片道切符のシャングリラ

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<3・アンチテーゼ>

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 不穏な噂、眉唾な噂――しかしどれも結局のところ推測の域を出ないものばかりである。
 何より、どれほど嫌な予感がしたとて、法律は法律だ。偉い人が考えて決めたことに、僕のような子供がそうそう逆らえるはずもない。兄にだけ“研修ポッド”を受けないで欲しいなんてお願いすることに意味があるかどうかもわからないから尚更だ。

――でも、もし研修ポッドが、人の人格も変えてしまうような恐ろしい洗脳装置だったりしたら……兄ちゃんをほっとくわけにはいかない!

 色々考えた末。裕介のポッド研修の当日、僕は理由をつけて学校を早退すると、その足で少し離れた兄の中学のところまで向かうことにしたのだった。話によれば、彼らは授業の後にみんなでバスに乗り込み、そこから研修の会場に向かうことになっているという。どこにポッドの研修施設があるのかは誰も知らないし、政府も明かしていないのだそうだ。そこが、ますます胡散臭いとしか思えない。
 ランドセルの中身は、最悪の場合“武器”に使えそうなものや水筒以外、全て学校に置いてきた。万が一見つかった時、名前が書いてあるものも避けた方がいいと思って名札もこっそり机に突っ込んできてある。まあ、よくよく考えたら苗字は折りたたみ傘には書いてあるし、あまり意味もないことなのかもしれないが。実際、見つからないに越したことはない。小学生の自分は多少オイタをしてもいきなり警察に捕まって刑務所送りなんてことにはならないだろうが、それでもこっぴどく叱られるのは間違いないからだ。
 何より、あのブログに書いてあったことが真実だというのなら。叱られる、だけでは済まない可能性もあるのである。到底、信じられるようなものではないけれど。

――確かにさあ、最近流れ星は増えたなと思ったよ?でも、いくらなんでも……ねえ。地球が異星人の侵略を受けてる、なんてのはSF映画の見過ぎだと思うんだけど。

 ブログに書いてあった真実、それは。
 地球にやってきた異星人たちが政府を牛耳り、ポッド研修を使って人々を洗脳しようとしている――という耳を疑うような話だった。
 彼らは最近妙に増えた流れ星に擬態して、次々と地球に降り立っている。真っ先にアメリカ、及びNASAが支配されてしまったせいで、一般には異星人の存在が公開されていないだけであるのだと。

――でも、ポッド研修の技術?っていうのがどこから来たのか全然わからないっていうし。ブログ書いた人が、どうしてそんな発想に至ったかってのは気になる。異星人云々はともかく、政府が独裁者に実は牛耳られてて、自分達に都合の良い思想を刷り込もうとしているっていうのはあるのかも……。

 見慣れた兄の中学校までやってくると、僕はバスを探した。研修は、三年生全員が対象であるはず。となれば、相当な人数を乗せるため、複数台のバスが必要になってくるはずだ。すぐに、中学校の駐車場に止まっている五台のバスが目に入った。有名な観光会社の、青いラインが入っている。五台ということは、一クラスにつき一台の計算なのだろう。確か兄の学年は、現在五クラス構成であったはずである。
 裕介のクラスは、三年四組。四組が乗るバスがわかればいいのだけれど、と思っていた僕はすぐに杞憂を悟った。

「わ、わかりやっす……」

 バス全面のガラス上部には、わざわざ“瑚乃木《このぎ》中学校三年四組”のプレートが掲げられていたためである。兄が乗るのはこのバスだ。ならば此処に潜入することができれば、自分も兄と同じ場所に行くことができそうである。兄がどこの座席に座るかまでは残念ながらわからないけれど。
 問題は、バスのすぐ傍で煙草を吸いながら待っているちょっとガラの悪そうな運転手。アレの目をどうにか誤魔化さなければ、こっそり乗り込んでおくなんてことはできそうにないということである。

――ていうかほんとヤクザみたいな目つき悪い運転手だなあ、あのおじさん。中学校の敷地で煙草って吸っていいんだっけ?今ダメになったんじゃなかった?すっご、けっむ……。

