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<27・愚鈍>

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『馬鹿なことを考えるんじゃない、篠丸!』

 別れる直前の、明日葉の泣き出しそうな顔。そんな顔をさせたいなんて全く思ってはいなかったというのに、なんてザマだろう。彼女と話した数は少なかったが、それでも一緒に行動していれば自ずとわかること。何故彼女が、最初の聖也の集合要請に応じたか。その後も班行動を受け入れ、回数制限の厳しい能力を皆のために使い続けてくれた理由は何故か。
 答えは簡単なこと。彼女が正しく、自分達の仲間であろうとしてくれたからだ。
 他の仲間たちもそうだった。だから水車恭二に襲撃されるまで、自分達は揃って生き延びることができたのである。皆が仲間を大切にしたから。自分だけが生き残ろうなどと考えず、一人でも多くの仲間を救うために行動したから。
 このゲームは残酷だが、それでも自分を見失い、身勝手な行動に走ったものから消えていくはずだ。魔法のような能力を与えられていると言っても、このブレスレットにはまだまだ改良の余地が大きい。一人一つしか能力をストックできないし、少し強い能力は十回や五回の回数制限がかかるときている。ましてや、篠丸のように通信するだけの能力など、携帯電話が圏外のこの環境下でもない限り、殆ど役に立たない代物ではないか。
 そう、本当に脱出したいなら。仲間と、弱点を補い合わなければいけないのである。むしろ本来ならば、補い合いさえすればクリアできるゲームであるべきだった。くだらないトラップと怪物のせいで、まともな人間さえも死んでいくあたりがクソゲーだとしか言いようがない。本気になれば、化け物に襲われまくっているにも関わらず――犠牲者を最小限に抑えられている、聖也や夏俊のチームだって存在しているというのに。

――そんな、めちゃくちゃなゲームの中でも。自分に渡された鍵を僕に突っ返そうとした、明日葉。……いい子だったんだな、ほんとに。もっと日常の中で、ちゃんと話をしておけばよかった。

『私だけ生き残らせる気か!英祐は……英祐の意思はどうなるんだ、おい!あいつもみんなも、お前に生き残ってほしいはずだ。みんなのために必死で能力の使い方を考えて、不安な中でも必死でみんなを引っ張っていたお前に!それがこんな、こんな形で死ぬなんて私は許さないぞ!みんなも許すものか!』

 クールで冷静に見えた彼女が、初めて見せた動揺。恭二が襲ってきた時でさえさほど取り乱した様子がなかったのに、篠丸が鍵を渡して目的を告げた途端にこれである。
 優しい子だった。だからこそ生き延びるべき人間だと篠丸も判断したのだけれど。

――ごめんね、明日葉。本当に、ごめん。

『待て、篠丸!篠丸――!!』

――もし、一緒に生きて帰れる奇跡が発生するなら。今度はもっとたくさん、話をしよう。昨日のことも今日のことも、悩んでることも楽しいこともくだらないことも、全部。だから。

 それを取り戻すために、邪魔者は排除しなければならないのだ。
 自分は知ってしまったのだから――この世には、人にそっくりな顔をした悪魔が存在するということを。
 確かに、カップルと恭二の凶行については聞き及んでいた。確かに評判の悪いメンバーではあったが、それでもまさかクラスメートの中に、殺し合いでもないのに仲間を平気で傷つける奴がいるなんて――と悲しくもなったものである。そう、でもその時の間奏はそれくらいだったのである。なんせ、彼らが仲間を殺した詳しい状況はよくわかっていない。恭二に至っては通達の遺体が後から見つかっただけで、恭二が殺したのかどうかさえはっきりとしていない状況だったのだ。
 だから、心のどこかで信じたかったのだろう。
 殺したのには、やむをえない理由があったはずだ、と。
 きちんと話さえすれば、同じ人間でクラスメート、まったく話が通じないなんてことはないはずだ、と。

――馬鹿だ、僕は。……知ってたはずなのに。この世の中には、想像を絶するほどの悪意だって存在するって。そもそもこのゲームそのものが、悪意なくして成り立つものではないってのに。

