黒須澪と誘惑の物語

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<16・ジュミョウ。Ⅱ>

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 あの動画が、本物の怪異を映したものであるのは明白だった。自分もさすがに、あそこまでのモノは初めて見る。というか、今まで“生きた人間とさほど見分けのつかない死者”に遭遇したことはあっても、あのような露骨な“怪物”にお目にかかったことは一度もなかったからだ。
 三人ともが、あの場で殺されたということなのだろう。実際に残酷な場面が映っていたわけではないが、画面の中にまで“蟲”が侵食していたあたり、なんらかの呪いを発している可能性は十分にある。運営が様々な観点から動画を抹殺しにかかったのは至極当然のことだ。多分自分達は大丈夫だろうけれど、一応気にしておいた方がいいかもしれない。
 光邦がそう結論を出すと、高橋は眼をキラキラとさせて言って来たのだった。

『すっげ!すっげえ!さすがは酒巻、そんなことまで分かるんやな!!』
『ま、まあな。あんま言い触らすなよ、恥ずかしいから』
『ええ、勿体ない。テレビとかに出ればええのに、大儲けできるんちゃう?』
『ははは、やめろって』

 言い触らすな、とは言ったが本音は自慢したい気持ちでいっぱいだった。この能力がもう少し、人の目に見えやすいものであったらと思ったことは何度でもある。自分はやっぱり特別な人間、特別な選ばれた存在なんだ。そう思わせてくれる高橋のような人間はどこまでも貴重な存在だった。
 本当に、彼みたいな存在にもっと早く出会いたかったと思う。中学生に上がればそうやって認めてくれる仲間が数人いたが、小学生時代はいくら主張しても信じて貰えた試しがなく、不遇を味わった記憶しかないからだ。それどころか、不謹慎なことを言うのはやめろ、そうやって人を騙して楽しいかと詐欺扱いされたことさえあったほどである。――実際にそう言って自分の頭に拳骨を落とした教師は、半年後に酔った勢いで線路に落ちて死んだわけだが。まさに、光邦が見た“寿命”の通りに。

『このアナウンスしてた奴が、多分諸悪の根源なんやろなあ。うーん、可愛い幼女の声に聞こえるのがかえって怖い!』

 うんうん、と頷きながら高橋は告げる。

『この声の主に会ってみたいような、会ってみたくないような。なあ、探す方法とかないんか?呪いの電車に乗る以外で。死にたないし、俺』
『無茶言うな。ていうか、このテの怪異って近づくだけで危ねーやつだろ。刺激的な体験ができれば死んでもいいって思ってるわけじゃねーなら、余計なことしないのが賢明だって』
『あーんやっぱそっかー』

 一応、彼にはそう言ったが。実際は、完全に見分ける方法がないわけでもなかったりする。
 例えば光邦には“みんなの頭の上の数字”が見えているわけだが、その数字が見えない状況で他人と遭遇することもないわけではない。例えば、CMで腕しか映っていないタレント。棚の影に隠れて顔から下しか見えない通行人。それから、電車やデパート、ショッピングモールでのアナウンスやラジオの声などがそれにあたる。
 実は、そういう“寿命が見えない状態で出会った赤の他人”も、別のところで“寿命が見える状態”で出会うとなんとなく“この人はあの時見かけた(聴いた)人だな”とわかったりするのだ。ほぼほぼ直感に近いもので確信はないが、恐らく外れてはいないのだろう。何故分かるのか、というのは光邦にも分からないし、そもそもそうやって人と二回遭遇するのはそう多くもない。ある程度意識をかけていないとこっちも気づかなかったりする。結果、こちらの能力については高橋にも明かしていない――なんせ確証が持てるようなものではないからだ。

――道でたまたますれ違うとか、そういう運命的なことでもあればなあ。

 休憩時間が終わり、レジ前に立つ。愛想笑いは苦手だが、さすがにこう何年も勤めていれば慣れるというものだ。退屈な仕事時間、できれば美人な女の客が来てほしいなんて思うのは男心というやつである。

「お願いします」

 あ、と思ったのは。携帯の充電器をレジに置いたその人物の手が非常に綺麗だったからである。白く華奢な指が黒いスーツに映えている。これはさぞかし、と顔を上げた光邦は、少しばかり相手を観察してがっかりしたものだった。

――んだよ、男か。

 中性的で整った顔立ちなのでわかりづらいが、胸もぺったんこに見えるし多分男だろう。長い黒髪に金眼の青年だった。これが女なら結構ストライク入るのに。がっかりした気持ちを押し殺して、光邦は商品をレジに通す。

「有料のレジ袋はご利用になりますか?」

 相手はバッグを持っているし、小さな充電器一つでレジ袋は使わないだろう。そう思っても一応は尋ねるのがこのコンビニのルールだ。言いながらもう一度男の顔を見た光邦は、次の瞬間痺れるような衝撃を受けたのだった。

――は。……え?

