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<7・ミチズレ。Ⅰ>
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それは本能、とでも言うべきだろうか。
宇治沢耕平に貸し与えていたアパートの一室。その前に立っただけて、何やら嫌な予感がしていた。
――一体、何を呼び込んだのかしら、こいつは。
木下友理奈は眉を潜めて、そのドアを開けた。途端、鼻孔を突き刺したのは、凄まじい血の臭いである。やはり、お告げは正しかったのだと直感した。友理奈が開けたドアから、次々と部下たちが室内に駆けこんで行く。幹部である自分を守り、先陣を切るのが彼等の役目なのだから当然だ。
――教団の幹部候補生は多かれど、その全員に見えないところでランクがつけられている。宇治沢耕平は、その最低ランクの一人。正直、本当に生贄を見つけて来れるだなんて誰も期待してなかったわけだけど。
その彼から、大阪のアパートに入居して一カ月も過ぎないうちに連絡が来た。少女をうまく浚うことができたから、早いうちに回収しに来て欲しいと。
その報告が本当になら実に喜ばしいところではあるが、友理奈としては正直半信半疑であったのである。あの、ろくに働いたこともないジジイが、いきなりそんな成果を挙げることなどできるものだろうかと。いつもじっとりとした嫉妬のこもった眼でこちらを睨んでくる、嫌な男だった。三十代にして幹部まで上り詰め、高い給料をもらっている友理奈への嫉妬もあったのかもしれない。元よりロス・ユートピアの幹部クラスに女性は少ないから、目立っていたという自負もある。もう少し迎合すればいいものを、と少々呆れたものだ。彼が教団の“神”を信じてなどいないことは、誰の眼から見ても明らかだったのだから。
宗教二世ならば、仕方ないと言えば仕方ないことだとは思う。両親が相当な額のお布施をしてくれており、そこそこ信者の中でもランクが高かったせいで無下にできないというだけのことである。本人が望んで、この教団に入信したわけではない。そう思えば気の毒だと感じないわけでもなかった。高齢者と呼んで差支えない年にもなって、親のスネを齧り続けてきたのはさすがにどうかと思うけれども。
――まあ、信仰心に関しては……私も人のこと言えたクチじゃないんだけど。
バタバタとアパート内部を検分する部下たちを見ながら、友理奈はじっと目を細めて内部を見る。ボロっちい、どこにでもあるワンルーム。玄関を入ると左手に浴室とトイレがあり、真正面にキッチンが併設されたリビングがある。寝室もかねているので、隅に布団が積み上がったままになっていた。聴いていた通り、耕平はあまり几帳面な性格ではなかったのだろう。積み上がった布団はぐしゃぐしゃにまるまっているし、テーブルの上には飲みかけのコップのようなものが置かれたままになっている。
リビングのあっちこっちに散らばっているのは脱ぎ散らかした洋服と紙ゴミであるようだ。足の踏み場がないというほどではないが、お世辞にも綺麗とは言えない部屋である。キッチンを覗いてみれば、洗いかけの皿が汚れたまま放置されていた。何でこの状態でほったらかしにして平気なんだろう、と人並みの衛生感を持っている友理奈は思わずにはいられない。
――何かしら。変なものがいた、ような感覚は残ってるんだけど。
テーブルの前に、うっすらと黒い影が見える。何かが座っていた、ような印象だ。しかし時間が過ぎたせいか、相手が痕跡を消すのが上手いからなのか、僅かに見えるのは残り香程度のものだった。はっきり言って、友理奈程度の力ではその正体を掴むことなどできそうもない。はっきり言うならこれだけでは、悪霊の類かあやかしか、それともひときわサイコパスな人間の気配なのかさえはっきりしなかった。時々いるのだ、悪意が強すぎて、妖怪ばりの存在感を放ってしまう生きた人間というのもの。
――それはそれで、面白いと言えば面白いのだけど。
本来、自分達は明日になってからこのアパートに“生贄”を引き取りに来る手筈になっていた。というか、そもそも引き取り担当のチームは自分達ではなかった。
にもかかわらず友理奈が自分の権限で、連絡があった日の夜にはもう此処にいるのは。お告げがあった、その一言に尽きるのである。
