に転生してしまった時点で、そういう目に遭う想像を全くしなかったわけではない。
それでも、覚悟が足りていなかったのは確かだ。自分が実際に、愛しい人への気持ちも覚悟も全部踏みにじられる目に遭うのがどれほど痛く、恐ろしく、悲しいものであるのかが全く分かっていなかったのである。
何時間嬲られたのか、正確には覚えていない。
輪姦されては殴られ、蹴られ、切りつけられ、それが終わったらまた輪姦されるのループ。小雨のために体を差し出したはずなのに、最後の方は彼女の保身を願うことさえできていなかったような気がする。ただただ、早く終わってほしいとしか思えなかった。それほどまでに、その時間は地獄以外の何物でもなかったのである。
解放されて、小雨の顔を見て、無事を喜ぶまではどうにか取り繕えていたような気がする。決壊したのはいざ宿に戻ってシャワーを浴びてからのことだった。
無残にアザと傷だらけになった自分の体と、体内からたっぷり溢れ出してくる血と体液を見た時、悲鳴を上げそうになった。最悪の想像をしたからだ。この世界の自分は女だ。それこそ、妊娠してしまう可能性さえあるのではないか。あんな、クズみたいな男達の子供を。――自分は、本来の自分は男だというのに。女として犯されたばかりか、そんな相手の子供を孕んでしまうだなんて、そんな馬鹿な話があるだろうか。
パニックになって、その後しばらくの記憶が飛んでいる。小雨に介抱された気がするが、気づけばベッドの上で朝になっていた。そして、小雨は宿にはおらず。一枚だけ残されたメモを見て、慌てて荷物を持って飛び出してきたというのが実情である。
――どこで、何を間違えたんだ。
殆どの住人が塀の中で殺されたせいなのか、あたりは静まり返っている上、誰かが駆けつけてくる気配もない。昼頃になれば近隣住民が違和感を感じて騒ぎ出すのだろうか。あるいは、マコッテシティの警察とやらがやって来るのだろうか。それまでに庭を抜けて、塔に行かなければいけなかった。これだけの大量殺戮――どんな理由があれ、極刑は免れられない罪であることは小雨もわかっているだろう。相手が公爵一族なのだから尚更である。
――違う。どこで、じゃない。最初から全部、俺は間違えてたんだ。
霧夜は奥歯を噛み締めて呻くしかない。
自分は、小雨を守っているつもりだった。臆病な彼女を自分が守らなければいけないと、自分は男の子だからそうするべきだと当たり前のように信じていた。それは、小雨にとっても“それが正しい”と刷り込む行為だったはずだ。自分は彼女を守るという名目で、依存させてしまっていただけではないか。中学生になって彼女の方が背も高くなったし、運動神経も良いくらいだったのに。自分が幼い頃からの関係を当然のように続けてしまったせいで、小雨の自立を阻害し続けていたのではないか。
せめて、この異世界に来てから。性別が入れ変わったことを契機に、その関係を大きく変える覚悟を持てば良かったのかもしれない。
依存してきた小雨が、自分が“女として”踏みにじられたのを見て何を思うのか、何故気づけなかったのだろう。間違いなく、己が守られることばかり期待していたせいだと己を責める。――過度な復讐に走るのは予想外だったとはいえ、彼女が暴走しかねないことは十分想像の範疇にあったというのに。
――俺が、小雨をそうさせてしまった。綺麗な小雨に……こんな酷いことをさせちまったんだ。
ああ、なんて惨い世界か。
恨むべきはイレーネか、盗賊たちか、この腐った運命か――不甲斐ない自分自身か。
――俺も、小雨も汚れた。クリスティーナの言う通りなら、それは全てイレーネの描いたシナリオ通り。俺達はもう、元の世界には……っ!
