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<19・運命>

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 何が起きたか、理解するまでしばし時間を要した。

「ぐうう、げええええ!」
「お、おい氏家!」

 すぐ傍で、冬香が鳩尾を抑えて嘔吐している。英佑はずきずきと痛む肩を抑えて辺りを見回した。もうひとり、晴哉は倒れたままぴくりとも動かない。その米神からつ、と血が伝っているのを見てぎょっとする英佑である。

――痛い……攻撃された、んだよな?それで部屋の中まで吹っ飛ばされた?

 肩が痛むということは、肩を殴られたか蹴られたか。隣の冬香は恐らく鳩尾を攻撃されてこの有様なのだろう。英佑は頭といったところだが――三人一緒に、吹き飛ぶほどの威力で殴られるなんて一体どんな裏技を使ったのか。
 能力だとしても、想像がつかない。その襲撃者の姿は一瞬しか見えなかった。男子だったとは思うが、一体誰が。
 いや、今はそれを確認する余裕があるのか。

――そうだ、罠!三人も中に入っちまった!

 この部屋には、鍵もあれば罠もある。そういう情報が明日葉から出ていたのではないか。罠の正体を大毅に見抜いて貰ってから、この部屋の探索をしようとしていたのに――このままでは、正体もわからないまま罠が発動してしまうではないか。
 鍵もこのまま入手できる可能性があるが、だからといって探索している余裕はない。一刻も早く、この部屋から脱出しなければ。

「晴哉、晴哉起きろ!寝てる場合じゃない、起きてくれ!」

 三人いるなら、能力を使ってどうにか打破することができないものか。とりあえず晴哉を起こそうとするが、彼はいくら声をかけても身体を揺さぶっても起きる気配がなかった。頭を殴られたとすれば、ひょっとしたら酷い怪我である可能性もある。命に関わるのかもしれない。が、このままでは三人ともお陀仏まっしぐらだ。仲間の中には治癒の能力者もいたかもしれないが、此処を脱出できなければ回復をかけてもらうことさえ叶わない。

「う、うう。痛い……。なに、が、起きたの……」
「誰かに攻撃された!罠の部屋に入っちまったんだ。辛いかもしれないが立ってくれ、この部屋を脱出しないとやべえ!」

 冬香は吐瀉物にまみれながらも、どうにか呻くように言う。吐いたものには血が混じっている。ただ胃袋を揺らされただけでなく、内臓にダメージをくらっているかもしれない。肩が痛むだけの自分は相当幸運だったのだろう。ここから出られなければ、結局状況は何も変わらないわけだが。
 素早く辺りを見回すと、そこはがらんとした広い部屋だった。鍵がある、というと明日葉が能力で判定したのだからほぼ間違いはないはずなのに――薄碧色のタイルが貼られ、白い壁と天井が続くばかりの部屋には他に何かがありそうにも見えない。
 何もないのが、かえって罠の想像を大きくした。大事そうな物品を一切置いていないというのはつまり、それらが巻き込まれないように片付けてあるともとれるのではないか。

「おい、篠丸!助けてくれ、そっちからドアを開けてくれ!」

 鍵がかかってしまったドアに縋りつき、ドンドンと叩いて助けを求める。ドアは上部が硝子になっているので、廊下の様子をある程度透かして見ることが可能だった。篠丸と明日葉の二人は、明らかに動揺した様子でドアと――それから、廊下の向こうにいる人物を交互に見ている。
 そう、そこにいるのだ。たった今、英佑達三人を部屋に投げ込んだメンバー者以外――襲撃者が。

――キメラが出てくる時間じゃないのはわかってた!ってことは、やっぱりあれは……!

 どうにか顔を窓に押し付けて確認し、舌打ちをした。水車恭二。最初の集合に応じなかった、不良の中の不良だ。いつもにこにこと笑っているくせに、それこそ人殺し一歩手前の行為も辞さない危険人物である。悪い噂は耐えない。彼と喧嘩して再起不能になった中高生は数知れず。一緒に行動していた武藤達を自らの手で始末した可能性も高いくらいだ。――生き残るためにはきっと、何でもするのだろう。
 もしかしたら“この部屋に鍵も罠もある”という情報を、すぐ傍にで聴いていたのかもしれない。廊下の角にでも潜んでいて、自分達は気づくことができなかったのだろう。

「篠丸!おい、篠丸!」

 どうやら、こちらの声は聞こえないらしい。向こうで何かを喋っているようだが、その会話もこちらの耳には届かない。あちらからの救援は期待できそうになかった。むしろ、無理に助けようとすれば恭二が邪魔をしてくるのが明白である。
 なんせ、篠丸の能力は“通信”、明日葉は“二択”。どちらも戦闘系の能力ではない。ましてや明日葉の方は、もう回数制限ギリギリである。あと二回しか二択を迫れない。対して恭二の方は、明らかに能力が戦闘向きである。二対一とはいえ、戦って勝てる相手とは思えなかった。もっと言えば、素手であろうと恭二が恐ろしく強いことは知られているのである。

「た、玉置君……あ、あれ!」
「!」

 冬香の悲鳴に近い声に振り向いて、英佑は絶句した。
 自分達は今、廊下側の壁のうち角に近い場所に位置しているドアの前にいる。その対角線上にある角で、何か黒いものが蹲っているのが見えた。いつからそこにいたのだろう。それはぶるん、と全身を震わせるとゆっくりと身体を立ち上がらせていく。
 距離がまだ遠いが、それは――ゼリー状態の、物体であるように見えた。よく英佑達がやるアプリゲーム、ドラドラファンタジーにでも出てきそうなスライムのような物体だ。それが身体を震わせるたび、ゆっくりと大きくなっていくのである。
 最初はテニスボールサイズだったのがサッカーボールくらいの大きさになり、バスケットボールくらいのサイズになり、そして――。

――よくわかんないけど、あれもキメラの一種だよな?このままあれが大きくなったら、まずいことになる予感しかしねえ!