お告げといっても、自分に聞こえるのは神様の声というわけではない。あくまで、己の中に響く直感のようなものだ。彼から連絡あったと部下から聴いた後、よくもまああんな愚鈍な男が生贄の確保に成功したものだと彼の資料を見直したところで――視界が突然おかしくなったのである。
正確には、データの中の宇治沢耕平の写真が、加工でもしたかのようにぐにゃりと歪んだのである。右目を大きく見開き、左目を不自然に細め、口を引き裂けんばかりに開いた歪な苦悶の顔。何かに悪いものに目を付けられたな、とすぐに直感した。幼い頃から友理奈には、そういう“異変”を嗅ぎ取る程度の霊能力、あるいは超能力とも言うべき存在が備わっているのである。
この教団に入って仕えてきたのも、ようはそういう面白いものを見たかったからに他ならない。教団に来る、悩みや欲望を抱え込んだ連中見ているのも爽快だったし、何よりこの教団が呼び出そうとしている神とやらに興味があったのだ。自分の感覚を信じるなら、召喚に成功するかどうかはともかく――呼び出そうとしている神そのものは“本物”と見てほぼ間違いはないだろう。一体どのような地獄を齎してくれるのか、想像しただけでわくわくしてしまうというものだ。
神様とやらに敬意はない。信仰心もない。それでも強い興味があって、友理奈はここにいる。敬虔な信者を演じ、若くして幹部にまで上り詰めてまで。
「友理奈様!」
風呂場を見ていた部下の一人が声を上げた。
「も、申し訳ありません!この現場は、我らだけでは判断しかねるものです……!」
「あら、何か面白いものでも?」
「え、ええ、まあ」
肝が据わっているはずのその男が、明らかに狼狽している。強い気配の根幹は風呂場にあったか、と友理奈は導かれるままその場所に足を踏み入れた。
古いアパートのワンルームならば、トイレと風呂場が一緒になっているのはなんら珍しくないことだろう。洗い場も脱衣場も備わっていないなど、自分としては絶対あり得ないと断言できる範囲なのだが――まあ、男の一人暮らしならさほど気にしないことなのかもしれない。まあ、このアパートは教団が男に貸し与えたものであるので、宇治沢耕平の実家というわけではないのだが。
「うっ」
踏み込んだ瞬間、鼻腔を突き刺したのは凄まじい腐臭だ。
風呂場のカーテンは開かれ、浴槽は真っ赤な血のようなものが大量にこびりついたまま放置されている状態である。しかし、臭いの本がそこではないのは明らかだった。それよりも問題は、トイレ脇の壁に寄りかかるようにして座り込んでいる“人間だったもの”だろう。
それが宇治沢耕平であるのは、辛うじてわかった。何故辛うじて、なのかといえば、男の髪は恐怖で真っ白になり、顎が外れるほど口を大きく開け、皺だらけのミイラのような顔になって絶命していたからである。服装と顔に、どうにか彼の面影が残っている程度だ。
それ以上に異様なのは、男の両手両足の形状である。ドス黒く染まり、膿を噴出し、明らかに腐っているのだ。どろどろに溶けた肉の合間からは、黄ばんだ骨らしきものが見え隠れしていた。メンタルの硬さに自信がある友理奈さえ言葉を失うほど凄惨な有様である。一体、人間が何をどうしたら、一日でここまで腐り果てるのだろう。それも、手足だけ腐るだなんて、そんなことがあるのだろうか。
――あちこちに、腐った肉の破片っぽいものも飛び散っている。相当苦しんで死んだってことなのかしら。
男の股間のあたりは糞尿に塗れて酷いことになっていた。死んだ後で漏れたというより、あまりの苦痛から死ぬ前に漏らしたといった様子である。そして、この恐怖に満ちた表情。一体何を見たというのだろうか、彼は。
「こ、こんな死に方、今まで見たこともないです」
震える声で部下が口を開いた。
「部屋の中に、彼が捕まえたという“生贄の少女”の姿もありません。その少女が原因、ということなのでしょうか。小学一年生くらいの少女を捕まえた、と宇治沢は証言していたはず。そんな少女に、大の男を倒す力があるとはとても思えませんが」
「馬鹿ね。こんなのが、人間の仕業なわけないじゃない」
頓珍漢なことを言う彼を一蹴する友理奈。
「確実に人間じゃない。……ああ、特別な能力を持った人間、の可能性はまだあるかしら。これはどちらかというと、何かに呪われたとか祟られた結果に見えるんだけどね」
