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<1・序曲>
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まさかこのご時世に、彼が自分に手紙なんてものを送って来ようとは。
黒木梨乃亜は、可愛らしいオレンジの便箋に目を見開いた。何度確認しても、差出人の名前は変わらない。黒須澪。古くからの腐れ縁の一人である。
「まっふふ?」
「あら、貴方も気になるの、ようちゃん?」
手紙をまじまじと見つめていた梨乃亜の足元に、大きな犬がまとわりついた。ゴールデンレトリーバーの愛犬である“ようちゃん”である。彼の金色の毛をもしゃもしゃと撫でながら、梨乃亜はソファーに座った。あの新しいもの好きな男が、年賀状以外で手紙なんてレトロなものを送ってきたのである。興味を持たないはずがないのだ。
梨乃亜のことが大好きなようちゃんは、主人のリラックス態勢をよく理解している。足元に伏せをしつつ、私の足にもさもさの長い毛をすりつけた。あったかくて非常に気持ちいい。涼しくなってきたこの時期には特にぬくぬくして良かった。空気が読める愛犬に機嫌を良くしながら、私は封筒を開ける。
オレンジの封筒には、あちこち蜜柑のイラストが描かれている。元々そういうデザインなのだろう。中の便箋も同デザインであることから、セットで販売されていたものであるのは十分窺い知れる。なんとも可愛らしい趣味だ。多分、同居している彼の“お気に入り”の少女が買ったものなのだろう。カップ麺だけ作れればいいや、というモノグサなタイプの澪に、毎日毎食健康的な食事を提供してくれているようだ。今度家に突撃してやろうかな、なんてことをひそかに思ったりする。
――あの子を癒してくれる存在は大事だもの。……いろいろあって、記憶の一部が吹っ飛んでるみたいだし。
友人が快適に過ごせているなら、梨乃亜にとっても喜ばしいことだ。便箋を開くと、彼らしい綺麗な、それでいてやや癖のある文字がびっしりと目に入った。
『黒木梨乃亜様。久しぶりにこんな手紙を送ってすみません。ちょっとしたマイブームでして、ついつい筆を取ってしまいました』
書き出しはそんな、辺り障りのないもの。
定型文とはいえ、こいつに様付されるのは違和感があるな、とついつい噴出してしまう梨乃亜である。
『同居してる女子高生の西垣由羅さんのことはもうお話しましたよね?最近その由羅さんと、あるアニメを見るのにハマっているのです。手紙のやり取りをしていた二人に突然謎の現象が襲い掛かり、恐ろしい魔法戦争に巻き込まれてしまうというものなのですが。ご存知でしょうか“桜坂戦争”。物語の設定が平成初期なので、まだ携帯とかでやり取りできない時代というのが味があっていいと思うのですけど』
「知ってるわよ」
手紙でもメールでも、ついつい読みながらひとりごとをぼやいてしまうのが自分の癖である。まあ、今この家には梨乃亜一人しかいないし、ようちゃんに話しかけているということにでもしておこう。
どうせ、この賢い犬は全部聞いているのだから。
「あいつ、ちょいちょい変なものにハマるわよね。妙に流行とかに敏感だし……ちょっと前には、好きだったオンラインゲームがサ終したってすっごく落ち込んでたし」
「ふんすっ」
「この国のサブカルチャーの沼はずぶずぶに深いから気をつけなさいって、ちゃんと忠告したはずだったんだけど。いやほんと、推しの沼は深すぎてやばいわ。財布の紐がゆるっゆるうになるんだもの」
思わず振り返った先には、梨乃亜の自室がある。パソ事務机の上に乗ったパソコン、その上の壁には梨乃亜が大好きな舞台俳優のポスターがどどーんと鎮座していた。二次元も危ないが、2.5次元の沼も深くてやばい。二十代後半の、そこそこ美人な女が(これでも見た目はちょっとしたものだという自負があるのだ、何度か街で芸能事務所にスカウトされたこともあるのだから)大量にポスターとグッズを大人買いしていたのを見て店員は何を思ったのか。