 煙草が切れて買いに行くとか、あるいは生理現象でも催してトイレに消えてくれるなんてことがないだろうか。僕がそう思っていると、突然門の周辺が騒がしくなった。バイクのエンジンをぶんぶんと鳴らす野蛮な音に少年達の罵声。やばそう、と判断した僕はすぐ駐車場の植え込みの影に隠れて外を覗き込んだ。

「おいこら政府のヤツ!いねえのか!出てきやがれ、うちのメンバー返せゴラ!」
「おいタカヤ、そんな言い方するな!とにかく政府の人は出てきてくれ、ポッド研修にうちの息子達を行かせたくないんだ!」
「ポッド研修反対!」

――こ、これどういう状況なの?

 暴走族らしい人たちが、バイクを乗り回して押しかけてきている。一昔前のドラマで見たようなリーゼント頭の人もいれば、金髪で派手な特攻服のようなものを着ている人もいる。
 かと思えば、中には数名普通のおじさんやおばさんもいるのが不思議だ。彼らは一様に、“暴風蘭”と書かれた真っ赤な旗か、“ポッド研修法反対!”と書かれたプラカードのどちらかを掲げている。暴風蘭、というのはよくわからないが、あの暴走族っぽい人たちのチーム名なのだろうか。
 そういえば、先日読んだブログにも書かれていた。ポッド研修法に反対する団体が存在し、ポッド研修の日になると大抵どこかしらが騒ぎ出すという話を。彼らは、ポッド研修によって家族や友人の人格が変えられてしまったと主張。まだ研修を受けていない者達に、“研修を拒否する権利”をよこせと主張し続けているのだという。その中には少なからず、暴走族などのギャング系の連中が含まれているそうだ。何故なら、元不良の人間であればあるほど、ポッド研修の影響が大きく出やすいからなのだという。
 実際、伯父もポッド研修を受けて、人が変わったように丸くなったというではないか。怪しい洗脳教育に身内を晒したくない、そう危惧するのは当然といえば当然だろう。少々、その主張の仕方が乱暴である気がしないでもないが。

――でも、あんな普通に見えるおじさんやおばさん達が、暴走族と手を組んででも活動するなんて……よっぽど、何かあるんだ。ポッド研修っていうのは……!

「ああもう、またかよ!何で俺らが矢面に立たないといけねーんだ」
「まったくだ」

 バスの見張りをしていた運転手達は、イライラしながら集団の方に向かった。騒ぐ連中を大人しくするのも仕事だと言われているなら、なんとも気の毒な話である。バスの運転手ってバスの運転だけ上手ければいいってもんでもないのかな、なんてことを思いながら――今こそチャンスだと僕はバスに乗り込んだ。勿論、三年四組のバスである。
 運転手は慌てて団体の方に走っていったために、バスの鍵をかけていくのを忘れていた。今なら気づかれることもなく、こっそり乗り込むことができるだろう。あとは、中のどのへんに隠れているべきなのか、ということだが。

――座席と床の隙間がだいぶ広いみたいだし、これ最悪下に隠れられる、かな?

 今ばかりは。小学校低学年とも間違えられるような小さな身体に、感謝の一つもできそうだった。



 ***



「……何やってんのお前」

 兄に呆れた顔で座席の下を覗き込まれ、僕は笑って誤魔化すハメになった。
 いやはや、頭隠して尻隠さず、というか。
 何故隠れる前に気づかなかったのだろう自分、と思う。身体だけなら確かに僕は小さいから、座席の下に入ることも可能ではあったのだが。なんせ、ランドセルを持っているのだ。僕の身体だけならどうにか隠せても、ランドセルが隠せない。裕介・裕太の両方を知るクラスメートが兄を呼んできて事態が発覚するのは、必然と言えば必然なのだった。

「ポッド研修がどんなものか気になっちゃったんだもん、ちょっと行動力発揮して忍び込んでみちゃいました☆」
「忍び込んでみちゃいました☆じゃねーよ。どうすんだよお前これ、見つかったら確実に雷落ちるんだけど、俺巻き込んで」
「あははは……すみません」

