上 下
9 / 38

<9・予測>

しおりを挟む
 理解が追いつく暇も待ってくれないような状況ではあるが。それでも久喜天都は、少しだけ安堵していた。明らかに重要そうで、生き残る確率の高そうなチームに配属されたこと。どこぞの映画のように、殺し合いをしてくださいなんて無茶を言われたわけではないこと。全員で生き残る可能性もまだありそうなことや、何より聖也が早々に指揮を取ってくれたおかげでみんながパニックになるのを免れられたことなどが理由として挙げられる。

――僕も頑張らないと。他にも似たような能力者はいたかもしれないのに、聖也さんは僕を選んでくれたんだから。

 よし、と天都は気合を入れる。キメラが放出されるまであと五分ばかり。それがどれほど恐ろしい怪物か、あるいはどこから来るのかが全く分からない。それまでに、自分の能力で可能な限り探索を終えて、“地図”を増やしておかねばなるまい。
 “最初の部屋”を背にした状態で少しだけ右に行くと、上に続く階段が現れた。自分達は、まず上の階を調べる担当である。天都を含めた五人は、その階段をどんどん上へ上へと上っている状態だった。一番上まで到達したところで、上から下に下がっていく形で探索をするのだと聖也は言う。その訳は。

「キメラが放出される場所が何処からになるのか、白装束どもは一切言わなかったけどな。可能性が高い場所はなんとなく想像がつく。俺らが一番最初に集合した広場、あの近辺だ」
「根拠は?」
「今回命じられたのは脱出ゲーム。真っ当な連中なら、仲間と協力して鍵と出口を探そうとするだろ、効率いいし見知った仲だしな。だから最初は、俺らがそうしたようにあの部屋の近くで人が集まって相談しようと思うのが普通だ。で、そのままみんなが溜まって、いつまでも動き出さなかったらどうなるよ。実験になんねえだろ。なら、あの近くでキメラを放出して、さっさと生徒を散らせた方がいい」

 傭兵だ、と聖也は名乗った。どこまで本当なのかはわからないが、普通の人間ではないことだけは確かだろう。そもそも、数回しか見ていないが、彼女の身体能力がズバ抜けていることは周知の事実なのである。初日に四階から落下した男子生徒を無傷で受け止めるという離れ業をやってのけ、体育の授業では短距離走で陸上部の女子をぶっちぎりで置き去りにし、運動部が置き忘れていった数十キロはあるであろうタイヤを片手で持ち上げて回収していった。さらにはナンパのしすぎで生徒指導室の担当者から追いかけられた時も、すごい勢いで校内を逃げ回る姿も目撃されている――まあ最後のは理由が残念すぎるが。
 とにかく、運動神経だけで言うならクラス一、どころか学校一であると言っても過言ではあるまい。何か特殊な軍事訓練でもやっていた、と言われた方がずっと納得もいくというものだ。未花子を庇うため、とっさにブレスレットで銃弾の軌道を見極めて止めるなんていうのも、並の人間ができるような技ではない。

――正体不明だけど、まあ信じていいのかな。……暴走しまくってたけど、僕も含めなんだかんだでクラスには馴染んでたいみたいだし。味方っていうのは、確かっぽいし。

 白装束は、この時期に突然やってきた転校生を怪しまなかったのか。あるいは、怪しいと思いつつも予定が変更できなかったのか。それは、現時点の情報だけではとてもわからないことである。できることなら予想外であってほしい、そして彼女の存在がこの状況を打破する一手となって欲しいと切に願うところであるが。