転売はやめてくださいね、と小さな声で言われた気がするが無視である。転売なんてとんでもない、保管用、保存用、観賞用。さらに観賞用は寝室とリビングと玄関と和室に五枚必要だ。となれば、一つあたりのグッズやポスターを買う量が増えるのも必然ではないか。
――桜坂戦争も面白そうだなあと思ってるのよね。無料配信の一話しか見てないけど。
ワラワラ動画で見たものを思い出す。第一話はほとんどプロローグも同然の内容だったが、確かに面白そうではあった。男女がひょんなことから手紙でやり取りすることになり(知り合いの知り合いから、偶然連絡先を聴いたとかそんなのだっただろうか)、次第に相手に魅かれ、逢いたい気持ちが募っていく。しかしそれと同時進行で不可思議な現象が起きるようになり、第一話のラストは少女の前に魔法生物が現れて襲い掛かってくるところで終わっていたはずだ。
化け物に怯えて逃げ惑い、失禁までする描写が実にリアルだったと評判だったらしいのだが、どうしても梨乃亜には理解できなかった記憶がある。なんせ、魔法生物の見た目が可愛すぎるのだ。なんだ、あの山羊の頭にタコの足が生えただけの黒い生き物は。山羊の頭がついているだけでダメダメのダメだ、可愛いとしか思えない。ああ、自分にもう少しお金があったら、広い一戸建てを飼って、どこぞのアルプスの少女よろしく自分だけの“ユキちゃん”を飼うのに!
「あいつだって、怖いもの全然平気なくせにねー。ていうか“ああいう怪物はぜひとも調教してみたくなりますよね”とか言い出しかねないドSなくせに、何で金払って続き見る気になったのかしら。そもそも、あんな可愛い山羊モンスターで発狂するなんて、今時の若い子はメンタルお豆腐すぎるわよね」
「むっふ!」
「あー、ごめんごめんようちゃん。ちゃんと犬のことも好きだから安心して。特に貴方は特別だからね?」
自分が山羊萌えの人間であることは知っているくせに、ことあるごとに嫉妬して鼻をすりつけてくる愛犬が愛おしい。その高等部をこすこすと撫でつつ、梨乃亜は続きに目を通す。
『手紙のやり取りだと、タイムラグがあるのがいいのですよね。それとメールよりずっと長文を送りやすいというか。きっと貴女のことでしょうから、この手紙を読んでいちいち文句でもぶつぶつ呟いてるんでしょうけど』
「うっさいわね、ほっときなさいよ」
『これを書いている私の現在と、今これを読んでいる貴女の時間は同一ではないわけです。メールでも、送ってから読むまでのタイムラグは多少なりにあるものですが、手紙はさらにその時間差が大きい。これを書いている私は過去にいて、読む貴女は今にいて、さらにこれを読んでいる頃の私は書いている私よりさらに未来にいる。そう考えると、哲学的で非常に興味深いものです。場合によっては、貴女がこれを読んでいる時にはもう、この手紙を書いた私がこの世にいないなんてこともあるわけですよね。針の先ほどの可能性ですけど』
「そうね、だから遺書ではよくあるのよね。“これをあなたが読んでいる時、私はこの世にはもういないでしょう”なんて書き出しが」
あんたに限ってはあり得ないけど、と心の中で付け加える。
澪が完全にこの世から消える時も、いつかは訪れるのだろう。しかしそれが直近である可能性など極めて稀であることはよく知っている。彼は、そう簡単に世界から弾かれるタマではない。ましてや、由羅のことを極めて気に入っているようだし、話を聞く限りではその由羅も相当澪のことを慕っているようだ。両親とも距離を置きがち、そして悲惨な境遇にあった少女の前に現れ、彼女と運命を共にすることになった澪。自分がいなくなったら由羅がどうなるか?がわからない男ではあるまい。なればこそ、以前ほどの無茶は控えるはずだ。
無茶しようがしまいが、彼がこの世から消えることができないことに変わりはないのだとしても。
『さて、今回手紙を送ったのはそんな小難しい話をしたかったわけではなくてですね。ちょっとした報告をしようと思ったんです。いろいろと面白い出来事があったもので。貴方も最近退屈だと仰ってたでしょう?怠惰な時間を嫌うという意味で、貴女と私は極めて近い存在にある。退屈しのぎを提供することこそ、日ごろ世話になっている貴女への報恩になるのではないかと思いまして』
