マルヴィナの両翼

はじめアキラ

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<16・後悔エンドレス>

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 ジョージは語った。
 マルヴィナがいる塔へ至る手前の最難関。庭を通る道を諦めた彼達が、洞窟に挑んだ時のことを。

「ちらっと話したとは思うけどな。最初は森のルートを行って、俺達は大きな被害を被った。キメラ・ドラゴンの強大な力を前に、俺達は逃げ帰るしかなかったんだ。その時点で、仲間は半分にまで減った。俺は、ドラゴンの強大な牙に生きたままバリバリ喰われて仲間を見ながら、何もできなかったんだ。リーダーだったってのにな」

 本当は、語るのもつらい記憶なのだろう。小雨に話しかける彼の表情は、苦悩に塗れている。

「で、その時生き残ったメンバーの中にな。兄と妹がいたんだ。兄の優斗ゆうと、妹の流美夏るみか。彼らも転生者でな、元々の世界では兄が八歳、妹が五歳だった。転生した結果二人は性別が入れ替わった上、見た目が十歳上乗せされたみたいで本当に苦労してたよ。八歳の男の子として生きてきた少年がいきなり十八歳の女性の体になって、五歳の女の子として生きてきた妹は十五歳の男性の体になってたんだから」
「確かに……それは、大変そう。見た目と体が全然一致してないんですから」
「そう。俺らの仲間も、二人を全力でサポートした。兄の方が順応性が高くてな。妹を守るために、自分は強くならなくちゃいけないって思ってたんだろう。八歳の子供が、少しでも大人っぽい振る舞いができるように……それで妹を守れるようにって一生懸命戦闘訓練をして、いろんな知識を学んでた。妹はさすがに五歳の頭だったからいろんなことがついてこれなくて、大きな男の子の体でいっつも“兄ちゃん、兄ちゃん”って泣いてばっかりだったけどな」

 本当は、そんな兄妹を過酷な戦場に連れて行きたくはなかったらしい。だが、マルヴィナを倒した時に放出されるエネルギーは、本人たちが現場に行って回収するしかないという実情がある。小雨も気づいていたが、イレーネに貰った魔法の瓶は本人にしか持ち歩くことができないからだ。そして、転生者一人が集められるエナジーは、自分一人が元の世界に帰る分のみである。
 彼らは元の世界に帰ることを諦めていなかったし、ジョージも二人を父親と母親の元へ返してやりたいと願っていた。自分自身が家族の元に帰ることを考えていたから尚更、二人のことが幼い息子にダブって見えたのだと言う。

「森のドラゴンで、俺達の認識の甘さを思い知った。……それでも二人はまだ、元の世界に帰ることを諦めたくないと言った。俺はその意見を汲んで……もう一度パーティと装備を見直して、洞窟に挑むことに決めたんだ」

 そして転生者狩りの連中に出くわしたんだ、と苦い表情でジョージは言う。

「洞窟を抜けた転生者はほとんどいない。転生者狩りの連中に膨大な金を渡してそれで許して貰った奴はいたらしいって聞いたけどな。あとはそう……金持ち連中は物資を空輸するとか、長い時間かけて船で海を渡ってマコッテシティの方向に向かうとか方法はあるらしいけど。いずれにせよ、塔に行きたい俺らに取れる手段は、そいつらの目をかいくぐるかぶっ倒して前に進むしかなかったってわけだ」
「その様子だと、転生者狩りの連中は凄く強かったってこと、なんですよね?」
「ただ強いだけじゃないし、数も多かった。特に最悪だったのは……その中心に、俺らと同じく転生者がいたってことだ」
「え!?」

 転生者が転生者狩りをやっている。ジョージも最初は目を疑ったらしい。

「そいつらは危険を犯して塔に挑むより、転生者を狩って金を稼いでこの世界で生きる方がメリットがあると踏んだらしくてな。……名前はわからないが、中心にいた数人は写真を撮ることに成功した。あとで霧夜にも共有してくれ、要注意人物だってな」

