片道切符のシャングリラ

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<2・ヤンキー>

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「二人共、昨日また夜ふかししてたでしょ」
「おおう、バレとーる……」

 翌朝。母にジト目で睨まえて、思わず僕は兄と顔を見合わせていた。
 兄弟は幼い頃からずっと同じ部屋である。裕介が受験生である時は、集中できないのではないかと両親は危惧していたらしいが。弟の僕にとっては有難いというべきか、兄は多少周囲が煩いくらいではまったくヘコたれないくらいの集中力の持ち主だった。僕が隣でネットやっていようとゲームやっていようと友達と電話をしていようと、全くお構いなしに勉強ができる。けして広いわけではない3LDKの我が家にとって、非常に有難いことではあった。
 ちなみに、僕もまだ受験は遠い。中学は公立校に行くつもりだからだ(というか、私立に行くつもりならとっくに受験も終わっているので手遅れというやつである。六年生から勉強しても遅いと聞いたこともある)。何が楽しくて、小学校の時からばりばり受験勉強をしなければならないのやら。一番近い公立中学は荒れている気配もないし、そもそもこの近隣地域は他と比較しても非常に治安がいい。両親も、それがわかっていたからこそわざわざ大きな街から少し外れたこの土地に引っ越して来たのだという。共働きだが父の職場は、前の住居より今の方が近いくらだし、母は引越しを契機に別のスーパーのパートに転職している。不都合なことは何もなかった。
 まあ僕の受験に関しては――母としてはママ友の見栄もあって、私立に入れたい気持ちもあったようだが。僕のあんまりよろしくない成績を見て、そのセンはすっぱり諦めたらしい。まあ実際、いくら親が進めても本人にやる気がないならどうにもないのだからしょうがない。

「昔から仲良しだよなあ、お前達は。うんうん良いことだ」
「感心してる場合じゃないでしょ。小学生と中学生が深夜まで起きていていいわけないじゃないの、今日も学校あるんだから」
「そりゃそうだけどさ」

 母に対して、父は実に呑気だ。お味噌汁をすすりながら、自分達が仲良しであることを高く評価してくれる良い父である。まあ、この様子だと父も自分達の夜ふかしには気づいていたのだろう。

――部屋の電気消してたんだけどなー。ちょっと喋る声大っきかったかなあ?

 次からは、もっと小声で兄と喋ろうと決める僕。当然、殆ど反省などしていない。気をつけますー、と口だけは言っておくけれども。

「父さんも三人兄弟だったんだっけ。しかも真ん中。うち二人兄弟で長男と次男しかいないからさ、真ん中ってどんなかんじかイメージわかないんだけど」

 卵焼きをもぐもぐしながら言う裕介。しれっと一番大きいのを取られたのに気づいて僕は口を“あ”の形に開ける。しまった、先に自分の皿にキープしておけばよかった。

「三兄弟の真ん中は、中間管理職みたいなもんって聞いたんだけど、マジ?」
「ちゅうかんかんりしょく?ってなに、兄ちゃん」
「一言で言うと、苦労人ってことだな。ボケとツッコミのツッコミ役みたいなもんだ、裕太」
「なるほど!」
「な。なんかちょっと違うけど、間違ってもいない、かな……?」

 父さんは微妙な顔をしている。ちゅうかんかんりしょく、の正しい意味はよくわからなかったが、父の表情からしてまた兄はボケをかましたということらしい。頭はいいのに、時々発想が斜め上の方向にカッ飛んでいくのが兄である。とりあえず、ちゃんとした意味は後でネットで調べようと思う僕である。

「まあ、甘え放題の末っ子の面倒みながら、兄貴との間を取り持つみたいなところあったもんなあ。しかも、うちの兄弟は今でこそ普通だが、子供の頃はお世辞にも仲良しとはいかなかった!毎日殴り合いの喧嘩だ。特に、兄貴がちょっと不良の道に足突っ込んじゃって大変だったのもあるんだけどな!」

 がっはっは、と笑う時、父の顔は兄そっくりになる。やっぱり親子だなと僕は思うのだ。笑い事じゃないだろ、ってところで普通に笑い飛ばしてしまえるところも含めて。
 僕と兄は、三つ違いという年齢の割に喧嘩をした記憶がない。見た目に反してやんちゃで生傷が耐えない弟に相当苦労させられたはずなのだが、裕介の温厚な性格が功を奏したのだろう、多分。小さな頃は、ことあるごとに兄に泣きついて心配させた記憶しかない。今はもう、ちょっと転んだだけとか、幼稚園の誰々と喧嘩したくらいで泣いたりするような弱虫ではないつもりだけれど。

「中学生から、有名な暴走族みたいなところに入って大変だったんだ、兄貴は。喧嘩が強いことが男の証明!みたいな一昔前の考えが強い人だったからな。俺も男としてみれば、兄貴はちょっとカッコよく見えたもんだ。まあ、それも高校に入る前にすっぱり足を洗ってくれたみたいだが。おふくろもオヤジも安心しただろうよ」

