上 下
37 / 38

<37・銃声>

しおりを挟む
 彼らの作戦は、けして悪いものではなかったのだ。戦闘開始当初は誰も彼も海人の能力を知らなかったのだし、向こうは戦闘訓練もしていない素人集団。海人がスパイであるならば、アランサの使徒の元で鍛えていることも簡単に予想ができること。奇策・珍策・乱戦で攻めていくしかないのは明白であったのである。たとえ、数の上だけでは有利であったとしてもだ。
 問題は。この建物の構造や仕掛けを、スパイとして潜り込んでいる海人が熟知していないはずがなかったということ。結果、大毅が仕掛けを見破ってそれで攻撃するということの半分以上が意味を成さなくなってしまったということ。
 そして一番の問題は――仕掛けを利用しつつ投擲をメインに攻撃するという作戦は、彼らが思っていた以上に連携が必要で、タイミングを合わせなければ成り立たないということだ。同時に、先ほどのような槍を大幅に降らすような仕掛けを作動しつつ、投擲で隙間をぬって攻撃するのは練習なしではあまりにも困難だったということである。
 もっと言えば、こうやって海人が“罠がない地点”で仲間のうち一人を拘束してしまうと――他のメンバーも出来ることがなくなってしまうのだ。仕掛けを使って攻撃してきていた大毅は勿論、天都も未花子に攻撃が当たってしまう可能性を考えればうかつに投擲できない。そもそも、投擲が当たる範囲まで近づくことが難しいだろう。なんせ、彼はあくまで攪乱の補佐役程度の力しかない。未花子のように、槍投げで圧倒的な攻撃力を出すようなスキルなど全く無いのである。
 既に彼らは詰んでいるも同然――その状況で、あえて海人はさらなる絶望を未花子に叩きつけるのである。

「お前達も、薄々気づいてたんじゃないか?鍵をタダで手に入れられたら、こっちの訓練にならない。ただ探すだけで鍵が手に入るはずがない……鍵の全ては、罠の仕掛けてある部屋にあるはずだ、っていうのはな」

 折れた脚の痛みに苦しむ未花子の腕を掴み上げ、能力を解除する。脚が折れている以上、繭糸で拘束していなくても未花子はもう動けないからだ。実際彼女は呻くばかりで、弱々しく抵抗することもままならないらしい。鼻も脚も折れ、心まで折られようとしている美少女。さほど性欲の強い方ではない海人でも、十分そそられる素材であるのは間違いない。

「こっちの目的は、ブレスレットを使いこなして悪魔と戦える戦士を見出すこと。これはもう話したよな?だから、ブレスレットの異能も使わず、運だけで鍵を手に入れて脱出できる奴が出たら困る、って」
「それが、何……」
「だったら、鍵そのものが簡単に手に入らないようにするのは当たり前だと思わないか?それこそ、知恵と度胸、犠牲がなければ手に入らないようにする……とかな。化け物を倒すってのは、実は一番真っ当なやり方なんだよ。奴らは強いが、それでも異能を使えば倒せないってほどじゃない。仲間と連携を取れれば、犠牲者ゼロで倒すこともできる。まあ、それで手に入るのが一体につき一本ってのが問題なんだがな。では、部屋の方は?罠がないか……能力も使わずに対処できる程度の罠のある部屋に、鍵を用意しておくメリットがこっちにあると思ってるのか?」

 それは、未花子も予想していたことではあったのだろう。それでも目が泳ぐのは、そうでなければ良いと願っていたからに他ならない。
 特に彼女達は、“一人でも多くの仲間との脱出”を目指していたから尚更だ。誰かを犠牲にしなければ、鍵一本を入手することもできないなんて――そんな現実、認めたい筈もないだろう。

「非常に運がよければ……まあ、あって一割くらいの確率かな。誰も犠牲にせずに、鍵を入手できる可能性もあるだろう。例えば、中に入ると塩酸がスプリンクラーで降ってくる部屋があるんだけどな。塩酸が降ってくる装置がひとしきり稼働した後、数分間は問題なく探索できる時間がある。その間に棚から鍵を探して取ってくれば、死ぬことも怪我をすることもなく鍵が手に入るって寸法だ」

 ただし、装置が作動するとドアにロックがかかって脱出できなくなるため、中に入った人間は装置を壊すかドアを壊さない限り生き延びることが難しい。能力で降ってくる酸から身を守る、スプリンクラーを破壊するということもできなくはないが、それも持っている能力次第だろう。それに対応した力を持っていたとしても、とっさの強烈な罠に対して素早く能力を使って対処できる“一般人”など稀だ。
 つまり一番簡単な入手方法は、誰かを投げ込んで罠を作動させた後、スプリンクラーが収まったところで急いで中に入り、棚から鍵を取ってくることなのである。つまり、一人を犠牲にできれば、もう一人は高い確率で鍵が手に入るのだ。幸いにして、鍵そのものの隠しどころは難しくない。棚の一番上など、非常にわかりやすい場所に置かれているのだから。

「小倉篠丸のチームが、鍵の在り処にいくつもアタリをつけたようだし……お前らもそれをアテにしていたんだろうが。残念ながら、どれもこれも難易度が非常に高い罠だって俺は知ってるんだ。いくら仕掛けを見破れる刈谷大毅がいても、一人も犠牲にしないで鍵を入手するなんてことはまず無理だと思うぜ?」
「そ、そんな……!」
「本当だ。だから、誘っているんだ。俺としてはお前や、桜美聖也みたいな面白い奴らが、そんな罠のせいで犠牲になって死ぬのはつまらないからな。とりあえずお前は、戦士になれ。そうすればこのまま鍵を渡して逃がしてやる。悪い取引じゃないだろう?」