「少しでもあの広場近辺から遠い場所へ行っておくべきなんだ、俺ら全員な。あそこから探索を開始させなかったのはそのためだ。……それと」

 先頭を歩く聖也は、振り返ることなく説明を続ける。

「入っちゃいけない扉がいくつかある。強引に開けようとするとペナルティ食らう……みたいなこと言われたよな。あの侵入禁止エリアってなんだと思う?俺らに入られたら困る、あるいは壊されたら困るってんだ。……あそこからキメラが出てくるか、あるいは白装束の連中が使っている脱出路に繋がってるあのどっちかだろ。現状ではどっちとも言い難いし、両方かもしれない。なんにせよのあの階には、ざっと見回しただけでもあの廊下だけで三箇所“禁止扉”があった。あそこからキメラが出てくる可能性は十分にあると判断したわけだ」

 あの短時間で、よくぞそこまで考えられるものだ、と天都は感嘆する。あるいは。

「よくわからないけど、聖也さんはアランサの使徒を潰すために此処にいるんですよね。つまり、聖也さんに情報提供して、命じた人間がいる。その人から、どこまでアランサの使徒と、連中がやっている拉致・実験について聞いてるんですか?」

 予め、彼女が自分達より多くの情報を持っている可能性は十分にあるだろう。だからこそ冷静に対処できる、というのならそれも頷ける話だ。そもそも、ノーデータの状態でいきなり工作員を送り込むというのも無茶な話である。結局クラスに送り込めたのが、聖也一人であるというのなら尚更だ。

「……残念ながら、俺らも情報を掴んだのはそんなに前じゃないんだ。ギリギリのところで、俺だけクラスに送り込むのが限界だった。あ、ちなみに俺が男好きで女好きでナンパ好きで老若男女食えるバイセクシャルってのは演技じゃないから安心してくれ!」
「それは演技であって欲しかったです!」
「えー?愉快な愉快な聖也さんデスヨ?みんな俺のキャラ嫌い?」
「嫌いというかうぜぇ」
「以下同文」
「右に同じ」
「みんな酷いん!」

 あのキャラは素だったんかい!と天都は心の仲で盛大にツッコミを入れた。まあ確かに、ひそかに潜入する工作員としては少々、というかかなり目立ちすぎだろとは思っていたが。
 ただ、このやり取りのおかげで少しだけ気が紛れたのは事実だ。非日常の中の、ちょっとした日常。油断はしていいものではないし気を緩めていい場面でもないが、それでも安堵できる瞬間があるのは大切なことである。
 人間、訓練でもしていない限り――いつまでも緊張の糸を張り続けたまま保つことなんて、そうそうできることではないのだ。ましてや、自分達は今日まで恐ろしい現実とは全く無縁の、ただの高校生に過ぎなかったのだから。

「アランサの使徒は、元々はヨーロッパの方から来たテロ組織だ……ってことしか、現状はわかってない。いつの間にか世界中に支部を作って、信仰宗教団体としてあっちこっちに勢力を拡大していったようだな。表向きは、ちょっと怪しい教義を持ったカルト教団。裏では、銃刀法違反も国際法も何それ美味しいのっていうくらい、やばい武器も薬も扱いまくってるガチガチのテロ組織だ。そもそも“魔女”を崇拝してるってあたりでアレだよなあ」

 階段を登り続けるというのはなかなかにしてしんどい。特に、このメンバーで天都は一番小柄で体力がないだろうという自負がある(聖也以外の女子である未花子は陸上部に所属しているので、足も速いし体力もあるのだ)。いい加減終わらないかな、と思っていたところでどうにか階段の終わりが見えた。最初の階から、四階ほど登った地点である。
 そもそもスタートの階が、地上階だったのか地階だったのかもわからない状況であるが。あそこからまだ下にも階段は伸びていたようだし、そこそこ広く規模の大きい建物であるのは間違いないようだ。