 高校に入る前。僕はその言葉に、おかずのハムを掴もうとしていた箸を止めた。タイミングが気になったのだ。それって、もしかして。

「……そのきっかけってもしかして。ポッド研修、ってやつに行ったから?」

 同じこと気づいたのだろう。裕介もはっとしたような顔になって父を見ている。自分達の様子が変わったことに気づいていないのか、父はにこにこ笑いながら告げた。

「ん、ああ、多分そうだな。喧嘩の強い兄貴も嫌いじゃあなかったけど……まあ、家の中が平和になったって意味ではポッド研修サマサマかもなあ。自分が間違ってた!っていきなり宣言して。特攻服も捨てたし、無免許でこっそり乗ってた単車も売り払って大人しくなったんだから。しかも今は、高校大学でしっかり勉強して弁護士だ、人間変わるものなんだなあって思ったよ」

 それは変わるというより、無理やり変わらされたのではないか。確かに家族にとっては、良いことも多かったのかもしれないが。
 僕が恐る恐るそれを口にしようとした時、ちょっと!と母が声を張り上げた。

「あんた達、のんびり話してる暇ある!?全員学校と会社の存在忘れてるんじゃないでしょうね、もうすぐ八時なんだけど!」
「あ、やっべ!」
「おー確かにやばいなー」
「やばいなーじゃないよ!兄ちゃん一番笑ってる場合じゃないと思うよ、学校まで自転車で三十分かかるの忘れてない!?」

 僕達は、慌てて御飯を掻き込み、食卓の片付けを始めたのだった。
 おかげですっかり、訊こうとしていたことがすっ飛んでいってしまった。――父に訊いたところで、既に何の意味もなかったのかもしれないけれど。




 ***



 平和な日常に、少しずつ忍び寄る不穏な影。
 否、本当はとっくの昔にそれはすぐ隣にいて、何も知らない僕達を嘲笑っていたのかもしれない。ただの小学生でしかなく、ちっぽけで無力な僕には到底対処できないほどの規模で。

「ああ!」

 その夜も、僕は慌てて窓の外に駆け寄り、がっくり肩を落とすことになった。目の端で見えた、きらりと光る流れ星。やはり、見えた時に窓に駆け寄っても遅いのだ。流れ星が降るタイミングが、予めわかっていればいいのに。僕はすごすごと、自分の机に引き返すことにした。
 今日は兄は、引退した部活に顔を出して指導してきたらしく、疲れて早々に眠ってしまっていた。裕介は眠りも深いので、近くの机で僕がパソコンをカタカタさせていても全く起きる気配がない。気をつけなければいけないのは精々、自分が布団に入る時に兄の身体をうっかり踏まないようにすることだけだ。僕達は二人共、机と本棚に挟まれた床に布団を敷いて眠っているのである。二人で使う部屋にしては狭くて、ベッドを置くスペースがなかったからというのが最大の理由だ。
 ベッドに憧れた時もあったが、甘えん坊だった僕にとっては兄と一緒に眠れる布団が嫌いではなかった。兄も兄で面倒見の良い人で、よく僕の頭を撫でながら一緒に寝てくれたものである。まあマイペースな兄は、僕より先に寝落ちしてそのまま起きないなんてこともあったが。兄と一緒というだけで僕は怖くなかったし、両親と離れて眠るのもちっとも寂しくなかったのは事実だ。今でこそ年相応だが、昔の兄はたった三つだけ年上にもかかわらず背も高くてしっかりしているので、周囲には実年齢より上に見られることが多かったのである。

――杞憂だと、いいんだけど。

 もうすぐ、兄もポッド研修を受ける。ポッド研修に関しては、僕は教科書で教えて貰った程度の知識しかなかった。ただ、今回の父の話を聞いてどうしても不安を抑えられなくなったのである。
 もし、ポッド研修が人の性格や思考を大幅に変えてしまう可能性があるのだとしたら。
 その研修の内容とは、本当はどのようなものなのだろう。ポッドに入って睡眠状態になり、バーチャル空間で社会的常識を学ぶ――本当にただ、それだけのものなのだろうか。

――そういえば、伯父さんは中学生なのに暴走族に入った……て言ってたよな。てことは、伯父さんが入った暴走族っていうのは、伯父さんより年上の人がメインの集団だったはず。その人たちは、ポッド研修受けなかったのかな?

 そこまで考えて気がついた。ポッド研修は法律で定められ、中学校の義務教育の一環に組み込まれている。卒業の間近に必ず全員揃って受けることが義務付けられているが、それは普通の学校に通う普通の生徒の話ではないか、と。
 まともに中学に通わなかった者や、法律なんざクソ食らえ!で無免許でバイクを乗り回すような集団が、大人しくそんな研修を受けるものだろうかと。
 裏を返せば。そうやって、研修を受けなかった集団だけが、暴走族としての“ワル”を貫けているのだとしたら。いや、勿論、人に迷惑をかけるようなギャング集団に属し続けることが、良いことだとは全く思っていないが――。

「!」

 ネットで検索していた僕は、ある小さなブログ記事に目を止めた。

“ポッド研修の真実”。

 真実って何、と。恐る恐る僕はその記事をクリックする。背中を、冷たい汗が伝う。指先を震わせながら、記事が表示されるのを待つ。
 そして、僕が目にしたものは。

「……は?」

 到底、信じることなどできない――荒唐無稽な記述に。僕はあんぐりと、口を開けるしかなかったのである。
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