報恩ねえ、と私は封筒にみっちり詰まった便箋の束を見る。随分大き目の封筒を使って来たなと思ったが、そういうことだったらしい。折りたたまれていない便箋が、一体何枚入っているやら。しかもどれもこれも、びっしりと文字が詰まっている。
「報恩なんてそんなキャラじゃないでしょーに。暇人か」
半分愚痴も入ってるんだろうな、と思う。彼の言う“面白い出来事”が、本当に純粋な意味で“愉快”であることは稀だと知っているからだ。どうせまた、いろいろな場所でトラブルでも起こしたのだろう。澪本人が望んでも望まなくても、彼が行くところ行くところ面倒が起きるというのは周知の事実である。最近は由羅といることも多いようであるし、彼女も頻繁に巻き込まれていそうだ。
気の毒だとは思うが、それでも澪と一緒にいることを選んだのも由羅である。今度は何があったのやら、と私は便箋を読み進めた。
『由羅さんの境遇についてはお話した通り。特定の邪神を召喚するという名目で、人々を誘拐して殺し合いをさせたり、デスゲームに参加させるという事案は実は由羅さんの一件以外でも起きているらしいということがわかりました。由羅さんはゲームクリア後に元の社会に戻ることができましたが、多くの人々は誘拐されたまま誰一人戻ってきていないようなのです。何やら、おかしな組織が暗躍しているような気がしてきませんか?……っていうか梨乃亜さん、貴女が一枚噛んでたりしませんよね?』
「私そんなに信用ないの?それともジョークのつもりなの、ねえ?」
『とにかく、そういうものを調べて回るのがなかなか面白そうだと思いましたので……少しばかり東京を離れ、各地を由羅さんと旅して回ることにしたのです。あ、一部写真も入れておきますね。良かったらどうぞ。何処に行ったのか当ててみてください』
便箋の隙間から、一枚の写真が出てきた。そこには笑みを浮かべた長い黒髪に金眼の美貌の青年と、その隣でちょっとしかめっ面をしている丸顔にボブカットの少女の姿がある。この少女が、西垣由羅だろう。彼女の顔だけ妙に近い。しかめっつらなのは多分、カメラを調整中にうっかりシャッターを切ってしまったからだと思われる。もっと良い写真送って来いよ、と呆れてしまった。
しかも、彼らが何処で写真を撮ったかなんてクイズにもなっていない。彼等の背景には、真っ青な空によく映えた富士山がくっきりと映っているのだから。富士山県と言えば、静岡か山梨だろう。富士山の様子だけではどっちの県から撮ったのか見分けがつかない、なんて言ったら両県の住人に怒られそうだが。
『危ない神を召喚しようとしているのか、それともそういう妄想を抱いて金を巻き上げているだけのテロリストか。そういう組織の噂がある場所を、あちこち旅をしながら回ってみようということになったのです。私の仕事もあるし、金銭面の都合もあるので、あまり長期間というわけにはいかないんですけどね。いやあ、二人旅なんか前の上司に引きずり回された時以来楽しみです!』
トラブルメーカーが、日本各地にトラブルを振り撒きに回ったのか。なんともはた迷惑な、と思ったが――よくよく考えればこの男は、自宅にいてなおトラブルの方が寄ってくる体質だったので関係ないな、と思った。さらには本人がもう開き直って、そのトラブルを引っ掻きまわして楽しむようになってしまっているから収集がつかないのである。
今度は何をやらかしてくれたのやら。そう思うと、もう一枚写真が出てくる。随分と人通りの多いところのようだ。派手なおばさん達が談笑する横で、たこ焼きを買う由羅の様子が映っている。これはひょっとしたらひょっとしなくても、大阪の風景だろうか。
『じゃあ、最初のエピソードを語りましょう。大阪に旅行に行った時に、いきなり遭遇したとんでもない事件です。それを狙っていたといえば、狙っていたんですけどね。……最近道頓堀付近で、誘拐事件が頻発しているという噂を聞いて飛んでいったわけですから』
