黒須澪と誘惑の物語

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<8・ミチズレ。Ⅱ>

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 あっさりと、件の少女は見つかった。というのも、道中にある教団関係者が経営するコンビニの防犯カメラに、宇治沢耕平と一緒に歩く少女がくっきりと映り込んでいたからである。映像が荒いので、果たして彼が言ったほどの“絶世の美少女”であるかは定かでなかったが。

「これだけ見ると、仲良さそうなおじいちゃんと孫ってかんじよね」

 音声は入っていないが、雰囲気はなんとなく伝わってくるというものだ。友理奈は首を傾げた。

「一体なんでこの子、宇治沢にくっついてきたのかしら」
「さあ……?」

 友理奈に防犯カメラ映像を見せてくれているコンビニの店主は、戸惑うように首を傾げた。この時間、彼はシフトに入っておらず、また他の従業員も店の前を通った二人に特に注視はしていなかったというのだ。まあ、人通りの多い場所である。何で見ていなかったんだ、などと責めることなどできるはずもない。

――この映像だと、女の子の方がしきりに宇治沢に話しかけてて、宇治沢が戸惑っているように見えるわね。

 脳内に叩き込んだ、宇治沢耕平のデータを思い出す。仕事をしてはトラブルを起こし、仕事をしてはトラブルを起こしの繰り返し。親しい友人もなく、ほぼほぼニート状態で両親と一緒に同居していたと聞く。生来のコミュ障なのだろう、女子供と話す機会も殆どなかったはずだ。――つまり耕平から声をかけて上手い具合に誘い込んだ、ということは考えにくい。
 彼にも“生贄を連れてこい”と頼んだのは、あくまで人員を少しでも多く確保したかったから、というだけのことなのだ。再三言うように、彼が誘拐を成し遂げられるなどとは友理奈をはじめ誰も期待はしていなかったはずである。体格だけはいいので、一人で歩いている子供を無理やり路地裏や車に引きずり込んで拘束する、が精々であったことだろう。まさか、本人同意の上でアパートまで連れてきていたとは思いもよらなかった。
 何か向こうが勘違いしたのか?
 それとも、向こうから何か理由があって寄って来たのだろうか。
 生憎友理奈には子供もいないので、幼い少女の思考回路を理解できるとは言い難いのである。まあ、この少女がもし睨んだ通りの“人外”ならば、そんな想像もまったく意味をなさないものになってしまうかもしれないが。

「どうしましょう?この映像だけでは、探せないですよね?」

 コンビニ店長が困ったように友理奈を見上げてくる。彼がそう告げるのは友理奈が幹部であるからもあるだろうし、同時に友理奈の霊能力を知っているからでもあるだろう。
 映像越しでもかろうじて気配は感じる。感じるが、残念ながら友理奈の能力などさほど強いものではない。この少女が本当にすべての元凶か、と断言できるほどの気配ではなかった。

「……画像処理して、この女の子の顔部分引き延ばして手配して。大阪にいる教団メンバーに周知させて、人海戦術で探すしかないでしょうね」
「やっぱりそうですか……警察には頼れないですもんね」
「当たり前でしょ。いくら宇治沢耕平がまだ何もしてなかったとしても、子供連れ込んだところまでは事実なんだもの。そこから今教団がやってることを嗅ぎつけられたらたまったもんじゃないわ。……宇治沢からの報告が私の聴いた通りなら、この女の子は女子高校生か女子中学生っぽい少女と一緒にいたっていうじゃない。その二人で大阪まで旅行しに来てたとか、なんとか。もし彼女が無事なら、このままだと自宅に帰ってしまうかもしれないわ。とにかく急いで」
「わ、わかりました」

 ひとしきり指示をした後、友理奈はそのまま教団本部に戻るべくコンビニをあとにした。幹部というものは、ただただ椅子の上でふんぞり返っていればいい立場でもない。経営上の問題、人事の問題、それから教主様のスケジュール管理。要するに、細かな事務仕事やチェックも少なくないのだ。今回の件に関しても、一度本部にいる教主と直接面談して相談しなければならないだろう。なんせ、ロス・ユートピアの幹部クラスでも、友理奈のように何かが“見える”までの能力者はそうそう多いものではないからである。
 メトロの駅である“なんば駅”までは徒歩五分程度の距離だ。本部は大阪駅のすぐ近くに位置している。メトロの四つ橋線に乗って、西梅田駅へ。そこからさらに五分ばかり歩けばもう大阪駅だ。本部からも、“儀式会場”からも近いゆえに、わざわざ宇治沢のような下っ端を大阪まで呼んで、金を払ってアパートに住まわせていたのである。まあ、生贄を連れて行く時は基本、電車なんて使うこともないのだけれど。

――私も免許取っておくべきかしらね。

 日本を代表する繁華街の一つであるなんば駅周辺は、平日も休日も問わず非常に人が多い場所である。土地勘がなければ迷子になりそうだ、と東京出身の部下がぼやいていたこともあった。実際、元々は埼玉に住んでいた友理奈も未だにこの近辺の塵にはなれなかったりする。東京メトロと比べればまだ、大阪メトロの方が種類も少ないし、渋谷駅ほどダンジョン化してはいないだろうとは思っているのだけれど。
 ちなみに一言で埼玉出身と言っても、友理奈が住んでいたのは埼玉の南の方だったと言っておく。埼玉県は北と南で大きく雰囲気が違うし、南部に行けば行くほど東京にばかり出入りするというのは案外知られていないことのように思う。友理奈も県内より、都内で買い物することの方が多い人間だった。教団に所属する前に通っていた学校も、務めていた会社も都内である。東京の支部から大阪の本部に呼ばれた時は若干不安に思ったものだ。なんといっても、空気が違い過ぎるのだから。