「奴らが言っている神っていうのは、ある一人の女を指してる。魔女、アルルネシア。俺らは元々その女を追いかけてたんだ。そしたら奴が、アランサの使徒なんでやばいテロ集団作って世界を荒そうとしてるじゃねぇか。こいつは止めなきゃいけねえ、ってことで満場一致で追いかけてきたってわけだな」
「魔女?」
「そ。とにかくこいつが、人心掌握が上手くてやばいんだわ。自分の思い通りに男どもを操って、“退屈しのぎ”にテロを起こすっていう国際テロリスト、そして最強最悪の愉快犯。俺らの組織はこのクソサイコパス女をとっ捕まえるためにあると言っても過言じゃねえ。……悪魔っていうのが本当にいるのかどうか定かじゃねえが。とにかくあの女が、アランサの使徒の構成員どもにブレスレットの技術を提供して、悪魔を倒すためって名目で実験させるように仕向けてるんだろ。忌々しいことにな」
「そんなっ……」

 未花子が、悔しげに唇を噛み締めた。

「そんなことのために、智も私達も……!退屈凌ぎって、意味わかんない……!」

 本当にその通りだ。ここまで莫大な費用を使い、人を苦しめておいてその理由がまさかの退屈凌ぎだとは。怒りさえも通り越して、目眩がしそうだ。明らかに、人として受け入れることのできない人種。分かり合うことなど不可能な存在というものが、この世にはいるということらしい。
 理解しようとするだけ、時間の無駄というやつなのだろう。しかもその魔女の面白半分な行為に使徒達は騙され、本気で正義と信じてこのようなことを起こしているとしたら滑稽極まりない。いっそ、不憫と感じるほどだ。

「そうだ、絶対許しちゃいけない。そのためには、俺らが一人でも多く生き残ることが大事だ。あの女は残酷なものが好きだからな。俺らが苦しんで死んでいくほど喜ぶに決まってるんだ。……クソを喜ばせないために、できる限りみんなで生き残ってやろうぜ。……ほら、天都。あとちょっとだから頑張れ」
「あ、す、すみません」

 聖也に手を貸してもらい、どうにか疲れ果てながらも天都は階段を登りきった。キメラが登場する時間まで、あと二分程度である。この階段からも少し離れた方がいいかもしれないということで、聖也はそのまま階段を背に左手に進行することを選んだ。残念ながら休憩はもう少しお預けのようだ。
 歩きながら彼女は、何故上に向かって調べることを進めたのか、ということを説明してくた。右を見ても左を見てもドアはあっても窓がない。此処は地下である可能性が高いと踏んだからだという。確かに元々あった窓を塞いだり封印したりしたのならばそれらしい痕跡が見えるはず。此処は、どこを見ても“そもそも窓があったようには見えない”場所だった。地階であると考えるのは、自然なことであるかもしれない。とすれば当然、脱出を目指すなら出口がある可能性が高いのは上、最上階=地下一階or地上一階ということになる。
 階段を登りながら他の階の様子もチラ見していたが、どこの廊下もやはり窓はないようだった。ならば、彼女の考えが正しい可能性はそこそこ高そうである。

「鍵がないと出口は開かない、ズルするとペナルティってことみたいだけどな。とにかく、その場所がわからなければどうにもならない。鍵よりまず、出口の場所の把握が優先だと思った。処刑のための仕掛を壊す方法が見つかれば、鍵がなくても全員でそこから逃げられるかもしれないしな、まあ……」

 地下一階(仮)の廊下は静まり返り、左右にはいくつもドアがある。大毅、夏俊の二人が通り過ぎるドアをそっと覗きながらチェックを入れていた。まあ、仕掛があるかどうか調べるのは、その部屋に入ると決めてからで問題あるまい。
 そして、長い廊下の終点にさしかかった、その時だ。

「……わかりやすいなあ」

 夏俊がため息を吐いた。出口1。そう書かれたシャッターが、目の前に現れる。1ということは、出口もやはり一箇所ではないのだろうか。天都がそう口にしようとした、まさにその時だった。



 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!



 獣が吠えるような聲が、建物全体を震わせたのである。
 キメラの解放が、始まったのだ。
しおりを挟む

処理中です...