そして、黒須澪という名の友人は手紙の上で、とんでもない物語を語り出すのである。
退屈しのぎを通り越し、もはや惨劇としか呼べないような内容を、嬉々として。
黒木梨乃亜は、可愛らしいオレンジの便箋に目を見開いた。何度確認しても、差出人の名前は変わらない。黒須澪。古くからの腐れ縁の一人である。
「まっふふ?」
「あら、貴方も気になるの、ようちゃん?」
手紙をまじまじと見つめていた梨乃亜の足元に、大きな犬がまとわりついた。ゴールデンレトリーバーの愛犬である“ようちゃん”である。彼の金色の毛をもしゃもしゃと撫でながら、梨乃亜はソファーに座った。あの新しいもの好きな男が、年賀状以外で手紙なんてレトロなものを送ってきたのである。興味を持たないはずがないのだ。
梨乃亜のことが大好きなようちゃんは、主人のリラックス態勢をよく理解している。足元に伏せをしつつ、私の足にもさもさの長い毛をすりつけた。あったかくて非常に気持ちいい。涼しくなってきたこの時期には特にぬくぬくして良かった。空気が読める愛犬に機嫌を良くしながら、私は封筒を開ける。
オレンジの封筒には、あちこち蜜柑のイラストが描かれている。元々そういうデザインなのだろう。中の便箋も同デザインであることから、セットで販売されていたものであるのは十分窺い知れる。なんとも可愛らしい趣味だ。多分、同居している彼の“お気に入り”の少女が買ったものなのだろう。カップ麺だけ作れればいいや、というモノグサなタイプの澪に、毎日毎食健康的な食事を提供してくれているようだ。今度家に突撃してやろうかな、なんてことをひそかに思ったりする。
――あの子を癒してくれる存在は大事だもの。……いろいろあって、記憶の一部が吹っ飛んでるみたいだし。
友人が快適に過ごせているなら、梨乃亜にとっても喜ばしいことだ。便箋を開くと、彼らしい綺麗な、それでいてやや癖のある文字がびっしりと目に入った。
『黒木梨乃亜様。久しぶりにこんな手紙を送ってすみません。ちょっとしたマイブームでして、ついつい筆を取ってしまいました』
書き出しはそんな、辺り障りのないもの。
定型文とはいえ、こいつに様付されるのは違和感があるな、とついつい噴出してしまう梨乃亜である。
『同居してる女子高生の西垣由羅さんのことはもうお話しましたよね?最近その由羅さんと、あるアニメを見るのにハマっているのです。手紙のやり取りをしていた二人に突然謎の現象が襲い掛かり、恐ろしい魔法戦争に巻き込まれてしまうというものなのですが。ご存知でしょうか“桜坂戦争”。物語の設定が平成初期なので、まだ携帯とかでやり取りできない時代というのが味があっていいと思うのですけど』
「知ってるわよ」
手紙でもメールでも、ついつい読みながらひとりごとをぼやいてしまうのが自分の癖である。まあ、今この家には梨乃亜一人しかいないし、ようちゃんに話しかけているということにでもしておこう。
どうせ、この賢い犬は全部聞いているのだから。
「あいつ、ちょいちょい変なものにハマるわよね。妙に流行とかに敏感だし……ちょっと前には、好きだったオンラインゲームがサ終したってすっごく落ち込んでたし」
「ふんすっ」
「この国のサブカルチャーの沼はずぶずぶに深いから気をつけなさいって、ちゃんと忠告したはずだったんだけど。いやほんと、推しの沼は深すぎてやばいわ。財布の紐がゆるっゆるうになるんだもの」
思わず振り返った先には、梨乃亜の自室がある。パソ事務机の上に乗ったパソコン、その上の壁には梨乃亜が大好きな舞台俳優のポスターがどどーんと鎮座していた。二次元も危ないが、2.5次元の沼も深くてやばい。二十代後半の、そこそこ美人な女が(これでも見た目はちょっとしたものだという自負があるのだ、何度か街で芸能事務所にスカウトされたこともあるのだから)大量にポスターとグッズを大人買いしていたのを見て店員は何を思ったのか。
転売はやめてくださいね、と小さな声で言われた気がするが無視である。転売なんてとんでもない、保管用、保存用、観賞用。さらに観賞用は寝室とリビングと玄関と和室に五枚必要だ。となれば、一つあたりのグッズやポスターを買う量が増えるのも必然ではないか。