「……まさか、あれが神様なのかな」
「!」
いつの間にか、自分達は庭を抜け切り、塔の前へと辿りついていたらしい。霧夜は眼前に広がる光景に目を見開く。
マルヴィナが眠らされている塔。最初にイメージしていたのは古代遺跡のような塔の上部に、女神様の石造のようなものが置かれていてそこからパワーが漏れている――いわばそんなゲームでありそうな光景である。
だが、実際に目の前にした“マルヴィナの塔”はまるで違うものだった。灰色の石造りの、古代遺跡のような古びた塔――がそこに存在していたのは確かなのだろう。だが、それらにはピンク色の触手のような肉塊がうねうねと絡みついているのである。塔の最上階らしき場所から、気持ち悪い肉の塊は溢れ出し、塔と地面に根を張る形で一体化しているようだった。凄まじい魔力を感じる。場所から見ても、状況からしても、これが塔であるのはほぼ間違いあるまい。
神様というからどんな姿と思いきや、蛸が変形したような肉塊の怪物だなんて、全く予想していなかったわけだが。触手の先端は地面に深く突き刺さり、どくんどくんと血管を浮き上がらせて脈打っている。まるで腐ったような臭いに、思わず吐き気を催しそうになった。同時に、なんとなく理解してしまうことになる。
これは、マルヴィナにとって望んだ姿であるはずがない、と。
元は人間の女性であったという彼女が――こんな姿で永遠を生き延びることが、本当に本望であったのかと。
「霧夜。ジョージから、マルヴィナ様の“眠らせ”方は聴いてたよね?どうするの?この凄まじい魔力からして、攻撃してくればただでは済まなさそうだと思うんだけど」
「……いや。マルヴィナ様は、一切抵抗してこないんだそうだ」
「そうなの?」
「ああ」
『実は、な。マルヴィナ様を倒すには、高い“攻撃力”だけ、ありゃいいんだ。とにかく全身全霊で必殺技を、ぶつけて……ある程度ダメージさえ与えりゃ、眠らせられるんだと。マルヴィナ様本人は、一切抵抗してこない。……暴走してるはずなのに、不思議だよな』
ああ、やっぱりそうなのか。あの時はジョージの言葉に驚いたが、今なら納得もいくというものだ。
マルヴィナは、誰のことも傷つけたくない。ただ、自分を終わらせてくれる誰かを待っているに過ぎない。だから自分を攻撃してくる相手に対して一切抵抗しないのではないのか。本当はもうこんな姿で生きていたくなくて、永遠に縛り付けられる人生を終わりにしてほしくて――それゆえに。
「じゃあ、難しくはないね。二人で一緒に攻撃しよう」
あのさ、霧夜――と。小雨は拳を構えながら言った。
「あたし、バカだけどね。あたしなりに考えたんだよ。この世界でどうするべきなのかって。あたし達は最初から、マルヴィナ様を鎮めて贄となるためだけに召喚された存在だって。……イレーネは最初から、あたし達を元の世界に帰す気がないんじゃないかって聞いた時……正直絶望したし、怖かった」
「……うん」
「それでもね、あたし思ったんだよ。イレーネは、よその世界にモンスターを召喚してあたし達を殺して転生させるってことをやってのけた。そのイレーネだって元は普通の人間だったってことは……きっとあたし達が帰る方法もある。どこかにある。全ての絶望を断ち切って、それでも追い求め続けたらきっと。……霧夜の隣でなら、あたし、それができる気がするの。もう、霧夜に頼ってばかりのか弱い女の子じゃない、あたしなら」
彼女の思考が、少し前とは大きく異なっているのは。ただ霧夜が傷つけられてショックを受けたから、だけではないかもしれない。スキルの影響で、なんらかの代償を支払った可能性も十分あるとはわかっていた。それでも。
「……俺」
それでも、彼女の覚悟が。
彼女が自分ここまで想ってくれる事実が。嬉しいと思ってしまう自分も確かにいるなんて。
「俺、すげぇ汚くなっちゃったんだけど。もう、小雨の隣にいていいのか、正直わからないんだけど。……それでも、いいのか」
歪んでいるのはきっと、お互い様だ。
どれほど壊れても、傷つけられても、歪められても。二人でいるなら希望は死なないなんて、心のどこかで信じてしまいそうになるのは。
「お前のこと、好きでいて、いいのか」
きっと今の自分は、誰が見ても情けない――女の子の顔になってしまっている。滲む視界の中。振り返った小雨の大きくなった手が、そっと霧夜の頬を包んだ。返り血が多少ついたけれど、汚いとは思わなかった。
「あたしも、霧夜が好き。霧夜は汚くなんかないよ。男の子でも女の子になっても……あたしの一番は、ずっと変わらないの。これからはあたしが霧夜を守るから……もう二度とあんな目に遭わせないから。だからお願い。ずっとずっと、傍にいて」
「……うん……っ」
言葉にはっきりせずとも。自分達がこれからどうするべきなのか、お互いの覚悟はしっかりと伝わっている。
一瞬触れ合った唇は、微かに血の味がした。
体を離し、二人は共に哀れな神様へと向き直る。
さあ、今こそ。
覚悟の一撃を撃ちこむ時だ。
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