 彼は手帳から、数枚の写真を撮りだして差し出してきた。小雨はその写真を受け取り、まじまじと見る。暗い洞窟で撮影したからだろう、誰の顔もやや暗くて映りが悪かったが、大体の容姿を確認するには十分だった。
 赤い髪の長身な男性。
 スキンヘッドの、相撲取りのように恰幅の良い男性。
 それから痩せ型で、顔に頬に大きな傷のある白髪の中高年の男――。
 なるほど、全員がヤクザ映画にでも出てきそうなくらいに人相が悪い。

「転生者が敵になるってことはつまり、そいつらもチートスキルを持ってるってことだ。……その能力のせいで、俺らは散々な目に遭って……流美夏を庇った優斗は、奴らに捕まっちまった。俺らは一時撤退した後でどうにか助けに行ったんだが……何が起きたと思う?大体お察しの通りだ。十八歳の女になった優斗は、霧夜ほどじゃないがなかなかの美人だったかな……」

 まさか、と小雨は息を呑んだ。
 そういうこともあり得る、というのは知っていた。そしてあっちは、優斗の正体を知っていたわけではないだろう。でもまさか、八歳の少年だった子が、と。

「助けに行く戻るまで半日もなかったはずなんだ……っ」

 ギリ、とジョージは膝の上で右の拳を握りしめる。反対の手に握られたグラスが、その震えを伝えてカタカタと音を立てた。

「でも、でも、俺らが見つけた時は。優斗はもう壊れちまってた。何時間もぶっ通しで、薬打たれた挙句男どもに輪姦されたんじゃそりゃそうなるだろって話だ……。見つけた時は全裸で、ほぼ虫の息で。それを見た流美夏はパニックになって兄貴に駆け寄ろうとして……その場でズドン、だ。血まみれになって転がった流美夏を助けようとして、さらに生き残ってた他の仲間もやられてな。結果、生き残ったのは俺一人って寸法だ」
「ひ、酷い……」
「まあ、俺が言いたいことはわかるだろ、小雨。同じことが、お前らに怒らないとは限らない。お前らは元中学生だからもう少し良識もあるし精神的に成熟してるが、それでも子供であることに変わりないからな。現実は、お前らの事情なんかお構いなく襲ってくる……否応なしに。生き残りたかったら、その環境に何が何でも適応するしかねーんだ」
「………っ」

 小雨のグラスにはまだ、紫色のノンアルコールが残ったままになっている。小さく波打つ液体には、凍り付いたような顔の自分がしっかり映っていた。
 そういう事件が起きる可能性を、全く考慮していなかったわけじゃない。でも改めて、間近で事件を見た人間の証言を見て想像してしまったのだ。
 真っ暗な洞窟の中。服をバリバリと引き裂かれた霧夜が、真っ白な裸体を晒している。どうにか逃げようとするその長い髪を無造作に掴む手、手、手。霧夜は強気の目で相手を睨むも、複数の男達の嘲笑を買うばかり。泥だらけの地面に無理やり引き倒され、信じられないと目を見開く霧夜に多くの侮辱的な言葉が浴びせられ。
 それから、それから。引き裂けるような悲鳴と共に、その目から大粒の涙が零れるのだ。小雨の前で一度も泣いたことがなかった彼が、小雨を守るためにそのようなことになったりしたら。
 そんなことになったら、自分は。

「……後で聞いたところによれば。洞窟の連中は、それこそ見た目が良けりゃ男も女も関係なく凌辱して、強奪して、ボロ雑巾のように捨てるって話だ。あの洞窟には、そうやって打ち捨てられた白骨死体がいまだにゴロゴロしてるんだとよ。……強大すぎるドラゴンに挑むか、そんなクズみたいな連中を退けて前に進むことができない限り、俺らに未来はない。洞窟を通ればほぼ間違いなく、霧夜は標的にされる。ひょっとしたら小雨、お前もだ。そういう悲劇を避けたかったら、強くなるしか方法はねーんだよ」