死体が恐怖のまま見つめる先にあるのは、あの血まみれの浴槽である。まるで浴槽の中から何かが這い出してきて、男を襲って立ち去っていたかのように見える現場だった。
友理奈の眼にどうにか見えるのは、男の目の前に四つんばいになっている小さな黒い影だ。ぼんやりとしたシルエット程度の残像だが、なんとなく赤ん坊のそれに近いように見える。その腹のあたりから、長い臍の尾のようなものが浴槽に伸びていた。まるで、風呂場から生まれてでも来たかのように。
――何かを呼び起こした。あるいは怒りを買ったってところ?……そんな度胸のある男じゃなかったと思うのだけど。
何にせよ、これだけの臭いだ。周辺住人が異臭に気付いて騒ぎになってしまうのは時間の問題だろう。早く来て正解だった。とにかく急いで、この男の遺体と痕跡を処分しなければなるまい。
このアパートを借りているのが教団であり、時々作業に使っているという事実が一般人に漏れたら非常に面倒なことになる。自分はまだまだこの教団で、面白いものを見て楽しみたいのだ。こんな下っ端のミスで、ロス・ユートピアが崩壊するようなことがあってはたまったものではないのである。
「とりあえず、この男を片付けましょう。私が“視た”ところ、呪いの本体はこの部屋にいないし、伝染していくようなタイプでもなさそうに見えるわ。触っても問題ないでしょう。すぐ準備して」
「わ、わかりました、友理奈様」
「それから」
行動を起こすなら、早い方がいい。
この男が捕まえたという、小学一年生くらいの少女というのがどうにも気にかかる。普通の人間にしろ、そうではないにしろ、こいつが生贄目的で捕まえたあとで脱走したというのなら――組織の今後のためにも放置しておくことはできない。自分達の儀式の情報が外部に漏れることだけは避けなければいけないのだから。
「この男が捕まえたっていう女の子を急いで探すわよ。道頓堀付近で、目撃情報をかたっぱしから当たりなさい。こんなジジイが幼女連れて歩いてたんだもの、不審に思って覚えてる近隣住民がいてもおかしくないわ」
見つけることも、不可能ではないはずだ。
宇治沢耕平は言っていたという。――捕まえた子供は黒髪金眼の、目も醒めるような美しい少女であったのだと。
宇治沢耕平に貸し与えていたアパートの一室。その前に立っただけて、何やら嫌な予感がしていた。
――一体、何を呼び込んだのかしら、こいつは。
木下友理奈は眉を潜めて、そのドアを開けた。途端、鼻孔を突き刺したのは、凄まじい血の臭いである。やはり、お告げは正しかったのだと直感した。友理奈が開けたドアから、次々と部下たちが室内に駆けこんで行く。幹部である自分を守り、先陣を切るのが彼等の役目なのだから当然だ。
――教団の幹部候補生は多かれど、その全員に見えないところでランクがつけられている。宇治沢耕平は、その最低ランクの一人。正直、本当に生贄を見つけて来れるだなんて誰も期待してなかったわけだけど。
その彼から、大阪のアパートに入居して一カ月も過ぎないうちに連絡が来た。少女をうまく浚うことができたから、早いうちに回収しに来て欲しいと。
その報告が本当になら実に喜ばしいところではあるが、友理奈としては正直半信半疑であったのである。あの、ろくに働いたこともないジジイが、いきなりそんな成果を挙げることなどできるものだろうかと。いつもじっとりとした嫉妬のこもった眼でこちらを睨んでくる、嫌な男だった。三十代にして幹部まで上り詰め、高い給料をもらっている友理奈への嫉妬もあったのかもしれない。元よりロス・ユートピアの幹部クラスに女性は少ないから、目立っていたという自負もある。もう少し迎合すればいいものを、と少々呆れたものだ。彼が教団の“神”を信じてなどいないことは、誰の眼から見ても明らかだったのだから。
宗教二世ならば、仕方ないと言えば仕方ないことだとは思う。両親が相当な額のお布施をしてくれており、そこそこ信者の中でもランクが高かったせいで無下にできないというだけのことである。本人が望んで、この教団に入信したわけではない。そう思えば気の毒だと感じないわけでもなかった。高齢者と呼んで差支えない年にもなって、親のスネを齧り続けてきたのはさすがにどうかと思うけれども。
――まあ、信仰心に関しては……私も人のこと言えたクチじゃないんだけど。