 なるべく優しい声で、誘いをかけたつもりだった。だが、未花子は苦痛に脂汗を浮かべながらも――ちょっと待ってよ、と口を開くのである。

「待って。……それ。あたし以外の、子達はどうなるの?桜美さんはともかく……それ以外は?刈谷君達は?」
「さっき言ったように、お前たちが既に持ってる鍵、あと三本あるんだろ?それで桜美聖也、小倉篠丸、小瀧集が脱出するっていうなら俺らはそのまま見送るさ。でも他の奴らは、ダメだ。化け物を倒すか、罠を突破して鍵を入手してくれねーとな」
「それじゃ、意味ないじゃない……!」

 足の骨は、治せる範囲とはいえ酷く砕けているはずだし、しゃべるだけでも痛みが走るだろうに。彼女は拘束された状態でも、必死に海人を睨み続けている。

「あたし達が……あたし達がこんな状況でも戦えたのはなんでだと思う?仲間がいたからだよ!仲間がいて、仲間と一緒に脱出できる……そう思ったから頑張れたの。自分の頑張りは、誰かのためにもなるんだって……誰かと一緒に生きられるんだって。そう思うことが、人間としての自分の誇りを守ることでもあったから!そうやって一緒に戦ってきた仲間を見捨てて、あたしだけ脱出するなんて……できるわけない!」

 捕まえられた状態で、よくぞここまではっきり自分の意思が言えたものである。海人の機嫌を損なえたら、即座に己は殺される立場だ。それがわからないほど、愚かな女ではないはずだが。
 まさかまだ、逆転の一手を狙っているとでもいうのか?この状態で?

「勇ましい女は嫌いじゃないが、その取引を突っぱねたらお前はここで俺に殺されるだけだぞ。他の仲間も同じだ。お前が捕まっている状態では仕掛けも投擲も使えない。お前自身もだ、こうやってブレスレットを押さえ込まれていたら、能力を発動させることができない。そもそもその脚では、俺を攻撃できたところで逃げられない。そうだろう?」

 彼女がまだ生きているのは、自分の温情によるものだ。未花子もそれは、よくわかっているはずだというのに。
 どうして彼女は、絶望しないのだろう。
 動揺の色も、恐怖の色も見えるのに――まだ諦めないのは、一体何故。

「……本気でそう、思ってる?」

 刹那。未花子は激痛に顔を歪めながらも――凄絶に微笑んでみせたのだった。

「だったとしたら……アランサの使徒とやらのスパイも、全然大したことないってことよね!」
「!」

 次の瞬間。彼女は拘束されていない方の左手を、ポケットに突っ込んでいた。そして素早くペンらしきものを取り出し、振り上げる。
 能力を使えない状態で、ただのペンで刺されても攻撃力などないだろうに――一瞬そう思った海人は、即座にその考えを撤回した。違う、そうじゃない!と。

――そうか!そもそも澤江未花子の能力は“永続する”ものだ!予め能力を発動させて、毒薬を仕込んだ武器を作っておけば……今この場で発動させる必要がない!

 未花子が振り上げたペンを、彼女の手を離すことで回避する海人。未花子はそのまま床に落下し、衝撃に悲鳴を上げる。やはり殺すしかないのか、海人がそう思った瞬間だ。

「はああああ!」
「!」

 じり、と何かが海人の制服の裾を焼いた。ぎょっとして海人は振り向く。いつの間にそこにいたのだろう――天都がすぐ傍に迫って来ているではないか。それもその手に、ガスバーナーを持って。

――いつの間に!そもそもガスバーナーなんてどこから……!

 答えは、すぐに出た。先ほど逃げた、小瀧集と毒島彩也だ。集の能力で、どこかの部屋に確保しておいたガスバーナーを天都の手元に“転移”させたのだろう。問題はそのタイミングが何故わかったのか、ということだ。
 何故なら、この場には通信能力者がいない。彩也が傍にいるから、集の方から情報を発信させることも受信することもできるが――こちらには情報の発信できる者がいないはずで――。

「“繭糸”!」
「がっ!」

 素早く能力を発動させ、天都の手元のガスバーナーを弾き飛ばす。そうだ、完全に油断していた。自分は確かに、久喜天都を一番の弱者と認識していたのである。だから、彼自身にも――彼の傍に誰かが近づいても警戒の範囲外だった。
 ああ、だから。だから許してしまったのだ。いつの間にか――彼のすぐ近くに、鏑木夏俊がいる。下の階から気づかぬうちに戻ってきていたのだ。
 そして、彼がここにいるということは、つまり。

「残念だったな」

 はっとして顔を上げた海人。出口の方に、こちらに銃口を向けて立っている少女の姿があった。
 桜美聖也。
 未花子を殺そうと意識を向け、さらに天都に不意打ちをくらっておもわず能力を使ってしまったこのタイミングで。まさか、彼女が現れるとは。

――“武器”で拳銃を出したってのか。お前なら扱えるだろう。それに。

 飛び道具は、“手を離れてしまうと一分で武器が消失してしまう”彼女の能力の特性上、出現させてもほぼ使い物にならないと考えられていた。だが、よくよく考えれば。拳銃の場合、弾が射出されてから標的に到達するまで、一分も要する筈がないのである。
 つまり、一分過ぎて、弾が消えてしまってもなんら問題がないのだ。それを正確にブチ当てる、腕さえあるのなら。

「……俺の負けだ、桜美聖也」

 仲間の力。それは存外、馬鹿にならないものなのかもしれない。
 思わず満足して呟いた直後――海人の全身を、銃弾が貫いていったのである。
しおりを挟む

処理中です...