――都会に住んでると、車なくても普通に生活できちゃうし……まあ、新大阪周辺に住んでてもわりとどうにでもなっちゃうんだけど。今後の仕事いかんでは、運転することもありそうなのよね。……免許センターに通う時間、あるかしら。

 夜の繁華街を抜けて改札を潜り、四つ橋線のホームへ。地下鉄系の駅でも、ホーム上では電波が通じることが多い。肩にかけた鞄を抱え直し、スマホを取り出そうとした時だった。

「私だって、普通に楽しみたいとは思ってるんですよ?」

 まるで、何かに誘われるようだった。聞こえてきたのは、すぐ傍を歩いて行く少女の声。ふと顔を上げれば、友理奈の前を通り過ぎていくボブカットの女の子がいる。さらに小さな女の子の手を引きながら。

「そりゃ、澪さんの目的はわかってますけど。大体、澪さんがわざわざ旅したいって言ったのだって、半分は観光目的でしょ?」

 みおさん。
 はっとして、小さな女の子の方へ視線を向けた。確か、宇治沢はこう報告していなかったか――みおちゃん、という名前の女の子を捕まえた、と。

――うそでしょ。

 偶然にしては都合が良すぎる。そうは思ったものの、後を追いかけないという選択は友理奈にはなかった。顔は見えなかったが、中高生らしき少女に手を引かれている女の子は、ワンピースを着ていて長い綺麗な黒髪を揺らしている。防犯カメラ映像で見た姿とまさしく一致していた。まるで、友理奈が探しているのをわかっていて、向こうから姿を現してくれたかのようではないか。

――誘われてるかしら、私も。

 嫌な予感がなかったと言えば、嘘になる。
 それでも友理奈は彼女達の後を尾行することにしたのだった。二人は手を繋いだまま人ごみを抜け、ホームの端の方まで歩いて行き、エスカレーターへ乗り込む。どこの改札、あるいはホームに繋がるエスカレーターかなど確認する暇はなかった。ただただ、追いかけなければいけないという使命感にかられていた。

「観光したいですよ、私だってー」

 舌足らずな、鈴を転がすような可愛らしい声が聞こえる。耳が良い方で助かった、と心の中で思う友理奈である。

「でも、まさか大阪に来た翌日にはもうこーゆーことになるなんて、思ってもみなかったんですもん。道頓堀観光、もう少ししたかったです。ちょっとたこ焼き食べただけで終わるだなんてあんまりですよ」
「あそこが大阪の全部じゃないですから、あんまり気を落とさないでくださいよ澪さん。えっとこの後は?」
「約束通り、私の行きたいところです。付き合ってくださいね由羅さん」
「秘密ですか?しょうがないですね」

 なんだか奇妙な光景だ。互いに丁寧語で喋っているのは、どういう理由があるのだろう。
 長い長いエスカレーターを降りて、二人は通路を楽しげに話しながら進む。エレベーターに乗り込まれたら厄介だなと思ったものの、以外にも彼等はすぐどこぞのホームに繋がる階段を降り始めた。
 秘密の場所に向かう、という澪の物言いからして、由羅という付添いの少女は行く先を知らないのだろう。何処に行く気なのか、と考えたところでまた駅の看板を見そびれたことに気づいた。先ほど自分がいたのは四つ橋線のホームだったはず。大阪メトロに絞るなら、他にも御堂筋線と千日前線が通っていたはずだ。このどちらかの電車に乗るのだろうか、と最初は気楽に思っていたのだが。

――あれ。

 次第に、妙な感覚を覚え始める。
 ついさっき、四つ橋線のホームにいた時はあれほど人がいて、二人を追いかけるだけでも少々苦労させられたというのに。今は遮蔽物が全くない。少し前を歩く二人と、自分の間に誰もいないのだ。
 いつの間に、人気がなくなったのだろう。
 灰色の壁、灰色の天井、灰色の階段がどこまでも続いている。段々と、此処が本当になんば駅であるのかさえ自信がなくなってきた。もうこれは確定させていいだろう。あの二人は、人ではないモノの領域に住まう存在。あるいは、それに連なる呪術師の類といったところか。自分はまんまとそれに誘い込まれたのかもしれなかった。――誘い込もうとした対象が、本当に自分であるのかはわからないけれど。

――上等だわ。

 彼女達が、ホームへ降りる。ここでようやく見上げた看板には、“紗濡戳方面”と書かれていた。三文字目はどう見ても常用漢字ではない。なんと読むのかさえまったくわからなかった。

――何処へ連れていってくれるのか、楽しみに見させてもらおうじゃない。

 スマホを取り出す。思った通りの圏外。既にここは、この世の領域ではないと思っておくべきか。
 来た道を引き返せば元の場所に帰れるのかもしれないが、そうしようとは思えなかった。自然と唇の端が吊り上る。面白い、そう心から思っている自分がいる。
 そもそも己は、とにかく刺激が欲しくて教団に所属しているだけの人間だ。邪神を呼んで世界が壊れようが、とんでもないものを見せられてその領域に連れ込まれようが、とにかく楽しければなんでもいいのである。
 罠ならそれでも構わない。精々、面白いものを見せてくれればそれでいい。
 灰色一色のホームに、黒い電車が入ってくるのを見つめて、友理奈はそう思ったのだった。
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