 確かに、兄も連帯責任を取らされそうではある。非常に申し訳ないと思いつつ笑って誤魔化していると、その間にバスの扉は閉まり動き出してしまっていた。裕介はすっかり、弟を放り出す機会を失ってしまったというわけである。すみませんでした、と思いつつも反省していない僕。これで、自分もこのまま一緒に研修施設まで行くことができようというものだ。
 そう、わざわざ早退して、中学校までせっせと歩いて来たのである。今更ここで退くなんて選択、あるはずもないのだ。

「あーもう……お前、そうやって隅っこに隠れてろよ。ランドセルは別の座席の下に押し込んで隠しておくから」

 結局。裕介も裕介で、先生にチクるのは諦めたようだ。まあ忍び込んだといっても所詮はただの小学生。法律に関わる話とはいえ、逮捕されるようなことがないとわかっているからの判断だろう。

「俺も叱られたくないし、そのまま現場まで大人しくしてるよーに。みんなにも黙っておいてもらうよう頼むから」
「やったー!決断の早い兄ちゃん大好きー」
「もう、そう言っても誤魔化されないんだからな、俺は!」

 有名な観光バスとはいえ、予算の問題なのかだいぶ規模が小さいものを注文したらしい学校。バスの中は補助席までMAXに使うほどぎゅうぎゅうで、そもそも僕が座れるような席は残っていなかった。一番最後尾の座席の左端で、時折兄の膝に捕まりながら窓の外を見る僕。ちょっと背伸びしても、前の席に座っているでっかい兄のクラスメートに隠れてしまって、前方の先生や運転手から見えることはないはずだ。ただでさえ人が多くて視界が悪いのだから尚更だろう。
 窓の向こうの景色からして、どんどん街の郊外の方へ走っているのがわかる。高速道路に乗って暫くすると、ビルの影がなくなり山の稜線ばあかりが青空に目出すようになってくる。やはり、施設が山奥にあるのではないかという噂は本当であったらしい。まあ、数十人、数百人以上を同時に研修するのである。人間大のポッドがそれだけの数収納できるような場所が都心にあるわけがない、というのは納得できることではあった。
 そう、それはわかるのだ。気になることがあるとすれば、もう一つ。

――なんだろう。あの、黒い倉庫みたいなの……。

 景色が森林の緑に染まっていく中。奇妙な黒い箱?のような建物が目立つようになってきたのだ。まるで森に隠れるように設置されているそれは、入口はあっても窓がないことからなんらかの倉庫ではないかと予測される。不思議なことに、にょっきりと生えるような黒い倉庫が散見され、その前には必ずといっていいほど警備員らしき人が立っているのだ。倉庫の中の何かを、厳重に守っているかのように。
 あれは一体何なのだろう、と思う。テレビやネットで、あんなものを見たことも聞いたこともないのだけれど。

――なんだか、見ていると……すごく気持ち悪くなってくる。なんでだ……?

 ちらり、と見えたプレートには“冷蔵庫”と書かれていた。一体何を保存しているのやら。
 じわじわと背筋を這い上がる悪寒。これが、第六感というやつなのだろうか。自分は本当に、このままバスに乗っていて大丈夫なのか。今更そんな風に思い始めた時、バスが高速を下りて本格的に山の中へと入り始めた。もう、後に戻ることなどできそうにない。
 やがて到着したのは、灰色ののっぺりとした大きな施設の前である。森の中に作る必要があったのか、むしろ作ってもよかったのかと思うような巨大なビルだ。

「皆さん、お疲れ様でした!」

 三年四組の担任である女性教諭が、にこやかに言う。

「それでは、案内するのでバスを下りてください。あ、このあとトイレの時間を設けますので、トイレに行きたい人はその時間で行っておいてくださいねー!」

 まるで遠足でもしているかのようだ。
 この時にはまだ、僕にもそんな感想を抱くだけの余裕があったのである。
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