 男の頭の上には、寿命が表示されていなかった。
 いや、正確には何かが書かれているのがわかるのだが、まるで記号のような有様で全く読むことができなかったのである。正の数字であろう、生きた存在であろうということしかわからない。こんな相手は、人生で初めて見る。
 しかも、それだけではなく。

――こ、こいつ!

 どういうことだ。
 目の前にいるのは大人の男、ひょっとしたら大人の女。それなのに。

――あ、あの声のやつと、同じ存在だ……!?



『“紗濡戳”、“紗濡戳”ー。お降りの方は、お急ぎくださいー。繰り返しますが、紗濡戳を出ますと、この列車は何処にも止まりませんー』



 背筋に冷たいものが走る。
 あの幼女の声と、目の前の男は同一人物だ。この怖気が走る感覚、間違えるはずもない。

「袋はいりません、大丈夫です」
「わ、わかりました」

――な、なんでだ。あの声はどう聴いても子供だったってのに、なんで、こいつ。ていうか、大阪から、いつの間にか京都に来たってか……!?

 悟られてはいけない。どくどくと煩いほど鳴る心臓をどうにか宥めながら。光邦は告げた。

「せ、千五百円になります……」
「はい」

 あの存在に遭遇できたら面白い。そう思っていたのも事実である。だが、まさかこんなに早く本人に巡り合うとは思ってもみなかったことだ。
 恐ろしい。それでいて――危ない方向に足を踏み入れてしまいそうになっている自分もまた、確かに存在している。
 この“人外の正体”を突き止めたら。それこそ自分は、もっともっと特別な、選ばれた存在になれるのではないか。誰かに認められることも可能なのではないか。

「あ、あの」

 気づけば、口が勝手に動いていた。

「お、お仕事でいらっしゃったのですか?」
「え?私ですか?」
「ええ。スーツ姿の方は、珍しいので」

 このくらいの雑談は珍しくもない。おっかなびっくり続けると、美貌の青年は肩をすくめて“目立ちますかね”と言った。

「一応は友人と一緒に観光ってことになるでしょうかね。まだ清水寺にしか行けてないんですけど。しかもほとんど土産物屋巡りばかり」
「そ、そうなんですか」
「このコンビニはホテルに一番近くて便利なので、また来ますね」

 何だろう、ギャップが凄い。清水寺、なんて京都観光のメジャー、というか超初心者向けの観光スポットの名前が出てくるあたりが。しかも、普通にホテルに泊まっているとか。何で観光するのにスーツ姿なんだ、この季節に暑くないのか、ていうかなんで汗かいてないんだ人外だからなのか――とか頭の中でどうでもいいツッコミばかりがぐるぐると回っていく。

「ちょ、丁度お預かりします。ありがとうございます……またいらっしゃってください」

 どうにかそれだけ絞り出して、お金を受け取る光邦。
 話しただけで呪われる、なんてことがなくてよかったと思う。同時に、いい話も聴いた。
 彼は確かに言ったのだ。また来る、と。



 ***



 男に興味などない。ゆえに、この好奇心は完全に、“人あらざる者がどこまで人に近い存在であるか”という方向である。
 幽霊ではないようだから、悪魔とか邪神とかそのへんだろうか。いずれにせよ、そういう存在が普通に友人と観光をしている。ホテルに宿泊している。コンビニで充電器を買う。あまりにも人間臭すぎて、いまいち実感がない。相対した時の威圧感は、言葉に尽くせぬほどだったというのに。

――寿命が見えなかったのは、人間ではないからか?それとも……それくらい凄まじく長い寿命を持ってるってことなのか?

 独り暮らしのアパート。眠る直前までずっと彼のことばかり考えてしまっていた。なんとか、彼が本当に人外なのかを確かめる方法がないだろうか。そう、あんなデタラメな寿命が本物かどうか、確認する方法があれば。

――そうだよな。一番簡単なのは……。

 理性のタガが外れかけている。自分でもわかっていたが、止められそうになかった。やっと、この平々凡々な人生で面白そうなものを見つけたのだ。どうしてこの興味を捨てることなどできるだろうか。
 どろどろに濁った思考を煮詰めるようにして過ごした三日後のこと。
 あの黒髪金眼の青年は、再び昼のコンビニに姿を現した。それも、丁度光邦が休憩時間に入ったタイミングで。

――ああ、チャンスかもしれねえ。

 気づけば、光邦はコンビニの裏手から飛び出していたのである。日用品らしきものを買ってホテルに戻ろうとしている、あの青年のあとを追いかけて。
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