 半年ほど前に、某県の公園で遊んでいた子供達が多数殺傷される事件が発生した。
 休日の団地の公園である。一般人も入ることは出来るとはいえ、親たちにとっては慣れた場所だったはずだ。何十年も前からあるブランコ、砂場、ベンチ――同じ団地に住む母親達がお喋りに興じる傍らで、仲の良い小学生と未就学児達が楽しく砂山作りに勤しんでいたのである。
 そこに、刃物を持った男が侵入した。
 犯行動機は“子供の声が五月蝿くて腹が立ったから”――ただそれだけのことで、高齢のその男は包丁を振り回し、子供たちを切り刻んだのである。泣き叫ぶ小さな少女も、必死で弟を守ろうと奮闘した兄も、全て。男は逮捕された後も全く反省する様子がなかったそうだ。ただただ、“ガキどもがいなくなれば安眠できる、自分は悪くない”“どうせ大した大人になどならないのだから、今殺してやった自分に感謝してもいいくらいだ”“悪ガキどもを倒していくのは爽快だった”と繰り返すばかりであったという。
 そんな理由で正義を振りかざし、悪を行使する愚か者がいる。
 そんな忌まわしいものが、治安のいい普通の住宅地に出没するのだ。
 自分の身近にも、もしかしたらそういう人間がいるかもしれない。いたら恐ろしいから、気を付けなければいけない――事件直後はあれだけ恐れおののき、警戒心を上げたというのに。どうしてたった半年で、忘れかけていたのだろう。きっと自分の身の回りでは起こらないはずだなんて、どうしてそんなことが思えたのだろう。
 地獄も悪魔も、本当はすぐそこにいたというのに。

――唐松美波と、守村耕洲。こいつは生きている限り、必ず同じことを繰り返す。ならばその前に、排除しなければ。絶対脱出なんてさせちゃいけない……!

 あの二人ときちんと話したことはないが、それでも“関わり合いにならない”ために多少の情報収集はしていた篠丸である。
 実のところ、悪い噂の大半は耕洲より、美波に纏わるものであったのだ。彼女は一部の生徒の間では有名な悪女だった――男を弄んで使い捨てる、という意味で。
 彼女に友人が捨てられたと話してくれたのは、篠丸の友人で美波と同じ中学出身の少年だった。彼の友達は美波惚れ込んだ結果、何でも彼女の願いを叶えてやろうと奉仕しつくして自滅したのだという。何故彼が、薬物中毒になってまでも美波を愛してしまったのか。逃げられなかったのか。
 それは美波の、歪みきった性癖ゆえに他ならない。
 美波は手に入れた男に、けして普通のセックスなどさせないのだという。彼女は己が“抱かれる”ことをけして良しとしなかった。自分が男を支配し、調教し、抱き潰すような性行為ばかりを強要してくるのだという。時には第三者を交えて乱交まがいのことさえも命じてくるのだそうだ。少年たちは彼女に愛されたくて、愛想を尽かされたくなくて、壊れるまでその命令に殉じてしまうのだという。
 友人の友人が強いられたというプレイ内容をいくつか聞いて、ほんのいくつか聞いただけの篠丸さえ吐き気がしたものだ。
 そして確信したのである。あのカップルで、手綱を握っているのは間違いなく――美波の方。耕洲は美波に従順な奴隷に過ぎないのだと。

――耕洲は珍しく、美波が長いこと固定で飼い続けている“犬”。相当気に入ってるはず。なら、それを利用できればあるいは……!

 出口の一つの場所は、既に見つけていた。鍵がないとしても、一度出口の場所を確認しておきたくなるのが人間心理である。もしかしたら手に入れた者がやってきて、鍵を奪うこともできるかもしれないからだ。
 なら自分が出口のある部屋で待っていれば、美波たちと遭遇することも出来るかもしれない。そんな魂胆ゆえ、ひとまず篠丸は出口のひとつを目指して廊下を歩いていたのだが。

――……ラッキー。

 なんと幸運なことに。美波と耕洲は既に、出口の部屋にいたのである。まだ入り口付近で除いている篠丸に気付いてはいないようだった。美波は出口をまじまじと見つめて、盛大にため息をついている。

「んー……やっぱり、鍵がないとどうしようもないですよねー。この扉、能力でぶっ壊しちゃだめなんですかねー?」

 ちょこちょこと鍵穴を弄りながら言う美波を、やめておけ、と耕洲がやんわり止める。

「ルールに違反したらペナルティ、だ。この近辺にも罠はありそうだし、ブレスレットが爆破される可能性もある。美波がそうなったら、俺が悲しい」
「わーもー!耕洲クンってば優しいんだからー!ちゃんと私のことを本気で思って助けてくれるのは、いっつも耕洲だけよねっ!」
「当たり前だ」

 状況をわかっているのかいないのか、いちゃつき始めるカップル。二人は一頻り、お約束のようなハグとキスをすると――美波は言う。

「このままここで、鍵持ってる人が来るのを待ってよっか。罠のある部屋の探索なんてしてられないし」

 だからさ、と。彼女はとんでもない提案を口にするのだ。それこそ、まともな常識を持ってる人間ならば、絶対にしないような提案を。

「化け物の出る時間もまだ先だし……待ってる間に、ね?ヤりましょーよ、耕洲クン。今日もいーっぱい、私を気持ちよくしてね?」
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