バタバタとアパート内部を検分する部下たちを見ながら、友理奈はじっと目を細めて内部を見る。ボロっちい、どこにでもあるワンルーム。玄関を入ると左手に浴室とトイレがあり、真正面にキッチンが併設されたリビングがある。寝室もかねているので、隅に布団が積み上がったままになっていた。聴いていた通り、耕平はあまり几帳面な性格ではなかったのだろう。積み上がった布団はぐしゃぐしゃにまるまっているし、テーブルの上には飲みかけのコップのようなものが置かれたままになっている。
リビングのあっちこっちに散らばっているのは脱ぎ散らかした洋服と紙ゴミであるようだ。足の踏み場がないというほどではないが、お世辞にも綺麗とは言えない部屋である。キッチンを覗いてみれば、洗いかけの皿が汚れたまま放置されていた。何でこの状態でほったらかしにして平気なんだろう、と人並みの衛生感を持っている友理奈は思わずにはいられない。
――何かしら。変なものがいた、ような感覚は残ってるんだけど。
テーブルの前に、うっすらと黒い影が見える。何かが座っていた、ような印象だ。しかし時間が過ぎたせいか、相手が痕跡を消すのが上手いからなのか、僅かに見えるのは残り香程度のものだった。はっきり言って、友理奈程度の力ではその正体を掴むことなどできそうもない。はっきり言うならこれだけでは、悪霊の類かあやかしか、それともひときわサイコパスな人間の気配なのかさえはっきりしなかった。時々いるのだ、悪意が強すぎて、妖怪ばりの存在感を放ってしまう生きた人間というのもの。
――それはそれで、面白いと言えば面白いのだけど。
本来、自分達は明日になってからこのアパートに“生贄”を引き取りに来る手筈になっていた。というか、そもそも引き取り担当のチームは自分達ではなかった。
にもかかわらず友理奈が自分の権限で、連絡があった日の夜にはもう此処にいるのは。お告げがあった、その一言に尽きるのである。
お告げといっても、自分に聞こえるのは神様の声というわけではない。あくまで、己の中に響く直感のようなものだ。彼から連絡あったと部下から聴いた後、よくもまああんな愚鈍な男が生贄の確保に成功したものだと彼の資料を見直したところで――視界が突然おかしくなったのである。
正確には、データの中の宇治沢耕平の写真が、加工でもしたかのようにぐにゃりと歪んだのである。右目を大きく見開き、左目を不自然に細め、口を引き裂けんばかりに開いた歪な苦悶の顔。何かに悪いものに目を付けられたな、とすぐに直感した。幼い頃から友理奈には、そういう“異変”を嗅ぎ取る程度の霊能力、あるいは超能力とも言うべき存在が備わっているのである。
この教団に入って仕えてきたのも、ようはそういう面白いものを見たかったからに他ならない。教団に来る、悩みや欲望を抱え込んだ連中見ているのも爽快だったし、何よりこの教団が呼び出そうとしている神とやらに興味があったのだ。自分の感覚を信じるなら、召喚に成功するかどうかはともかく――呼び出そうとしている神そのものは“本物”と見てほぼ間違いはないだろう。一体どのような地獄を齎してくれるのか、想像しただけでわくわくしてしまうというものだ。
神様とやらに敬意はない。信仰心もない。それでも強い興味があって、友理奈はここにいる。敬虔な信者を演じ、若くして幹部にまで上り詰めてまで。
「友理奈様!」
風呂場を見ていた部下の一人が声を上げた。
「も、申し訳ありません!この現場は、我らだけでは判断しかねるものです……!」
「あら、何か面白いものでも?」
「え、ええ、まあ」
肝が据わっているはずのその男が、明らかに狼狽している。強い気配の根幹は風呂場にあったか、と友理奈は導かれるままその場所に足を踏み入れた。
古いアパートのワンルームならば、トイレと風呂場が一緒になっているのはなんら珍しくないことだろう。洗い場も脱衣場も備わっていないなど、自分としては絶対あり得ないと断言できる範囲なのだが――まあ、男の一人暮らしならさほど気にしないことなのかもしれない。まあ、このアパートは教団が男に貸し与えたものであるので、宇治沢耕平の実家というわけではないのだが。
「うっ」
踏み込んだ瞬間、鼻腔を突き刺したのは凄まじい腐臭だ。