――桜坂戦争も面白そうだなあと思ってるのよね。無料配信の一話しか見てないけど。
ワラワラ動画で見たものを思い出す。第一話はほとんどプロローグも同然の内容だったが、確かに面白そうではあった。男女がひょんなことから手紙でやり取りすることになり(知り合いの知り合いから、偶然連絡先を聴いたとかそんなのだっただろうか)、次第に相手に魅かれ、逢いたい気持ちが募っていく。しかしそれと同時進行で不可思議な現象が起きるようになり、第一話のラストは少女の前に魔法生物が現れて襲い掛かってくるところで終わっていたはずだ。
化け物に怯えて逃げ惑い、失禁までする描写が実にリアルだったと評判だったらしいのだが、どうしても梨乃亜には理解できなかった記憶がある。なんせ、魔法生物の見た目が可愛すぎるのだ。なんだ、あの山羊の頭にタコの足が生えただけの黒い生き物は。山羊の頭がついているだけでダメダメのダメだ、可愛いとしか思えない。ああ、自分にもう少しお金があったら、広い一戸建てを飼って、どこぞのアルプスの少女よろしく自分だけの“ユキちゃん”を飼うのに!
「あいつだって、怖いもの全然平気なくせにねー。ていうか“ああいう怪物はぜひとも調教してみたくなりますよね”とか言い出しかねないドSなくせに、何で金払って続き見る気になったのかしら。そもそも、あんな可愛い山羊モンスターで発狂するなんて、今時の若い子はメンタルお豆腐すぎるわよね」
「むっふ!」
「あー、ごめんごめんようちゃん。ちゃんと犬のことも好きだから安心して。特に貴方は特別だからね?」
自分が山羊萌えの人間であることは知っているくせに、ことあるごとに嫉妬して鼻をすりつけてくる愛犬が愛おしい。その高等部をこすこすと撫でつつ、梨乃亜は続きに目を通す。
『手紙のやり取りだと、タイムラグがあるのがいいのですよね。それとメールよりずっと長文を送りやすいというか。きっと貴女のことでしょうから、この手紙を読んでいちいち文句でもぶつぶつ呟いてるんでしょうけど』
「うっさいわね、ほっときなさいよ」
『これを書いている私の現在と、今これを読んでいる貴女の時間は同一ではないわけです。メールでも、送ってから読むまでのタイムラグは多少なりにあるものですが、手紙はさらにその時間差が大きい。これを書いている私は過去にいて、読む貴女は今にいて、さらにこれを読んでいる頃の私は書いている私よりさらに未来にいる。そう考えると、哲学的で非常に興味深いものです。場合によっては、貴女がこれを読んでいる時にはもう、この手紙を書いた私がこの世にいないなんてこともあるわけですよね。針の先ほどの可能性ですけど』
「そうね、だから遺書ではよくあるのよね。“これをあなたが読んでいる時、私はこの世にはもういないでしょう”なんて書き出しが」
あんたに限ってはあり得ないけど、と心の中で付け加える。
澪が完全にこの世から消える時も、いつかは訪れるのだろう。しかしそれが直近である可能性など極めて稀であることはよく知っている。彼は、そう簡単に世界から弾かれるタマではない。ましてや、由羅のことを極めて気に入っているようだし、話を聞く限りではその由羅も相当澪のことを慕っているようだ。両親とも距離を置きがち、そして悲惨な境遇にあった少女の前に現れ、彼女と運命を共にすることになった澪。自分がいなくなったら由羅がどうなるか?がわからない男ではあるまい。なればこそ、以前ほどの無茶は控えるはずだ。
無茶しようがしまいが、彼がこの世から消えることができないことに変わりはないのだとしても。
『さて、今回手紙を送ったのはそんな小難しい話をしたかったわけではなくてですね。ちょっとした報告をしようと思ったんです。いろいろと面白い出来事があったもので。貴方も最近退屈だと仰ってたでしょう?怠惰な時間を嫌うという意味で、貴女と私は極めて近い存在にある。退屈しのぎを提供することこそ、日ごろ世話になっている貴女への報恩になるのではないかと思いまして』