 もう二度と、同じ後悔をしたくない。してほしくない。ジョージの声に滲むのは、そんな悔恨の意識だ。

「小雨、お前は優しい人間なんだろうさ。だからこそ、その優しさを強さに変えるんだ。お前は、お前が大事なものを守るために戦え。敵を討つ意思を持たなくちゃ、大事なものは守れないと知れ。それができないなら……元の世界に帰ることは諦めて、永遠にこの世界で静かに暮らすことを選んだ方がいい。わかるな?」
「……はい」
「うん、わかったらいい。今日の俺の話はそれだけだ。……その写真は霧夜に見せたら返しに来てくれ。それじゃあな」

 そこまで言って、彼は立ち上がった。昼間は厳しい物言いをしたジョージだが、今の彼の声はどこまでも優しいものだった。だからこそ、小雨の胸に突き刺さったのである。彼は自らの傷を抉ることも覚悟の上であの話をしてくれた。他でもない、自分達が生き残る可能性を少しでも上げるために。
 あの兄妹を、洞窟に連れて行かなければよかった。元の世界に帰るのを諦めさせてしまえば、あんな死に方をさせずに済んだのに。彼はきっと、生涯その後悔を背負って生きるのだろう。
 自分達は、その傷をさらに抉るような真似などしてはいけない。ここまでしてくれたジョージに報恩したい気持ちが少しでもあるというのなら。

――わかってる。

 ジョージが部屋から立ち去った後。小雨はグラスに残った液体をぐいっと飲み干した。

――今のビジョンを、現実にしない。そのために……あたしは。



 ***



 想い一つで、世界は変わらない。
 それでも世界を変えてきたものはきっと、誰かの想いであるのもまた間違いないことなのだろう。
 昨日と同じ、テオ・フロッグを相手に対峙しながら小雨は思う。今日は、霧夜は後方でジョージと共に待機。小雨一人で敵と対峙している状況だった。小雨がそれを望んだのだ。自分も戦えるということを、きちんと霧夜に見せるために。そして、これ以上彼に負担をかけさせないために。

「つっ……!」

 テオ・フロッグががばりと大口を開けてくるのは、舌での殴打が来るサインだ。軌道をしっかり見極めて身を翻し、すんでのところで一撃を避ける。当然だが、距離が近づけば近づくほど口を開いてから攻撃が飛んでくるまでの時間が短くなる。超至近距離でも攻撃を見極める目、そして回避や防御を選択できるだけの俊敏性を身に着けること。当面の自分の課題はそこにあるのだろう。なんせ、拳士は攻撃力はあるものの、他の装備と違ってどうしてもリーチで劣るからだ。

――落ち着け。あたしの足なら避けられる。サッカーで鍛えた目と、脚力を生かすんだ!

「小雨!」

 霧夜の声が飛ぶ。大丈夫、と心の中だけで小雨は答えた。テオ・フロッグの攻撃は舌が伸びる時にしか発生しない。伸びきった舌が戻り、口が閉じるまでの時間は無防備になると知っている。その隙に距離を素早く詰め、一気に勝負を決めるが吉だ。
 そう、この蛙は全体的に防御力は低いが。特に防御力が低い場所が一点ある。それは。

「そこだああああ!」

 小雨は身を屈めて巨大なカエルの懐に潜り込み、そして。



「“昇星掌しょうせいしょう”!」



 その顎の下に、思いきりアッパーカットを決めた。蛙が少しでも身を縮め、顎を引く動作をしていることに気づいたのである。顎の下を守っている――つまりそこが弱点であるということの他ならない。

「グボオオオオオオオオオオオオ!」

 吐き出そうとした毒液を引き裂かれた口から溢れさせ、蛙はもんどりを打って倒れた。パチパチ、と手を叩く音に振り返れば、ジョージが笑ってこちらを見ているではないか。

「ま……及第点ってことにしてやるよ」
「!」

 すると、隣に立っていた霧夜が、まるで自分のことのように顔を輝かせるものだから。

「やったな、小雨!やったな!」
「ぶっ!き、霧夜!痛いってば!」

 抱きつかれた小雨もまた自然と笑顔になってしまうのだ。
 そして、何度も繰り返したことをまた同じように思うのである。
 自分は彼が好きだ。彼と共に生きるために、できることは全てやりたいのだ――と。
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