「晴哉!おい晴哉!起きろ、起きてくれ!」

 晴哉の力は、圧倒的に戦闘向きだった。能力名は“弓矢”。弓矢を出現させ、二十発まで矢を放って攻撃することができるのである。しかも彼は弓道部所属。まさにぴったりとマッチした能力だった。普通の弓矢よりも攻撃力が出るから、二十発まで撃てるなら十分キメラとの攻防にも役立つという判断だったのである。
 しかし、彼は倒れたまま動かない。意識を完全に刈り取られてしまっている。よく見れば、耳からも赤い血の雫が滴っていた。相当状態が悪いのは明白だろう。頼ることは、できそうにない。
 ならば残るは、英佑と冬香の二人の能力だけでどうにか攻略するしかないのだが。

――肩を痛めたこの状態で……うまく、撃てるか!?

 自分の能力も回数制限があるが、今はそんな贅沢は言っていられない。英佑はブレスレットを操作し、能力名を再度確認した。英佑の能力名は“拳銃”。小型拳銃を出現させ、敵を攻撃できる能力である。ただし、自分は晴哉のように武器の訓練などしたことのない人間だ。拳銃なんて、撃ったことどころか触ったこともない武器の命中率が高いとは到底思えない。しかも、弓矢より制限がきつい。十発しか撃てないときている。今まで一度も使用せずに温存していた最大の理由はそれだった。
 だが、此処でどうにか使わなければ、自分は晴哉と冬香の二人と心中する羽目になってしまう。あの化物は触ったらアウトな代物か、飲み込まれて窒息させられるのかは定かでないが。ゆっくり大きくなっている今の段階でしか、倒すチャンスはないのだろう。

「“拳銃”!撃てえええ!」

 痛む右肩に鞭打って、英佑は顕現させた拳銃の引き金を引いた。途端反動で全身に痺れが走り、右肩の打撲にずきずきと響く。化物は大きくなりながら、徐々に近づいてきているらしい。ギリギリ射程範囲に入っていると予想していた。それは正しかったようなのだが。

「くそっ、外した!」
「ちょっと玉置君!」
「無茶言うなよ、こちとら人生で一度も拳銃なんか撃ったことないんだってば!」

 もう一度だ、と反対の手を銃に添えて再チャレンジしようとする。反動を左手でどうにか抑えて、銃身がブレないようにしなければ当たらない。同時に、反動が全部右手にかかってくるのは、痛めた右肩を抜きしても辛すぎるものがある。ここで脱臼なんかしたら話にもならないのだ。
 弾数も少ない。深呼吸してもう一度引き金を絞る。スライム状態の敵に見えても、目玉や脳などの内臓を貫くことができれば、きっとある程度の効果は見込めるはずだ。RPGのゲームだって、剣士の攻撃はスライムに薄くても――レベルを上げさえすれば、多少なりのダメージを見込めるようになるのだから。

「ビギャッ!」

 弾はそのまま、スライムの身体の中心に吸い込まれた。悲鳴が上がる、ということはダメージが入ったのだ。よし!と英佑が心の中でガッツポーズをした時である。



 ズダン!




「え……」

 どろりと体液を流すスライムから、何かが飛んできた。英佑はただただ、びくん、と大きく身体を跳ねさせた晴哉を見るしかできない。
 スライムが飛ばしてきた“何か”は、そのまま晴哉の頭を貫通していったのである。彼の額のあたりには真っ赤な穴が開き、どろどろと赤いものが誰零していた。即死の傷であるのは、明白である。なんで、と絶望の目で英佑はスライムと晴哉を交互に見る。

「お、俺の攻撃を……跳ね返した!?あ、あいつそんなことできんのかよ。お、俺のせいで晴哉が……っ」
「た、玉置君は悪くない!予想できなかったんだからしょうがないでしょ。それよりも、もっと攻撃しないと!」
「で、でもまた跳ね返されるかもしれないんだぞ、どうするんだよ!」

 スライム状態ではあるが、穴を開けられて体液を流させているあたり、攻撃が通っているのは間違いないだろう。だが、多少ダメージを与えても、それが跳ね返ってくるなら無茶なことはできない。たった一発で、人間は死ぬ。一発食らっても跳ね返す元気があるモンスターとはわけが違うのだ。それはそこで死んでいる晴哉が今まさに証明してくれたことではないか。

「……腹を括るしかないわね」

 冬香は青い顔で、汚れた口元をごしごしと拭うと。自らもブレスレットを構えた。

「回数制限気にしてる場合じゃない。二人揃って、全部撃ち尽くすつもりで攻撃する!向こうもダメージ食らってるんだもの、もうこれ、跳ね返される前に倒すしかないわよ!」
「それしかないかっ……!」

 怖い。痛い。苦しい。悲しい。
 どろどろと濁った感情は、自分にも冬香にも渦巻いている。本当は逃げ出したい。なんで自分が、と泣き喚きたい。でも。
 今は、自分の身は自分で守るしかないのだ。生き残りたいなら。運命を打ち破りたいなら。

「“拳銃”!」
「“砲撃”!」

 英佑は拳銃を顕現させ、冬香は巨大なバズーカを具現化させて構える。
 そして二人で一斉に、化物に対して連続攻撃を開始したのだった。
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