報恩ねえ、と私は封筒にみっちり詰まった便箋の束を見る。随分大き目の封筒を使って来たなと思ったが、そういうことだったらしい。折りたたまれていない便箋が、一体何枚入っているやら。しかもどれもこれも、びっしりと文字が詰まっている。
「報恩なんてそんなキャラじゃないでしょーに。暇人か」
半分愚痴も入ってるんだろうな、と思う。彼の言う“面白い出来事”が、本当に純粋な意味で“愉快”であることは稀だと知っているからだ。どうせまた、いろいろな場所でトラブルでも起こしたのだろう。澪本人が望んでも望まなくても、彼が行くところ行くところ面倒が起きるというのは周知の事実である。最近は由羅といることも多いようであるし、彼女も頻繁に巻き込まれていそうだ。
気の毒だとは思うが、それでも澪と一緒にいることを選んだのも由羅である。今度は何があったのやら、と私は便箋を読み進めた。
『由羅さんの境遇についてはお話した通り。特定の邪神を召喚するという名目で、人々を誘拐して殺し合いをさせたり、デスゲームに参加させるという事案は実は由羅さんの一件以外でも起きているらしいということがわかりました。由羅さんはゲームクリア後に元の社会に戻ることができましたが、多くの人々は誘拐されたまま誰一人戻ってきていないようなのです。何やら、おかしな組織が暗躍しているような気がしてきませんか?……っていうか梨乃亜さん、貴女が一枚噛んでたりしませんよね?』
「私そんなに信用ないの?それともジョークのつもりなの、ねえ?」
『とにかく、そういうものを調べて回るのがなかなか面白そうだと思いましたので……少しばかり東京を離れ、各地を由羅さんと旅して回ることにしたのです。あ、一部写真も入れておきますね。良かったらどうぞ。何処に行ったのか当ててみてください』
便箋の隙間から、一枚の写真が出てきた。そこには笑みを浮かべた長い黒髪に金眼の美貌の青年と、その隣でちょっとしかめっ面をしている丸顔にボブカットの少女の姿がある。この少女が、西垣由羅だろう。彼女の顔だけ妙に近い。しかめっつらなのは多分、カメラを調整中にうっかりシャッターを切ってしまったからだと思われる。もっと良い写真送って来いよ、と呆れてしまった。
しかも、彼らが何処で写真を撮ったかなんてクイズにもなっていない。彼等の背景には、真っ青な空によく映えた富士山がくっきりと映っているのだから。富士山県と言えば、静岡か山梨だろう。富士山の様子だけではどっちの県から撮ったのか見分けがつかない、なんて言ったら両県の住人に怒られそうだが。
『危ない神を召喚しようとしているのか、それともそういう妄想を抱いて金を巻き上げているだけのテロリストか。そういう組織の噂がある場所を、あちこち旅をしながら回ってみようということになったのです。私の仕事もあるし、金銭面の都合もあるので、あまり長期間というわけにはいかないんですけどね。いやあ、二人旅なんか前の上司に引きずり回された時以来楽しみです!』
トラブルメーカーが、日本各地にトラブルを振り撒きに回ったのか。なんともはた迷惑な、と思ったが――よくよく考えればこの男は、自宅にいてなおトラブルの方が寄ってくる体質だったので関係ないな、と思った。さらには本人がもう開き直って、そのトラブルを引っ掻きまわして楽しむようになってしまっているから収集がつかないのである。
今度は何をやらかしてくれたのやら。そう思うと、もう一枚写真が出てくる。随分と人通りの多いところのようだ。派手なおばさん達が談笑する横で、たこ焼きを買う由羅の様子が映っている。これはひょっとしたらひょっとしなくても、大阪の風景だろうか。
『じゃあ、最初のエピソードを語りましょう。大阪に旅行に行った時に、いきなり遭遇したとんでもない事件です。それを狙っていたといえば、狙っていたんですけどね。……最近道頓堀付近で、誘拐事件が頻発しているという噂を聞いて飛んでいったわけですから』
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