風呂場のカーテンは開かれ、浴槽は真っ赤な血のようなものが大量にこびりついたまま放置されている状態である。しかし、臭いの本がそこではないのは明らかだった。それよりも問題は、トイレ脇の壁に寄りかかるようにして座り込んでいる“人間だったもの”だろう。
それが宇治沢耕平であるのは、辛うじてわかった。何故辛うじて、なのかといえば、男の髪は恐怖で真っ白になり、顎が外れるほど口を大きく開け、皺だらけのミイラのような顔になって絶命していたからである。服装と顔に、どうにか彼の面影が残っている程度だ。
それ以上に異様なのは、男の両手両足の形状である。ドス黒く染まり、膿を噴出し、明らかに腐っているのだ。どろどろに溶けた肉の合間からは、黄ばんだ骨らしきものが見え隠れしていた。メンタルの硬さに自信がある友理奈さえ言葉を失うほど凄惨な有様である。一体、人間が何をどうしたら、一日でここまで腐り果てるのだろう。それも、手足だけ腐るだなんて、そんなことがあるのだろうか。
――あちこちに、腐った肉の破片っぽいものも飛び散っている。相当苦しんで死んだってことなのかしら。
男の股間のあたりは糞尿に塗れて酷いことになっていた。死んだ後で漏れたというより、あまりの苦痛から死ぬ前に漏らしたといった様子である。そして、この恐怖に満ちた表情。一体何を見たというのだろうか、彼は。
「こ、こんな死に方、今まで見たこともないです」
震える声で部下が口を開いた。
「部屋の中に、彼が捕まえたという“生贄の少女”の姿もありません。その少女が原因、ということなのでしょうか。小学一年生くらいの少女を捕まえた、と宇治沢は証言していたはず。そんな少女に、大の男を倒す力があるとはとても思えませんが」
「馬鹿ね。こんなのが、人間の仕業なわけないじゃない」
頓珍漢なことを言う彼を一蹴する友理奈。
「確実に人間じゃない。……ああ、特別な能力を持った人間、の可能性はまだあるかしら。これはどちらかというと、何かに呪われたとか祟られた結果に見えるんだけどね」
死体が恐怖のまま見つめる先にあるのは、あの血まみれの浴槽である。まるで浴槽の中から何かが這い出してきて、男を襲って立ち去っていたかのように見える現場だった。
友理奈の眼にどうにか見えるのは、男の目の前に四つんばいになっている小さな黒い影だ。ぼんやりとしたシルエット程度の残像だが、なんとなく赤ん坊のそれに近いように見える。その腹のあたりから、長い臍の尾のようなものが浴槽に伸びていた。まるで、風呂場から生まれてでも来たかのように。
――何かを呼び起こした。あるいは怒りを買ったってところ?……そんな度胸のある男じゃなかったと思うのだけど。
何にせよ、これだけの臭いだ。周辺住人が異臭に気付いて騒ぎになってしまうのは時間の問題だろう。早く来て正解だった。とにかく急いで、この男の遺体と痕跡を処分しなければなるまい。
このアパートを借りているのが教団であり、時々作業に使っているという事実が一般人に漏れたら非常に面倒なことになる。自分はまだまだこの教団で、面白いものを見て楽しみたいのだ。こんな下っ端のミスで、ロス・ユートピアが崩壊するようなことがあってはたまったものではないのである。
「とりあえず、この男を片付けましょう。私が“視た”ところ、呪いの本体はこの部屋にいないし、伝染していくようなタイプでもなさそうに見えるわ。触っても問題ないでしょう。すぐ準備して」
「わ、わかりました、友理奈様」
「それから」
行動を起こすなら、早い方がいい。
この男が捕まえたという、小学一年生くらいの少女というのがどうにも気にかかる。普通の人間にしろ、そうではないにしろ、こいつが生贄目的で捕まえたあとで脱走したというのなら――組織の今後のためにも放置しておくことはできない。自分達の儀式の情報が外部に漏れることだけは避けなければいけないのだから。
「この男が捕まえたっていう女の子を急いで探すわよ。道頓堀付近で、目撃情報をかたっぱしから当たりなさい。こんなジジイが幼女連れて歩いてたんだもの、不審に思って覚えてる近隣住民がいてもおかしくないわ」
見つけることも、不可能ではないはずだ。
宇治沢耕平は言っていたという。――捕まえた子供は黒髪金眼の、目も醒めるような美しい少女であったのだと。
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